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命あればこそ

2008年03月11日(火)

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もうすぐ11歳になるフクちゃんが、右上顎を痛そうにし、食事が摂りづらくなったのは1月の中ごろ。13歳のチリリンも同じような症状で病院に行き、その時は、抜けかかった上の歯が下アゴに当たっていたことがわかり、抜歯をしてもらうとすぐに症状が収まった。

今回も、てっきりその程度のことだろうと悠長に構えていたが、動物病院で歯を抜いても痛みが取れる気配はなく、歯茎からの出血がなかなか止まらない。背中と胸には、小豆粒ぐらいの得体の知れないしこりもあって、日に日に痩せてゆくのも気にかかる。

歯根が残っていて痛むのだろうから、それを取る手術をし、同時にしこりも全部摘出してしまいましょうということになったが、この子、小さい頃から心臓に雑音があると言われていたし、後年、なんらかの事情で右肺が潰れ、今では心臓が右側に寄ってしまってもいる。

そんな体だから、手術に耐えられるかどうかが不安で、飼い主、なかなか手術に踏み切れない。延ばしに延ばした手術の日に動物病院に連れてゆくと、なんだかやたらと呼吸が速い。緊張のせいばかりではなさそうな気配に獣医も驚いて、この呼吸で麻酔は危険だから、手術は見合わせましょうということになった。

不安が募り、そういう時のセカンドオピニオン。評判のいい病院に連れて行くことにした。ところがその病院、前の病院の検査結果を持っていったにもかかわらず、弱った体にさらにムチ打つ検査の山。およそ関係のなさそうな手の先のレントゲンまで撮られ、顎に至っては、鮮明な映像が撮れているのに、角度も違えず4枚も。

大きな構えの病院。豪華な設備を考えれば、検査漬けにしなくちゃ元は取り戻せないか。(余談ながらここの院長、40歳そこそこの若さで、3人の医師と10人ほどのスタッフを抱えている。病院は3階建て。獣医師というより、有能な経営者タイプなんだろうなあ。)

3時間にもおよぶ検査の結果、歯根も残っていないし、心臓も特に心配はなく、肺水腫もなし。ただし、針吸引細胞診の結果、しこりは悪性の繊維肉腫だろうと言われ、これはショックだった。心臓も肺も悪くないのに、どうしてこれだけ息が切れるのかは謎。内臓にも腫瘍ができているのだろうか。このことについては、2つの病院ともに結論が出せなかった。

過酷な検査が負担になったのか、翌日から急激にフクの体調は悪化し、わずか3日後には意識も遠のき、荒い呼吸を繰り返すばかりになってしまった。こうなってしまうと厳しい。よく頑張ったわね、大好きだったよと、涙をポロポロこぼしながら撫でているところに、もう間に合わないだろうと思っていた酸素濃縮器が到着した。

梱包をとくのももどかしく、大慌てで組み立て、その中にぐったりしているフクを入れると、ほどなくして首を持ち上げ、ニャアと小さな声で鳴く。奇跡が起きたと飛び上がって喜び、この子は生きていたいと思っているんだわ、できるだけのことはしてあげようと、お祝いのお赤飯ならず、フクの大好きなまぐろの刺身をお祝いに買ってきて‘檄’を飛ばす。

それからすでに2週間以上が経過した。今は不安定なつり橋の、その端の端をぐらぐらと揺られながら歩いているような毎日。夫は「低値安定」といった感じだねと言っていたけれど、ここ数日は「低値不安定」。腫瘍は急激に大きくなっているし、呼吸も荒い。原因がわからないまま、顔の右半分は鞠のように膨らみ、痛々しい。

食事はa/d缶と退院サポート缶を強制給餌。その日の体調に合わせてゆっくり食べさせ、どうにかこうにか、朝と夜2回で一缶弱を死守してきた。スポイトで水を飲ませ、その合間には獣医の指示どおり、自宅で100ccの点滴。点滴係りは気弱な妻ではなく、度胸のいい夫。あとはサプリと漢方と神頼み。

毎朝4時には必ず目が覚めて、ケージ(酸素室)の中の様子を確認するのが日課。息をしているお腹を見て安心し、もう一度寝なおす。朝、窓を開けながら「おはよう!」と声を掛けると必ず「ニャア」と返事をしてくれるのだけれど、その声は日に日に小さくなり、きょうは、ついにその声を聞くことができなかった。

病気を治療するいうこと対し積極的、かつその辛さも納得づくの人間とは異なり、猫にとっては、人間が良かれと思うことのすべてがお節介。そうだとすると、今のこの状態は過剰医療そのものなのかもしれない。けれど、声を掛けて頭を撫でれば、苦しい呼吸の中でもグルグルと喉を鳴らし、頭を摺り寄せる仕草をするフク。いまさらあきらめることなどできやしない。

命あるものは、「生きること」「生きられること」に希望を託す。どんなに小さな命であっても、死を望むもののあろうはずがない。生きたいんだもの、だから生きさせてあげなくちゃ、必ず治してあげなくちゃと、心を奮い立たせる。命の芽吹く春・・・フクよ、がんばって生きて!

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写真:(上)フク、もう一度この表情を見せて!(左)酸素室の中のフク。自宅のケージに、セットで送られてくるビニールを被せ、酸素を送り込む。この写真は使い始めの頃。今はもう起き上がれない。ケージの上にあるのは緊急用の酸素スプレー缶。


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穏やかな時のために

2008年03月18日(火)

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フクちゃんの容態が悪化してしまった。口を痛そうにして食事ができなくなり、動物病院に連れていったのが始まりだったから、当初は歯のことばかり、歯根を取る手術という段になって呼吸が苦しそうなことの気づき、その後は心臓のことばかりに気を取られてしまった。けれど、どうやらフクの命を着々と蝕んでいたのは、悪性の繊維肉腫だったようだ。

背中と胸、そして口腔内。背中と胸は目に見えるところにあるから大層気になっていたが、それ以上に問題だったは、口腔内にもできていた腫瘍。これが自壊し、上顎がえぐられはじめたと思ったら、昨日は遂に頬を貫通してしまった。かわいらしかった頬に直径2ミリほどの穴がぽっかり。痛々しい。

今後、飼い主ができるケアの方法を獣医さんに尋ねたが、打つ手はなさそう。容態が安定していれば、まだ手術の可能性が考えられるが、それでも確実に再発すると言う。昨日の動物病院、たまたま私の前にいた患犬さんと患猫さんは、それぞれ、舌癌と下顎にできた癌を手術をしたばかり。舌癌のワンちゃんは舌の3分の2を切除し、猫さんは下顎を切除してしまったのだとか。口からの食事はもう望めない。

酸素室に入れるという、たったそれだけのことでさえ過剰医療だったのではないか、却って苦痛を延ばしてしまったのではないかと悩んでいたから、それ以上の治療に踏み切ることなど到底できないし、その気もない。獣医さんでさえ、先の患犬たちの手術をしながら、過剰医療なのではないかとずいぶん悩んでしまったらしい。

今朝は、声をかけると口が「にゃあ」という形で動いたので、これなら食事も与えられると強制給餌をしたが、最後の一口を口の中に押し込んだ時、指を思いきり噛まれて負傷。こんなに弱っているのにこんなに力を出して…。ものすごい痛みが走ったが、痛さよりも先に、最後の最後まで、これほどの力を振り絞って必死で生きようとしているフクをこんな目に遭わせ、苦しませている病魔が心底憎たらしくてならなかった。

人間同様、モルヒネという選択肢もありますよと獣医さんに言われ、それも一晩考えたが、意識はすでに遠く、痛みを実感しているとは思えない。緩和ケアを、もっと前の段階で考えるべきだったのではないかと後悔するが、過ぎてしまった時間はもう戻ってこない。

そんなことを思っていたら、たまたま今日の朝日新聞にターミナルケアのことが掲載されていた。人間の場合には患者の意思が優先されるが、動物の場合、最後をどう迎えるか、どう迎えさせるかの選択はひたすら飼い主の判断に委ねられていて、この判断が実に難しい。今まで幾度となく飼い犬、飼い猫、そして外猫たちの最後を看取ってきたが、どれひとつとして後悔していないものなどない。

もっと最先端の治療を受けさせてあげれば良かったと後悔するケース、あんなに過酷な治療を受けさせず、もっとラクに過ごさせてあげればよかったと後悔するケース。どちらも、飼い主としての最善は尽くしたはずなのに、未だに煩悶し続けている。

その昔、とある病院のホスピスで友人と二人でバイオリンの演奏をさせていただいたことがあった。フロアには歩くこともままならず、ベッドに横になられたままの患者さんたち。死に向かって一日一日を過ごす。

その心を癒すほどの実力などないから、なんだかとても申し訳ないような気持ちでいっぱいだったが、それでも、意識が薄れたままベットに横たわっていらした年配のご婦人が、演奏後、それはそれは柔らかな笑顔を見せてくださったことが今でも忘れられない。「穏やかな時」に向かう、静かな場面だった。

まだフクは力を振り絞って生きているのだもの、あきらめる気にはなれないけれど、それでももう、静かに見守ってあげることが最善の方法、飼い主の愛情なのかもしれない。腰をさすってあげると、苦しい息の中でもグルグルと喉を鳴らすフク。

ねえ、どうすればあと僅かな日々を穏やかに過ごさせてあげられられるかしら?側にいてあげることしかできないけれど、それでもいい?


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写真:(上)数日前、酸素室から出て馴染みのカゴで一休み。検査のために毛を剃られた部分に、らくだのコブのように姿を見せているのが腫瘍。すっかり痩せてしまった。(下)フクが回復するようにと、元気な「オカメザクラ」を庭に植えた。タゴちゃんは満足?


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フクちゃん、また会いましょ!

2008年03月20日(木)

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フクちゃん、本日午前10時少し過ぎに、ひとり空へと駆け上っていってしまいました。

そのほんの1時間ほど前、やっとの思いで体を起こし、いつもと変わらない目で私を見つめ、ニャアとひと声。あらあ、声を聞かせてくれたのね、ありがとう、そう言って頭をなでると、健康な時のようにグルグルグルグルと際限なく喉を鳴らしてくれた。苦しいだろうに、それでも愛情に応えようとしたのか、その健気さがとおしくてならなかった。

闘病生活で体はボロボロになってしまったけれど、本当によく頑張ってくれたと思う。フクにとっては大変な2ヶ月、でもその間、できうるかぎりの介護を思う存分してあげられたことで、飼い主はどうにか気持ちの整理をつけることができそう。フク、時間をくれてありがとう。

あと10回もこんな悲しい思いをするのかと思うと、暗澹たる気持ちになってしまいそうだけれど、小さな命と過ごす、その辛さ、悲しさを全部引き受けながら、それ以上にたくさんの猫たちがくれる、たくさんの楽しい思い出を積み重ねていくことにしよう。

応援してくださった皆様、ありがとうございました。貴重なご助言を頂いたり励まして頂いたり。それはそれは有難く、そして嬉しく、コメントを拝見するたびに、メールを頂くたびに涙がこぼれてなりませんでした。ほんとうにありがとうございました。

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写真:(上)この写真から僅か6ヶ月後に別れがあるなんて・・・。(下)いつもコメントをくださるねこぼーしさんが、ご自宅のお庭(風雅庭)に咲くこのシロバナタンポポにフクちゃんという名前をつけ、回復を祈ってくださっていました。


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一期一会

2008年03月25日(火)

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フクがいなくなって今日で5日。どんな形であれ生きていて欲しかったと、そう思う。

最愛のペットを亡くした人の反応は二通り。もう二度とあんな悲しい思いをするのはいやだからと、それきりペットを飼うのをやめてしまう人と、ペットと過ごした蜜月の日々が忘れられず、次の子を飼う人と。

17年飼っていた犬を1年半近く介護し、つい先日亡くした友人がいる。白内障で目は見えず、首の骨が曲がってしまっため、頭がほとんど背中につかんばかりだったというから、介護も並大抵のものではなかったらしい。その友人は、もう二度とペットは飼わないと言う。

悔いのない介護をしたはずなのに、苦しみを長引かせてしまっただけだったのではないかと、そればかりを思ってしまうらしい。話をしている最中にも、ああ、だめだめ、あの訴えるような目が浮かんできちゃって、と。

そんな彼女の兄上の家には常に2匹の犬がいるが、このお兄様は彼女とは正反対。飼い犬が亡くなると、その日のうちにペットショップに駆け込み、そっくりな子を買ってくるのだそうだ。ご丁寧に、名前まで同じものをつけるという。

犬が死ぬと悲しくて悲しくて仕事にならないから、間髪入れずにそっくりな子を飼い、同じ名前をつけて喪失感を回避する。お兄様の職業は内科医。仕事柄、命に対しては冷静・冷徹なはずだが、愛するものを失う悲しみは、理性をもってしても抑えることができないということなのだろう。

大切なものを失うたびに自らの心を苛め、苦しんでしまうのに、私もどちらかというと後者。愛するものがいなくなってしまうことの空虚さ、寂寞とした思いに耐えるだけの精神力が不足している。

もう金輪際、猫を増やすつもりはないけれど、フクと同じ模様の猫さんに出会ったら、もう一度一緒に暮らしたいと思うに違いない。密かに、生まれ変わってきてくれないかしらと、そんなことを思う日々。

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写真:(上)やまだのママさんから、フクちゃんにお花が届きました。清楚な白い花が、フクの魂を優しく癒してくれているようです。(下)嬉しいね、フク。こんなきれいなお花を頂いたのよ!


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プロフィール

ジュリママと猫たちを乗せて走る鈍行列車のちゅうちゅうとれいん。車窓から見える風景を、気ままに書き綴るブログです。あけみちゃんの絵日記、『あけみ参上つかまちゅりーっ!』もどうぞよろしく。どちらもボチボチの更新ですが、末永くおつきあい頂ければ嬉しく思います。

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