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乳腺腫瘍というにっくき病

2007年07月04日(水)

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やまだのママさんは、愛猫やまだちゃんの乳腺腫瘍闘病記をきっかけにブログを始められたとか。実は同じ体験をしている。結婚したばかり、その頃住んでいたマンションの、向かいの草の茂みからミャーミャーと子猫の泣き声。部屋を飛び出してゆくと、‘みかん’と書かれたダンボール箱。その中に、まだ手のひらに乗るぐらいの小さな三毛猫が捨てられていた。

その時につけていたエプロン、柄も色もまだ覚えているが、カンガルーのお母さんのような大きなポケットがついていて、そこに子猫がすっぽり入る。あの頃はまだ、今のようにマンションで動物が飼えるなんて考えられない時代で、どこもペット厳禁。だから、ポケットは子猫を隠すにはうってつけの小道具だった。

部屋に戻り、なにか食べ物をと思っていると、三毛を拾ったのと同じ場所から、またしても子猫の泣き声。もう一度同じ場所に行ってみると、箱の外に三毛と同じ大きさの茶猫がいて、おお泣きをしていた。どうやら兄妹。なんのためらいもなく、こちらもポケット。

二匹とも目も鼻もグチャグチャだったから、早速近くの動物病院に連れていき、手当てをしてもらったが、何気なく選んだこのT動物病院が、後々チャコの運命を変てしまうとは思ってもいなかった。病院長、気骨のある(というと聞こえがいいが、ちょっぴり頑固おやじ)獣医師で、猫2匹を抱き上げ、良かったなあ…と愛好を崩す。三毛猫はチャコ、茶猫はにゃきち。

それまで犬しか飼ったことがなかったが、猫のかわいらしさに魅了され、だから目の中に入れても痛くないというほど甘やかして育てた。特にチャコとの相性が良く、この子といるだけで世の中のすべてが幸せに思えるほどだった。

チャコの体の異変に気がついたのは、飼い始めて9年目ぐらい。チャコを抱きしめると、左の胸に、コリっとした小豆粒半分ぐらいの大きさのしこりに触れる。不思議なもので、その瞬間に、これは悪性のものという直感が働いた。悪い人というのは、会っただけで何となくオゾっとするものがあるが、腫瘍もそんな感じ。

すぐにT動物病院に連れていくことにしたが、その頃は、もう転居していたから、病院まで車で40分ぐらいかかる。近くで探せばいいものを、あの院長の臨床の多さだもの、きっと正しい見立てをしてくれるに違いないと、一途にそう思ってのことだった。

レントゲンも何も撮らないで、ただ手で触り、ああこれは乳腺腫瘍だと。そしてやおら麻酔をかけ、助手とふたりでメスを入れ始めた。少し大きめに切らないと飛ぶぞ、とかなんとか言いながら。こちらは素人だから、きっと適切な処置をしてくれるはずと信頼し、任せるしかなかったが、人間に例えても、それが悪性の腫瘍だとしたら、下手にメスなんて入れていいはずはなく、その後に抗がん剤の投与もなかったから、さすがに心の奥底、平静ではいられなかった。

それからというもの、猫の乳腺腫瘍に関する本をかたっぱしから調べたが、どうみても乱暴な治療。猫の場合、乳腺腫瘍というのはかなり悪性の病気。早晩再発するだろうと覚悟していたら、ものの数週間で3箇所ぐらいに新しいしこり。T病院に連れてゆくと、ああ転移だと。さすがに院長、顔が強張っていて、あんな治療で治るとは、自分でも思っていなかったに違いない。

近くにいいお医者さんがあるからと、ご近所の方に紹介してもらい、早速連れていったが、2度目の手術は難しいと言われ、しかもこれだけ拡がってしまったら、もはや打つ手がありませんよと。そこで抗がん作用のある漢方などはないかと相談すると、動物にも、アガリスクやキチンキトサンの効果が立証されはじめているとか。

使ってみますかと言われて異存のあるはずもなく、早速その粉末をもらい、人間の薬に使うカプセルに分けていれ、朝に晩に飲ませ続けた。それでも症状が改善されることはなく、腫瘍は次第に大きくなり、しまいには破裂して膿をもち、大きく陥没してしまった。

猫だから苦しいとも言わず普段どおり、けれどひどい症状なのだもの、辛くないはずがない。最後にはひどい膿で、抱くにも、タオルでくるまなければならないほどになってしまった。それから2年、チャコは生き続けた。獣医からは、あの状態で2年もよくもったと感心され、きっとアガリスクだかキチンキトサンだかが効を奏したのだろうと言われた。2年といえば、人間にすれば8年換算。

チャコには20年生きてもらおうと思っていたから、11年という寿命はあまりにも短かった。にゃきちはチャコが亡くなると、エサをまったく口にしなくなってしまった。病院に連れていっても、何が原因かわからないと言われ、手のほどこしようもないまま、ほどなくしてチャコの後を追った。

今かかっている動物病院の、最先端の医療技術に接するたびに、あの頃のわが身の無知が悔しく、悲しくてならない。亡き子の年を数えても仕方がないと言うが、しばらくの間は、まだ生きていたのに、まだ生きていたのにと、そればかりを思い、やるせなかった。あきらめがついたのはやっとこのごろ。どう生きても、もう天に召されている寿命。

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写真:(上)チャコとにゃきち。(左)拾われて2ヶ月目ぐらいの写真。いつも二人は一緒。飼い主夫婦もまた、この子たちと一緒に若き日を過ごしていた。


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コメント一覧(2)

ここ数日バタバタしていてお邪魔できなくてゴメンナサイ。

経験していない病気なんて山ほどあるんでしょうが、
手術も抗がん剤も免疫療法や漢方治療などなど・・・、
これは効く!という実証がなされていないものばかりの
治療方法をするしかないこの病、本当に恐ろしいですね。
病気が発覚してから毎日朝から晩まで病気のことを
調べまくり、それでも納得のいく答えなんて見つからず、
出来る限りのことをしてあげたいと思っていたら、
台風一過の如くあっという間に命の灯が消えてしまって・・・。
昨年の今の時期、やまだはどうしていただろうか・・・とブログを
さかのぼり、思い出しながら涙している日々です。
うちにはまだナオミという白黒にゃんこがいますが、
お外や他所様のところで見かけると柄の出方が全然ちがくても
なぜか思い出しちゃうんですよね・・・。
色んなこと思い出しますね。

やまだのママ | 2007年07月05日 10:03

やまだのママさん

私も似た子を見るとやっぱり思い出してしまいます。
やまだちゃんのように、あっと言う間というのも、
飼い主にとっては割り切れない思いが残ると思いますが。
長い闘病生活というのも、これまたかわいそうなものです。
一番いいのは、治ってくれることですよね。

ボムボムちゃんの病気も早くよくなりますように!!

ジュリママ | 2007年07月05日 23:24

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鈍行列車の「ちゅうちゅうとれいん」はいつも満員(ふ~っ…)!時々燃料切れを起こして更新が滞ることがありますが、どうぞ末永くおつきあいくださいネ。姉妹編の「あけみ参上つかまちゅり~」もよろしくお願い致します。

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桃之輔(momonosuke):1999年生まれ。甘えっ子ですが、ものすごく臆病で、ほとんど一日中、布団の中に隠れています。

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