仲良きことは美しき・・・かな?
2007年06月01日(金)
人間にも相性があるように、猫にだってもちろん相性があって、嫌いはどうやっても嫌い。誰とでも仲良くしなくちゃだめよと諭してみても、そんなもの同士が好きになる確率なんてほとんどない。フェロモン入りの媚薬で仲良くさせようとした試みが、結局は失敗に終わったのも、スキだのキライだのという感情は、そうそう簡単にコントロールできるものではないという証拠。
猫ばかりではなく、ただの人形にも好きだの嫌いだのという感情があるなんていうと、まるでオカルトの世界みたいだけれど、我が家にあるペアの二組の「人形」のこと。ひとつは友人がウィーンに行った時のおみやげ。北海道のおみやげといえば毬藻、福岡なら明太子、音楽の都ウィーンなら当然音楽にまつわるもので、男の子は内巻きカールの銀髪のかつらを被ってクラリネットを吹き、女の子はヒラヒラしたレースで飾られた、裾の広がったドレスを着てバイオリンを弾いている。
一見かわいらしい人形なのだが、これがどうも相性が悪く、いくら向き合わせて置いても、数日経つと女の子のほうが男の子から微妙に遠ざかり、そのうちにまったくそっぽを向いてしまう。この子、なんとなく意地の悪い顔をしていて、取り付く島のない感じ。それに比べて男の子のほうはあまり利発そうに見えるタイプではなく、ただ人が良さそうなトッポイ坊や。そっぽの向き方からして、どうみても女の子が男の子のことを嫌っているようにしか見えない。いくら向きを直しても同じことの繰り返し、いい加減気味が悪くなって、ついに人形供養。
もう一組は輸入雑貨のお店で買った、バリだかなんだかのありきたりの猫の置物。男猫はリコーダーらしき縦笛を吹いていて(もしかすると、クラリネット)、女猫はバイオリンを弾いている。だからその組み合わせはウィーンの人形と同じ。ただしこちらのウリは音楽ではなくて、たぶん着ている民族衣装。音楽の本場からやってきた人形は、さすがに演奏が上手そうな楽器の構え方だが、バリのほうはといえば、どちらもぎこちなく、見るからにヘタそう。
なまじ上手くないから、お互いに演奏で競いあうこともなく、仲良くしていられるのかもわからないが、この子たちは並べて置いておくと、いつのまにかぴったりと寄り添い、次第に向き合い、最後にはどうみてもKissをしているようにしか見えなくなる。女の子が積極的に迫っているふう。人形ごときにそんなことがあるはずはないと思うのだけれど、恋は不思議ね、と歌われているぐらいだもの、人であろうと人形であろうと、恋にまつわればきっと不思議なことが起きるに違いない。
そんなことを書いていたら、ミミちゃんとサビちゃんの大喧嘩が始まった。相変わらず喧嘩を売ったのはサビだけれど、きょうはミミも強気。最近では「あら、また?」とつぶやくだけで仲裁もせず、喧嘩の終わった後に飛び散った毛を集め、白毛が8割だからミミの負けね、とそれだけ。仲が良いのは確かに美しいけれど、こうして喧嘩を売りながら、一匹狼(猫)で逞しく生きていける強さというのも、これはこれでいいのかも。
写真:(上)ミミちゃんとサビちゃん。これから喧嘩が始まるところ。右端にわずかに写っているのが仲良し猫人形。(左)サビがしかけた喧嘩に、ミミちゃん猛然と反撃!
鬱病治すに薬はいらぬ、猫の1匹いればよい
2007年06月04日(月)
ミミを拾ったのは、仕事上の対人関係がきっかけで、「鬱病」なんていう心の病を抱えてしまい、一日中わけもなく悲しいだけ、起きる気力すらないという日々を過ごしていた時だった。精神科で処方される薬は飲めばボーッとするだけ、治る実感がまるでなくて閉口したが、複雑な脳の仕組み、薬でそう簡単に治るはずもないと、ハナから疑っていたせいだったのか。
このまま家から一歩も出なければヒッキーになってしまう。薬も効かないとなれば自分で治すしかないのだもの、どうにかして治さなくちゃ、先に進まなくちゃの一心で、重い心と体を引きずりながら、社会復帰にむけてのリハビリを始めることにした。今思えば「行動療法」。
幸いにして、家の近くのスーパーが募集していた事務の仕事にありつくことができた。一日に4時間ぐらい、売り上げ伝票の数字を電算機に打ち込むだけの作業。リハビリと割り切って始めたつもりだったのに、すぐに鬱病のネガティブな思考パターンに巻き込まれ、単純なルーチンワーク、この仕事からいったい何が生み出せるのかと、自分を責めるようになってしまった。
パタパタと伝票の数字を打ち込んでいると、ポロポロと涙がこぼれて仕方がない。かけなくてもいい眼鏡をかけ、涙を隠しながらの仕事。その日はどうにも耐えきれなくなり、トイレに立つ振りをして外に抜け出してしまった。そんなタイミングを見計らってのことだったのか、耳にかすかな子猫の泣き声が聞こえてきた。どうやら事務所の横にあるダンボール置き場。かき分けて奥のほうを覗くと、真っ白い子猫が紙くずのように身を縮めて潜んでいる。
スーパーのペット売り場には、子猫だの子犬だのがしょっちゅう捨てられる。この少し前にも、事務所の女性が昼休みから帰ってくるなり、ペット売り場に子犬が3匹捨てられていて、2匹はお客さんが貰ってくれたんだけど、1匹だけ残っちゃったんだって。変な模様の犬なの。もうすぐ保健所がくるのに、何も知らずにぐっすり箱の中で寝ていたわ、と言う。
見にいけばどうしても助けなくちゃいけないし、でもその頃の精神状態では里親を見つけてあげる気力など到底なく、だから聞かなかったことにしてしまったが、後々までそのことが心の片隅に残り、見てもいない子犬の姿が思い浮かんで閉口した。助けてあげればよかったとそればかり。
このまま見捨てればこの子も同じ運命。女ひとりで除けるには大変なダンボールだったが、助けたい一心、やっとの思いで子猫を救出した。連れ帰るつもりで小さなダンボール箱に入れ、仕事が終わるまでという約束で事務所の中に入れてもらった。その間も大きな声で泣き続けていたが、幸い店長は何も言わないでくれたし、パートのおばちゃんたちも代わる代わるやってきて、かわいいだのなんだのと言いながら抱き上げ、幸せになるのよ、と言ってくれる人までいた。
子猫はきれいな水色の目をしていて、薄汚れてはいるものの、一応白くて長めの毛。洋猫の血が混ざっているのもしれない。暑い中、何時間もダンボールに入れたままだったから、家に着くとぐったりしていて、食欲もない。翌日病院に連れていき、どうにか一命を取り留めたが、飼い主を前にして獣医さんが思わず口走った第一声が、情けない顔をしてるねえ・・・だったのは今でも笑い種。
子猫だったミミちゃん、青かったはずの目はみごとに茶色になり、毛の長さもフツウ、飼い主の期待を見事に裏切って、今ではただの白猫、ただの日本猫に落ち着いた。ただ、情けないのはそのままで、捨てられていたスーパーが大きな国道沿いにあったせいか、それがトラウマ、ゴーゴーという車の音が怖いらしく、しばらくは家の前を車が通っただけでベットに駆け込み、布団の下にもぐりこんでそれきり、一日中出てこなかった。
最近はようやく車にも慣れ、伸び伸びと暮らしているが、それでも臆病なことに変わりはなく、パパが抱こうとすると一目散に逃げる様子はまるで野良猫。ミミが子猫のころ、フクはミミを縫いぐるみだと思ったのか、口にくわえて放り投げようとして飼い主をあわてさせたが、ジュリはこの子がすっかり気に入ったらしく、一日中抱いて過ごしていた。わが子同然にかわいがって育てたのはジュリちゃんだったから、親のしつけが悪かったと責められるのはいつもジュリ。
拾った子猫の生命力に励まされ、病は快癒、これぞ究極のペットセラピー。猫の恩返しと思うべきなのか、はたまた、こちらが猫に恩を返さなくちゃいけないのか。
写真:(上)拾ったばかりのミミ。(左下)目の色は茶色、これって「拾ってくれ詐欺」かも。
早朝の来客にご用心
2007年06月06日(水)
朝早くのお客様というのは滅多になく、たまにきても宅急便。夜の遅い仕事ということもあって、朝寝だからこれは好都合。昨日も寝たのが午前3時、それなのに今朝は玄関のチャイムが7時に鳴った。寝ぼけた頭でインターフォンを取ると、近所に住む女性で、何のご用?と聞いても答えない。急いでパジャマを着替えてシブシブ出てゆくと、家の中に入って話をさせて欲しいと言う。
我が家は、寝る前に必ずパパと「営業会議」を兼ねながらの飲み会、そのまま片付けもせずに寝てしまうから、リビングは散らかったまま。その上、寝ている間に猫どもが猫じゃらしだのなんだのと、どこからかおもちゃを引っ張り出してきて床の上、時には、カリカリのゲッゲが散乱していたりするから、とてもじゃないが、スンナリとお客さまを通すことなんてできない。
玄関先にはスズメがいて、嘴で乱暴にかき混ぜたエサを四方八方、土浴びの土だの、水浴びの水だのと、小さな体でよくぞここまでというほど散らかしてくれる。こんなふうだから、快適な生活環境を保つためには、毎朝欠かさず2時間以上を掃除に費やさなくてはならない。空気をきれいに入れ替え、布用の消臭剤だの、プロ用のペット消臭剤だのをシュッシュッとふり撒き、ようやく来客受け入れ態勢完了。
ところがそんな事情もお構いなく、この人、強引に玄関に入り込み、しかも開口一番お金を貸して欲しいと言う。それも結構な額。母親(と言ってもお婆さん)とは猫談義、何回か立ち話をしているが、その娘さんであるこの人とは、今日を含めても3回ほどしか会ったことはなく、どう贔屓目に見ても親しいとはいえない間柄。
よくよく差し迫った事情があるのだろうが、申し訳ないの一言もなく、返す予定も話さない上に、昼までに用意しておいて欲しいという。それでも気前良くお金を貸すとしたら、畳の下でお金が腐っている家か、よほどの慈善家。いやいや、金持ちほどケチっていうから余計に無理か。なんで我が家にと思ったが、パパが言うには100軒目、あちこち断られて辿り着いたのさと。モチロンお断り。
チワワブームを捲き起こした、あの手の金融業界から借りるのはチト怖いにしても、武士は食わねど高楊枝、友人、知人に弱みを見せるより、質屋さんとかなんとか、箪笥の奥にしまっておいた絹の着物だの帯だのを引っ張りだし、裏口からこっそり入ってお金を工面するほうがずっと風情があるが、そんな「美学」などなんの腹の足しにもならないか。お金なんてものを持ってしまったがために、人間、他の動物よりずっと惨め。
写真:(上)朝から家の中を覗くのは、お客様ではなく外猫のクーちゃん。後に見えるのはこの子の小屋。(左)お金を借りに・・・じゃなくて、ただ家の中の子たちをからかいにきただけ。
天は二物を与えず
2007年06月07日(木)
ジュリの目は大きくて利発そう。顔だけ見ている分には嘘偽りなく美猫なのだが、残念なことに、しっぽが短くてチンチクリンなこと、それになんとなくずんぐりむっくりしていて、だから総合点となるとかなり怪しい。まあ容姿なんていうのは授かりもの、しかも美しさの基準なんて所詮主観、どうとでも変わる。妬み嫉みじゃないけれど、それが証拠に今年のミス・ユニバースの日本代表、美しいとは言いがたいし華もない。それでも世界一。
ジュリの場合は美貌よりも、むしろ悲しいのはその体型が災いしての運動音痴、俗にいうところの「運痴」。我が家の猫に‘すばしこい’なんていう形容詞がつく猫など見当たらないが、それでも、チリンンやココはス~ッとした体型どおり、動作がスマートで器用、大きなドジを踏むとことなど滅多にない。
それがジュリときたひには、ほんの40センチほどの高さしかないソファにも飛び乗れず、目の前で転落する。当然、1メートル以上あるカウンターに登り損ねることなんてしょっちゅうで、フワッと舞い上がったと思った次の瞬間には、ボトッという鈍い音がして床の上。あっ、落ちた!と言うと、わざと降りたのよと言わんばかりに、知らんぷりして毛づくろいを始める。
もっともこの運痴、ジュリばかりではなく、きのうはムメちゃん。カウンターのこちら側で炊事をしていると、向こうから飛び乗る気配、それっ、とジャンプしたと思った途端、視界からスッと消えた。ジュリほどの体重はないから、落ちる時は音無し。用事があったから登ろうとしたのだろうに、それきり姿を見せないから、どうしたのかと探しに行くと、廊下のヒンヤリボードの上でフテ寝をしていた。
それにしてもわからないのが、猫の得意技らしき‘シラバクレ’。これは猫の七不思議、頑なに自分の失敗を認めたがらないのはどうしたものか。落ちちゃった・・・と恥ずかしそうに擦り寄ってくればかわいいものを、最初からそんな気はなかったとばかりの態度、それどころか、なんで笑うのよとふくれる。こちらもふくれ面見たさに、落ちた、落ちたと指差してオーバーに笑うから、なおさら素直になれないでいるのか。
もっとも運痴は親の遺伝、猫を笑ってばかりもいられない。血はつながっていなくても、血より濃い親の愛。子供の頃、体が小さくて運動が苦手だったという、パパのDNAを 確実に引き継いでいるのだもの。
そういえば小学校の頃、クラスに数人そんな男の子がいて、女の子に人気がなかったけれど、ママはむしろそんな男の子とのほうが仲が良かった。小さい頃からマッチョで運動神経抜群という男の子が苦手だったのだ。世の中うまくできたもので、だから、運痴の人とのめぐりあいはまさに赤い糸、蓼食う虫も好き好きの典型。まあ、こんなことはどうでもいい余計な話だけれど。
写真:(上)ジュリはミスユニバースの水着予選ばっちり。ビキニの水着初公開。(左)ムメちゃん、ゴミ箱に入ることぐらいならできるんだけど。
ウチの猫にはヒゲがある
2007年06月08日(金)
電車に乗ると、本を読んでいるか寝ているか、乗っている人を観察しているかのどれか。遠くに出かける時の電車は格好の図書館、他には何もしようがないから、気も散らずに読書に専念できて、だからこれが一番好きな電車の有効利用。その日も本を読み始めたのだが、なにやら目の前に座っている女性のしぐさが視界に入り、落ち着かない。
年のころは20代前半、バックから化粧ポーチを取り出し、なにやらごそごそ探し物をしているふう。一見清楚でかわいらしいが、どうやら流行の「電車の中で化粧する女」。究極の「化粧する女」は、素顔から始まってひととおりのプロセス、最後に長くてボリュームたっぷりのまつげ、誰が誰だかわからないほど同じ顔になって、作業を完了するが、どうもこの女性、鏡を取り出したものの化粧をする気配がない。
初めてのデート、ファンデーションののりでも見たいのか、あるいは描いた眉毛が千切れちゃいないかとか、アイラインが下瞼に滲んでタヌキになっていないかとか、歯に口紅がついていないかとか、そんなことでも気になったのかと眺めていたら、やおらポーチから取り出したのは「毛抜き」、そして、なななんと、人前憚らず眉毛を抜き始めた。
なんだか湯上り、裸のまま腋毛を抜いている女性を見ているようで、恥ずかしくなったのはこちらのほう。見てはいけないものを見てしまった感じ。化粧する女が進化(退化?)すると、こんなことを人前でヘーキでするようになるのかと妙に感心したりもしたが、それどころかこの人、眉毛が終わるや、今度は、ムウンと鼻の下を思い切り伸ばし、ヒゲを抜き始めたのだった。
彼から初めてのkissを迫られそうな嬉しい予感、急にヒゲが気になったのだろうか。そりゃあ確かに、顔を近づけたらヒゲが生えていたというのでは興ざめだろうけれど、電車の中でヒゲを抜いている間抜け面、彼氏が見たら百年の恋もたちまち醒めようというもの。それより、こういう女性を妻にしたが百年目、なんとなくルーズな日常生活が待ち受けていそうで怖い。
きれいな顔立ちだし、どちらかといえばおとなしそうな雰囲気、黙っていればそれなりのお嬢さんに見えたのに、お里が知れてしまったとはまさにこのこと。その女性をずっと眺めていたママもよほど不躾だけれど、目を逸らそうにも目がテン、結構な衝撃だった。
うちの子たちに限って、まさか人前でヒゲを抜くなんてことはしていないと思うけれど、でも時々、長いヒゲが床に落ちていることがある。ジグソーパズルのように、1匹ずつの顔にヒゲを当ててみるが、これが案外誰のだかわからない。ヒゲがない猫の顔なんて茶饅頭かお大福、くれぐれも抜かないようにね。
写真:(上)猫の中でもキジ猫のヒゲは特に立派。ジュリも見事。(左)アミちゃんは病気が重くなるにつれてヒゲが短くなり、見るからに弱々しくなっていった。ヒゲは猫の健康のバロメーターなのかもしれない。
サクベエがいなくなった日
2007年06月10日(日)
戦争がどれほど悲惨なものであったのかを知ることができるのは、せいぜい書物の上でか、人の語り伝え。戦争を体験した世代からはほど遠いけれど(?)、それでもほんの小さな子供の頃から、戦争だけは嫌だと思い続けてきたのは、母から、戦争中に飼っていた犬を供出した日のことを聞かされていたからか。
当時、両親はサクベエという名前の柴犬を飼っていた。昔のことだから、ほとんどの家で犬は放し飼い。ある日買い物から帰ってくると、必ず玄関に出迎えてくれるはずの犬の姿が見えない。どこに行ったのかと家の周りを探し歩いていたら、近所の人が、今しがた犬獲りに捕まり、麻袋に入れて持っていかれたばかり、と教えてくれた。
気の強い母のこと、「非国民」と言われることなんて、想像はついたがお構いなし。麻袋を担いだおじさんを探しだし、その犬は私の家の犬だから返しなさいよ、と迫ったらしい。所詮オンナコドモの言うこと、おじさん一向に怯まず、これは国の命令、兵隊さんのために犬を供出するのは国民の義務だと一蹴。しばらく言い争ったがどうにもならず、麻袋の中で声ひとつ出さないサクベエと、泣く泣くお別れをして引き返してきたという。
今度はあのウチの犬だと、犬獲りのおじさんが近所に言いふらしていたらしいから、しっかり繋いで庭の奥、あるいは家の中から一歩も出さず、厳重に匿っておけば良かったものを、それでも、たぶん結果は同じだったか。その頃、国の号令下、末端の地域にまで組織されていたのが隣組。とんとんとんからりっと隣組・・・なんていう歌が流行ったが、そこで歌われているような「助け合い」は表向きのカオ、国民の一人残らず、それこそ猫の子一匹逃すことなく国家の統制下に置くための、早い話が相互監視システムだもの、犬を隠しているなんてすぐに知れ渡る。
捕まえた犬は一箇所に集めて棒で殴り殺し、毛皮を剥いで防寒用の手袋や帽子に加工、軍に供給したというが、全部が全部のはずなはく、人が食うに困るほどの苦しい戦況、パーマをかけるのはやめましょうというのと同じ次元、ペットを飼うなんて贅沢、それだけの理由で捕獲され、命を奪われた犬もたくさんいたはず。文字通りの「犬死」
母の怒りと嘆きは、戦後何十年たっても薄らぐことはなく、だから、ことあるごとに聞かされ続けたこの話。そのたびに胸が痛み、耳を塞ぎたくなったが、お陰で戦争の悲惨さだけは、心の奥底にしっかりと刻みつけられた。ただし、母親の薫陶よろしく、戦争と聞いてまず思い浮かぶのが動物達の悲劇、という「非国民」ぶり。
どんな命であれ、その生殺与奪権を国家が握っているという事実は、恐ろしくもあり、馬鹿馬鹿しくもある。権力亡者、金亡者の為政者達、国を守るため、国民を守るための防衛なんて本気で考えているはずもなく、戦争も利権の道具、結局は誰かが何かで「トク」する仕組み。そんなことのために、人にせよ何にせよ、あたら「命」を投げ出す必要など毛頭ないはず。
写真:(上)ココちゃんは6年間のノラ生活を経て、ようやく家猫。守ってあげなくちゃ。(左)1941年発行の『臣民の道』は、文部省が各学校に配布した小冊子。隣組についても「隣保苦楽を共にするの風は、古来の尊い伝統」「隣保相扶け隣人相戒めて道徳的修練に励み、さらに国策萬般の普及徹底に協力する最下部組織として重要なる意義を有する。」などと記述されている。
賢い子猫の育て方
2007年06月11日(月)
まだ乳離れをしていない猫を拾ったことのある人なら、子猫の育児がいかに大変かよくわかるはず。猫用の哺乳瓶でミルクをあげるが、夜中であろうと3時間おきだから、人間の子と同じ手間。ミルクはお湯に溶けにくいし、温度が気に入らなければミャア、ミャアと文句は言うしで、なにかと面倒なのだが、初めて拾ったチャコちゃんとニャアちゃんの時には、目覚ましをかけながら、必死の思いで起きてはミルクをあげていた。
ところが、数が増えるにつれて次第に手抜き。夜中に起きる回数は3回から2回に減り、そして1回、そのうち、夜中に起きなくても死んじゃうことはないみたいと、朝までミルクをあげない無責任な飼い主に成り下がった。朝起きると、子猫はケージの中からものすごい鳴き声をあげて抗議をするが、ハイハイハイと、3回返事のいい加減さ。
猫虐待、動物愛護協会に訴えちゃうから、と言わてしまいそうだが、それでも、どの猫も無事に育ったし、特に性格がひねくれてしまったという子もいない。人間の長男・長女が手をかけすぎて失敗するのに似て、こちらもあまり神経質に育てるのは良くない、と、これは言い訳。
猫という動物、生後1ヶ月ぐらいの間はウンチとおしっこを自力ですることができないから、授乳よりも大変なのが排泄の世話。猫の母さんが舐めてあげるように、温かいお湯に浸したティッシュでトントンと、肛門付近を軽く優しく叩いて刺激を与え、それでやっと。
フクちゃんを拾ったのも、離乳にはまだだいぶかかりそうな時期。だから、ミルクをあげた後に必ずティッシュでトントンしてあげていた。ところがこの子、どうも他の猫に比べて排泄量が少ない。きちんと排泄させないと、糞詰まりで死んでしまうことがあると聞いていたし、尿毒症も心配。元気なことは元気だったが、心配になり、5日目ごろだったか、ついに獣医さんに連れてゆくことにした。
獣医さん、フクのお腹や膀胱を触診し、何も溜まっていませんけどねえと首を傾げる。きちんと排泄しているんじゃないですかと。そんなはずはないと不思議に思ったが、鈍感な飼い主、やっと事態を飲み込むことができた。思い当たるのはチリリン。あの子、一日中フクを抱きしめている。チリリンが、フクちゃんのお世話をしてあげていたというわけか。
拾ってきた日、パパに見せようとフクを抱いていると、「私の子よ、飼って、飼って」と大騒ぎ、ウェンウェン(ニャーとは鳴かない)言いながらフクを欲しがったのはチリリン。顔のそばまで持ってゆくと、かわいくてたまらないらしく、目尻を下げ(ほんと)、口にくわえようとする。前年にカールちゃんを亡くしたばかり、同じ黒白猫が欲しいと思っていたから、フクの登場は殊のほか嬉しかったが、一番喜んだのはチリリンだったのかもしれない。
怠惰な飼い主はそれ以来、ミルクを飲み終えたフクをケージに入れる時、チリリンも一緒に抛りこむ。子を慈しむ母の愛、よく面倒を見てくれていた。こうしてしばらくの間、義理の母子は美しい愛情で結ばれていたが、それから10年、今ではどうということもない関係。あれほど手塩にかけていたのにと思うけれど、親と子なんて所詮こんなもの。人間も猫に倣ってこんなふう、スッパリキッパリ割り切れればいいものを。
写真:(上)子猫時代のフクちゃんと、育ての親のチリリン。(左)ジュリは出ないおっぱいをあげながら、ミミを大切に育てた。この子たちは今でも仲が良い。
忠猫ピーちゃん
2007年06月14日(木)
ご近所さんが茶色のキジ猫を飼い始めたのは10年ほど前のこと。その家の子供が通っていた小学校の通学路に、何匹かまとめて箱に入れて捨てられていたのを拾ってきたという。お母さんと一緒に見にゆき、一番かわいかった子を連れてきたのだそうだ。
拾われた茶猫、確かにふっくら顔でかわいかったが、それにも増してこの子、並の猫とは比較にならないほど利口だった。朝、子供たちが学校に行く時には、必ず後をついてゆき、道路の手前まで送り出して戻ってくる。夕方帰ってくれば遊びの輪に入り、一緒にボールを追いかけたりしていた。だから近所の子供たちからも人気があって、ピーちゃん、ピーちゃんと、いつも名前を呼ばれていた。
その頃、我が家には前の家から連れてきた外猫のジンがいて、これがピーちゃんの兄貴がわり、それはそれは仲が良く、寒い日など、同じ小屋の中で抱き合って寝ているほど。こう書くと、ほのぼのとした話のように聞こえるが、実はこの子、飼い猫だというのに、他人の家の小屋に寝泊まりをしなければならない身だった。
ピーちゃんはオス猫、去勢をしていなかったから、家の中でも遠慮会釈なしのマーキング。被害の少ないうちは我慢していたが、お年頃になってからは布団にたびたびの粗相、ついに家族中から総スカンを食らい、飼い主、それからというもの、家の中には一切入れないことにしてしまった。それ以来ピーちゃんは半ノラ生活、毛の色艶を見ただけでは、ノラなのか家猫なのかわからないほど薄汚れてしまったが、猫にしてみればまったくもって理不尽な話。
しばらくするとピーちゃん、涎を流しはじめ、極端に痩せ細り、明らかに重い病気の様相を見せ始めた。猫という動物、最後の最後まで弱った素振りを見せようとはしないから、人間が気遣ってあげなければいけないのだけれど、飼い主が病院に連れてゆく気配はまったくない。
お節介は承知の上、心配になり、獣医さんから抗生物質を貰ってきて、こっそり投与。薬など飲んだことがないから即効、急激に回復したように見えたが、それも束の間。猫をたくさん飼ってきた身、水晶玉など覗かなくとも、あとどのぐらい生きるかは、なんとなく想像がつく。
気が気ではなく、ついに、共働きで昼間はほとんどいないことをいいことに、飼い主不在を狙って拉致、動物病院に連れてゆくことにした。ケージに入れて車に乗せたが、まあその臭いこと臭いこと。おまけにこの猫、病院に着くまで人間の言葉をしゃべり続ける。「こんなことして、母ちゃんに言いつけてやるから」とかなんとか、そんなふうにしか聞こえない鳴きかた。
インターフェロン、抗生物質、点滴の3点セットを済ませて帰宅。絶対に内緒よ、と言い聞かせて放した。そんなことを3回ほど繰り返したが一進一退。目に見えて弱っていったが、それでも飼い主はこの子を家の中に入れてあげようとはしない。病魔に勝てず、ついに最後の日、車で帰宅すると、道路の真ん中に座り込んでいるピーちゃんがいた。
自力で歩くことなどできなかったから、抱き上げて連れ帰り、飼い主が帰ってくるのを待ち、もう危ないと思いますから、せめて今日だけでも、家の中に入れてあげてはくれませんかと懇願。その時、もう立てないはずのピーちゃんが私の腕からスルリと抜け、ニャアと鳴きながら飼い主夫婦の足元によろよろとしながら擦り寄っていった。力の入らない体で、それでも一所懸命甘える。ハタから見ればヒドイ飼い主、それなのにピーちゃん、恨むどころか、誰よりもその飼い主を信じ、愛しているのだった。
それから数時間後に亡くなってしまったピーちゃんの、最後まで飼い主を慕っていたその気持ち。当の飼い主がどう思ったかはわからないが、今は二代目の猫。今度は一切外に出さない。
写真:(上)最後まで飼い主を想い続けたピーちゃん。改めて写真で見ると、やっぱり寂しそう。(下)我が家の外猫、兄貴分のジン。こちらは幸せでした。
売れ残りの犬はいらんかねえ
2007年06月17日(日)
ペット売場に「生体」という看板がぶらさがっていて、いかにも生身の命を売っていますというふうで、この呼び方、なんとも気持ちが悪い。もう少しましな言い方ができないものかと、その無神経さを腹立たしく思ったりもするが、まあ言い方を変えたところで、所詮ブリーダーが産ませる犬や猫に値段をつけての「命」の売買。
売れ残れば‘賞味期限切れ’だか‘消費期限切れ’だか、コンビニのお弁当よろしく「処分」するのが現実らしいから、生々しい生命体を連想させて、どうだ、それでも責任取れるかと迫る感じ、むしろ口当たりのいい名称で誤魔化すより、良心的というものか。
以前はかわいい子犬、子猫の顔見たさ、スーパーに行くと、わざわざエレベーターでペット売場のある階まで昇り、ガラスケースの中を覗いていたが、ここ20年ぐらい、ウチの子たちの食料品を買うために売場に行く時でも、競走馬よろしく「遮眼帯」、これを心の中にしっかとイメージして、ペットフード以外、余所見は一切しない。それというのも、ウェスト・ハイランド・ホワイトテリアという犬種のミイちゃんとのことがあったから。
ミイちゃんという猫のような名前は、ペット売場の店員がつけた名前で、この売り子さん、よほどの動物好きらしく、いつも2、3匹しかいない小さな売場だったから、それぞれに名前をつけ、お店が休みの日には、売っている子たちを自宅に連れ帰って面倒をみていたらしい。
そのミイちゃんに会いたくて、買い物のたびに売場に寄るようになった。ところがこの子、半年過ぎても売れる気配がない。離乳が終わってすぐに売りに出されたはずだから、生後8ヶ月目ぐらい、ほとんど成犬と言ってよいほどに育ってしまった。お値段は最初の12万円から次第に値下がりして10万円、8万円…。
今日は売れたか、明日は売れるかと気がかり、その確認のために立ち寄る。飼ってあげたい気持ちも募ってはいたが、当時すでに猫が2匹、その子たちの社会性のなさ、偏屈さを考えると、上手くやっていける自信はなく、誰かがいつか買ってくれることだけに期待をかけていた。けれど、大きくなってしまった犬に買い手などつくはずはなく、後から入ってくる子犬や子猫ばかりが売れてゆく。
店員は可愛いがっているが、そこは商売、売れないものをそのまま置いておくわけにもいかず、たぶん四面楚歌。そんな時、たまたまガラスケースから出ていたミイちゃんに、売れないわねえ…と話しかけてしまったのが運の尽き、側にいた店員さんが懇願するような言い方で、値引きしますからと。
安くすると言われても、我が家じゃ犬は貰いモノ、猫は拾いモノと相場が決まっていて、だからわざわざお金を出して買う気など毛頭ない。それぐらいなら、動物愛護センターあたりから、可愛そうな子を引き取ってあげようというもの。でもその時のミイちゃんは捨てられた犬同然、人為的に命を絶たれるのも時間の問題。そう思うと清水の舞台、矢も盾もたまらず6万円に値切って買ってしまった。
犬を買ってきたと言っても、パパはそれほど驚きもしなかったが、猫のほうは予想どおり、高いところに登ったままフーだのシャーだのと毛を逆立てての攻撃、水も食事も摂らない。犬は犬で、そうした環境がよほどストレスだったのだろう、軟便を撒き散らし、そのうち血便と血尿。しばらく様子を見ていたが、この先同居など到底無理、家庭の平和を取り戻すためにも、犬の里親を探すことにした。
新聞や広報紙で里親を捜すと、中には動物虐待が趣味なんていう人がいるから気をつけないと、と愛護団体の人から聞いたことがあるから、それは最後の手段。まずは犬を車に乗せ、友人知人の家を一軒ずつ廻っての里親探しを開始した。犬はいらんかねえ、の行商。
十軒近く廻ったが、犬好きはすでに犬を飼っているし、飼っていない家は動物アレルギーだのなんだの、おいそれと飼い主など見つからない。車に弱いミイちゃんは、カーブのたびに車酔い、気をつけて運転してあげるのだけれど何回も吐いてしまい、犬も人間も車も、大変な一日になってしまった。
あと何日か努力してみて、それでも貰い手が見つからなければ飼うしかないと覚悟を決めて家に戻ると、さっき訪問した友人からの電話。彼女がピアノを教えているお弟子さんの家で、ほんの少し前に同じ種類の犬を亡くしたばかり、欲しいと言っているという。欣喜雀躍、早速ミイちゃんを連れて行くと、家族中で大歓迎してくれた。
結果はめでたしめでたし。けれどこのことがあってからというもの、すっかり懲りて、二度とペット売場の「生体」は見ないことにした。君子危うきに近寄らず…いやいや、愚者危うきに近寄るなかれ、と心に言い聞かせて。
写真:(上)里親さんから届いたミイちゃんの写真。あれから20年、まだ元気でいるだろうか。(左)犬と暮らすのを拒否した子たち。仲が良く、いつも結託していたから、誰も2匹の間に入り込むことなどできなかった。
競馬、御免蒙ります
2007年06月19日(火)
競馬と言えばAMラジオにつないだイヤフォーン、手には競馬新聞と赤い鉛筆、そんな侘しいおじさんたちの姿が思い浮かぶが、英国では王侯貴族のスポーツだとか。だから同じ競馬場でも、雰囲気が日本のそれとはだいぶ違い、きれいに着飾ったご婦人方を伴っての優雅な社交場。いっそのこと日本もそんな雰囲気にすればいいのに、なんて言うつもりはさらさらなく、あちらは狩猟民族、動物の走る姿に血が騒ぐのは致しかたないとして、こちらは農耕民族、真似る必要などないというスタンス。
実は競馬にちょっとだけ関わったことがある。別に賭けていたわけじゃなくて仕事。もう十数年も前のこと。某スポーツ新聞社、他の新聞社に先駆けて、普段の日はスポーツや釣果、土日は競馬の結果をリアルタイムでパソコンに打ち込み、読者に提供することになった。そのために新たに作られたセクションの室長になったのが知人。前職をやめたばかりだったことを知って、データを打ち込むアルバイトをしないかと声をかけてくれた。
スポーツにも疎いが、競馬なんて生まれて初めて、どんな賭け事なのかもまったく知らず、それなのに突然、土、日はテレビの競馬番組にかじり付くという、想像もしていなかった日々が始まった。レースごとの着順と配当金をパソコンに打ち込み、そのデータをレース毎に切り張り(!)してFAXで送信、読者が取り出す仕組み。もうひとつは、打ち込んだデータをあるシステムを使って読み取らせ、音声に変えて電話で自動的に結果を流すというもの。パソコンも十分に汎用化されていなかった当時のこと、新聞社もまだまだ前近代的で手仕事、手作業の時代、だからこれでも十分に画期的。
最初の頃は馬のあの黒い瞳に魅了され、走る姿の美しさに夢中になったが、次第に動物好きには辛い仕事になっていった。サラブレッドの使命はひたすら速く走ること。そのためだけに改良が重ねられた結果、あれだけの体をあれだけ細い脚で支えなければならなくなってしまった。500キロはある体重を4本の細い脚で支えて走るのだから、負担は相当なもの。その結果起きる事故が骨折。一日12レースのうち少なくとも1レース、何コースか廻ったところで急に一群から遅れ、離れてゆく馬がいれば、それが故障した馬。骨折とは言わずに「故障」。
骨折した馬のほとんどは「予後不良」。骨が砕けてしまうから治療など不可能。よしんば治療が可能と診断されても、重い体重を残りの3本脚で支えることなどできるはずもなく、手当ての甲斐なく他の病気を併発し、大抵は死に至る。だからよほどの名馬で、治療の望みのある馬以外、故障すればすぐに安楽死という名の薬殺処分。
競馬に詳しくなくても、ライスシャワーという馬の名前だけは聞いたことがあるかもしれない。きれいで利口で勝気で、それでいてどことなくおっとりとした雰囲気があって、好きな馬だった。1995年6月4日に開催された宝塚記念、このレース、競馬記者の大方がライスシャワーの勝利を予想していた。
ゲートから走り出し、いよいよスピードをあげて群れの先頭に立とうという時、ライスシャワーの体が突然前のめりになり、大きく崩折れた。その日のヒーローになるはずだった馬の前脚は、瞬間にして粉々に砕け、あまりの苦しみ方に、その場で安楽死処分という悲しい結末を迎えたのだった。
ライスシャワーが倒れた場面は、今も瞼から離れない。前脚を折ったのだから、頭もしくは胸から地面について転倒したはず、だから立ち上がって前脚で天空を掻くなどということは多分ありえなかったと思うのだが、そんな情景しか思い浮かばない。ヒーローの死はそれほどにも劇的、悲劇的なものだった。
なにもこの時だけではなく、ライスシャワー以前にもこんな場面はしょっちゅう。そのたびごとに、馬を賭けの道具にするなんてと思いはしたが、仕事と割り切っていた。ところが今度という今度、すっかり嫌気がさし、6年間続けた仕事をあっさりやめてしまった。
「経済動物」の定義、あまりよくは知らないが、牛・豚・鶏のように「生産」され「消費」される動物のことか。競走馬がどういう位置づけになるのかはわからないが、最初からサクラ肉になる運命、それならまだ経済動物としての宿命とあきらめもつくだろうが(つかないか!?)、人間に調教され、一攫千金を夢見る御仁の「賭け」のために命を張るのは、なんとも気の毒な話。
調教などされるものかと、生まれながらにひねた猫、それはそれで生きる知恵。なまじ人間になど懐かないほうがいい。
写真:(上)小淵沢(山梨県)の乗馬クラブで馬と遊んだ時の写真。この子はたぶん引退した競走馬。こうした余生を送ることができる馬は幸せ。(下)塩原(栃木県)で会った「トテ馬車」引きのあいこちゃん。この子はなんとなく農耕馬ふう?
居候、3杯目でも遠慮なし
2007年06月21日(木)
一休さんのところから我が家にきた猫は2匹。しょっちゅう猫を拾っているから、猫を貰ってと一休さんから懇願された人は数知れず。姉もその一人だが、姉にとっては義理の兄。だから、よほど無理なことでもない限り、頼まれたらそう簡単に断ることもできない。
その時も一休さん、猫を拾ったはいいがすでにいる子との折り合いが悪く、飼ってあげることができないから貰ってほしいと、いつもの口上を並べ立てて電話をしてきたらしいが、姉もすでに猫を飼っている。
その子、親子3匹で我が家に迷い込んできたうちの母猫。子猫は人間を知らず、だから触ることもできないから仕方なく外猫、母猫のほうは人に馴れていて性格も穏やか、いつか家の中に入れてあげたいと、その機会をうかがっていた。けれどその時すでに2歳ぐらい、先住の猫とうまくやっていけるだろうかという不安が先立ち、なかなか決心がつかないまま、何ヶ月かが過ぎてしまっっていた。
そんな時、数年ぶりに姉が我が家を訪れた。多忙な人だから会う機会などほとんどない。いや、ほんとうは姉との間には母の介護の問題、どちらが母の面倒を見るかという世間にありがちなゴタゴタ、そのせいで疎遠になっていたというのが正直なところ。介護に疲れて精神的・肉体的に限界、だから母を少しだけでも預かってと持ちかけ、やっとのことで母を連れにやってきた日のことだった。
後にミニイちゃんという名前になった母猫、昼間いることなど滅多になかったが、その日にかぎって一日中家から離れず、何を思ったか、人目に一番触れる玄関の足ふきマットの上で寝ていた。かわいいわねえ、と姉が呟いたそのタイミングを逃さじとばかり、ねえ、この子連れていかない?
猫が欲しかった姉は二つ返事、喜んで連れ帰った。本来の用事のはずだった母の話はドサクサにまぎれてそのまま、連れてゆくはずの母が猫に化けてしまったという、落語みたいな話。
その猫を目の中に入れても痛くないというほどかわいがっていたから、他の猫を飼う気などまったくなかったが、義兄の頼み、断ることもできずに貰ってしまったという。ところが貰った子とミニイちゃんは殊の外相性が悪い。手に負えず、ついに誰か貰ってくれないかしらと。
聞けば生後2ヶ月ぐらいの子猫。それぐらいの子なら貰い手もつきそうと、心当たりの何人かにメールを出すと、すでに3匹飼っていた友人が、3匹も4匹も同じだからいいわよ、と連絡してきてくれた。姉とはその友人の家で待ち合わせ。どんな猫がくるかと楽しみに待っていたが、姉の持ってきたケージの中からのっそりと現れたのは、子猫ならぬ大猫。どう見てもユウに生後半年。
友人には子猫と言った手前申し訳がたたず、ごめんなさいねえと、謝りながら連れて帰るつもり、ところが、その様子を黙って見ていた友人の息子さん、突然猫をさっと抱き上げ、逃げるように二階に連れていってしまった。友人とあわてて追いかけたが、せっかくウチに来たのに、返すなんてかわいそうじゃないかと言って、猫をしっかり抱きしめ放さない。
その子、その頃中学2年生。登校拒否で、学校にはほとんど行かずに「引きこもり」。髪を茶色に染め、挨拶もろくすぽしない。友人と会うといつもその子の話でもちきり、高校に進めないかもしれないと心配し、悩み、嘆いていた。
それからもう7年ぐらいになるか、先日久しぶりに友人と会った。息子さんも一緒だったが明るい顔、その後専門学校を卒業し、それなりに楽しく仕事をしているらしい。あの優しさだもの、きっと大丈夫と思っていたとおり。
子供の心配がなくなった彼女の今度の嘆きは、あの日置いてきた猫のこと。ものすごい大食漢で大変なのよお・・・と。一日中後をくっつきまわり、ゴハンッ、ゴハンッとなきわめく。あまりにうるさいから、つい缶詰を開けてしまうのだが、その甲斐あって(?)、かつての大猫はさらなる大猫、いまや10キロを越すほどになってしまったという。またしても平謝り。
写真:(上)救いの主が現れ、めでたく友人の家の子になったアヤちゃん。(下)姉夫婦のところでメロメロに可愛がられているミニイちゃん。
犬と暮らす夢は彼方遠く
2007年06月23日(土)
動物に最初に触れたのはたぶん4歳の頃。親戚の家に遊びに行くと、大きなコリーが2頭で出迎えてくれた。それまでは庭にきた猫を見るぐらい、犬など飼ったこともなければ触ったこともなかったから、目の前に現れた、子供の背丈を越えるほどの犬が怖くてたまらなかった。
そんな子供の気持ちなど露知らず、歓迎のつもりなのか、コリーの一頭がいきなり手をくわえ(今思えば、そっと)、玄関の方に引っ張っていこうとするから、あまりの恐怖に泣き出してしまった。
飼い主の叱責、聞き分けのいい犬はすぐに手を放してくれ、そのあと2頭で代わる代わる泣いている顔を覗き込んでは、「大丈夫?」といわんばかりの仕草。そのうちどちらかの犬が、涙でぐちゃぐちゃになったホッペをそっと舐めてくれる。今度はその優しさに驚き、それからというもの、大きくなったら絶対にコリーを飼うと言い続けるようになった。
ところが両親、戦後まもなく、なんとかケンネルという犬屋さんで買った黒い柴犬のプー、これが噛みつき癖のある犬で、出前の人には噛みつく、新聞配達、郵便配達と、訪ねてくる人誰彼かまわず噛みつくから謝ってばかり。だから、犬屋さんで犬を買うのなんてもう懲りごり、飼うならおとなしい雑種の犬をどこからか貰ってこようと決めていたらしい。それは表向き、ほんとうは犬を買うなんてもったいないと思っていたのかもしれない。プーちゃんの最後を思えば、確かに…。
当時両親は上野の桜木町に住んでいたから、寛永寺が犬の散歩コース。いつもどおり寛永寺に行き、引き綱を放すと(噛みつき癖のある犬を放すというのも、信じられないことだけれど!)、その日のプーちゃんは何を思ったか、飼い主から離れ、いつもは行かないお寺の裏庭の方に走っていってしまった。
そのままいつまでたっても戻ってこない。ただでさえ寂しいお寺、あたりはすっかり暗くなってしまい、これ以上待つことなどできないから、お寺の住職さんを訪ね、裏庭に犬が入ってしまったまま、まだ戻ってこないので探させて貰えないかと頼み込んだ。すると住職、あそこに入ってしまったら、生きて戻ることなんてまず無理ですよと言う。
昨今、野良犬の姿などとんと見かけなくなってしまったが、当時はゴロゴロ。そんな犬たちが群れを作って暮らし、しまいには野生化してしまうなんていうことがあったらしい。まさに「野犬」。住職が言うには、そんな野犬の群れが寛永寺の裏庭に棲みついているのだとか。
そこに犬でも入り込もうものなら集団で襲いかかり、まず助からない。気の強い犬ならなおさらのこと、立ち向かっていって殺られてしまう。普段から自分より大きな犬に平気で向かってゆくプーのこと、とても生きてはいないだろうと諦めて帰ってきたが、案の定それっきり。(ただしこれは昔の話。今の寛永寺はそんな所ではないので念のため。)
犬の命をお金で換算するような両親ではなかったが、それでもプーちゃん、当時としては結構なお値段だっというから、二度と大枚はたいて犬を買う気など起こらなかったに違いない。それからしばらく犬のいない暮らし。
小学校の6年生になり、せがんでようやく飼ってもらったのは、両親の希望どおり、性格の温和な柴犬とスピッツの「雑種」だった。一緒に暮らせばボルゾイだろうがコリーだろうが雑種だろうが、そんなことはどうでも良くて、ただただかわいい。けれどそのうち、黒いコッカースパニエルが欲しくてたまらなくなり、その思いは今でも続いている。江藤淳の『仔犬のいる部屋』という本を読んで以来。
でもそれは夢、これだけ猫がいたら犬を飼うことなんてできっこない。コリーやコッカースパニエルなんていう上等、お上品な犬には縁のないまま、サビ猫だのパンダ猫だの、どうすればこんな模様になってしまうのかという猫たちに囲まれながら朽ち果てるに違いない。まあ、それはそれで幸せか。
写真:(上)唯一血統書と言われてはいるが拾った子だし、所詮は推測。(左)キジだのサビだの・・・。
棄てられし犬を捕まえる人
2007年06月25日(月)
向こうから来る人、どこかで会ったことのある顔だと思っていたら、お久しぶり、と声をかけられた。まだ20代だった頃のずっと年下の友人。その頃彼はまだ大学生で、アマチュアのオーケストラでトロンボーンを吹いていた。演奏会があると招待券を送ってきてくれたから、そのたびに聴きに行っていたが、忙しくなってしまったのか、演奏会の案内もこなくなってそれきり。
その後どうしていたのかと尋ねると、大学を卒業して役所に勤めたと言う。あまり冒険のできるタイプでもなく、どちらかといえば物静かでおとなしいタイプ。だから、営業だのなんだのには不向き、適材適所、堅実な仕事についたと思い、よかったわねえと。
ところが彼、その仕事に不満があるらしく、やめたいと思っているのだけれど、次の仕事を探すことを考えると、それもできないと呟く。もう記憶もさだかではないが、彼が当時いた部署は保健衛生課とかなんとか。どんな仕事なのかと思ったら、野良犬の捕獲をさせられたりしているのだと言う。
苦情の電話がかかってくると車を走らせ、犬を捕まえに行く。動物好きには宿敵、よりにもよってそんな仕事をしているの?と喉元まで出かかったが、彼にとっては仕事。それを非難することなんて誰もできやしない。
彼、それほど動物が好きではなかったようで、捕まえることにはあまり抵抗がないらしく、それより、捕まえるときに犬の毛が飛び散り、それが喉に入り、気管支をやられてしまうことのほうがずっと重大問題。そのせいもあって体調がすぐれないらしく、そういえば顔色が悪い。それにも増して、昔よりも格段に暗い表情、口とは裏腹、思うところがあったのかもしれない。
作家の辺見庸が、犬猫を処分するセンターを見学に行った時の様子を書いたものを読んだが、読み進めるのは辛く、読後は重い心を引きずることになった。彼はもともと動物好き、動物が好きというよりも独特の感性、生き物すべてに対する思いは、人間の弱者への思いと深く通じている。その彼が「棄てられた」犬たちの最後を記した文章は、切ない。(※)
その中で触れている殺処分の方法、あまりに無残で改めて書く気はしないが、それ以上に、「殺すため」の機械が開発され、需要があるという事実を改めて思い知らされ、愕然とした。アウシュビッツのそれとまったく同じ。その機械が、毎日いたる所で稼動しているという日本、それでも平和な国と言えるのか。
のんきに構えているが、人間とて「処分」の対象になりうるのはヒトラーで経験済み。いったん政情が変わり、非情な(あるいは無能な)為政者が、いったん、国家というシステムから宙に浮いてしまった「民」を足手まとい、そう思った時にはセンターの機械、人間を「処分」するために代用されることだって、十分にありうる話。だからこの機械、人類のためにも目障り。
機械を廃絶させるためにできることといえば、開発費用、購入費用、そして稼動させる経費を行政が知恵働かせ、もっと別なこと、犬猫を生かすために使うか、センター行きの動物をなくすための飼い主教育ぐらいしか思いつかないが、毎年40万から50万という処分頭数はいかにも多い。頭数に見合うだけの身勝手な飼い主、センター見学を条件に引き取るということにすれば、少しは己の残酷さに気づくか。
辺見氏は文章の最後、「犬の灰の一部はこの施設の庭の花壇にひっそりと撒かれていた。せめては土に還り、土を肥やし、花を咲かせて、その霊がとことわに宇宙をめぐり循環するよう私は念じる」と結ぶ。その気持ち、飼い主に聞かせてやりたいが、聞いたところで他人事。それほどの情があれば、もとよりそんなこと、するはずもない。
先の友人と会ってからの複雑な心境、それも次第に煩雑な日常にまぎれ、すっかり忘れてしまっていた。それからずいぶんたった頃、スーパーをうろうろしていると、後ろから旧姓を呼ぶ男性の声。振り向いたが、誰だかわからない。
立ちすくんでいると、僕ですよと、あのトロンボーン吹き。顔がまったく違う。あちこち引きつっているし、そもそも顔形が違うから、まるで別人。怪訝な表情に気づいた彼、あれから車の大事故、危うく死ぬところを命だけは取りとめたが、大手術をして顔が変わってしまったと。以前にも増して暗く、声はほとんど聞こえない。
犬の災いだなどと、そんな酷い言葉をぶつける気はまったくないし、彼の仕事をとやかくいうつもりも毛頭ないが、それでもやはり捕獲された犬の思い、どこかに残っていたのかもしれないと、心密かに。恨むなら飼い主、決して彼ではないのに。
(※辺見庸『独航記』(「棄てられしものたちの残像」,角川文庫,2004年)
写真:(上)棄てられし犬たちに庭の花をたむけよう。はかないのは、花は毎年咲くが、失われた命は還らないということ。(左)三者三様、外猫になる猫、家猫になる猫。それぞれが運命か。
プロフィール
ジュリママと猫たちを乗せて走る鈍行列車のちゅうちゅうとれいん。車窓から見える風景を、気ままに書き綴るブログです。あけみちゃんの絵日記、『あけみ参上つかまちゅりーっ!』もどうぞよろしく。どちらもボチボチの更新ですが、末永くおつきあい頂ければ嬉しく思います。
