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ジュリと出会った日のこと

2007年05月05日(土)

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1998年7月のとある水曜日。曜日をしっかりと覚えているのは、忘れようにも忘れられない、ゴミの収集日だったからだ。夜には滅法強いけれど、そのぶん朝が苦手なママは、8時半までに出さなければならないゴミ出しはまさに「地獄」の掟で、なかなか間に合わない。だから週に3回ある収集日のうち、2回出すのがせいぜい。その日もやっとの思いでゴミ袋を担いで集積所に向かった。

・・・まだ覚めやらぬ頭、夢でも見ているのか、寝ぼけた耳に集積箱の中から子猫が必死で泣いている声が聞こえてくる。ゴミ袋の中に子猫が捨てられている、すぐに助けてあげなくちゃと、気持ちは十分に急いているのだが、潰れかかったようなグチャグチャの、それはそれは哀れな子猫が出てきたらどうしようと思うと、とても一人で探し出す勇気がない。

なにしろこのあたり、生まれたばかりの子猫は袋に入れ、近くの沼や川に捨ててしまうという地域なのだ。野蛮だの、かわいそうだのと非難したくなる気持ちがないわけではないけれど、「目もまだ開いてねえから」と言う農家のばっさまの、格別罪の意識もなさそうな様子を見ると、それが昔からのこの地域のやり方、余所者で新参者のママがどうのこうのと言える立場にはない。

それでも最近は世代交代で住民も若返り、仲良くなった農家の娘さんは、避妊手術を勧めるママの訴えにようやく反応してくれて、獣医さんに猫を連れていってくれるまでになった。とは言え、じっさま、ばっさまは相変わらず旧来方式を貫いているから、子猫たちの運命はまだまだ予断を許さない。そんな事情があるから、袋の中を見るのが怖くて仕方がないというわけ。こんな時の強い味方、「そうだ、パパを呼んでこよう」と思い立ち、急いで家に舞い戻った。

幸い子猫はゴミ袋の中ではなく、集積箱の後ろでうろうろしながら泣いていた。生後1ケ月ぐらいだろうか、拾い上げたパパの手の中でブルブルと震え続けていたから、よほど怖い思いをしていたに違いない。我が家には先住の猫たちがいるので、そのまま動物病院に連れて行き、早々に健康診断。「健康児」の太鼓判を押してもらい、晴れて公認の飼い猫となった。

病気の心配はなくなったけれど、我が家にはもうひとつ心配の種が残されていた。当時、先住猫の中でも親分格だったクリ兄ちゃんが、子猫を受け入れてくれるだろうかということ。クリは一見コワモテの大きな黒キジトラで、日ごろから、何かに付けて不器用さが目立つタイプ。その上大層迫力があったから、子猫を一噛みで・・・などという恐ろしいことをしやしないかと、それだけが心配だった。ところが猫は猫同士、そんな人間の心配をよそに、クリは案外と子供好きな様子を見せ、無骨な手でジュリをかまう。よしよし、これで猫関係も問題なし。

一生懸命生きようとしていた小さな命と出会ったのが7月。だからジュリ(July)と名づけられた猫だったが、天から降ってきたはずもなく、拾ったばかりの頃は、バターも何もついていない「食パン」を喜んで食べる子だったから、きっと小学生の給食のおこぼれにでも与りながら、命を繋いでいたに違いない。ひとまず誰かに拾われて、ゴミの集積所まで運ばれてきたのだろうが、いったいどこで生まれたのか。今でも時々ジュリに聞きたくなることがあるのだが、そんな昔のことなど、ジュリにとってはもうどうでも良いことに違いない。ニャン生だろうが人生だろうが、今が幸せならすべてよし…なのだもの。

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写真:(上)我が家に来て1ヶ月目のジュリちゃん。すっかり安心してお腹を見せている。既成の首輪は大きいので‘パンツのゴムひもに鈴’が、我が家流子猫の首輪。ちりんちりんの鳴ってくれるのでどこに居るか一目瞭然。(左)コワモテだけれど優しかったクリ兄ちゃんと一緒に。


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パパがジュリに甘いわけ

2007年05月06日(日)

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パパの大好きだった、そしてパパのことが大好きだったアミちゃんが、「猫ウイルス性鼻腔気管支炎」とおぼしき病で早逝してしまってから、かれこれ14年の月日が経つ。‘おぼしき’と書いたのは、症状はそれらしいものの、正式な診断名が下されなかったからなのだが、その時にかかっていた獣医さんというのが、とある動物園で野生動物を診ていたという歴戦のツワモノ。どんな凶暴な動物であろうと、彼の手にかかれば、注射だろうが投薬だろうが難なくやりおおせることができたという。

そのせいなのか診察はものすごく大雑把で、聴診器を当てることはなく、検査もしなければ、レントゲンも一切撮らない。それだもの、カルテなんてものがあろうはずはなく、すべては「勘」の世界だった。そもそも動物と言うヤツは強い生き物で、本来持っている生命力だけで十分に治癒するはずだし、死んでしまったらそれはそれで仕方のないこと、というのが彼の哲学のようだった。粗野なやり方だと思いつつも、それでも行っていたのは、豪快さがむしろ頼もしく思えてしまったことと、休日であっても、急病とあれば嫌なひとつせず診てくれるという、「赤ひげ」ぶりに惚れてしまっていたからだった。
 
さすがにこれまで飼ってきた猫たちの中で、とりわけママがかわいがっていた猫を、乳腺の腫瘍が原因で失った時には、あまりに乱暴な手術ゆえとしばらく嘆き悲しみ、後悔ばかりしていたこともあってそれきり、今はもう行っていない。その病院に毎日のように点滴に通い、当時まだあまり一般的ではなかったインターフェロンを打ち、必死で闘病生活を送っていたアミだったが、万策尽き果て、たった2歳で天に召されてしまった。ああ、パパの嘆くこと嘆くこと。

そんなある日、アミの特徴でもあった鼻の横の大きな茶色いシミと、後足に茶色の脚絆(きゃはん…脛に巻く布)模様のある白い猫、チリリンがひょっこり登場し、我が家の猫になった。アミの生まれ変わりに違いないとパパは堅く信じ、「猫」かわいがりしていたけれど、どうも性格が違う。このチリリン、妙に世間ずれしていて、人の気持ちを探るのに長けた頭のよさがむしろ胡散臭くもあり、本当に生まれ変わりかしらと、心密かに思い始めていた時に現れたのがジュリだった。

姿かたちはあまり似ていないけれど、ジュリの行動パターンはアミそっくり。なによりも、毎朝枕元でパパが起き出すのをじっと待ち続け、ごそごそと動きだすのを見計らって胸にしがみつき、パパに抱かれて一緒に起きてくる姿は、アミそのものとしか言いようがない。「輪廻転生」なんてことが本当にあるのかどうかわからないし、ママのような怠け者には、もう一度生きるなんて、そうそうラクなことじゃないように思えたりもするが、我が家では不思議なことに、先住がいなくなって1年後ぐらいにそっくりな子猫が現れる。

猫なんて似たり寄ったりと言ってしまえばそれまでだけれど、生まれ変わっても、また我が家を選んでくれたのかと思うとついつい嬉しく、前の子にも増してかわいがってしまう。でも、寂しいことだけれど、これから先の生まれ変わりには対応できそうにもない。だって、パパもママも着々と爺さん婆さんになってゆく身、とても最後まで面倒を見てあげられそうにないもの・・・。

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写真:(上)脚絆を巻いたチリリンの後ろ足の証拠写真。これにすっかりダマサレタ?(左下)ジュリはアミがそうだったように、毎朝、こうやってパパに抱かれながら起きてくる。


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猫の恩返し

2007年05月07日(月)

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ちょっと気になっていた虫歯の治療、どこの歯医者さんに行こうかと迷っていたが、今はネットで評判がわかる時代。近くに適当な歯科医院が見つかり、行ってみた。外見はどこといって変わりのないごく普通の歯医者さんなのだけれど、実はちょっとだけ風変わり。ここ、医院の名前の先頭に「亀」という文字がつくが、その名前を実に巧みに医院の宣伝に利用しているのだ。受付の診察券入れからはじまり、あちらこちらにカメのかわいいイラストが描かれていて、なんだか「保育園」に来たような気分にさせられるのは、小児歯科も併設しているのでご愛嬌。

ところが待合室に備えてある大きな水槽の中、熱帯魚が優雅に泳いでいると思いきや、カメが2匹でヘラヘラと泳いでいるあたりから、なんとなく怪しくなる。水槽のすぐ左横、待合室に隣接している、広さにしてかれこれ10畳ほどはあろうかというガラス張りの部屋を覗いてみれば、そこにはガラパゴス諸島を彷彿とさせる、あの迫力満点の巨大なカメが3匹もいるではないか。要するにこの医院、「カメの館」だったというわけ。ママはまったく知らなかったのだけれど、後からご近所に○○歯科に行っていると言ったら、「ああ、あのカメのいる所ね」とすかさず返されたから、このあたりではよほど有名らしい。

ここにいるのはアルダブラゾウガメとケヅメリクガメというカメだそうで、どちらも甲羅がやたらと分厚く、その分、体重もかなりありそう。リクガメは道路を横断しているところを警察が保護し、「迷い亀」として保管されていたものを院長が譲り受けたとか。まさかこんなに大きくなるとは思ってもいなかった飼い主が、飼いきれなくなって捨てたのか、はたまた広い世界を夢見て、カメ自らが脱走したのか。

のっそりとした歩みの先に、何かしら目的があるというふうには見えず、いったん障害物にぶつかると、いかにも面倒くさいといった風情で固まったまま。方向転換を試みようとか、障害物から離れようする様子もなく、治療が終わり、待合室に戻ってきてもまだそのままの姿勢でいる。怠惰というのか怠慢というのか、なんともものぐさな生き物だが、そんな様子を見ていると、「亀生」成り行き任せ、それでもそれなりに生きているし、ガラスの部屋の下にある「通用口」から外に出て、太陽で甲羅干しをしている時のうっとりした眼差しなんて、まさに至福の時といったふうで、羨ましく思えたりもする。障害にぶつかると人一倍あわてふためき、結局のところいいことなし、け躓いて転んでしまうママにとっては、人生かくあるべしという手本のような生き物だ。

ちょっとした遊び心なのか、同じ部屋の中には小さな囲いがあって、そこに1匹のウサギが同居している。ところがどうもこのウサギ、カメを嫌っているらしく、カメがのっそりと側に近寄ってくると、くるりと後ろを向いてしまう。寝ているウサギを尻目に、せっせと「努力怠りなく」競走に勝つという、カメのド根性ぶりがいけ好かないのか、無垢な子供に語る童話の中で、かたやワニ(サメ?)を騙して丸裸にされてしまうウサギと、かたや助けられた恩返しにと、龍宮城まで優雅に浦島を案内するカメの、この扱いの不当さが許せないのか、いずれにしても、プイと後ろ向きになるウサギを見ていると、DNAに「あんたなんかキ・ラ・イ!」が刷り込まれているのではないかとさえ思えてくる。

動物が好きなママだけなのかもわからないけれど、このカメたちを眺めていれば、予約の時間から30分過ぎようが1時間過ぎようが、いくら待たされても文句を言う気にはならない。歯の治療にはさしたる関心もなく、毎回カメたちに会いに行くのが楽しみになってしまいそうな気配だか、それにしてもこの歯科医院、実に繁盛している。これはきっと「亀の恩返し」に違いないとママは思うのだけれど、そうだとすると、我が家の猫たちにも期待をかけたくなるというもの。う~む、しかしヤツラの態度と見ていると、どうも‘無償の愛’を当然と思っているフシがあって信用ならない。ジュリや、期待していていいものかどうか、みんなに聞いてみてくれない?・・・って、あなたも結構怪しいわね。

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写真:(上)我が家の猫ども、やっぱり恩返しなんて考えていないに違いない。このお気楽ぶりだもの・・・。(左)それに比べて、なんて健気な歯医者さんちのカメさんたちだろう。


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食べたいものが薬・・・というお話

2007年05月08日(火)

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むこう三軒両隣…ちょうどそんな感じのご近所のご婦人たち二人と、最近開店したというフランス料理店のランチに行ってきた。私がちょっとした音楽会のチケットをお二人に差し上げたことへのお礼にと、ランチにしては豪華なコース料理をご馳走してくださった。遠慮なく‘わらしべ長者’の気分を味あわせて頂いた。昼間から、私だけだけれど白ワインを傾け、前菜にホッキ貝のサラダ、魚料理が鯛のムニエル、肉料理が鴨のソテー、それにジャガイモのビシソワーズ、デザート&コーヒー。

どの料理も、飾りつけ、お味ともになかなかのものだったけれど、フランス料理店というよりは、パーマ屋さんを改装したような、やけにカラッとした雰囲気が、時間をかけて頂く食事の場としては落ち着かなかったことと、今どき、家庭でも撥水加工の施してある布製のものを掛けているというのに、テーブルにビニールクロスが掛けられているのにはがっかり。デザートの前に、テーブルに落ちたパン屑を、丁寧に銀のダストパンで掃除してくれるお店の心遣いも、贅沢なおもてなしのひとつだと思うのだけれど、もしかしてここのお店、そんな時にはぞうきんででも拭くのかなあ。

まあ楽しいひと時を過ごしたし、お味良ければすべてよし。以前、別の友人が案内してくれたお店は、とてもお洒落なお店だったけれど、出された鴨のレアステーキは、ちょうど生きている鴨の体温と同じぐらいの生暖かさで気味悪く、それでも友人の手前、口から出すこともできず、必死に飲み込んでしまったことがあった。それに比べれば、今日のお店の鴨料理は断然おいしかったもの。

ほんとうのところ、我が家では宗教的な理由があるわけでもないし、頑固なベジタリアンというわけでもないのだが、肉料理は一切作らないし、食べない。餃子はホタテの缶詰、ハンバーグは鰯のつみれといった具合で、魚が肉料理の素材に化ける。パパは外食をすると、どんな小さなお肉も見逃さず、器用につまみ出してはお皿の横によけるほど。それなのにママだけは最近、時々だけれどお肉を食べるように「心がけて」いる。その理由は鬱病。もう過去形だけれど、繊細な(?)ママの心は社会生活の荒波に負け、ここ数年、ちょっとだけ故障をしてしまっていた。

鬱病というヤマイ、一端マイナス思考が始まると止まらなくなってしまう。セロトニンとノルアドレナリンの2つの神経伝達物質の減少によるものらしく、だから精神科に行くとセロトニンを増やす薬が出される。それが鬱病には効果的な治療法とされているようだが、ママにとっては薬は気力を失わせるだけのもの、その上依存性があると聞くと、怖くてとても頼る気にはなれなかった。そんな時に不思議と食べたくなったのがお肉、とりわけ分厚いトンカツだった。動物というのは、ある物質が欠乏して病気になると、その物質を含んだ食べ物が無性に食べたくなるらしい。

クリちゃんは厄介な「癲癇」持ちだった。突然体が硬直し、コテっと倒れてしまう。本ニャンは、治ればけろっとしてしまうのだが、高い所に上っていて、あっと思った瞬間には下まで転げ落ちているから、飼い主としては気が気ではない。獣医さんに連れて行っても「癲癇の薬はない」と言われ、発作の起きた時に飲ませなさいと、精神安定剤をくれたが、人間と違って精神が安定するどころかフラフラするから、そのことのほうがよほど恐かったようで、薬を飲むと暗い所に隠れる。かわいそうでとても続ける気にはなれなかった。この獣医さんは、前に書いた野性味たっぷりの獣医さんではなくて、いまふう「世襲」獣医。どこかの政治家達と同じで、ほんと…頼りなかったなあ。

そんなある日、発作が出た後に、クリは必ず鰯の骨をバリバリ食べるということに気がついた。だからいつも鰯を用意するようにしていたけれど、毎度毎度の繰り返しなので、もしかするとカルシウムが病気の治癒に関連しているのもしれないと思い、子供用のカルシウム錠を買い与えてみた。薬局で何歳のお子さんですかと聞かれ、「小学校の2年生」と答えて。それ以来、発作を起こす頻度が次第に少なくなり、ついには自然治癒してしまった。食べたいものが体に必要なもの。動物の本能というのは凄い。

それだもの、ママがセロトニンの原料となるトリプトファンをたくさん含んでいる豚肉が食べたくなるのも道理というもの。クリのこともあって、だから意識してお肉を食べるようにしている。ところがいったん肉を食べなくなると、あの肉独特の臭いが鼻について仕方がない。鶏肉なら、よほど香辛料をたっぷり使ったお料理しか食べられないし、牛肉だけはいまだに食べることができない。昔はオックステールのシチューだの、ローストビーフだのと、嬉々として作って食べていたのだけれど。このご時世、狂牛病も怖いし鳥インフルエンザも怖い。だから牛肉も鶏肉もあきらめてせいぜい豚肉どまり。災難と思って、豚さんにはあきらめてもらおう。

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写真:(上)クリちゃんのまだ若々しく、凛々しかったころ。この子は16歳まで生きた。(左)鴨のステーキ。こうやって写真でみると、フランス料理というより大盛りの定食みたい。


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狩を忘れた猫

2007年05月09日(水)

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小さい頃から好きだったのは犬。今、猫達と暮らしているのは、パパが猫好きだからで、ママは犬のほうがずうっと好き。犬が人間に注いでくれる愛情は、猫とは比べものにならない。小さい頃、体が弱くてしょっちゅう熱を出しては寝込んでいたママだったけれど、そんな時には散歩に行こうとも言わず、黙って一日中足元で寝ていてくれたし、泣いていれば心配そうに顔を覗き込んで、そっと涙をなめたりもしてくれた。

ところが猫ときたら、ごはんちょうだい、愛情ちょうだいと、何か要求のあるときだけやってくる。特にジュリは、甘えたくて仕方のないときには、こちらのご都合などお構いなく、それはそれはしつこく体を摺り寄せてくるが、そうじゃない時に抱き上げようものなら、手足を突っ張って、「イヤッ、ハナシテッテバ」(…確かにそう聞こえる)と喚いて逃げ出す。まあこちらも同じように気まぐれ。べたべたとされるよりはずっと気楽かもわからない。でも、時々無性に犬が恋しくなることがある。

猫にはいい思い出がない。世の中の猫嫌いが眉をひそめるのとまったく同じ理由、「狩」をする習性がどうにも苦手。それというのも、今からウン十年前の話、その頃は今よりずっとたくさんのスズメがいて、母が残ったごはんを水で柔らかくし、庭に撒いてあげたりしていた。そのお米を目当てに群れをなしてスズメが来る。その様子を窓から眺めているのは楽しかったが、一転、目の前の光景を暗闇に突き落としてしまうのが「猫」だった。

スズメはひとしきりごはんを食べ終えると、砂浴びをする習性があって、けれどどうも人間と同じように、お腹がいっぱいになると眠くなるらしく、野生とは思えない警戒心のなさなのだけれど、砂を浴びながらウツラウツラしてしまう。そんな時、どこかに潜んでいた猫がさっと飛び出してきて、スズメを口にくわえてしまう。

あわてて飛び出して猫を追いかけるが、猫は追いかけられば追いかけられるほど、しっかりと口にスズメをくわえ、絶対に離そうとしないし、スズメの解体なんていう惨劇を見るのが怖くて、途中で引き返してしまうことになる。そういう日は、獲られたスズメの諦めたような目を思い浮かべたり、にっくき猫の後姿を思い浮かべたりと、一日中気持ちが晴れず、ただただ「猫なんて大嫌い」という思いが膨らんでゆくのだった。だから、後々猫とこれほどに濃密な日々を過ごすとは思ってもいなかった。猫の狩猟本能には今もって馴染めないけれど、幸いなことに、家の中の猫どもは、どうやらその本能を見事に失っている。以下、論より証拠。

我が家では猫とスズメが同居している。2年ぐらい前の初夏、ご近所の方が、生まれたばかりの雛、すでに蟻がたかって死にかけていたのを拾ったと言ってきた。結局、押し付けられてしまったような形で、我が家が引き取ることになり、お湯で溶いた粟と、ミルワームという気味の悪い生餌を与え、ようやく自分でエサがついばめるまでに育てあげた。「野鳥友の会」とかにも相談をして、自然に帰してあげようと画策したが、蟻にたかられた後遺症なのか、左目は潰れてしまっていて見えない。だから左側から名前を呼ぶと、くるりと右側に回転しなおしてママを見る。これを野生に返したところで、生きられる確率なんてほぼゼロに等しいだろう。家で飼えば食べ物も自然とは違うし、これもまたどれぐらい生きられるかわからないが、終生面倒を見ることにした。

野鳥が小さな鳥カゴではかわいそうと、高さ1メートルちょっとの大きな鳥カゴを購入。「大きな鳥を飼われているのですか?」とお店の人に聞かれ、「いえ、紅雀をたくさん飼っているので」と、またまた口からでまかせ。あちこちの部屋が猫に占領されている我が家のこと、一番の悩みはカゴの置き場所だった。普段は玄関に置き、天気のよい日は寝室に移動させ、窓を全開してたっぷり日光に当ててあげることにした。もちろん、スズメがいる部屋は「猫立ち入り禁止」。

ところがある日、買い物から帰ってくると、窓ごしに、カゴに覆いかぶさっているサビちゃんの姿が見える。うっかりドアを閉め忘れて出かけてしまったのだ。びっくりして部屋に飛び込んだが、双方さしたる緊張感もなく、スズメは普段どおり、サビも飛んでいるスズメを目で追っているだけ。別の日、今度は寝室のドアを開けた途端、ミミちゃんが飛び出してきた。どうやらミミが布団にもぐりこんでいるのに気づかず、ドアを閉めてしまったらしい。この白猫、普段から相当な臆病者。だからスズメと一緒に閉じ込められたのがよほど怖かったらしく、その日は一日中びくびくしていた。

ああ情けない猫たち。けれど、かつての猫の「スズメ狩り」がトラウマになっているママだもの、こんな子たちじゃなければ、とても一緒に暮らしていけそうにもないか。

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写真:(上)スズメのチュンちゃん。自然が感じられるようにと、カゴの中に植木鉢の植木。出てくる新芽を次々に食べて、すぐに枯らしてしまう。(左)狩を忘れた子たち・・・。


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ノラたちとの思い出(その1)

2007年05月11日(金)

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今住んでいる家に引っ越してくるまでに、たくさんの野良猫さんたちとの出会いがあった。出会ったノラ達、当然といえば当然なのかもわからないが、どの子も決して幸せそうではなかった。そう思うのは人間だけで、本ニャン達はそれなりに幸せだったのかもわからない。でも、どの子もいつも寂しげな表情を見せていたし、どこでどう生きて、どう死んでいったのかもわからず、それを思うとなんだかやりきれなくて、なんで助けてあげられなかったのだろうと、今でも時々そう思っては、後悔ばかりしてしまう。

もう20年近く前の話で、当時はまだ、一部の熱心な動物愛護団体が、不幸な動物をこれ以上増やさないためにと、ようやく避妊手術を呼びかけるようになったぐらいの時期。ママもまだ猫飼いの初級者、ノラたちに積極的に避妊手術を受けさせることに、思いが至らなかった。近くに住む、動物愛護団体を名乗る知人に相談をしたりもしたが、避妊手術を受けさせるための捕獲の方法なんてものは教えてくれず、ただただ、産まれてしまった子の貰い手を探す方法ばかりを教えられた。今はケージに仕掛けをし、どんな野性味溢れる子でも百発百中、捕まえては、速攻、獣医さんに連れていくというのがママの特技だけれど、その頃はそんな知恵などまったくなかった。

思い出すのはミイちゃん。人一倍慣れていて、生協の仕分けをご近所のガレージでやっていると、ニャアニャア言いながら側に寄ってきて、ゴロンゴロンと転がってみせる。でも、いつも大抵お腹が大きかったので、みんな見ないふり、むしろ迷惑そうにしていた。時々ヒゲが短く切られたりしていたから、どこかの飼い猫だったのかもわからない。そのミイちゃんが連れてきたのが、にゃにゃ丸という白に黒いブチのある子だった。ミイちゃんはたくさん子猫を産んでいるはずだけれど、一匹も子供を見たことがなくて、だからごくごく稀な生き残りだったのだろう、人にはまったく馴れていなかった。

それでも、ママの側にだけは近寄ってくるので、雪の降る日などはかわいそうで、台所の窓を細く開けて、家に中に入れるようにしてあげていた。ある時、近所の人が、玄関の前で寝ているにゃにゃ丸を指差して、「どこの猫?」と聞いてきた。思わず「野良猫なのよ」と答えたが、その時に顔を持ち上げてママを見たにゃにゃ丸の、切なそうなまなざしを今でも忘れることができない。「私の家の猫よ」と、どうして言ってあげなかったのだろう。それ以来、どんなことがあっても、多少なりとも関わった子のことは、決して「野良猫」と言わないことにした。この子はいつの間にか姿を消してしまったが、ミイちゃんはその後どうしただろう。

その頃出没していた猫の中に、黒キジのボロちゃんがいた。いつもお腹を下していて、やせ細ってボロボロだったからボロ。人にはあまりなついていなくて、その姿かたちも顔つきも、見るからに不幸を背負っているといったふうだった。あまりにかわいそうで、我が家に遊びに来た時にはおいしいものを食べさせ、声をかけてあげていたが、どこかに悪い病気でも持っていたのだろう、ある朝、庭先で死んでいた。たぶん2年も生きていなかったと思う。ノラはどの子も2年生きるのがせいぜいだった。この地域、猫エイズらしき悪性の伝染病が蔓延していたからだと、後から獣医さんに教えられた。

ノラの遺骸は市役所の清掃課が引き取り、ゴミとは別に、ペットとして扱ってくれると聞いていたので、市役所に電話をして引き取りに来てもらった。ところが来たのは、街の中を走っている青いゴミの回収車。箱にお花とボロちゃんを入れて引き渡したが、名前のとおり「ボロ」屑のような終わり方をしてしまったと思うと、かわいそうでならなかった。懸命に生きてきた子が、最後は生ゴミと一緒だなんて…。この一件があって、猫にネガティブな名前をつけるのは一切やめた。

ほどなくして、ボロが帰ってきたのかと思わせるような猫が登場した。たぶんボロの「ご落胤」だったと思う。愛らしいというタイプではないが、やたらと人懐っこい。ごくごくたまに姿を見せるだけだったので、大して気にもとめていなかったのだが、そんなある日、お隣から「庭に猫が居ついて、娘達の後をくっつき歩いている。どうしたらいいかしら・・・」という電話がかかってきた。このお宅のご主人は猫好きらしかったが、すでにワンちゃんを飼っているから、猫は飼えないのだと言う。

どんな猫かと見に行ったら、例のご落胤。ちょっと声をかけたら、今度はママの後をくっついてきて、家の中に入りたそうな仕草を見せる。これだけ人に慣れているなら大丈夫だろうと思い、入れてみたが、先住の猫2匹、ニャアとチャコが猛然と反撃してきて、どうにもならない。この兄妹2匹の結束は普段から固かったから、どんな猫であっても同居なんて無理に違いない、そう思って仕方なくまた外に戻した。

ところが夕食を食べていると、玄関先で一丁先まで届きそうな大声で「入れて~!入れて~!」と、さっきのご落胤が泣き始める。遊びに来ていた時には、一度だってそんな声を出したことはなかったし、この子、もともと声があまり出なくて、その後も「ヒ~ッ」という鳴き方しか聞いたことがなかったのに、この時ばかりははっきり「ニャ~!」と叫んでいた。しばらくパパと知らんぶりを決め込んでいたが、小一時間たっても泣きやまない。近所の手前もあり、ついに根負けして家の中に入れてしまった。

先住の警戒心はものすごかったけれど、この子はさほど気にもせず、拾われてから1週間以上もグルグルと喉を鳴らしっぱなしだった。よほど嬉しかったのだろう。栗ご飯を食べていた日に来たのでクリちゃんと名づけたが、それからしばらく続いた先住猫との凄まじい確執に、ママはすっかりノイローゼになってしまった。まあそれでもなんとか、十数年を共に暮らし、それはそれで楽しい思い出になっている。

ヤマのようにいるノラさんたちの中で、幸運を手にする子なんてそのウチのごくごく僅か。飼い猫になれるなんて、相当の強運の持ち主なのだと思う。我が家の猫はどの子も一度(・・・ならず二度という子も)捨てられ、そして拾われた。きっと生まれてくるときに、頭のてっぺんに「運!」とかなんとか、神様が目印のハンコを押して下さっているに違いない。そうだとすれば、すべての子の頭に、分け隔てなくその目印があればいいのにと、いつも思うのだけれど・・・。

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写真:(上)ニャア、チャコ兄妹とクリ。3ニャンが、一見仲良しふうに並んだ写真はこれ一枚きり。(左)前の家に遊びに来ていたノラのノコちゃんと、フーちゃん。2匹とも1年ぐらいでパッタリ来なくなってしまった。


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フェロモンがいっぱい

2007年05月13日(日)

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ミイちゃんという猫のことを書こうと思うのだけれど、これは前出のミイちゃんとは別で、我が家のミイちゃんのこと。最近のヒトの子供、どうやって読むのか見当もつなかいほど凝った名前が多いけれど、ミイという名前の由来は至極単純で、猫飼い定番の「三毛猫ミイちゃん」。

2年ぐらい前の夏、それまでは見たこともなかった猫が、、時々我が家の庭に来るようになった。どうみてもお腹が大きくて、だから、子供が生まれるのを面倒に思った飼い主が捨ててしまったに違いない。ところがどこにでも猫嫌いというのがいて、ここにもご多分に漏れず、糞をしたのなんのと大騒ぎをし、自治会で捕獲して「処分」しようなどと、物騒な提案をする住人がいる。このまま見過ごすこともできず、獣医さんと相談をして避妊手術をすることにした。裏のTさんが、手術代を折半しようという嬉しい提案をしてくださった。

実際は「堕胎」。お腹の中には4匹いて、あと僅かで生まれるところだったという。「かわいそうなので、土に返してあげてくれませんか」と獣医さんに言われ、包みを渡されたが、望まれなかった4つの命はずっしりと重たく、こんな選択しかできなかったことを心密かに謝るしかなかった。ところがミイときたら、子を失った母の悲しみ、母になれなかった女の悲しみなどこれっぽっちもないらしく、迎えに行ったママを見ると、傷口のあるお腹を見せて仰向けになり、喜んでみせる。

そんなお人(猫)好しのミイを、なんとしてでも幸せにしてあげなくちゃと、早速貰い手探しを始めた。大人の猫に貰い手なんてつくのだろうかと心配したが、大の猫好きというパパの友人が名乗りをあげてくれた。「ミイちゃんは運がいいわねえ」と喜んだのも束の間、いざ明日引き渡しという時になって、貰い手は友人ではなくてその母親、一人暮らしのお年寄りであることがわかった。

動物と暮らすことが、お年寄りの生活にどれほどの楽しみをもたらすか、十分にわかってはいるけれど、あと15年以上生きる可能性のあるミイを、75歳のお婆ちゃま、これから何年面倒を見ることができるだろう。ママはウン十歳にして猫に振り回され、しばしば青息吐息・・・。電話口で「足腰が弱っている」と何回も繰り返すので、「ご無理をなさらないで。他を探しましょうか?」と言うと、なぜかほっとしたように「そうして頂けますか」という返事。猫とは暮らしたいけれど、いざとなると、自分の老い先を考えて不安になり、迷いはじめていたのだろう。あえなく、ミイは貰い手を失ってしまった。

けれど、お輿入れを控えた身だからと、ブラッシングをしてピカピカに磨きあげ、真新しい赤い首輪をつけてその気になっていた子を、いまさら外に放り出すわけにもいかない。何よりも命の危険がある。裏のTさんもいろいろと貰い手を探してくれたが見つからず、結局、あれやこれや考えると、そのまま我が家で引き取るのがベストという結論になってしまった。

ところが我が家の猫の中でも、とりわけ暢気でおっとりした猫柄だったはずのフクが、一日中ミイを追いかけまわし、挙句の果てには大喧嘩になるという、困った事態が発生した。ミイは、ごはんを食べてはケージに逃げ込み、トイレに行ってはケージに逃げ込むという生活。たぶん、フクはミイのことが好き、でもミイは、亡き子達の父親だった前の夫が忘れられないという、ありがちな恋愛物語。ミイへの片思いが、威嚇と愛情を一緒くたにしたような、わけのわからない態度をフクに取らせてしまったに違いない。おかげでフクは、パパとママから「ストーカーフクちゃん」という、ありがたくない名前で呼ばれるようになってしまった。

日増しにひどくなるフクとミイの確執、その仲裁に困り果て、「仲良くなる方法」を獣医さんに相談しに行ったところ、「ちょっとこれを試してみませんか」と奥の薬の棚から持ってきたのは、猫のフェロモンからできているという「媚薬」。この薬を、仲の悪い猫同士の体にこすりつけると、同じフェロモンの臭いで仲良くなるのだという。この薬の箱の裏には、「猫に人や他の動物に対する新密度を向上させ、よい関係を作る製品です」と書かれている。

それからというもの、ミイとフクのウギャーッという声が聞こえると、この薬を持って駆けつけた。バナナのような臭いが部屋中に充満して閉口したが、それでも仲良くなれば儲けもの。ところが待てど暮らせどそんな気配はない。「気がつくと一緒に寝ていた、なんていうケースもあるんですよ」と、獣医さんは言っていたけれど、よくよく人間にあてはめて考えてみれば、科学的にその効果が立証されているにしても、嫌いな相手がフェロモンを出しまくったところで、そう簡単に好きになんてならない。

まあ人間の場合は色気より食い気。フェロモンなんぞ二の次で、まずは容姿だの年収だのと、だんご3つじゃすまないほどの条件を出して、相手を見定めるせいもあるのだろうが、それを思えば猫だって「牛柄模様の猫なんて嫌い」とかなんとか、いろいろな条件があるに違いない。フェロモンをふり撒けば、嫌いだって好きになり、愛が成就するといわんばかりの発想、それ自体がなんとなく怪しげだが、この薬の製造元がフランスと聞くと、妙に納得してしまう。それって、偏見?

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写真:(上)「想うオトコ」と「想われるオンナ」・・・。(左)これがフェロモンの薬。スプレーでシュッシュッと人間の手にふりかけ、二匹の猫にこすりつける


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運が尽きるとき

2007年05月15日(火)

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以前住んでいた家でのこと。夏の真っ盛り、園芸の道具を出そうと物置の戸を開けたところ、なにやら中でゴソゴソと動く気配がする。恐る恐る覗いてみると、奥のほうで茶色い猫が目を光らせてうずくまっていて、それどころか、生まれたばかりの子猫が何匹もお腹の下で動いている。物置を開けたのは1週間も前の話だから、とするとこの猫、猛暑の中で飲まず食わずのまま、サウナほどに蒸しあがった中で過ごしていたというのか。

お産をする場所を探し歩いていて、たまたま開け放していた物置に入り込んでしまってそのまま。そういえば数日前、物置の前を通り過ぎた時にガタンという音が聞こえはしたが、気にするでもなくそのままにしてしまっていた。自分は水の一滴も飲めないというのに、必死で子供にお乳を与えていたのかと思うと、母親の健気さと強さに、胸がきゅんと締めつけられる。

ところが母とは言えそこは猫、物置から一目散に飛び出し、子猫を置いたまま逃げてしまった。猫飼い初級だったママは、残された5匹もの子猫達をどうすればよいものやら、ただ心臓がバクバクするだけで解決策などまったく思い浮かばない。動物愛護団体の知人に電話をかけて事情を説明すると、「母猫は必ず戻ってくるから、なんとか捕まえて私の家に持ってきて」と言うけれど、そもそもどうやって捕まえればいいのか。仕方なく、ない知恵を絞り、大きめのダンボール箱に小さな入り口を作り、物置のすぐ横に置いて母猫が戻ってくるのを待つことにした。

しばらくして戻ってきた母猫、物置に入り、1匹ずつ子猫をくわえ出してきては、上手い具合にダンボールの中に運びこんでくれる。最後の子猫を運び終えたのを見計らって、用意していた毛布をダンボールにワッと被せ、そのままくるんで車に乗せ、大慌てで知人の家に連れていった。毛布というのは、以前別の友人が、ノラを捕まえる時には毛布を被せるのが一番なのよ、と話していたのを思い出したからだったが、今思うと無茶苦茶な話で、知人の家で毛布を開けると、母猫は飛び出して部屋の隅に逃げ込んでしまい、子猫のうちの1匹はすでに窒息死。しばらくしてもう1匹も死んでしまったが、当たり前といえば当たり前の話。

母猫は知人が面倒を見てくれることになり、3匹の子猫は離乳食が食べられるまでママが育て、その後里親を見つけることにした。行きつけの動物病院が貰い手探しに協力してくれたお蔭で、1ヶ月後に、茶キジは父親とやってきた小さな女の子の腕の中、大切そうに抱えて連れられてゆき、もう1匹の黒キジも、優しそうな若い女性に貰われていった。けれど、しっぽが捻じ曲がっている白黒だけは最後まで貰い手がみつからず、この子、もともとミバの悪い子だったので、きっと誰も貰ってくれないかもねえとパパと話していたこともあり、やむなく(いつもこれ…)我が家で面倒を見ることになった。

ところがどうして、当初の予想に反して日増しにかわいく変身してくれる。その上おとなしく、他の猫達が喧嘩を始めると遠巻きにして心配そうに眺め、もとより自分から喧嘩をふっかけることなど一度もなく、だから「平和主義者のカール君」と呼ばれていた。カールは何か訴えたいことがある時にはじっとママの目を見つめる癖があり、そのあまりにも純粋なまなざしに魅了され、かわいくて仕方がなかった。

けれど猫も人間と同じで「いい人(猫)」というのは、どうも長生きをしないらしい。ある日突然、水のようなものをものすごい勢いで吐いてぐったり。この時のかかりつけはまだアミちゃんと同じ、野性味たっぷりの獣医さんだったから検査もせず、たぶん「猫伝染性腸炎」だろうとあてずっぽう。外に出していない猫だったから、どこでどう伝染したのか今もってわからないが、とにかく点滴と注射でその場をなんとか凌いだ。

動物病院ではその頃から、見るからに頼りない、大学を出たばかりの見習い医師が、時々「大先生」の代わりに診察をするようになっていた。大先生のいない日に行くのはとても嫌だったが、どういうわけかカールは、大先生のいない日にかぎって具合が悪くなり、次第に状態は悪化してゆき、命の危機が急迫したその日は、ついに休診日と重なってしまった。

仕方なく、今まで一度も足を運んだことのない動物病院に連れていったが、ここは待合室から見える景色が「墓地」という、とんでもなく陰気くさいところ。生死の境をさまよっているカールを、こんな場所にある医院に連れてきたということ自体、なにやらすでに運命は決まってしまっているかのように思えてならなかった。まさに最後の運に見放されたという感じがして、なんとも心細かったが、案の定、カールはこの病院を最後に、たった5年のニャン生を終えてしまった。

それが命を持つものの宿命なのかもわからないが、人間も同じ顛末、母親の時もそうだった。転んで腰を打って救急車で運び込まれた病院は古くて汚く、設備、医師ともに最悪。すぐに転院させようと思ったがどこの病院も満床だからと断られ、果たして悪化の一途をたどるばかり。このタイミングの悪さこそ、運が底をついてしまう前ぶれで、「運が尽きる」という言葉があるけれど、母親もカールもまさにそんな感じだった。

悔しいことに、世の悪人どもというのはなかなか運が尽きない。いずれは尽きる運ではあるのだろうけれど、ママの周りの善人が、子供のお茶碗一杯分ぐらいの運を持っているとしたら、悪人というのは、丼に大盛り一杯分ぐらいの運を持っているように思えてならない。まさに「悪運」というやつなのだろうが、持てるものと持てないものの不公平って、こんなところにもあるというわけか。

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写真:(上)ママをじっと見つめるカールちゃん。この瞳がたまらなかった。(左)ようやく離乳食になったカール。貰われていった茶キジの夢之助君(という名前をつけてもらった)と。


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縁は異なもの

2007年05月16日(水)

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カールはたった5年しか生きてくれなかった。実家で飼っていた犬は、最後は介護の日々になってしまったが、それでも20年も生きてくれたし、猫は18年生きた。だから家で飼っている動物というのは優に十数年は生きるものと思っていて、カールの寿命が短かったのは飼い方に問題があったのかもしれないと、しばらく鬱々とした日々を過ごしてしまった。どんな生き物にも与えられた寿命というものがあって、長いも短いも致し方のないこと、たくさんの猫達との出会いと別れを経験して、今はようやくそう思えるようになったが、当時はそんなふうに割り切ることはできなかった。

フクと出会ったのはカールを失ってちょうど一年、銚子から魚屋さんが車で魚を売りに来た金曜日のことだった。我が家は徹底したサカナ派、だから魚をどこで買うかは結構重要な問題。スーパーの魚は養殖だらけでなんだか気持ちが悪く、お刺身にシュッシュと液体をスプレーしているのを目撃してからというもの、素直にそれを口に運ぶ気にはなれず、仕方なく車を20分ほど走らせて信用のおける個人商店の魚屋さんに行き、10日分ぐらいまとめ買いをして、冷凍しておくようになった。

だから魚屋さんが売りに来てくれればなにより、必ず寄ってもらうようにしている。運命のその日も、門の前で魚屋さんと冗談を交わしながら、あれこれと魚を物色していた。ちょうどそこに二軒お隣の奥さんが車で帰ってきて、子猫の泣き声のするケージを抱えて門の中に入っていこうとする。このお宅はご夫婦揃って大の動物好き、だから普段から道で会えば猫や犬の話ばかりをするという仲。どうしたのかと尋ねると、息子さんが通っている養護施設の庭に子猫が捨てられていたのだという。

奥さんは飼ってあげたいのだけれど、すでに犬一匹と猫一匹を飼っているし、そもそもそご主人はもともと猫があまり好きではなく、だからこれ以上飼うのはだめだと言われたらしい。だから、せめてひとり立ちできるまで毎日家に連れ帰り、面倒をみてあげることにしたのだとか。施設長がもともと獣医さんだったことを伝え聞いてのことなのか、施設には犬や猫がしょっちゅう捨てられている。

ケージを覗くとそこには白黒の子猫。カールを亡くして一年目だったからはピーンと霊感、カールの生まれ変わりだと確信し、とにかく預からせてと、彼女の返事も待たずに家に連れてきてしまった。忘れもしない…その時パパはトイレの中。ドアの外から「カール君にそっくりな子、貰っていい?」と。あわてて出てきたパパがノーと言うはずもない。

ミルクの時期が終わるまで彼女が面倒を見ようと提案してくれたが、猫にミルクをあげるのは手馴れたもの、苦にならないからと、その日から我が家の子にしてしまった。カールも拾ったばかりのころは「美男子」からはほど遠い容姿だったが、この子、それにも増して、鼻には無造作に置かれた黒い模様、背中の模様は、母猫のお腹の中で細胞分裂をした時に(そんなことがあるのかどうかは知らないけれど)、黒い模様があちこちに飛び散ってしまったような奇妙な形。その上薄汚れていて、ママは「なんだか不細工な子ねえ」と言っていたが、パパは、こういう子ほどかわいくなると言って譲らない。確かに、みにくいあひるの子は白鳥になったが、みにくい子猫もそれなりの猫になった。

ただし性格はほんとうにいい子なのだけれど、この子、ドライフードをまったく食べてくれない。缶詰もどれでもいいというわけではなく、決まったブランドの決まった商品でなくちゃいけない。その上、本当に好きなものは「カツオのナマリ」で、これがなくちゃ生きていけないというほど。だからいつものスーパーで売り切れになっていたりすると、わざわざ車を飛ばして次のスーパー、次のスーパー、まさに「ナマリ尋ねて何千里」の世界で、フクのために一日を潰すことになる。

そんな面倒な子だけれど、カールがいなくなってさほど日数が経っていなかったこともあり、カールの命の延長線上、そのままずっと生き続けているようで、だからフクとは通算して15年もの長いつきあいをしているような感覚。あの時に出会ったのが白黒の猫ではなく、白猫とか茶猫だったら、たぶん貰ってはいなかっただろう。おまけに、二軒先のお隣さんと金曜日のあの時間に出会ったのは、ここに住んで10年以上になるが、後にも先にもあの時だけ。

白黒猫のことで、ひとつだけ胸の痛む思い出がある。カールの具合が悪く、もうだめかもしれないという切羽詰った時期だった。田舎道を車で走っていると、電線に止まっているカラスがやたらと騒いでいて、なんだろうと思ってその視線を追うと、そこには子猫がいた。一匹はもうすでにカラスに食べらてしまっていたようで、もう一匹がその側でうろうろしている。それが白黒の猫だった。カールの看病のこともあったし、急いでいたこともあり、さらに正直に言えば、なんだか怖くてそのまま通り過ぎてしまった。まだいるようなら拾ってあげようと決心しての帰り道、子猫のいた辺りを探したが、すでに影も形もなくなっていた。

どれもこれも助けてはあげられないのだし、そんなことをしたら、きっと何十万、何百万もの命を一人で背負わなくちゃならなくなってしまって、到底無理。縁のある子にはできる範囲のことはしてあげるにしても、それ以外はそれぞれの運命に任せるしかないのだろう。そうは思うのだけれど、運の良し悪しのなんと不公平なこと。運の良かったフクちゃんは前世、溺れかけたカツオでも助けてあげたに違いない。

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写真:(上)鼻の模様を除けばカールにそっくりなフク。でもフクの顔には‘わがまま’って書いてあって、やっぱりカールのほうがずっとおとなしそう(5月15日の写真)。(左)フクの1ヶ月目ごろの写真。


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4万円が飛んでいった日

2007年05月17日(木)

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昨日からココちゃんが咳をしていて元気がない。時々だったけれど、夜中に深い咳が聞こえてきて、心配で目が覚めてしまった。今朝はクシュンクシュンとくしゃみを連発するぐらいだが、食欲もないし、一日中寝てばかりいていかにもだるそう。やれやれ、このごろやっと誰も病気をしなくなってくれて、だから久しく獣医さんにお会いすることもなく済んでいたというのに。でも、放っておくわけにはいかない。

深い咳が心配なのは、1年ほど前に散々な目にあったから。あの時はサビちゃんのくしゃみから始まった。サビも最初はココと同じようにクシュンというくしゃみから始まり、次第にその回数が増え、夜になると深い咳をするようになった。

サビを動物病院に連れて行って容態を説明すると、猫の咳というのは人間よりも深刻なケースが多く、肺炎の疑いが濃厚、そうなるとたちまち命が奪われてしまうこともあると脅される。猫は時々ケーッという軽い咳のようなものをするが、そういう感じのものではなく、ゲボッゲボッという、肺の底から押し寄せてくるような咳。

レントゲンを撮ってみると、肺が真っ白になっていて明らかに「肺炎」、しかもかなり重篤だと言う。何本かの注射を打ち、入院させますか?と尋ねられたが、落ち着かない場所で過ごさせるより、むしろ自宅で安心して養生させてあげるほうがずっと良くなるような気がして、連れ帰った。

さすがに猫だけのことはあって、翌日には食欲も普通、元通りの元気な様子に安心したが、サビからうつったのか、今度はフクちゃんが深い咳をするようになり、さらにムメモちゃんまで。これが多頭飼いの恐いところ。ふたつのケージを担いで、またもや病院に行かなければならないハメに陥った。もちろんフクもムメモも早速レントゲン。肺炎は間違いないだろうと覚悟してはいたが、下された診断はそれどころではなかった。

獣医さんがレントゲン写真を見ながら説明してくれるには(かつての、野性味たっぷりの獣医さんの時代とは雲泥の差、なんて親切なインフォームドコンセント!)、フクも肺の周辺がうっすらと白っぽく霞んでいて、確かに軽い肺炎を起こしている。ところが問題は肺ではなくて心臓なんだと言う。この子、小さい頃から病院に連れていくと心臓に雑音があると言われていて、ちょっと勢いよく走るとゼイゼイと息を切らす。その原因をレントゲン写真は正直に写し出していた。

「フクちゃんの心臓は右側にありますね」・・・レントゲン写真を見ると、確かに左側にあるべきはずの心臓がしっかり右側に。獣医さんによれば、なんらかの肺の病気で右肺が潰れ、そのために心臓が移動してしまったのだろうと言う(この表現、正確を期していないかもわからない。なんせ素人にはチンプンカンプンな話だったから)。でも、心臓が右に寄ってしまうほどの肺の病気なんて今までにしたこともなく、だとすると先天性の「心臓配置疾患」とか?

一方のムメモは肺に異常はなかったものの、レントゲンは全体になにやらボヤっとした感じ、実はこれ、骨がやたらに薄いせいだと説明された。ムメちゃんの生い立ちと出会いについてはまた別の機会、ここでは詳しく記さないけれど、獣医さんに言わせるとこの子、たぶん「血統書つきのペルシャ猫」なんだそうだ。そんないい猫がなぜ‘捨てられていた’のか…というところに、この疾患の「謎」が隠されている。

実はムメモ、自力では満足にごはんが食べられないという障害を抱えていた。離乳食の時点でこのことに気づいたブリーダーかなにかが、面倒になって捨ててしまったに違いない。捨てられていた箱の中にはドライフードが一緒に入れられていたが、柔らかくても無理なものを、ましてカリカリなど食べられるはずもなく、成長期の大切な時期にまともに栄養を摂取することができず、だから骨もきちんと作られなかったのだろう。「万が一骨折したら、僕には治せない」と、いつもは強気の獣医さんが弱気なことを言う。

フクもムメモも治療法のあるはずはなく、これからいったいどうなることかと一瞬不安になったが、こうなったら運を天に任せて、今まで以上にかわいがってあげるしかない。予想もしていなかった診断結果にがっくりと力を失ってしまったパパとママ。それなのにその日の獣医さん、そんな飼い主の萎えた気持ちをさらに萎えさせるという追い討ちをかけた。「本日のお会計は4万円です」…。

ママは今もまだ悔し紛れに、あの時のレントゲン、フクの写真は裏焼き、ムメモのは現像液が古くて写真が薄くなっちゃったんじゃないの?と、憎まれ口を叩いている。4万円あったら何が買えるか、なんていうみみっちいことは言わないつもりだけれど、でもお願い、みんな病気にだけはならないでね。ココ、今日だけで治るのよ!気力、気力!!

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写真:(上)チリリン姉ちゃん、フクちゃんの心臓って右にあるんだってさ、凄いでしょ、ねえ聞いてる~っ?って、言っているのかいないのか。(左)写真写りがイマイチのムメモちゃん。ひ弱な印象だけれど、最近は体も大きくなり、自力で食事もできるようになってきた。誰よりもわがままで気性が激しいのは「血統書つき」だから?なにせそんないい猫、飼ったことがないから・・・。


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賢いカラスはお好き?

2007年05月20日(日)

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最近は、こんな田舎でもスズメよりカラスのほうがずっと多い。そういえば5、6年前、東京都は繁殖しすぎたということを理由に、カラスの捕獲大作戦に乗り出したことがあった。捕まえたカラスは「ミートパイ」にして東京名物として売り出したらどうか、なんてことを某都知事が発言していて不愉快極まりなかった。

メディアは面白半分に取り上げていたけれど、あの発言の奥底、人間に対しても同様の発想が潜んでいるということに、どうして気がつかないんだろう。この都知事、「余計者」や「邪魔者」は力ずくで排除してしまうに違いない。それを他人事だなんて思っていると、いつか我が身。カラスの真っ黒で大きな体、かわいげのない鳴き声、何でも食べてしまう雑食性。どれをとっても、人間の求めている‘かわいさ’からはかなりの隔たりがあるが、だからといって、同じ地球の上、縁あって共に命を得たものを、簡単に「駆除」という言葉で断罪してしまうのは、あまりといえばあまり。

そんなことがつい先日、とある集まりでも話題になった。集まっていた場所にたまたまゴキブリが現れ、居合わせた男性が「クワガタには高い値段をつけるのに、ゴキブリだと気持ちが悪いって叩き潰すのは、不公平だよなあ。」とポツリ。すると別の女性が「カラスを駆除するっていうのもひどい話よね。駆除ってなによ、生き物に対して使う言葉じゃないよね。ゴミを荒らすっていったって、それならゴミを荒らされないように、人間が知恵を絞ればいいだけのことじゃない」と、やけにカラスを庇う。

この人、実はチェリスト。チェロの音色は素晴らしいが、普段は指股のある、毛玉だらけの分厚いソックスをはき、藁草履をつっかけてくるという無造作ないでたちで、だからおよそセンシティブな人という印象はなかった。ところがその言葉を聞いた途端、繊細な音楽家、さすが芸術家!と、彼女に対する評価はコロリと変わる。広い世間、こうやってカラスを擁護してくれる人間もいるのか。

ママも実はカラスがあまり好きではないのだけれど、カラスたちからはきっと「擁護派」と見られているに違いない。それが証拠に、カラスはママの姿を見ると「クワーッ」と挨拶をしてくれる。これ、ほんとはハタ迷惑な話で、ご近所がたまたま動物好きな方ばかりなので助かっているが、外猫のエサを目あてにやってくるだけ。ただでさえ外猫にエサをあげるときには結構コソコソとしてしまうのに、そんな気持ちなどまったくお構いなし、「クワーッ、クワーッ」と大騒ぎをしながら飛んできて、舞い降り、猫に追われながら、同じお皿でエサをつつき始める。

嫌だわねえと言いながら、この間は、冷蔵庫に残っていた消費期限切れの玉子をわざわざ茹でて、カラスにあげてしまった。庭に置いた途端、どこから見ていたのかすぐに飛んできて、大慌てで一挙に3個の玉子を口に押し込み、ペリカンのように頬をふくらまして飛んでいく。はて…良く見ると玉子の白身だけがきれいに残っているではないか!あやつら、玉子の黄身だけを器用に取り出してくわえていったのだ。なんという賢さ、それよりもなんてわがまま。

賢いと言えば、近所のガソリンスタンドにもカラスがいて、「このあたりはカラスが多いですね」と言うと、「あのカラス、ゴルフ場までついてくるんですよ」と店主。ガソリンスタンドからゴルフ場までゆうに4キロはあるというのに、ゴルフ場に着いてみると、頭の上をカラスが飛んでいて、ゴルフ仲間から「カラスを連れてきたのか」とからかわれてマイッタ、マイッタと。もちろん、しっかり一緒に帰ってきたんだそうだ。

こんなカラスの賢さの元を探ろうと、慶応大学の研究グループがカラスの「脳地図」というのを作製したとか。カラスの脳は思考とか学習、感情をつかさどる大脳が大きく、中でも知的活動に関する部分がよく発達していて、知能はチンパンジーのような大型の類人猿にも匹敵するらしい。6羽のハシブトカラスの脳を凍結して、縦に1ミリずつ輪切りにして神経細胞の分布を調査して作ったと聞くと、科学的な成果の前に、つい、脳を刻まれたカラスがかわいそうと思ってしまうのだが、まあそれは置いとくとして。(参考資料

人間って、自分より賢い動物が嫌いなのかもしれない。たぶん本能的に警戒してしまうのだと思う。カラスの賢さは認めるけれど、ママの場合は子猫がやられてしまった現場を見ているから、やっぱりカラスが怖い。我が家の猫たち、よくぞ捨て子猫時代にカラスの餌食にならなかったこと。特にミミちゃんは白猫だから猫一倍目立ったはず、危なかったわねえ!

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写真:(上)ミミちゃん、カラスに食べられないで良かったね~。(左)カラスが庭に降りる気配を感じると、いつも急いで窓の外を見に行くサビちゃん


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学歴か、はたまた愛か

2007年05月22日(火)

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小さい頃から動物が身近にいる生活をしてきたが、動物の宿命、いつも健康とは限らず、だから獣医さんとの縁は切っても切れない。実家で飼っていた犬のヒロちゃんは20年という長い歳月を生き抜いた子だったが、15歳を過ぎたころから白内障、18歳を過ぎたころからは「認知症」と、人間とまったく同じ経緯をたどりながら老いてゆき、最後は大変な介護の日々となった。

最晩年には癌にも侵されていたから、ヒロも大変だったろうが、飼い主の精神的、肉体的な負担は結構なものだった。往診に来てもらったりもしていたのだが、その時にかかっていた実家近くの動物病院の獣医さんというのが、なぜか病気の動物には絶対に触らないという人だった。まさか動物が怖かったのか、それとも病気がうつることを警戒していたのか、聴診器もあてなければ、リンパ節が腫れているかどうかという、(素人だからよくわからないけれど)そんな基本的なチェックもしなかった。

それで、どうやって治療方法を決めていたのかは今もってわからないが、「カン」の働く医者だったのだろうか。それじゃまるで霊能師だけれど(今ふうに言えば、スピリチュアルカウンセラー?)、シャーマンを考えればそれもありか。おそらくは、ほとんどの細菌感染に効きそうな、つよ~い抗生物質を出していただけなのだろう。人間を診るヤブ医者のことを「葛根湯医者」なんていう皮肉な言い方をするけど、まさにそれ。

当時は動物病院自体あまり多くはなかったし、なによりも車の運転ができなかったから、とにかく近場、せいぜい自転車で行ける範囲の病院に行くしかなかった。だから仕方なく行っていたようなところがあって、もっといい病院が見つからないものかと、いつも思っていた。もっと近くにあったことはあったのだけれど、ここの獣医さんは馬牛専門と聞いていたから、どうにも気が進まなかった。

ところがそんなある日、この馬牛専門の「S動物病院」が二代目に代替わりした。ここ、先代も息子も‘天下’のT大出身という獣医さんだった。「止めてくれるなおっかさん、背中の銀杏が…」というあのT大。T大卒の若手なら信頼がおけるかも、という淡い期待を抱き、早速鞍替えをしてしまった。

二代目、特に秀でたふうには見えなかったが、ボンボン然とした雰囲気と、そののんびりとした対応に好感が持てた。ところがしばらく通ってみると、どうもここ、出してくる薬の箱、薬の箱、すべてが茶色く変色していてやけに古っぽく見える。薬だって消費期限があるし、なによりもそんなに古い薬を出してくるというあたり、着々と進歩する医学をいったいどこまで勉強しているのだろう。

クリちゃんの癲癇発作を診てもらったのもこの病院だったが、その時も、先代が読んでいたようなボロボロの医学書を引っ張り出してきて、「長い食べ物は癲癇によくないって書いてありますねえ」と言う。うなぎとか穴子とかは癲癇によくないらしい。でもあまりの医学書の古めかしさ、とっくに新説が出ているんじゃないの?と、喉まで出掛かったが、そこはそれ、ぐっとこらえて。

そんな二代目の評価を、一挙にぐーんと下げてしまった事件が起きた。外猫が風邪をひいたらしく、ぐったりしているので病院に電話をし、どうやれば助けてあげられるかを問い合わせた時のこと。電話には母親らしき人が出て、事情を聞くと、電話口を塞ぐのを忘れたのか無神経なのか、大きな声で奥にいるらしい二代目に、「野良猫が風邪ひいたんだって。どうすればいいのかだって」と叫ぶ。かすかに聞こえてきたのは「野良猫なんてほっとけばいいんだよ」という言葉だった。古い薬だけならともかくも(そうでもないか)、この非情な言葉を聞いてそれきり。

次に行ったのが野性味たっぷりの熱血医師。実はこの獣医さんもT大出身だった。こちらは頭の冴えた、鋭い感じのする人だったが、なんといっても診察が大雑把。それなりに恩義は感じているものの、大切にしていたチャコちゃんの病気、もし、きちんと手術をしてくれていればあんな結果にはならなかったのにと、今なお根に持っているような恨みがましい思いがあって、行くのをやめてしまった。

獣医さんの学歴をあれこれ言うつもりはないけれど、こうやって思い返してみると、どうも「偏差値の高い」大学出身のお医者さんのことを、世間並みに、何はともあれ信じてしまっていたみたい。知人の外科医が、某私立医大の教授となって学生を教えていたころの話。試験に出した問題に「肛門を縫いつける」と答えた学生がいて、じゃあウンチはどこから排泄するの?と質問したところ、答えられなかったんだとか。「こんなのが医者になるのか」とその彼、激怒していたが、そんな話を聞いていたからなおさら。

今のかかりつけの獣医さんはT大出身じゃないが、動物の命に向かう時の姿勢はどこまでも真摯。診断はもちろん理性的に下してもらわなくちゃ困るから、知的な能力がないというのは問題外。でも、それにも増して小さな命を心からいとおしいと思い、なんとしてでも救おうとする使命感が、獣医さんにとってはさらに大事な条件になりそう。「腐ってもT大」より、心優しき「鮮度のいいどことか大学」のほうが、たぶんずっといいに違いないと思うこのごろ。

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写真:(上)いつも仲良し、健康でいてくれるのがなにより。(左下)大好きだったチャコ。


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「遠くの親戚」にご用心!

2007年05月24日(木)

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サビちゃんが来たのは7年前の6月。そのほんの少し前の5月の末に、この地域一帯に大粒の雹が降った。夕方買い物に出かけ、スーパーで会計を済ませていると、空の色が漆黒に急変、たちまちのうちに世の中が真っ暗闇になってしまった。あまりに不気味な光景、天変地異の前兆のような気がして、急いで車に引き返して帰路についたがすでに手遅れ。

ものの5分と走らないうちに、車の屋根にコンコン、ゴンゴンと次から次に小石があたるような鈍い音。強い風も吹いてきて、引きちぎられた木の葉が目の前をクルクルと舞う。あまりに急なことだったから、何がなんだかよくわからないのだけれど、小学生の頃に繰り返し読んだ、ヴェスヴィオス火山の大噴火の光景がやたらと頭にちらつく。ポンペイの町があっという間に火山灰と火砕流の中に消えてしまったというあの話。それが突然現実のことになったようで、怖くて怖くてたまらない。

車の屋根を撃つ小石はきっと火山弾、まさか生きている間にこの世の終わりが来るなんて思ってもいなかったから、よりにもよって、なんて不幸な星の下に生まれたのだろう・・・どうせ滅びるのならパパや猫達と一緒。だからどんなことがあっても家にたどり着かなくちゃと、フロントガラスにもサイドミラーにもヒビが入ってしまうほどのものすごい雹に巻き込まれながら、人っ子一人車一台通らない真っ暗な田舎道を、ただただ突っ走った。幸いこの世の終わりはまだ先のことらしく、ほどなくして暗闇はいつもの静かな夕闇に戻った。

悪夢のような日から数日たった頃、普段はほとんど(…まったく)交流のない親戚のおじさまから雹のお見舞いの電話があった。大変でしたねえ、と盛んに同情してくれるが、あまりにも唐突な電話。年賀状も交わしていないし、姉のダンナさんのお姉さんのダンナさんという人だから、ちょっと遠い親戚。それでもとにかく心配をしてくれたことに感謝しつつ話をしていたが、そのうち雹の時と一緒、あたり一面に黒雲が漂い始める。

お見舞いの電話というのも嘘ではないけれど、「子猫、いりませんか?」というのがほんとうのところで、これが黒雲の正体。この人、児童文学者で、普段から子供を集めて遊んだり、ノラ猫さんたちににごはんをあげたり、だからご近所からは「一休さん」と呼ばれているのだとか。この一休さん、子猫を拾ったはいいけれど、すでに高齢の猫がいて、それが気難しくてどの猫ともうまくやれない、だから自分の家では飼えないと訴える。ウチだって新入りとの相性が悪くて大変な思いをすることがあるけれど、そんな時はとにかく馴れるまでじっと我慢しているのに…と内心思いつつ、団地のダストボックスの中で生活しているんですよと言われて、ついグラリ。

自分の性格に半ばあきれながら受け取りに行くと、一休さんが抱えていたのはお世辞にもかわいいと言えないサビ猫。顔が半分に割れているような模様で、どこに焦点を当てればかわいく見えるのか、わからない。こわばった笑顔で貰ってきたが、でも良く見ると首に黄色いリボンをつけてもらい、お風呂にも入れてもらったらしくてフワフワ。幸せになるようにと祈りながら、よそゆきの格好をさせてくれたのだろう。

ほっとしたのか、この子、連れ帰る車の中、狭いケージに入れられているのにお腹を見せてぐっすりと寝てしまった。仰向けになったまま身動きひとつしないから、てっきり環境の変化にびっくりしてショック死をしてしまったんだと早合点、「パパ~、死んじゃったみたい」と助手席で大騒ぎをしたが、実はこれ、後々オオモノになるという証だっただけ。

人間にも「面食い」というのがあるけれど、顔なんて毎日一緒に生活していると馴染んでしまって、いつの間にか、素敵だったのか素敵じゃなかったのかわけがわからなくなる。それとまったく同じで、サビちゃんの模様も、一緒に生活しているうちに一向気にならなくなってしまった。それどころか、今ではかわいくて仕方がない。きつい性格で、他の猫とすれ違おうものなら必ず猫パンチの先制攻撃を食らわせる。その意地悪さがチャコに似ていて、だからチャコの分まで長生きさせようと、かわいがることかわいがること。

雹が降らなければ我が家には来なかった猫。こういうのも「災い転じて福」というのだろうか。小さかった頃の写真を見ると、こんなちっぽけな体で一生懸命生きていたんだと、そのけなげさがたまらなくいとおしい。その後親戚からの音沙汰はなかったが、サビが来てから5年後、またしても「ご無沙汰しています」の電話。こちらはすでに耳が後ろにぺったりと張り付いて警戒心丸出し、案の定「子猫が捨てられていましてねえ」…と。

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写真:(上)貰われてくる日に、黄色いリボンをつけてもらって一休さんの家で記念撮影。(左)今やメタボリックなサビ猫に・・・。


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明日は我が身と思えば

2007年05月25日(金)

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犬の認知症のことを「認知障害症候群(CDS)」と言うらしい。これ、人間でいうところの「痴呆症」(こちらも「認知症」という呼び方に変わったけれど)。犬の認知症になる確率、意外にも人間より高いのだとか。実家で飼っていた犬のヒロちゃんも、20年生きたうちの最後の2年間は認知症。

この子、小学校の6年生の時に、近所のお酒屋さんで生まれたのを貰ってきた。最近ではあまり見かけなくなったが、あのキャンキャンとよく吠えるスピッツと、もの静かな柴犬の雑種。頭が良くて、家の中で飼っていたせいもあるが、人間の言葉や表情をよく理解する従順な子だった・・・というのは親の贔屓目。

散歩はもっぱらママの役目で、それを嫌だと思ったことはなく、それどころか犬の散歩は家族から解放される貴重な時間。気の向くまま足の向くまま、犬にリードをひっぱってもらって、ただ後をくっついて歩いているだけだった。その間中、こちらはいろいろな空想をめぐらせて楽しんでいるから、いくらでも時間は潰せる。だから、風邪をひいて熱が高いという時以外は、雨が降ろうが風が吹こうが、雪だろうが台風だろうが、せっせと散歩に連れていった。

18年目のその日も特に変わった様子はなく、いつもどおりの散歩。ところがもうすぐ家に着くという時になって、突然、あたりかまわず吠え始めるという奇妙な行動を起こした。右に向かっては吠え、左に向かっては吠え、しまいにはくるくるとまわりながら吠え続ける。犬がいるわけでもなければ、人がいるわけでもない。いつもなら叱れば静かになるのに、その時だけは一向に鳴きやまず、それどころか、目にはもうこの世の景色は何も映っていないふう、叱る声もまったく聞こえていないようだった。

すれ違う人が向ける奇異な眼差しの中、どうにか家まで連れ帰り、動物病院に電話をして大至急往診に来てもらったまではよかったのだが、例の、動物には一切触らないという獣医さん、何が起きたのかさっぱりわからないらしく、ひとまず睡眠薬を打って眠らせ、後は様子を見ましょうとだけ言って帰ってしまった。当時は、犬の認知症なんてまだ知られていなかったのだろうから、仕方がないか。

しばらくして目が覚めたが、もう吠えることはなかった。そしてそれきり、飼い主を見分けることさえできなくなってしまった。声をかけても尻尾の一ミリたりとも振ってはくれず、もともと白内障であまりよく見えなかった目は宙をさまようばかり。誰が帰ってきても玄関先に出迎えてくれることはなくなり、ただただ静かに身を横たえているだけの日々が始まった。

それからの体の衰えは急激だった。人間の寝たきり老人に「廃用性症候群」というのがあるが、あれと同じ。ほとんど寝たままだから足腰は弱り、特に後ろ足にはまったく力が入らず、立たせるとへんなりと崩れ落ちてしまう。散歩なんてとても行ける状態ではなく、庭をなんとかひとまわり歩かせておしまい。そのうち立つこともできなくなり、気分転換をさせてあげようと、抱いて庭に連れてゆくだけになってしまった。

食事も自力では食べられない。だから毎日、鳥のささみとキャベツを柔らかく煮て、粘りをつけるためにお米をちょっと、それをすり鉢で細かくして流動食にし、口の横から流しこむという「強制給餌」。少しずつ様子を見ながら食べさせなくちゃいけないから、時間がかかって結構根気のいる仕事。これは、常日頃「根性」が売り物の姉の仕事になった。

いささか閉口したのは、寝たきりになってしばらくしてから始まった夜鳴きだった。何を要求しているのかさっぱりさからず、ただやみくもに鳴いているようで、毎晩起こされる身には辛く、静かにしなさいと怒鳴ってしまうことも度々だったが、今思うとこれも認知症の症状のひとつ、不安でたまらなかったのだろう。側に寄り添ってやさしく体をさすってあげればよかったと、後悔で胸がキュンとなり、写真を見るたびに「ごめんね」とつぶやいてしまう。

そんな状態だったのに、不思議と排泄のことだけはしっかりしていて、どんなに動けなくなっても、寝ているところでしてしまうというような粗相は、一度たりともしたことがなかった。要求がある時にはクーン、クーンと鳴いて知らせるから、そのたびごとに抱きかかえ、庭に連れていって用を足させる。最初のうちは体を支えてあげていればできていたが、そのうち、それもままならず、庭に横たわったまま用を済ませる。それでも最後の最後まで決して粗相をしなかったのは、犬なりのプライドだったのか。

最近は食事が豊かになり、室内飼いも増えたから、10年なんて序の口、15年、20年と、ペットの寿命はずいぶんと延びた。それだけにペットの介護なんていう、思ってもいなかった問題を飼い主が引き受けなくてはならない時代になってきた。大きな犬を飼っている人を見ると、寝たきりになった時に最後まで面倒を見てあげられるのかしらと、余計な心配をしてしまう。まさかそんな日がくるなんて、想像もしていないに違いない。

家族の一員なんだもの、どんな状況になろうと最後まで看てあげるのが人の情。そう思いたいところだけれど、老いた犬の死に目に遭うのが悲しいからと、その前に保健所に持ち込むという、「トンデモ飼い主」もいるらしい。明日は我が身…老犬の姿に自分の老いた姿を重ねれば、必然、優しくもなろうというものを。

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写真:(上)チリリンも13歳になり、最近では寝ていることが多くなった。老け込んでちゃだめよ~!(左)野原に咲く花を摘みながらの散歩。ヒロちゃんとの散歩は最上の時間だった。


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捨てられたのにはワケがある

2007年05月26日(土)

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昨日はちょっと気の重くなる話題だったから、今日は、サビちゃんを貰ってきてからというもの、電話一本寄こさなかった一休さんの話。あれ以来、こちらから電話をする用事などもとよりないのでそのまま。その一休さんが5年目にして、またもや突然電話をかけてきた。この人からかかってくる電話には最初から逃げ腰。世間話をしながらも、話の核心にたどり着くまえに何としてでも電話を切らなくちゃと、そのことばかりを考えている。

しかし相手はツワモノ、なんとか切らせまいとして話を引き伸ばし、ついに「いや~、実は子猫を拾いましてねえ」と。ご自分でお飼いになればよろしいでしょと、そんな強いことが言えればいいのだけれど、どうもそのあたり気が弱くて、「どんなお猫ちゃんなんですか」と、言わなきゃいいのに社交辞令。

なんでも、血統書つきと思しき猫、それが箱に入れられて公園に捨てられていたんだとか。奥さんが見つけ、いったんは見て見ぬふりをしてやり過ごしたものの、どうにも心配になり、引き返してみたところがすでにもぬけのカラ。拾ってくれる人がいたのかと喜んだが、これが糠喜び。次の日に、またしても同じ場所に同じ子猫が捨てられていた。

子供が拾って持ち帰り、元の所に戻していらっしゃいと家族にでも言われたのか、あるいはお母さんと拾ったものの、家族会議の結果やっぱり飼うのはよそうという結論になったのか、いずれにしても誰も飼ってはくれず、元の捨て猫。

あまりにかわいそうなので(こればっかり)、家に連れてきたのだそうだ。連れてきたからには、それなりの覚悟を決めてのことだろうと思うのだけれど、「気難しい先住がいて」の一点ばり、決して自分が飼うとは言わない。気難しいのは一休さんだっておなじ、それでも奥さんとなんとか暮らしているんだもの、猫だって同じよ、と突っ込みを入れたくなるが、拾われた子猫に罪はなし。

とにかくかわいい子なので、誰か貰い手を探して欲しいと懇願される。(ええい面倒な!)「それじゃ、ウチで貰ってあげますよ」と、またしても言ってしまう猫バカ。どうも強引なタイプに弱く、社会生活でもこの手合いには勝ったためしがない。

そんなわけで、またもやシブシブ一休さんの家に猫を貰いにいくハメに。行きの車の中、自分が貰うと言ったことなのだからと、自分に言い聞かせはするものの、なんでいつもこうなっちゃうのかしらとブツブツ。パパはすぐに腹を括るタイプだから、一度決めたら不平不満は決して言わない。むしろ、どんな子猫なのかとそれだけが楽しみ。

雹のお見舞いにかこつけての子、今では目の中に入れても痛くないほどかわいいけれど、会った時には思わず頬の筋肉が硬直。だから、血統書つきらしいかわいい子猫というのも、きっと「眉唾」とタカを括っていた。ところが一休さんが抱いてきたその子、ふさふさの長い毛とペチャンコの鼻、前のとはうってかわってかわいらしく、まるでムクムクの縫いぐるみ。血統書つきってこんなにかわいいのかア。

獣医さんに見てもらうと、血統書の中でもかなりいいランクの子なんじゃないかと。動物病院に勤務しているトリマーの女の子も、譲って欲しいけれど、ちょっと前に猫を飼ったばかりとしきりに残念がる。とすると、買えば10万円前後。そんな大金を出していながら、すぐに捨ててしまう人なんているはずもない。気に入らなければ返品だって交換だってできるそうだもの(命をなんだと思っている・・・)。

箱の中に一緒に入れられていたというドライフードは、冷凍用の小袋に入れられていて、たぶん大袋のカリカリを小分けにしたもの。多頭飼いの、猫を飼いなれた人という感じ。ここから、あれやこれやと犯人を推理してみたが、有力なのは2つの説。この子をもてあましたブリーダーか、あるいは一休さんの家の近くにある大型スーパーのペットショップ。

スーパーのペットショップの一角に「生体売場」という、なんだか気味の悪い名前の売り場があって、たくさんの子犬や子猫が売られている。ここで売られていたものの、なにかしらの理由で処分の対象になり、それを哀れに思った店員さんがこっそり捨てたとか。ブリーダーも同じ。

売れない理由で思い当たるのは、貰ってきた時から鼻はズビズビ、目はウルウルだったこと。健康そうというわけではなく、だから売り物にはならなかったということか。もっとも、鼻ズビ、目ウルはこの種類の子にはよくみられる症状で、お鼻のペチャンコが原因、特段病気というわけではないと獣医さんは言う。

どんなワケがあるかは知らないけれど、捨てちゃうっていうのはヒドイよねえ、と言いながら毎日舐めるようにかわいがっていたが、安いものにはワケがある、捨てられていたものには、もっともっと深いワケがあるというワケ。実はこの子、自力ではごはんが食べられないという障害を持った子だった。そのことに気がついたのはしばらくしてから。一休さん、またしても逃げ得…。

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写真:(上)今ではすっかり元気な「血統書」つき!なんとなく性格が犬っぽいのだけれど、まさか祖先に?(左)ザ・イッキュウサンズ。


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慕ってくれていたものを

2007年05月28日(月)

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そろそろ夏っぽい雰囲気になってきたので、ちょっと怪談じみた話。犬や猫の「祟り」などという、そんなオドロオドロしい世界を真っ向から信じてはいないけれど、それでもちょっと思い当たるフシ。飼い犬を保健所に連れていった知人が、その後不幸を背負ったという話を二つばかり。

一つ目は実家のお向かいさん。ご両親は共に小学校の先生で、息子ひとり、娘ひとりの4人家族。まだ子供達が小さい頃、捨てられていた犬を拾ってきた。テリア系の雑種だったようで、ちょっとカールのかかった毛と長四角の顔が特徴的。小さい頃はかわいかったし、だから最初のうちは子供二人とお父さんとで、よく散歩に連れ出していた。

この犬、日に日に大きくなり、ついに立ち上がると子供の背丈をはるかに越えるぐらいにまで成長してしまった。散歩には行かなくなるし、そのうち庭先からなぜか駐車場に犬小屋を移動。その駐車場というのがコンクリートの打ちっぱなしで、土なんてどこにもないうえに、日陰を作ってくれる木の一本もない。

だからこの犬、真夏はコンクリートでできたフライパンの上で生活しているようなもので、さすがに太陽が一番高くなる時間になると、ワンワンキャンキャンと悲鳴をあげて窮状を訴える。家人は仕事で留守だから、だれもこの犬を移動させてあげることはできないし、時々水さえ置いていかないこともあって、犬好きにとっては気が気じゃない。

とりあえず水だけでも飲ませてあげようと、ボールに水を入れて駐車場に持っていき、長い棒を使って犬の口元まで押し寄せ、水を飲み終わるのを待って、またまた棒でたぐり寄せて証拠隠滅。この子、ちょっと凶暴で、他人は一切寄せつけないから、こんなことでもするしか方法がない。おせっかい婆さんの親切なんざ知ったことかと、その間もウオンウオンと吠えられっぱなし。姉には、夜になってから黒い頭巾でも被ってあげにいけばいいんじゃないの、と言われたが、別に泥棒に入ろうってわけじゃないし。

ところがその犬、ある日を境にぷっつりと姿を消した。あんな飼い方をしていたのだもの、死んでしまったに違いないと思っていたら、無情にも飼いきれなくなったので保健所に持っていったと言う。飼い主にはやたら甘える子で、家族に飛びついて喜んでいる姿を何度も見ていたから、きっとその日も散歩に連れていってもらえるものと思って、喜び勇んで飼い主の車に乗ったに違いない。ああ、哀れ。

ところがそれから1年ぐらいして、なんの因果か娘さんが足を骨折をしてしまった。しかもかなりの重症で、もう自力では歩けないだろうという。かわいらしい顔をした、賢い子だったのでとても不憫に思ったが、あれだけの仕打ち、犬の悔しさがこんな形になって現れたとしか思えなかった。

もうひとつは高校時代の友人が飼っていた犬。いつも門の脇の犬小屋で寝ていて、名前を呼ぶと静かに小屋から出てきて尻尾をふってくれる、おとなしい犬だった。この子も、ある日遊びにいくと犬小屋が空っぽ。彼女の母親がぜんそくで、犬の毛が良くないと医者に言われたので保健所に持っていったのだと言う。普通に飼ってもあと2、3年ぐらいの寿命しかなさそうな老犬、なにもわざわざ…。

ただただ、かわいそうでならなかった。この子の場合にはすべてを知り尽くしていて、諦めて保健所に行ったような、そんな気がしてならなかった。当の母親は、犬がいなくなってもぜんそくが治ることはなく、それからほどなくして、突然別の病で亡くなってしまった。

どちらのケースも、犬が祟ったのよ、なんていう冷たい言い方をする気はないが、それでも、いつか飼い主が迎えにくるものと信じ、保健所の檻の中で震えながら待っていただろう犬たちの最後を思えば、飼い主に会いたい一心、それが悪さを働いてしまうというのも無理からぬことのように思えてならない。成仏できない…っていう、あれ。

その昔、駅二つ隔てたところに住んでいた霊感のあるおばちゃん。それを生業としているぐらいだったから、病気でも何でも、とにかくよく当たる。そのおばちゃんに会うといつも「あら、またワンちゃんが側にいる。よほどかわいがっていたのねえ、嬉しそうについて歩いているわよ」と言われた。たぶんヒロちゃんのことで、毛の色から尻尾の形までそのまま。写真を見せたことも話したこともないのに、リアル。死んでもなお慕ってくれているということなのか。

ご近所のことも友人の母親のことも、偶然だっただけ。犬の因果かどうかなんて、霊感がないからからっきしわからないけれど、人間に命を委ねるしかない動物の、そのイノチを人間の都合だけで奪っていいはずがない。「祟り」っていう概念、案外そんな倫理的なことのために作られたものなのかもしれないと、ふと思ったりして。

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写真:(上)初代の猫たち。最後まで人間との絆は深かった。(左)この子たちを拾った時の写真。目も鼻もグチャグチャ。人間を頼るしか生きる術がなかった。


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ショパンとのり弁

2007年05月29日(火)

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チリリンを拾ったのは子猫の時ではなく、もうすぐ1歳になろうかという時。新しい家に転居して6ヶ月ぐらい経った頃だったか、かつてのお隣さんから、庭に猫が居ついてしまって困っているのだけれど、引っ越す前にエサをあげていた子じゃないかしら、という電話がかかってきた

その顛末もそのうち書くつもりでいるけれど、引越しが決まって、一番頭を悩ませたのは外猫のことだった。エサをあげていた子を置いていってしまえば、明日から食べるものにも困るだろうし、そんな無責任なことをするわけにもいかない。獣医さんの助言を得て、触ることさえできない子を、やっとの思いで連れてきた。だからお隣さんにいる猫はあずかり知らぬ子。姿形を聞いてもまったく心当たりがなかった。

鈴のついた首輪をつけていて、ご主人が帰宅すると、必ず玄関まで出迎えにきてくれるのだそうだ。首輪をつけているのなら近所の子、遊びにきているだけじゃないのと言ってみたが、家に帰る様子は一向にないのだとか。とにかく見にきてと言う。見に行ってどうなるものでもないけれど、親しくしていた友人だったから、猫のことは二の次、とにかく遊びに行くことにした。

庭で彼女が指差した、白い洋服に茶色の帽子をかぶった子、ああ、この子なら遠目に見たことがある。近くのアパートに小さな子供のいる家族が住んでいて、いつもその子の後をくっついて歩いていた子。アパートの住人ははとっくの昔に引っ越してしまっているはずだから、飼っていた猫を、次の引越し先ではペットがだめとかなんとか、そんな理由ですげなく置いていってしまったのだろう。

自分の哀れな身の上など知るはずもなく、なんだか明るい雰囲気の猫で、声をかけると飛んでくる。抱き上げてみるとおとなしく、腕の中でされるがまま。置いていかれちゃってかわいそうに、この子、これからどうやって生きてゆくつもりだろう。

隣人はまったく飼うつもりはなく、気の向いた時だけ飼い犬のドッグフード(!)をあげているらしい。この人、犬の飼い方も気まぐれで、散歩もしたりしなかったり。ここに置いておけば、間違いなく野良猫になるしかないが、頭のよさそうな子だし、ホームレスなどからきし似合いそうにない。

見てしまったらこうなるのはわかりきっていたこと、だから見なきゃいいのに、貰っていくわと、車に乗せて連れてきてしまった。チリリンという名前は、鈴をつけていたからと、隣人が名づけたのをそのまま。まだ子供を産んだことはなく、連れてきてからの避妊手術。生後8ヶ月ぐらいといったところか。

それでもちょっとオトナになっていた猫だったから、先住猫達とうまくやっていけるかと、それだけを心配したのだけれど、ありがたいことに杞憂。家に着いてからは、用心のためにケージに入れたまましばらく部屋の片隅に置いていたが、近寄る猫に、フーでもなければシャーでもない。これなら大丈夫だろうとケージから出したところ、たちまちわがもの顔で家中を闊歩、先住たちはただただ遠巻きに眺めるだけ。

それからしばらくして、この猫が飼われていたと思しきアパートから、道路一本隔てた所に住んでいた友人が遊びに来た。それほど親しくしていたというわけでもなく、道路で会えば、世間話よりもうほんの少しだけ踏み込んだ話しをするという程度の仲。その彼女、チリリンを見るなり、あらこの猫、私の家の庭によく遊びにきていた子だわと言う。

「私がショパンのバラードを聴いていると、必ずお庭にくるのよ。そして首を傾げて音楽を聴いているの」・・・ショパン?この子が?実はこの人、普段からちょっとセレブを気取っていて、自身の日常も薔薇の花が咲くごとくに語るから、どこまで本当のことなのかわからない。普段からショパンを聴いているというのも初耳だった。

それ以上に、チリリンとショパンという組み合わせはなんともチグハグ。早速その晩、ショパンのCDをかけてみたが、ちっとも反応しない。この子、我が家にきたばかりの頃の好物は、のり弁の海苔とコンビニ弁当のから揚げ。こんなものを買ってきて食べていると目ざとくやってきて、ウェンウェンと鳴いて欲しがる(ニャアと鳴かずに、ウェンと鳴く)。

う~む、のり弁とから揚げとショパンねえ…。まあ、そんな組み合わせがあっても別に悪いわけではないけれど、ショパンというのだけはどうも怪しい。北島三郎の、は~~~るばる来たぜ、はっこだって~~~っとかなんとか、そんな歌が聞こえてくると血が騒いで、それでわざわざ道路を渡って聞きにいった、というのが真相だったりして。

ショパン流れるセレブな家の猫にはなりそこなったけれど、まあ、そこそこ好きなものを食べて、好き勝手に暮らす日々。猫なりにはセレブ…。

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写真:(上)なんだかホームレスっぽい?(左)でも、こうすればそれなりにセレブ(・・・かなあ)。


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かわいさに、なんの変わりがあるじゃなし

2007年05月31日(木)

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このごろ、動物病院に行って出会うのは純血種と思しき犬ばかり。以前のように、どういうお父さんとお母さんだとこういうワンちゃんになっちゃうんだろう、という犬をトンと見かけなくなった。だからたまに、見るからに「ザッシュ」という犬がいると、飼い主がその子を飼ったきっかけは、たぶん貰ったか拾ったか。いずれにしても、動物好きの優しい気持ちが伝わってきてほのぼの。たまたまここが田舎だからなのか、猫のほうは相変わらず白黒猫だの茶猫だの。ゴージャスな猫に出会うことは滅多にない。

『動物のお医者さん』というマンガが火付け役だったらしいが、かつて流行ったのがハスキー犬。まだ10年数年前のことだから、その残党がたくさんいてもいいはずなのに、散歩させている姿などほとんど見かけなくなった。近所の畳屋さんが飼っていた子も、そういえば、もうずいぶん前から見ていない。あの子たち、一体どこにいってしまったのだろう。

それからしばらくして今度はゴールデンレトリーバー、そしてチワワの爆発的なブーム。テレビをほとんど見ないから、世間の流行には疎いが、それでもまわりじゅうに同じ犬ばかりが溢れかえれば、それがブームだということぐらいはなんとかわかる「プチ浦島」。

知人夫婦に自称・動物好きがいて、7年ほど前にレトリーバーを飼った。最初は一頭、それは奥さんの犬ということらしく、ダンナさんが競ってもう一頭を手に入れた。競ってというのは、ゴールデンの良し悪しは毛の色だとか顔の形だとかにあるらしく、それで優劣が決まるのだとか。だからオレの犬のほうがいい犬だとかなんだとか。

飼った当初は会えばいつも犬自慢。犬の訓練学校に通ってしつけを済ませ、その利口さを誇り、散歩に行くときは夫婦お揃いの、なんとかというブランドのジャケットをはおり、ハンチング帽を被って意気揚々。メス犬の首には赤いバンダナ、オスは青いバンダナ。なるほどねえ、大きな犬2頭、こうやって飼うとそれなりにカッコいいってわけかあ。

その奥さんが、あなたも犬を飼わない?と言ってきた。我が家は猫だらけ。犬は欲しいが朝晩の散歩を考えると、とてもそんな時間的な余裕がないからお断りしたが、その話しの内容というのが聞き捨てならない。ブリーダーが繁殖用に使っていた母犬、2年だか経って(!)、もういい子が産めないから処分をすることになったのだとか。

処分されるのは自分の飼っている犬の母親、かわいそうだから引き取ってあげたいという。なんと言われても飼う気はないが、あまりにひどい話。猶予は一日しかないと脅すから、あわてて懇意にしていた動物愛護団体に連絡をして、なんとか貰い手を探し出してもらった。新しい飼い主の元に車を1時間以上も飛ばして連れていったのは、オヒトヨシのお頓馬夫婦、つまりママたち。話しを持ってきた当人は「よかったわあ」の一言。それからしばらくして、もう一頭同じような境遇になった犬がいるからこれも助けてくれと。さすがに知らんぷりを決め込んだが、この犬、実験用動物として製薬会社だかに売られたということを後で聞いた。

そんな飼い主に飼われていた2頭のレトリーバーたち、そのうちぱったりと散歩に連れ出すこともなくなり、頻繁に洗ってもらい、フサフサの毛をたなびかせていた頃などまるで嘘のよう、毛玉のできたごわごわの毛に包まれながら、狭い檻に入れられたままになってしまった。ゴールデンたちは不平不満を言うわけでもなく、おとなしく暮らしていたようだったが、それも訓練学校でのしつけの成果、騒げば怒る飼い主に抵抗しなかっただけの話し。

それから間もなくしてまずオス犬が、続いてメス犬も死んでしまった。レトリーバーの寿命は10年以上はあるらしいから、その半分、わずか6年しか生きていなかった。大きい犬に懲りたのか、ほどなくして飼いはじめたのがシーズー。洋服を着せ、トリミングに余念がない。ちょっとの買い物にも連れ歩いているが、こちらはひたすら不愉快。見せられても、かわいいわねの言葉など素直に出てくるはずがない。

たまたま、どうしようもない飼い主にぶつかっただけなのかもわからないが、それでもこのところの純血種ブーム、胡散臭い。この奥さん、いつかポロっと「血統が良くて、頭のいい犬や猫は生きる価値があるから大切にしなくちゃ」と言ったことがあって、その時には思わず、ボロだろうがなんだろうが、命あるものにはすべて生きる権利があるのよ、と言い返したが、これってまるきりヒトラー。なんなんだろう、この発想。

ムメちゃんがきてから、人間の好みに合わせて品種改良を重ねて作られたペットの、そのかわいらしさを身をもって知りはしたが、それでもボロボロの犬や猫のほうがよほど好き。どうして純血種に拘るのか、その心理だけは今もってさっぱりわからない。かわいさが同じなら高いお金を出すこともない、タダのほうがお得に決まっているし。

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写真:(上)抱きしめている時の幸せといったら・・・(左)お間抜けなミミちゃんは純白種!


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プロフィール

鈍行列車の「ちゅうちゅうとれいん」はいつも満員(ふ~っ…)!時々燃料切れを起こして更新が滞ることがありますが、どうぞ末永くおつきあいくださいネ。姉妹編の「あけみ参上つかまちゅり~」もよろしくお願い致します。

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Cast

樹里絵
樹里絵(jyurie):1998年生まれ。マイペースで世話が焼けません。性格温厚で超パパっ子。

桃之輔
桃之輔(momonosuke):1999年生まれ。甘えっ子ですが、ものすごく臆病で、ほとんど一日中、布団の中に隠れています。

亜依子
亜依子(aiko):2000年生まれ。自己主張が強くて偏屈ですが、そこがまた可愛いいんだなあ。超ママっ子です。

真美
真美(mami):2005年生まれ。外見はタヌキそのもの、性格は犬そのものです。才気煥発で気性が激しい。

美意子
美意子(miiko):2005年生まれ? 歯を見ると6、7歳…本当は何歳だろう?一日中、文句たらたら言っています。

奈々
奈々(nana):2001年生まれ。ようやくノラっぽさもなくなり、明るい陽気な子になりました。

明美 にゃ三郎 小牧
明美(akemi)にゃ三郎(nyasaburou)、小牧(komaki):2007年生まれ。仲良し3兄弟。毎日楽しそうに暮らしています。

里音
里音(satone):2009年8月保護。どんな生い立ちでどんなニャン生を過ごしてきたのか、それは謎です。未来を生きる猫!

寿々
寿々(suzu):1994年12月~2010年3月12日。パパの仕事部屋に入れた唯一の子。人の気持ちがよくわかる、とてもとても頭の良い子でした。

福太郎
福太郎(fukutarou):1997年4月~2008年3月20日。陽気で甘えっ子。抱っこされるのが大好きでした。お母さん代わりだった寿々との再会、「欣喜猫躍」していることでしょう。

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