猫は産む機械?
2007年07月20日(金)
昨日は麻生外務大臣の「アルツハイマー」発言、ついこの間は柳沢労働大臣の「女性は産む機械」発言と、次から次に飛び出す軽率な言葉の数々、許しがたいのは言うまでもないが、食するモノがいれば、それをまた食するモノがいるという食物連鎖、大衆庶民を見下しているつもりの政治家も、いまや知性退廃の象徴、「政治家」という言葉そのものが、すでに差別用語化しつつあるということに気づいていない。
「産ませる機械」の柳沢大臣以上に失礼な発言をしているのが、劣化甚だしい東京都知事の石原慎太郎。慎太郎サン、ほんとうに小説家なのかと思うほど言葉を選ぶことのできないお方。まあ、小説家といったって、「太陽の季節」なんていう猥褻本、買って大損、読んだ時間がもったいなかったと、本気で後悔したものだったけれど。
その慎太郎サン、生殖能力を失った女性が生きているのは無駄で罪、だの、男は80、90歳でも生殖能力があるが、閉経した女性は子供を生む能力もないから生きているのは地球にとって非常に悪しき弊害、だの、文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ、だのと言いたい放題。ババア発言は他人の受け売りだったと逃げたが、共感したからこその発言。
こんな都知事の下で働いていた、つまり都庁のお役人さんだった友人、ババア発言で怒り心頭、辞表を叩きつけてやめてしまった。彼女その時40代後半、とうに結婚しているが子供はいない。だから都知事の発言にいたく傷つき、許せなかったのだろう…と思いきや、彼女のライフスタイルは自らが選択したもの、だから誰に何と言われようと揺らがない。それよりなにより、こうした言葉がスラスラと口をつく品性のなさに心底嫌気がさし、そんな人物に仕えてなるものかと。
それにしても柳沢労働大臣しかり、石原都知事しかり、どうしてこうも女性が子を産むことにばかりに執着するのか、この男どもの思考回路は理解不能。労働大臣だもの、将来の労働生産の担い手がいなくなる国家への危惧は当然、と庇ったところで、ケージ飼いの鶏じゃあるまいし、毎日毎日玉子ばかり産んでなどいられるものか。
アルツハイマー発言から産む機械発言、そして石原都知事へと話がどんどん逸れてしまったが、実はこれが本日の本題ではなく、書きたかったのは猫の出産。見慣れない、サビ猫ふう三毛キジさんが、生後3ヶ月ぐらいの茶トラの子を連れて我が家の庭に遊びにきていて、またしても頭がキーンと痛くなっているという話。
数日前、二軒先のSさんがメールで「茶キジの子猫を見かけたけれど、知ってる?」と。見たことがなかったので、知らないと返事を出したその直後、この子のことですと、母さん猫が子猫を連れて挨拶にやってきた。
もう外猫は勘弁、今いるクウちゃんとロミちゃんでおしまいと思っているのに、なぜか猫という動物、次から次へと湧き出ててくる。もううんざり、嫌だ嫌だと思いながら、庭でスズメを獲ろうとしている子猫の姿の愛らしさに、つい口をついて出てしまうのがかわいい!という言葉だもの、処置なしか…。
さて、本気で困った。まだ母さん猫に甘えて、おっぱいを時々吸っているだろうから、あと一ヶ月の猶予。その後、とにかく母さん猫をなんとしてでも「捕獲」し、避妊手術に連れていかなくちゃならない。それにしても1匹しか産まないわけはなく、他の子たちはどこにいってしまったのか。
柳沢サン&慎太郎サン、猫なら次から次へとお望みどおり、いっそのこと猫を国民・都民と認めてはどうでしょう。アタマ数だけは確実に増えること間違いなしの猫算。
写真:(上)部屋の中から撮ったチビちゃん。我が家のイングリッシュガーデン(ただ手入れをしていないだけ?)でおすまし。(左)正面から。かわいい!
ニッポン、居よいか住みよいか?
2007年07月30日(月)
東京のとある教会でバッハのカンタータを演奏してきた。たまたまドイツから一時帰国していたバイオリニストも参加していて、休憩時間には、30年間生活したドイツを離れ、いよいよ日本に帰ろうかどうしようか迷っているという話になった。パートナーはドイツ人。
日本の音大を出た後、ドイツのプロのオーケストラに縁があって就職、当初2,3年で帰るつもりが、あっという間の30年。どれほど海外の生活に馴染んだ人でも、年とともに日本に帰りたくなるものらしく、ご他聞に漏れず、彼女も日本が恋しくなってきたが、帰国の決心がつかない。日本は危ないでしょう、だから・・・と。
治安のことではなく、右傾化してゆく日本への危惧。いつ有事が起きるとも限らず、決心がつかないと言う。その時居合わせた7,8人の仲間、その発言を、誰ひとりとして楽観的には受け止めず、本当にどうなるかわからないから、ドイツの家を引き払ってしまわず、日本と自由に行き来できるようにしておいたほうが良いと、それが全員一致した答え。
特に左巻き集団というわけではなく、ただただ音楽好きが集まっているだけで、政治の話をすることなど滅多になく、どちらかといえば世事に疎い連中。そんな集まりでありながら、そのうちのひとりとして、今の日本の為政者、政治、政府そして国家に信頼を寄せていないということなのか。
確かに今の右傾化、日本のファシズム形成期であった1930年代の状況とよく似ている。小泉純一郎という、論理的思考あるやなしやの前首相が、自民党をぶっ壊すと叫び、壊したほうが良いほどの政党なら、なにもいまさら支持することもなかろうにと常識的には考えるが、逆に支持層を増やしたというわけのわからない話。
国民は、ぶっ壊すという言葉の持つ、ダイナミックな「破壊」の響きに酔いしれ、権力者の首を取るでもない脆弱な「革命」を幻視、いもしない英雄、いやむしろ本来ならば首を取られるべきはずの「獅子」の吐くケムに巻かれてしまった。見事なポピュリスト。
その手練手管に乗せられてなるものかと、危機感抱いた少数の国民は、あわやのファシズム台頭に必死の抵抗を試みたが、民主主義政治は究極の多勢に無勢、その無力感だけが残る結果となった。
これを機に若者は排他主義、排外主義へと向かったが、その若者、元を質せば小泉改革の落とし子たち。「格差社会」のなれの果て、いずれ優位に立つことなどできないと気づき、せいぜい「シナ」と隣国を蔑み、かろうじてその悪しきプライドを満足させるという、虎の威ならぬ、獅子の威を借りての似非ナショナリスト。
満州侵略(満州事変)の際に石原莞爾ら、「民衆の戦争支持熱の高揚こそが、錯綜する局面打開の鍵」としたが、勝利の報に、さらなる戦争支持、排外主義へと調子づき勢いづいていった民衆。まさに同じ手法。
忘れてならないのがこれに加担したジャーナリズム。満州事変以前には「武力がオールマイティであった時代はすでに過ぎ去っている」(昭和6年8月8日付)という社説を掲げ、もっぱら軍縮を主張していた朝日新聞が、同じく10月の重役会では「国家重大事ニ処シ日本国民トシテ軍部ヲ支持シ国論ノ統一ヲ図ルハ当然ノ事ニシテ現在ノ軍部及ビ軍事行動ニ対シテハ絶対非難批判ヲ下サズ極力之ヲ支持スベキコトヲ決定」と、一転。
ラジオのコメンテーターには御用学者や御用ジャーナリストがしばしば登場し、戦争の正当性をしたり顔に語って国威発揚、精神主義を鼓吹したが、今また御用学者・御用キャスターの、テレビにこぞって顔を出し、口角泡を飛ばしながら政権擁護するのに似ている。今が「戦前」だとすれば、「戦後」には打って変わって自由主義者のふりをするであろう、卑劣な輩の台頭する時代。
国家があるかぎり、国民の永久の平和など決して保障されはしないが(この矛盾…)、「歴史は繰り返される」というのが事実だとすれば、今の日本はさしずめ休火山。危うい日本。
「国のため」に戦おうなどという殊勝さはなく、戦争をしたいのなら時の権力者と一族郎党、率先して前線に行けばいいじゃないのと、その程度。「死の商人」を太らせるため、そして、利権に群がる為政者のために命を投げ出す気など、さらさらない。
だから、いざとなったらどこかの国に移住しよう、ニュージーランドなら気候もいいかしらと考えたりもするが、問題は猫。動物の検疫には殊のほか厳しいお国柄、30日もの検疫期間、老猫に耐えられるはずがない。一家揃っての海外脱出には難題山積、だとすれば、有事なき日本での安住確保のため、せいぜい時の悪政に抵抗。
(参照文献:『戦争とジャーナリズム』茶本繁正著,1991年,三一書房)
写真:(上)戦争のある国には犬や猫の姿がないと、かつて何かの本で読んだことがある。窓辺に猫のいる風景のなんと平和なこと。(下)戦争になったら、平和の使者、ウルトラニャン!ムメモの登場に期待しよう。それにしても、どうしてこんなふうに目が光るの?
猫も欲しいワ、投票権
2007年07月31日(火)
29日は参議院選挙、午後から大荒れの天気予報だったから昼食を済ませ、早々に投票所へと車を走らせた。田舎のこと、投票所にはぽつりぽつりとしか人が現れず、さてこの分だと相当に低い投票率、開票結果も期待はずれに違いない、見れば腹も立ちそうだからと、しばらくテレビもつけずにそのまま。
実際には、期日前投票に行った人が約1000万人、それも含めると投票率は58・64%になったというからまあまあ。投票日が夏休みにズレ込んだ上に、およそ3割もの自治体が投票時間の繰上げ、どうやら投票率を下げようという魂胆がミエミエ、自民党、選挙がそれほど怖かったのか。もはやこの時点で精神的敗北、これが相撲なら気合負け、取り組みの前にすでに勝負はついていたようなもの。
ふたを開ければ民主党の圧勝、勝って僅差、案外負けるんじゃないかと思っていたから、民主党の勝利は意外な結果。国民の審判が下ったと盛んに言われているが、しかしこれ、小泉前首相に80%という、異常ほどの主体性なき支持率を示した国民だもの、またしても気まぐれ、風に流されただけなのではないかと、信用ならない。揺らぐことのない明確な判断材料をもって、自民党にNOを突きつけたのか。
それにしても安倍首相、故岸首相の怨霊でも乗り移っているのかと思えるほど、その政治的手法が酷似。ここにきての数々の強行採決、もとはと言えば岸のオハコだった。1956年には教育委員会法案の強行採決、1959年にはベトナム賠償協定の強行採決、そして1960年5月19日には、国会の会期延長と新安保(安保改訂)承認の強行採決、そのいずれにも警官隊を導入、暴力的な鎮圧行動を取りつつ、隙を縫っての強行採決だった。
安倍首相、こうした強行採決を行った結果、岸の支持率が戦後最低の12パーセントにまで落ち込んだことを知らないはずはあるまい。「あの流儀でやれば徴兵制度の復活だろうが、或いはまた戦争さえも強行採決されるのだ、と考えれば慄然とする」と語ったという野上彌生子の危機感は、安倍首相にもそっくりあてはまる。
江藤淳の「もしここでわれわれ(国民)が勝てば、日本人ははじめて自分の手で自分の運命を選びとることができるのである」という記述、今回の選挙がまさにそれ。自民党の長期腐敗政治を放置、放任してきた国民が、ようやくその愚に気づき、自ら変化を求めたということ。戦後レジームへの改革を安倍首相の手に委ねたところで、所詮戦前レジームへの回帰。ならば国民の手で、戦後レジームなるものを再構築と、そこまで思ったかどうかはわからないが、それが理想。
しかしまあ、国民の投票行動は文字通り「現金」なもの。改憲を声高に叫び続け、その前哨戦としての国民投票法案強行採決。これ、実は大変な暴挙だと思うが、それについてはさほどの危機意識はなかったのか、自民党吊るし上げにまでは至らなかった。
自分の懐に直結する年金、お金のことになって、ようやく自民党政治への批判が展開されたのだとしたら、まさに金の切れ目が縁の切れ目、芸者とダンナの世界。まあ政治もミズモノ、ご贔屓筋のおひねり(献金)で成り立っていると考えれば、それもありか。
ところで今回の選挙の争点であったはずの改憲問題はいずこやら、その行方が大いに気になるところ。民主党が野党第一党になったところで、ネオコン一派が蠢いているかぎり、油断ならない政党、そう思っていて間違いあるまい。権力監視の役割を担うはずのジャーナリズムはもはや信用ならず、だとすれば国民が監視するしかテはない。
つくづく思ったのが、猫にも選挙権を与えてくれればいいのに、ということ。我が家の猫たちの8票も「美しい国、ニャッポン」のためにぜひぜひ活かして欲しいところ。惜しむらくは文字が書けないこと、無効票だらけ。
(参考文献:『<民主>と<愛国> ─戦後日本のナショナリズムと公共性─』小熊英二著,2005年,新曜社)
写真:(上)みなさーん、投票には行きましたか?(左)寝てましたア・・・。
逃げられちゃった!
2007年09月12日(水)
千載一遇のチャンス、一匹でいることなんて滅多にない田吾作母さんが、珍しく一人でウロウロ。これは捕まえられるかもしれないと、猫おばさんの直感、物置からケージを運び出し、扉に仕掛けを施して中にごはんを置き、物陰から見張っていた。
母さん、しばらくじっと様子を窺ったまま、なかなか入ろうとしなかったが、空腹には勝てなかったらしく、ソロソロと用心深く中に入ってゆく。しっぽの先まで入った瞬間、それっ!と入り口の扉をガチャン。
捕獲大成功と思いきや…ケージを置いた場所がうっかりレンガの上、ぐらぐらとしていたから扉がしっかりしまらない。猛烈な勢いで暴れまくり、体当りされ、その勢いで扉が開き、まんまと逃げられてしまった。一生の不覚。
あんな怖い思いをしたのだもの、ケージには二度と近寄らないかもしれない。となると、今後の成功率は絶望的。獣医さんには予め、捕まえたら連れていきますと連絡をしてあって、その時に「捕獲器をお貸ししましょうか」と言われたのを、自信たっぷりに「いえ大丈夫です」と。今度ばかりは借りてこようか。
逃がしちゃったとクヨクヨ、全身の力も抜けんばかりにがっかりしていると、今日は、よほど動物が逃げる日らしく、安倍首相退陣のニュース。参院選の負け犬、ついに総理大臣の椅子を蹴飛ばして逃げ出そうというわけか。
国会動物園からは、ついこの間も防衛省の渡り鳥が逃げたばかり。ノラ猫さんが逃げるのは無理からぬことだけれど、国政をあずかるこの人たちの敵前逃亡って、どう考えても無責任じゃない?
写真:(上)敵は頭上。逃げるに逃げられずミイちゃんは固まったまま。(左)動物愛護協会から教わった仕掛けをしたケージ。仕掛けがわからないよう、写真の範囲は小さくしてあります。
たかが猫、されど猫
2007年11月18日(日)
今朝の朝日新聞に「異文化はじく日本 変えて」と題する記事があった。日本人と結婚した米国人女性の長女が、在住する群馬県の小学校でいじめにあったという話し。この女性、ミックメーヒル・カイランさんは、こうした体験を「負」のままに終わらせることなく、多言語学校の運営という活動へ精力的に転化させていったのだからすごい。
そのカイランさんが訴えるのは「多文化共生」の思想。違いを言い募って衝突するのではなく、違いを認め合える人間を育てなければならないということ。日本の学校では、決められた細かいルールを少しでも犯せばたちまちいじめの対象になるが、それは異邦人をはじき出す日本の文化と繋がっているのではないかと。
隣国の人々を侮蔑的な呼称で差別化していた日本など、遠い昔の話のようだが、グローバリゼーションだのなんだのと、そんな言葉が頻繁に語られるようになった昨今にあっても、なお異邦人を受け入れる成熟した社会には至っていないということか。
日本人の異文化、異質なものへのアレルギー、排除の思想。カイランさん言うところの、異邦人をはじきだす日本の文化の根源は、いったいどこにあるのだろう。ちょっとお堅い話しになるけれど、考えてみたいと思う。
地域社会における強固な社会結合の心理的因子は、日本が「国家」としての組織を有していなかった徳川時代の社会的集成の要素で、これが後々の日本民族の片鱗となっている。
村単位で租税・夫役が割当てられていたため、政治上の要求あるいは納税の締め付けに対し、村全体が一つにまとまり、団結していかなければならなかった。ここでは厳しい連帯が求められ、必然、村は強固な地域共同体(現在なら「自治会」といったところ)を構成することによって、離反者を出さないシステムを作り出す必要があった。
明治時代になっても、村落および村落を成立させていた地縁もしくは血縁による共同体は、住民に対し、共通のものを与えることによって可能となる共同性を軸として存在していたため、共同体に組した住民は簡単にその連帯を解くことなどできない。
そこでは個人の行動に対し、論理をとおして「ことあげ」することは、「牧歌的な平和の破壊を意味する」としてタブー視され、その結果、個の責任においての行動や意識が排除・抑圧されるという、日本固有の自治体が創出されていった。「個人」が集積した「集団」ではなく、あくまでも「集団」の中に「個人」が析出されるという、家父長制度の延長の中での組織だ。
太平洋戦争期には官製の御用機関として、町内会・自治会が大政翼賛の強力な後ろ盾となり、戦争への協力体制をより強固なものとしたが、それは、「個」を喪失した集団が作り上げた、偏狭なナショナリズムのなせるワザでもあった。組織の中から異質なものを排除しようとする共同体の有機的なネットワークを、国家は実に巧みに利用したわけだ。
こうしたDNAを綿々と引きずるがゆえに、日本人は今なお、異質なものを認める社会を形成することができないでいるのか。もちろん、異質なものを認められないのは日本人だけではない。「人」という種は、異種に対して寛容になれない動物なのかも知れない。
なんだか大仰な物言い、猫の話しとは関係がないじゃないか・・・って?いえ、外猫、地域猫の問題は、異質なものをどう受け入れるかという「人の問題」でもあって、さらに言えば、猫問題にどう対処するかということは、否がおうにも組み込まれてしまっている社会、あるいは地域という組織の中にあって、いかに「個」を貫くかという問題とも繋がっている。
ちっぽけな猫の問題が、時として自治会という組織を通して「集団」を生み出し、猫の排除、さらには猫の保護に奔走する人までも排斥しようとする、歪んだ地域社会を作り出す可能性だってあるのだ。
日本の社会が異質なものを排除しようとした時、そこに考えも及ばないような残虐性を帯びる可能性があることは、歴史的に見ても否定できない。さらに厄介なことは、それが「集団」によってなされるということ、すなわち、あたかも大多数の民意であるかのように行われることだ。
地域社会とはいったい何なのか、異質なものを排除しようとする心理はいったいどこから生まれるのか。ここ数日の外猫騒動、そして今日の新聞を読んで改めて考えてみたものの、どうやら根は深そう。多様性が認められる社会の到来はいつになるのか。
写真:(上)内容とは関係ありませんが・・・サビちゃんは子猫ストレスなのか、ここ数日お腹がユルくなっています。普段の倍も可愛がってあげているのに!(左)なにがあろうと3団子。
リカちゃん教授のイヌネコ論
2008年02月10日(日)
ああ損した。本の著者は香山リカ。もともとこの方の本の評判が芳しくないことは知っていたけれど、『イヌネコにしか心を開けない人たち』という本の題名についつい惹かれ、720円という大枚をはたいてしまった。常日頃、11匹もの猫を飼うなんて病的かもしれない、心理の奥底に、実は重大な病理が潜んでいるのかもしれないと思っていた弱味につけこまれてしまった。
これほどに根拠のない、論点の定まらない、結論のない本を書いた人物の肩書きが大学教授。この方、研究者としての正道を歩まれたふうはなく、あの容姿と、リカちゃんという名前がマスコミ受けして、いつのまにか教授職まで得てしまった感じ。話題性で学生を惹きつけることが目的だったのか、大学も罪なことをするものだ。大学で学ぶ最大の目的は、論理的思考を育成することにあると思っているが、この教授から何を学ぶ?
この本の内容にイチャモンをつけようと思えばキリがないが、その中のいくつかを。まず「動物愛護活動をする人」の中の「多く」は、「人間より動物が大事」という考えにとりつかれていると書かれていて、思わず、へえーっと。その論拠として、オランダの極右党党首ピム・フォルタイン氏を暗殺した人物が、動物愛護、環境保護に熱心に取り組んでいる活動家だったという例をあげている。
リカ教授いわく、暗殺者に、「動物は救うべきだが、フォルタインは死ぬべき」という価値観があったのは、「確か」なんだそうだ。挙句、「このように動物愛護活動は人間への嫌悪や敵意と表裏一体となる危険性がある」という極論を導き出す。フォルタインの、当時のオランダでの複雑な政治的立ち位置を思えば、暗殺者がエコロジストであり、それゆえにフォルタインを暗殺したといわんばかりの結論には疑問を呈さざるをえない。分析があまりに大雑把すぎる。
すべての事象について調査を行い、その結果から丁寧に分析したことなんて、この本には何一つ書かれていないが、動物愛護団体にはトラブルが多いという話もそのひとつ。動物愛護活動をしている人たちには2種類あって、ひとつは精神的に余力があって活動している人たち、もうひとつは、人間社会で傷ついた心の穴を活動で満たそうとする人たちなのだそうだ。「心に余裕がないからこそ動物愛護の活動に」という後者の場合、心に穴の開いた人、傷ついた人が集まって保護活動を行っているから、団体の中で人間関係のトラブルが起きることは十分に予想できるのだという。
同じ日に買った、アンソニー・ストーの『天才はいかにうつをてなずけたか』(求龍堂)で、ストーはその前書きに、「満足な人生を送っている人は想像力を働かせることはなく、不満をもつ人こそよく想像力を働かせると言える。想像力を生む内面的な活力は満たされることのない願望であり、どんな単純な想像力であれ、それは現実に対する不満を実現すべき願望に置き換えたものである」というフロイトの言葉を紹介している。
フロイトの言葉をそっくりそのまま受け止めるなら、心に穴の開いた人、傷ついた人が集まってこそ の保護活動。不満を実現すべき願望に置き換えようとする人々の間で、譲れない、譲りたくないという理想がぶつかりあえば、齟齬が生じるのも不思議ではない。それよりなにより、人間関係のトラブルは心の余裕云々ではなく、むしろ組織としての理念の低さ、あるいはリーダーの統率力の欠如によるものとしたほうがよほど自然のように思うし、人が2人集まれば争いが起きる、というのも世の常。
傑作なのが、熱狂的なイヌ・ネコ好きの多くは子どもがゼロかひとり。子ども三人以上には、何よりもイヌ、ネコという人はほどんどいないという話。これも周囲を見渡せば…程度のことからの推測らしいが、少子化の一因には、イヌ、ネコの溺愛があるんじゃないかと。つまり、イヌ、ネコには「脱性愛化」を促進する力が強く、セックスレスを引き起こし、少子化に至るのだと言う。「脱性愛化」だなんて、精神科医の面目躍如たる分析だが、巷のおばさまの井戸端会議でも、下卑た笑いと共にこんな結論が出そう。
この方、精神科医という専門家の立場で活躍をされているのだろうが、往々にして、このレヴェルの人物が今の日本の「知識人」「文化人」として持ち上げられている。そんな人たちのコメントが嬉々としてテレビからたれ流され、そうだそうだと同調する国に未来なんてあるはずがない。太平洋戦争期の戦前、戦中にも同じような現象があり、それが戦争を肯定、激化させたのが論より証拠。って、ちと脱線。
写真:(上)あけみは、イヌだろうがネコだろうが人間だろうがお構いなく心を開く。「自己愛的」なことこの上ない性格の持ち主だけれど。(下)ミミちゃんはヒトにしか心を開けないネコ。
公約という名の口約束
2008年02月16日(土)
大阪府民の選択の誤り、というだけで済ませられる問題ではあるまい。橋下徹氏、大阪府知事就任後の公約破棄(まあご本人は「原則」と言ったのだとか、「机上の空論だった」とか、わけのわからない大義名分をつけているが)には目を覆うばかりだ。そもそも橋下徹なる人物のことは一切知らず、「タレント候補」として大阪府知事に立候補したことで、やっとその名前と顔を知った程度。
つい最近になって、you tubeで件のNHKの「遅刻」騒動がupされていて、そこで橋下氏の動いている姿を初めて見たが、へえ、こんな「おにいちゃん」だったのか。食いつきそうな目つきをした人が嫌いだから、個人的にはまったく好きになれないけれど、まあ見た目はスマートだし、弁護士という仕事も世間的にはそれなりに魅力的。
この橋下氏なる御仁の言動を見るにつけ聞くにつけ、自分が大阪府民だったら、我が身を任せようなんてこれっぽっちも思わない。どこか石原都知事に共通する傲慢さが感じられるし、傲慢なだけならまだしも(でもないが)、両人ともその傲慢さに許しがたい弱者蔑視が漂う。
テレビがうまく作り出した偶像、そこにさらなる幻想を重ねての大阪府民の選択だったのか、それとも、本気でこの人なら大阪の未来が託せるとでも思ったのか。あの小泉前首相のカイカク劇場のからくりとその顛末をすでに知っていながら、それでも同じ手口に騙されるというあたり、大阪人は余程ヒトがいいのか。
大阪ばかりじゃない、そもそも日本人、すべてを水に流すのが得意なのかもしれない。というか、まあええやんか精神の蔓延。それが証拠に、東京都だって石原都知事の三選を許しているし、宮崎県は没落寸前のお笑いタレントの、政治家へのリクルートに温かく手を差し伸べた。岩国市も「補助金、やんねえ」という政府の汚い手口に、市民は良識を封じてしまった。
橋下氏の場合、大阪府知事就任以前の発言の数々を見れば、この人がどういう思想の持ち主なのかよくわかろうというもの。公約なんて守るはずがないことは目に見えていた。何を言ったか、何を撤回したのかはWikipediaあたりにも書かれているのであえて書かないが、公約の重みを自覚していない。
嘆かわしいのは、それをマスコミが叩かないこと。小泉前首相も「国債30兆円枠を守る」という公約を破り、「この程度の公約を守れなかったことは大したことではない」と、平然とした顔で強弁していたっけ。それでもなお小泉氏を持ち上げていたのは取りもなおさずマスコミ、それに踊らされていたのは国民だった。一国の首相でこの発言、それが許されるのだから、大阪府知事の公約破棄なんてチョロイもの。
大阪府知事の問題は大阪の問題、高見の見物だなんて言っているブログもあるが、そうではあるまい。じわりじわりと、日本全国にこうした知事が選ばれていくところに怖さがある。鳴り物入りの知事が、絶大な人気を誇りつつ日本列島を北上しているのだから、都道府県がお手てつないで強権国家の後ろ盾になる日もそう遠くはあるまい。騙されたと思った時にはすでに戦地、「おっかさーん!あの一票が命取り」。
選挙が、もはやどんな政策を実現しようとしているのか、その政治家の思想信条を問うことなく、人気投票に化してしまったこの現実。橋下氏に気をよくした自民党。次回の選挙では、大量のタレントを担ぎ出してくるという噂もある。民主主義というより、これはもう民痴主義。
写真:(上)我が家の人気投票一位は父・・・。(下)サビちゃんだけは絶対に母。
長寿がメデタクない国
2008年04月21日(月)
悪評高き「後期高齢者医療制度」(「長寿医療制度」)。これが自民党の悪行の為せるワザとようやく気づき、政権交代が必要だとかなんとか、民衆の怒りも頂点に達し、こぞって福田政権を非難し始めた。でも、元を質せばこの制度の産みの親は2年前の小泉政権。数にモノ言わせてのゴリ押しで通った制度じゃなかったっけ?
小泉前首相っていうのは血も涙もない悪代官だったとつくづく思うが、でもまあそれなりに正直ではあった。それが証拠に「ワタシのカイカクは痛みを伴う」ってはっきり公言していて、それでもいいよね、賛成してくれるよねとずいぶん念を押していた。冗談じゃないと憤っていた人たちは、当時わずか20パーセントほど。
何度も何度も念を押されたのに、まさか自分が痛みを負う当人だなんて思ってもいなかったらしく、一番痛みを負わされる層が、こぞって小泉劇場に木戸銭を払い、幕の内弁当ならぬ日の丸弁当をつつきながらやんやの喝采、小泉政権を盛り上げていた。実際に斬られてみなくちゃ痛みを感じない国民を育てたなんて、小泉氏の提唱する「鈍感力」普及政策も見事に成功。
これだけ足蹴にされながら、時事通信社の4月の世論調査によれば、首相にふさわしい政治家は「自民党の小泉純一郎元首相」だという。21.2%で断然トップと聞いて空いた口はそのまんま。日本国民というのは、ほんとうに「塀の中の懲りない面々」。牢獄に入れられても入れられても、シャバに戻れば悪代官に一票を投じる。臭いメシがよほど好きらしい。
イラクの自衛隊派遣は(当然のことながら)違憲とされたが、これとて当事者は小泉氏。国会で非戦闘地域について質問されれば、「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域」という詭弁を弄し、党首討論でイラク国内の非戦闘地域について聞かれれば、「イラク国内の地名とかを把握しているわけではない。 どこが非戦闘地域かと聞かれても分かるわけがない」と発言。一国の首相のこれほどに無責任な発言を、小泉さんってわかりやすーいとかなんとか。日本の政治の吉本興業化はこの頃から。
色川大吉氏は『ある昭和史』(中央公論社)の中で1944年を振り返り、こう記す。「『私は』といえば、依然としてこの時代の巨大な国民的思考の枠組─共同幻想の錯誤から離れることができず、憤りながら、もがきながらも、愚衆の中の一人として、この『不義』の戦争の破局まで全力で尽くし続けることになる」と。色川氏の戦後の深い内省の言葉。
痛みを分かちあう「共同幻想の錯誤」よ再びか。冗談じゃない、痩せたライオンにとって食われるぐらいなら、うちの猫たちのためにミンチにされ、エサになってあげたほうがよほどまし。あら、後期高齢者医療制度について書こうと思ったのにブレた?いつのまにかブレないのが売りだった悪代官のことばかり・・・。
写真:(上)今年14歳のチリリン。後期高齢猫まであと1年だけれどまだまだ若いつもり。(下)最近「悪代官化」しているムメモ。ボスだったフクの後を引き継ぎ、他の猫たちに采配を振るいはじめた。
正義という名の横暴
2008年04月26日(土)
「山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審の判決公判が22日、広島高裁で開かれ、同裁判所は殺人と強姦致死などの罪に問われた当時18歳の元少年(27)に死刑を言い渡した。」(4月22日 AFP)
事件の凄惨さについては筆舌尽くし難く、被害に会われた母子の無念の気持ち、ご家族やご親族の心痛を思うと、胸が張り裂けそうになる。犯行におよんだ(元)少年に対しては、いかなる理由があろうと情状酌量の余地などあるものかと、心情的にはそう思う。罪の償いのために、最も重い罰を受けるべきだと。
けれど、この判決に言及しているブログのほとんどが(膨大なブログの中の、僅かなブログにしか過ぎないのだが)、死刑だ!そら見ろ、死刑だと、鬼の首を取ったような書き方をしていることに対しては、強い違和感を感じざるをえない。死刑判決の下った被告に対し、民衆がこぞって石礫を投げる光景は異様だ。
26枚の一般傍聴券に3886人が詰めかけたというが、傍聴券に群がった人々の目的は、ほんとうのところなんだったのだろう。法の専門家は除外するとして、傍聴を望む一般市民の興味は、事件当時18歳未満だった被告が、2審の無期懲役判決の差し戻しによって、27歳となった今、死刑求刑を受けるのかどうかという法的な興味からだったのか。
経緯に詳しくないが、某番組で橋下現大阪府知事が、光市母子殺人事件弁護団(橋下氏言うところのカルト弁護士たち)に対し懲戒請求を出そうと呼びかけ、多くの一般市民がそれに応じたそうだが、その延長線上のことだったのか。
死刑制度については、未だ多くの問題が山積している。そもそも死刑とは何なのか、国民の生命に手をかけることが許される「国家」のシステムとは一体どういうものなのか、あるいは「報復」という極めて抽象的な概念をどう解釈するのか。
高橋哲哉氏は『戦後責任論』(講談社学術文庫)の中で、ハンナ・アーレントがアイヒマンの死刑を支持したことについて、「アーレントが『ユダヤ人を殺したナチは生きる権利をもたない』といって死刑を支持するとき、そこに『世界に誰が住み誰が住んではならないかを決定する権利があるかのように人を殺す』という、アーレントが拒否したはずの全体主義の論理がある形で反復されているように感じる」と記す。アーレントの思考をもってしても、死刑は矛盾の中に押しやられてしまうということか。
死刑を当然のこととする民衆の、けれど誰一人として囚人の首に縄をかけるわけでもなく、自ら処刑台のボタンを押すでもなく、処刑された囚人の遺体に接するでもない。実にあっけらかんとした、他者意識の中で死刑は肯定される。死刑がこれほど安易に語られる理由はそこにあるのか。
さらに気にかかるのは、「正義」を前提とした死刑肯定の意見に対しては、いかなる反論も許されそうにないこと。そんな雰囲気が蔓延する時代は極めて危険だ。毎日新聞(4月24日・夕刊)に、編集委員の金子秀敏氏による「人民による言論封殺」と題するコラムが掲載されていた。チベット暴動に対し、中国政府のみならず、中国の一般市民の間でさまざまな言論封殺が始まっているという。「人民の人民による言論封殺」への警戒感を示す記事だった。
日本もまた、同様の兆候を見せはじめてはいまいか。KY(空気が読めない)な人を揶揄する人々は、すべてに同一性を求める。「正義」という印籠を見せつけられれば、すべての人々はその「正義」にひれ伏し、肯定しなければればならない。それに異を唱えることを許さない空気が国中に蔓延した時、どんなことが起こるのか、起こったのか、日本人はすでに経験したはずではないか。
光市母子殺人事件も心情とは別に、あらゆる角度から冷静に、犯罪を、そして判決を読み解く必要があるのではないか。決して煽るなかれ、そして煽られるなかれ…。
写真:(上)猫草に群がっても、この子たちの考えていることはてんでんばらばら。(下)かつおの生利をくれたって、あたしはあたしヨ。
猫も杓子も首相候補
2008年05月25日(日)
支持率20パーセント台を割りそうなほど(もう割った?)、人気が低迷している福田首相。辞めるつもりなどないだろうと個人的には思っているけれど、巷間喧しく語られるようになったのが、誰が次の首相になるかということ。昨日の朝日新聞にも、次期首相と目される人物について触れている記事があった。
で、なになに、町村信孝に中川秀直に小池百合子だと~っ!日本人やめますか?と思わず自分に問いかけてしまいたくなる面子。他のメディアでは、この他に麻生太郎や与謝野馨の名前を散見するが、どうひっくり返してみても好みのオトコがいない…違う…首相の器たる人物がいない。
どうしてこの人たちが担ぎ出されるのか、まったくもって不可解だけれど、中川秀直を除けば(個人的見解)、衆人受けしそうな「雰囲気」を持っているからなのか。今の政治に必要なのは政策よりもルックス、そして嘘八百を口にできる山師の気質だっけ。
猪口才な選挙管理内閣を作って人気を盛り返し、政権交代を避けようと企んでいることなど、誰の目にも明らかだけれど、それにしてもこの人たちの口から、国をどうしたいのか、国民の生活をどう保障してゆくのかという政策ビジョンを、一度たりともまともに聞いたことなどありはしない。
長か半かと博打場で、いかさまサイコロ転がして国政を動かしてきた政権が大勝する国だもの、まっとうな政策論議なんざウザくて仕方がない。それよりアキバに行って、オタクのふりをしたほうがよほど票につながる。
そういえば1986年の衆参同時選挙選で、「大型間接税は導入いたしません。この顔が嘘をつく顔に見えますか」と大見得を切り、圧倒的多数を得たことをいいことに消費税導入のレールを敷いた嘘つき政治家がいたけれど、あのお方も自民党だったっけ。
中川秀直は出版した本の中で自ら女性問題を暴露し、禊を済ませての総裁選出馬だと言わんばかりの新聞の論調だったけれど、「何考えてんのよ」とその字面に悪態。
中川の女性問題は単なるオトコとオンナの問題ではなかったはず。中川に支払われたとされる機密費2億2千万円はどこに行ったのか。素人さんには怖くて立ち入れないけれど、これだけのスキャンダルでも政治生命が絶たれないという悠長なお国柄…どころか首相候補。
町村信孝は後期高齢者医療制度の抜本的な見直し不要論者、75歳まで生きるつもりはないらしい。あとは、寿司を背負った渡り鳥と漫画太郎と君死にたもうことなかれ主義の与謝野かァ…日本、しっかりせいや!
不毛の首相候補記事にウンザリしていたら、ここにきて一院制の導入などという突飛な話。森、小泉、安倍元首相が顧問といえばその目論みはミエミエで、自民党の一党独裁延命のための「暴案」。国会審議の迅速化のためだと言うが、今だって民意を無視し、数にもの言わせての強行採決、十分に迅速化しているじゃない。
政権が変わったところで、日本が真に変われるのかどうかはまったくもってわからないし、期待もそこそこ。けれど今のままでいいはずはない。国会議事堂内部は、1955年以来実に50年以上にわたって(ほぼ)政権を握り続けてきた自民党の腐臭が蔓延し、縄張り争いのマーキング跡で染みだらけの赤いじゅうたんからは、強烈なアンモニア臭。
「有権者、一人一瓶消臭剤」が総選挙の際の合言葉。
写真:(上)舌を出したくなるよな政治だわねえ、ほんと。(下)烏合の衆ならぬ、猫合の衆。民主主義の怖さは有無を言わせぬ多勢の勝利。・・・それにしてもいっぱいいるなあ、猫。
虎視眈々
2008年06月08日(日)
(とんでも首相候補の)中川秀直氏が民主党の前原誠司副代表らとともに、たばこ税率の大幅引き上げを目指す超党派議連を発足させるそうだ。超党派というけれど、前原氏のどこが民主党なのか普段から理解不能、誰がどうみたって隠れ自民党、だから「超党」とは名ばかりだと思うのだけれど、まあその問題は脇に置いておくとして。
そもそもの発端は、日本船舶振興会(通称・日本財団)会長の笹川陽平氏による産経新聞『正論』(3月4日付)での提案。国家の財政赤字が800兆円(「日本の借金時計」によれば、今日の段階で赤字額は約897兆円)まで膨らんでいることの打開策として、消費税の増税よりタバコ一箱を1000円にしてはどうかという話。
消費税を引き上げればそれによって見込まれる税収増は約2兆4000億円。一方、たばこを欧米並みの1箱1000円に値上げすればその税収増は9兆5000億円。消費税よりも俄然効率がいいし、これを契機に禁煙者も増えるから健康にもいい。得た財源を社会保障関連の財源として活用すればいいという論の展開。
笹川氏は超党派の国会議員で作る「禁煙推進議員連盟」(綿貫民輔会長)のメンバーに文書で協力を依頼したそうだ。「国会が主導して国民によく見える議論を進めれば、国会に対する信頼回復にもつながると確信する」と笹川氏は結ぶ(日本財団会長 笹川陽平ブログ)。
はて…あたかも国民の意見を代表したかのような口ぶりだが、ロックフェラー財団でもあるまいに、この御仁に政治を動かすほどの発言力などあったかしら?いつ国民がそんな要望を託したのか?もとより公益法人の会長にそんな権限などあろうはずはなく、むしろあってはならない話だと思うのだけれど。
我が家はタバコが大の苦手だが、今回のタバコの値上げについてはまったく賛同できない。なによりも疑問視しているのは、一財団の会長の発言で、なぜ政治家がこうも簡単に動くのかということ。きわめて重大な税の問題が、民意もへったくれもありゃァしない、いっちょやったりましょう程度の相槌でコトが運んでいるという苛立たしさ。
中川氏がタバコ税に関して積極的に動く背景に、日本船舶振興会との絡みがあることは明白。健康のためだと言うのなら、へビースモーカー氏が動くのは不自然だし、消費税問題の解決だと言うにしては、禁煙者が増加することで激減するだろうタバコの売り上げ、それでもなお消費税に見合う税収が見込めるのかどうかといった試算も厳密には示されていないというズサンさ。
想像の範囲を超えないことを言うのは論理的ではないし、批判としても適切ではないが、中川氏の背景にどんな利権が絡んでいるのかしら、そして誰が高笑いするのかしらと、この話題を目にするたびに、まるで推理小説を読んでいるような心境になってくる。タバコの煙の中に隠れて見えない・・・という歌があったけれど、タバコを使って見せたくないものをケムに巻くという手もあったか。
「タバコを吸う人がいなくなるから賛成」などというブログやコメントを目にするが、コトの本質はもっと深いところにあるはず。今や(いや、昔から)政治家のやることの裏には必ず何かがあると疑ってかかったほうがいい。政治家の「嘘」を信じて最後に苦しむのは庶民だということを、常に肝に銘じておいたほうがいい。
財務省が消費税のアップを虎視眈々と狙っていると笹川氏は語るが、消費税upを牽制するなどという中川氏の弁も単なる甘言、信じるのは蟻ぐらいなもの。タバコの税収が頭打ちになった時、ゾウに踏み潰されるのがオチ。
写真:(上)おんどりゃ~っ!(特に意味はありません)(左):増税?見ないふりの狸寝入り。
ネコニナリタイ
2008年07月22日(火)
今日22日は「大暑」。あちらこちらの地域で最高気温が35度以上の真夏日になった。普段は賑やかな我が家の猫たちも無言のまま、あちこちの床にゴロゴロと転がっている。
許されるものなら、私も猫と一緒に一日中転がっていたいのだけれど、不幸にも人間に生まれてしまったから、こんな日も働かなくちゃならない。
福田首相は夏休みを終えて今日から公務再開。で、注目を集めているのが内閣改造。昼のニュースによれば、伊吹幹事長が「福田首相の支持率アップのためにも内閣改造が必要だ」と語ったとかなんとか。人事権の行使より解散権の行使だろうという突っ込みを入れたくなったが、まあそれはさておき。
ちょっと伊吹幹事長さま、あなた、16日の京都市での講演で、消費税率引き上げについて触れ、消費税を上げてから選挙をすれば大変なことになるから、総選挙前に実施すべきではない。選挙に勝とうと思うなら、有権者に一種の『目くらまし』をしなければしょうがない、と言ったそうじゃありませんか。
「いい意味での目くらましとパフォーマンスを首相にお願いしながら難局を切り抜けていきたい」という伊吹幹事長の提案する内閣改造、称して「目くらまし内閣」かア。目玉はサラダオイルで作った偽イクラののった寿司とか?夏を前にしてすでにしなびた青菜状態だった国政、秋には腐ってドロドロね…。
アッヂ~!
水分を真剣に補給して脱水症状を防ぎましょう。
国民的人気って?
2008年08月03日(日)
『めくらまし内閣』あっ…いや『安心実現内閣』の船出。目玉は、時期総理候補と言われている麻生太郎氏を幹事長に抜擢したことらしいが、麻生さんを評して、どの新聞も「国民的人気」という言葉を接頭語に用いていて、その暑っ苦しいこと。
「国民的」っていったい何のことかと、ただでさえ回らない頭、この暑さでほとんど回路がぶっちぎれているこの頭で考えてみたが、回答は出ず。国民って・・・一応私も国民だもんなあ。そんな矢先、政治ブログ『とむ丸の夢』さんでも同じようなことが話題になっていた。
「解せないのが、「国民的人気」という言葉が麻生太郎氏の枕詞になっていること。アベ首相登場の時にも盛んにそう喧伝されて首をひねったものなのですが、考えてみれば国民の大多数がこぞって一政党人にすぎない人物をもろ手を挙げて支持するということ自体、おかしい、というより気味が悪い。それを考えると、「国民的人気」という言葉は質の悪い表現だな、と思ってしまう。」(2008.08.02『とむ丸の夢』から引用)
ほんとうにそのとおり。コイズミ元首相の時も、権力に対峙すべきジャーナリズムが、こぞってコイズミ氏を「国民的人気」があるかのように言い立て、結果として国民の判断を誤らせた。最近ではちょっと小粒だが橋下大阪府知事。
彼らのやり口は、揃いも揃って「敵」を作り、その敵があたかも国民の敵そのものであるかのように喧伝して、自らの政策の正当性を強調しようとするやり方。しかし彼らが名指し糾弾する「敵」は、本質的な政策の変革からはおよそ遠く、その影で、さまざまな利権・腐敗(これこそが強力な敵のはずなのに)が温存され続けているというのが真相。
朝日新聞はここ数日橋下氏の特集を組んでいたが、およそ好意的。私の登録している某メーリングリストでは「文化・福祉予算への大鉈で、最近、何かとマスコミを騒がせている大阪の「緊縮財政」。いったい、このままで良いのか?大阪の文化を何とかしたいという思いを持っているメンバーが集まります。是非、応援に駆けつけてください。」という、文化を切り捨てる橋下氏、それを是とする府民への危機感を持った人たちが、切実な思いを発信し、行動を起こそうと呼びかけているというのに。
いいかげんにせんかい、マスコミ!(と思わず言いたくなるよなあ・・・)。「国民的人気」という言葉は、ヒトラーのような極悪非道の悪党を生み出す装置のひとつ。それがどういう結果をもたらすかについては、いまさら言うまでもあるまい。「国民こぞって」、「国民が一丸となって」…この言葉がどれほど危険なものか、もう一度歴史を紐解いてみてはどうか。
写真:(上)竹やぶ三兄弟は、いつも「一丸」となって破壊行動をする・・・。(下)サビちゃんはこの暑さでも平然と過ごすクールな猫。
「失言」の根っこにあるもの
2008年08月05日(火)
「国民的人気」を誇る麻生太郎氏が幹事長就任早々の失言、民主党をナチスに例えて批判した。軽率な発言はこれが初めてというわけではないから、今更という感がしなくもないが、看過できない発言。江田五月参院議長と国会内で会い、就任あいさつをした際、「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と述べたのだとか。
後になって、民主党とナチスを重ね合わせる意図はなかったと強調しているが、誰がどう聞いたって、麻生氏の頭の中ではナチス=民主党。もともと失言癖のあるこの方のことだから、総理の座を狙って幹事長の椅子に座ったところで、自ら墓穴を掘って失墜するに違いないと思っていたが、まんざらハズレでもなさそう。
麻生氏の失言の中でももっとも許しがたく、この人物がいかに次期総理としてふさわしくないかを如実に示すもののひとつが野中広務氏批判。野中氏について、麻生氏はある会合のなかで「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と語っていて、これなんぞ言語道断。(『野中広務 差別と権力』魚住 昭著 )
麻生氏の口から、なぜこうも許しがたい差別発言が次から次に飛び出すのだろうかと頭をひねり、ふと思い浮かんだのが彼の「出自」。この方、「麻生セメント」の御曹司でしたっけね。戦前の炭鉱と言えば…そう思って、ちょこっとWikiってみたらやっぱり。
太郎氏の父親である麻生太賀吉の経営していた「麻生炭鉱」は、戦前、劣悪な労働環境の元で朝鮮人炭鉱労働者・被差別部落民を使っている。アコギにもこの麻生炭鉱、他の炭鉱の2分の1ほどの給与で労働者を雇用していたそうだが、さらに朝鮮人労働者に対しては休日を与えず、給与の2割をカットしていたという。(「強制連行」の戦後処理は未解決のまま今日に至っているが、麻生氏も当事者ってことね?)
こうした環境の中で育っているのだもの、朝鮮人や被差別部落民に対し、強い差別意識があって当然といえば当然のことかもしれない。が、弱き者たちから不当に搾取して得た巨万の富の中で、それを当然のこととして受け入れてしまうのかどうかは、あくまでも本人の意識の問題であり、人間性の問題。この環境なればこそ、差別に対し強い憎悪を持つことだって十分にありうるのだから。
こんな人物に日本を託していいのか?彼が総理になったとして、おそらく一番に切り捨てられてしまうに違いない「層」(層という言葉が嫌いなので、あくまでもカッコつき)がこぞって彼を応援しているのだとしたら、まさにマンガ。マンガ宰相によるマンガ国家の成立…じゃなくて崩壊。
写真:(上)竹やぶでノラちゃんの子として生まれましたが、ナニカ?(左)たぶんブリーダーが「血統書つき」で売るはずでしたが、ナニカ?
これが福祉政策?
2008年08月09日(土)
本日、特別養護老人ホームの評議員会に出席。母がデイサービスとショートステイでお世話になっていた特別養護老人ホームから「評議員」なるものの依頼を受けて7年。その間、国の社会福祉政策は弱者軽視の傾向を強めていったが、今日の報告を聞いて…アララ。それなりの経営をしてきた施設が遂に経営悪化の兆しを見せ始めた。
毎年2,200億円にもおよぶ社会保障費削減を主唱するこの国、これから先、本気で高齢者や弱者を切り捨ててゆくつもりだから、経営困難の窮状を国に訴えたところで手を差し伸べてくれるはずなどなく、新自由主義万歳の「自助努力」、なんとかして乗り切る手立てを考えなければならない。(年間約5兆円にもおよぶ日本の防衛費を思えば、2200億円ぐらいどうにかなるだろうに。削るところが違うよなあ…)
そこでこの施設、退職した福祉職員の補充をしないという方針を打ち立てた。つまり人件費の削減。それでも当初は職員の補充をするつもりでいたらしいが、入職希望者もなく、離職者の後釜がなかなか見つからない。その間、今の人数でもなんとか仕事はまわりそうだということになって、求人を取りやめてしまったという。人数が減ればそれだけ労働条件は悪化する。賢い選択とは思えないが、「背に腹…」というところか。
施設の介護職員の離職率は高く、評議員会は数ヶ月ごとに開かれるが、そのたびに数名の離職者の報告を受ける。ほとんどが3年未満、短ければ1年にも満たない期間で人が入れ替わってしまう。この施設の場合、理念は高いし経営陣の姿勢にも問題があるとは思えず、考えられるのは、重労働に比して支払われる対価が極めて少ないというところか。
東京都・福祉保健局の平成19年度特別養護老人ホーム等経営実態調査結果によれば、常勤の介護職員の平均給与額は特養で年間387.7万円、老健だと年間341.4万円というから、理想とやりがいに燃えて福祉職についたものの、生活が成り立たずやむなく転職というケースが多いのだろう。結果、施設は慢性的な人手不足に悩まされることになる。
そこで国は考えた。インドネシア人の看護師と介護福祉士を2年間で1000人、日本が受け入れるという日・インドネシア経済連携協定(EPA)に調印したのだ。この協定、2008年5月に国会で承認され、8月7日には早々に第一陣のインドネシア人205人が来日している。
医療・福祉分野で本格的に外国人労働者を受け入れるのは初めてで、人材の安定的確保を図る狙いだというが、なぜ日本の介護従事者の労働条件改善を先送りにして海外の人材をアテにするのか、摩訶不思議、首を傾げるばかりだ。日比経済連携協定に基づくフィリピン人看護師・介護福祉士候補者の受入れも検討されているとか。
さらなる摩訶不思議は、インドネシアおよびフィリピンと日本の仲介役になっている国際厚生事業団(JICWELS)という厚生省認可の社団法人。一体どんな組織なのか。「フィリピン人の受入れを適正に実施する観点から、我が国においては国際厚生事業団(JICWELS)が唯一のあっせん機関として位置づけられることになっており、これ以外の職業紹介事業者や労働者派遣事業者にフィリピン人のあっせんを依頼することはできません。」と厚生労働省のHPに明記されているが、厚生労働省の天下り先?
さらにさらに、自民党がこの6月、今後50年間で1000万人の移民を受け入れるという提言をしていたことともダブって仕方がない。中川秀直氏が会長となって「移民庁」を設置するというあの話。関連性は皆無なのだろうか。「移民」受け入れのための段階的措置なのではあるまいか。
首を傾げるばかりの出来事に、首は180度以上回転してしまってもはや収拾がつかない。国会議事堂という魑魅魍魎の「オバケ屋敷」で雇ってもらおうかしら?
写真:(上)ちりりんは今年14歳。介護とは無縁なまま元気に過ごして欲しい。(下)バラが咲きました。黒赤色のバラ の花言葉は「化けて出ますよ」とか^^;
金メダルが欲しいよ~~っ
2008年08月27日(水)
オリンピックが終わってやっと一息。これで仕事に打ち込める、なんていう理由からじゃなくて、これで「スポーツ新聞」を読まなくても済むという安堵感。
「なんとかスポーツ」なんていう新聞をとっているわけでもないのに、1面、2面、3面、4面…開けども開けども、どこそこの国の誰とかが金メダルだ銀メダルだという話題ばかり。今まで紙面を埋め尽くしていたさまざまな話題はいったいどこに行ってしまったのか。
夫からは、紙面をめくるスピードがやたらと速いね、なんて冷やかされていたが、オリンピックという「代物」(だと思うのだけれど)を国民がこぞって観戦し、ニッポン、ニッポンと絶叫し、金メダルに欣喜雀躍って…なんか不気味じゃない?
そんなことを思っていたところに、「福田団長が強化費3倍増を訴え」(nikkansports.com配信「日刊スポーツ・2008年8月26日紙面」)なんていう記事。
北京五輪日本代表選手団の福田富昭選手団団長が、今以上のメダルを獲得するために、現在の、4年で約80億円の国からの強化費補助を、約3倍の240億円にして欲しいと訴えたというもの。
「どの国も国策として五輪に挑んでいる。現在の強化費では、勝て勝てと言われてもこれ以上のメダル獲得は難しい」し、2016年に東京五輪が開催されれば、「日本が活躍しないわけにはいかない」、だからその前のロンドン五輪では「せめて世界でも5番以内のメダル数確保が必要」、そのためには「今の倍近くは(強化費補助が)欲しい」という論の展開。「国策」・・・ね。
記事の締めくくりとして記者は「これまで女子ホッケーなど『貧乏』が話題になることが多かったが、それでは世界と戦えないことも事実だ」と書くが、まあスポーツ新聞だから、スポーツの勝敗にこだわり、スポーツ振興にカタを持つのは当然といえば当然だけれど、世界と戦うことがオリンピックの目的だった?
オリンピック開催の起源について、またしてもwiki(注:Wikipediaを信頼しているわけではありません、念のため)。「アマチュアリズムを基本とし、古代の平和の祭典の復興を目指した」…そうそう、そのはず。
それが今では、国の威信をかけての金メダル獲得合戦になってしまい、挙句に「国策」なんていう言葉まで飛び出すようになってしまった。それはちょっと違うでしょう?
借金地獄日本、それでも福田団長の訴えを受け、強化費補助として240億円ものお金をポンと出しちゃう気かしら?出さなくちゃいけないところには、これでもかというほどケチっているというのにネ。
写真:(上)我が家のスポーツ選手のホープは小牧。このスリムな体がその敏捷性を物語っているかも。(下)ムメちゃんは運動が大の苦手。猫なのに、小さい頃にケージにでも押し込められていたのか、ジャンプがほとんどできない。まあ雰囲気も「犬」だし性格も「犬」。飛べなくても問題なし。
ニッポンチンボツ
2008年09月02日(火)
夏バテなのか、先週末は頭も体も動かず、ずっと横になっていた。本を読む気力もなく、ひがなCSテレビをグダグダと観る。
こんな体調の時に観るほど軽い内容のものではなかったけれど、ヒストリーチャンネルで観たのは、記録映画『明治大正昭和三代六十年に亘る戦争 実写 日本五大戦争』。日露戦争、第一次世界大戦、満洲事変、支那事変、第二次世界大戦の記録映画を編集したもの。
60年という歳月を、しかも極めて重大なテーマを一時間ちょっとに編集してしまっているから、内容が表層的なのは仕方がないとして、事実の核心への突っ込みが足りず曖昧な印象、ナレーションは型どおり。まあ、近代史をなぞるだけのつもりで観れば興味深い。
続いて日本映画専門チャンネルの『日本沈没(2006年)』。リメイク版ということだったが、そもそも73年に製作されたものを観ていなし、実は原作も読んでいないから、比較のしようがないのだけれど、驚いたのは特写技術。ゴジラだのガメラだので育った世代、それ以降、この手の映画を観ていなかったから、東京が沈み京都が沈む、行く手を阻むがけ崩れ・・・と、そんな光景に感動しまくり。
ただ気になったのは、自衛隊の宣伝映画だったのかと錯覚してしまいそうな場面の数々。自衛隊って、自国防衛のための「軍隊」だと認識しているのだけれど、この映画を観るかぎりでは、災害時に特化した国営救助隊としか思えない。
自衛隊は、アメリカに次いで世界第2位の保有数という、一機約3,000万ドルもするというF-15戦闘機を203機も持っているらしいけれど、空戦能力抜群のこの戦闘機が、天変地異の大災害時には救援機に変身するのかもしれないなあと薄い期待。「自衛隊、日本にあってよかったね」という適当な標語が口をつく。
それにしても同じ日に観た映画が、戦争の記録映画と『日本沈没』。かたやバリバリのドキュメンタリー、かたやバリバリのフィクションだが、破壊され尽くした日本の姿は見事にダブっていた。日本が消滅するとしたら、戦災によるのかはたまた天災によるのか。
そんなことを思っていたら、福田首相辞任の報。あらら、2代に渡る首相の職場放棄。後継と目されているのが麻生氏、小池(百)氏、谷垣氏、野田(聖)氏だというのだから、日本の政治は、というより自民党は「認知症」も末期の様相、今ドコにいるのか、アタシが誰なのか、もはや見当がつかない状態にあるらしい。
なんのことはない、「政災」で日本消滅というストーリーだったのか。
写真:(上)こんな平和な光景の中でふと、災害時にこの子たちをどうやって救出しようかと考えることがある。(下)そんなに大きなお口で訴えなくても、サビちゃんのことはママがヒシと抱いて避難しますよ!
ジャーナリズム崩壊
2008年09月10日(水)
毎年恒例となった国会劇場での公演、『首相の逃亡』第一幕が終わり、いよいよ第二幕が開幕した。大根役者が勢ぞろいの総裁戦を観ていると、日本人でいることがいい加減イヤになってくる。そう思っていたら、『天木直人のブログ』に「メディア批判を批判する」と題して、天木氏が以下のような論評を書かれていた。
『9月10日の読売新聞に学習院女子大学教授の石澤靖治氏(メディア関係論)が「遅かった『ひとごと』批判」という見出しで、メディア批判を書いている。その要旨はこうだ。
・・・9月1日の福田首相辞任会見の最後に、ある記者が総理の会見は人事にように聞こえるという質問をし、これに怒った福田首相が、あなたと違って私は自分を客観的に見る事ができる、と捨てゼリフを吐いた。毎日記者会見をしておきながら、なぜいままでこのような鋭い質問が記者の間から出てこなかったのか。それは暗黙の了解が記者と総理の間にあるからだ。この実態を、フリージャーナリストの上杉隆氏が「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)で明らかにしている。つまりなれあいの会見をわれわれは毎日見せられてきたのだ。総理会見の場は、首相の一方的なメッセージ発信の機会にはなっていても、ジャーナリズムが首相をチェックし、批判する場にはなっていない。「ひとごと」批判は、福田首相が退陣するときになされるべきではなく、それより前に行なわれているべきであった・・・
その事に異論はない。しかしこの八百長質問会見を考え出し、もっとも利用したのは小泉・飯島コンビであった。いまごろになってジャーナリズムの権力迎合を糾弾する上杉は、小泉・飯島に迎合することで生き残ってきた。いまでも小泉・飯島批判は行なわない。あのとき小泉会見のいかさまを糾弾していたら、あれほど小泉政権は長続きしなかった。日本はここまで壊れる事はなかった。
小泉偽改革が自民党総裁選の政策論争で否定されるようになった。しかし、今でもメディアは小泉改革の嘘を正面から指摘できないでいる。その一方で、本気で権力批判をしてきた気骨あるフリージャーナリストは多く存在する事を私は知っている。問題は彼らを、既成メディアが排除してきた事だ。世に重宝されているジャーナリストはすべて権力と馴れ合っている。そのようなジャーナリズムの自己批判は、所詮はおためごかしだ。既成ジャーナリストが退場し、これまで注目されていなかったジャーナリストが世にでてくる事が必要だ。ジャーナリズムの世界もまた政権交代が必要な時である。』(9月10日・全文引用)
天木氏のブログには時々一貫性のない主張が見受けられ、がっかりさせられることがあるのだが、今日だけは異論はなく、常々思っていたことが書かれていて胸のすく思い。
数年前、戦時下のジャーナリズムについての研究をまとめたことがある。ジャーナリストを含めた知識人達が、時の権力の渦に巻き込まれて自らの職務を見失い、国民を誤った道へと陥れていったその過程を論文にしたが、一次資料を読み解いてゆくその過程で、悔しさのあまり、何度地団駄を踏んだことか。ジャーナリストの無責任な煽動ぶりと、御用学者のいい加減さと、国民の不甲斐なさに…。
今また日本のジャーナリズムは同じような愚を犯し、国民はその論調に踊らされている。いったい、どれほどの痛手を負えば国民は賢くなれるというのか。マスコミが「小泉劇場」だと囃し立てればこぞって喝采を送り、「茶番劇」だと言えばこぞってのブーイング。主体性のない判断、これほど危ういものはない。
権力に取り込まれ、強き者に揉み手をするような腐りきったジャーナリズムになど、決して迎合しないことだ。結果が良ければ、自惚れて増長するだけだし、結果が不味ければ、警鐘を鳴らしていたのにと、乾かぬ舌で語ることだろう。そんなものに煽られるのはあまりに馬鹿げている。
自分の手で目で耳で得た情報を冷静に分析し、自らの賢明な判断の下で行動を取らないかぎり、この国はとんでもない方向に突き進んでゆく。今がその瀬戸際なのだと思う。
写真:(上)舌が乾ききっています。(左)大山鳴動しておもちゃの鼠一匹・・・。
いい加減にしてよね
2008年09月15日(月)
悪名高い「サンデープロジェクト」をたまたま見る機会があった。5候補が一緒に動く姿を初めて見たから、子供がテレビに夢中になっている時のように、口あんぐりと画面に見入ってしまった。
途中からだったので全容はわからないが、小選挙区制と靖国問題、バラマキについての各候補の意見を聞くことができた。う~ん、世間からの支持はまったくないようだが、ピンは石破氏でなかなかの論客ぶり、理論派とお見受けした。キリは小池氏。あとは老練・老獪な「自民党」の政治家。石原氏は生理的に嫌いだから最初からパス。
小池氏にはちょっとびっくり。小選挙区、中選挙区、大選挙区の区別がついているのかいないのか(まさか・・・)、田原総一郎氏に「それは中選挙区?」と聞かれても「は~っ、中選挙区…」と口ごもる。で、小選挙区云々の議論はスッポリ飛ばし、「ですから一院制に」という話に流れてしまう(小池氏の言う一院制はご都合主義)。石破氏は小さな政党の声を国政に反映させるためにも、小選挙区制度は廃止すべきだという持論を述べていた。
靖国問題について石破氏は「戦争に行かせた側と行かされた側とでは、はっきりその立場が違う」として分祀を主張。 一億総懺悔などという言葉はありえないことだとも言っていて、なんだかいい意味で肩透かしをくらった感じ。ただし「天皇陛下が参拝できるように」とも。(この番組では触れてはいないが、満州事変以降の戦争を「侵略戦争」と認識しているというから、へえ・・・)。
同じく靖国問題を振られた小池氏は「天皇陛下がですね、参拝できるように」と、石破氏の言葉をオウム返しに繰り返しておしまい。地方のバラマキについても、明確な説得力ある意見などまったく提示することなく、民主党のバラマキ批判と、改革を止めてはいけない、の一点張り・・・ライオンの威を借るなんとか。
まあ、だからといって石破氏を応援する気なんてまったくない。なぜ防衛大臣ではなく総理をめざすのかという質問に、「憲法を改正できるのは首相だけだ」と明言していた。もちろん十分な話し合いをした上での改正ですよと、何回も念を押していたけれど、強行採決がお得意の自民党だもの、十分な話し合いなどするものですか。あれよあれよという間に憲法(9条)は改悪され、日本は軍事オタク首相の意のまま、軍事国家に突入。
最後に毎日新聞の岸井氏が、誰が総理になるといいですかね、という田原氏の質問に「小池さんがなると、防衛大臣だった時のこともありますし、霞ヶ関をぶっ壊すという期待がかけられるんじゃないでしょうか」ですって。’御用ジャーナリスト’ここに極まれり!テレビのこちら側で、シャーっと牙をむく。
それにしてもこの5人のメディアジャックは目に余る。元検察官の河上和雄氏が「自民党の総裁選は明らかに総選挙の事前運動だから公職選挙法違反だ」とテレビで発言されたそうだ。9月14日の名古屋市での街頭演説でも小池氏は政策そっちのけ、民主党の批判に徹していたとか。自党の総裁選で他党批判はおカド違いでしょう。公選法違反での告発、本気で考えたほうがいいかも。
元環境大臣という肩書きをお持ちの小池氏、ご自身の手で、政治の「環境」をクリーンにするために、公職選挙法に違反する旨の自民党総裁選差し止めの仮処分を申請してはどうでしょうね。
えっ、自縄自縛?・・・と、と、と、変換ミス、自浄自爆?
写真:(上)普段はこうですが・・・(下)あんなこんなの発言、カゴで優雅に寝てなんかいられない。シッポも膨らもうというものヨね。
荒川区じゃなくてよかった
2008年09月20日(土)
東京都荒川区で首を傾げる条例案が発表された。この条例のために、いったい何人の人間が頭を寄せ合ったのか、自治会役員レヴェルで行政を動かすお役人たち。これじゃ地方分権なんて夢のまた夢…。
---------ここから引用開始--------
『東京都荒川区は19日、ハトやカラス、野良猫などに勝手に餌をやって周辺住民に迷惑を掛けることを禁止し、違反した場合は罰金を科す条例の素案を発表した。12月議会に提案する。区によると、勝手な餌やりを禁止する条例を持つ自治体はあるが、罰金を設けるのは全国初。
素案は、自分で所有していない動物に餌を与え、鳴き声やふん尿などで周辺住民が被害を受けるケースを禁止事項として規定。住民の苦情などを受けて区が立ち入り調査し、中止を勧告する。従わない場合は、弁護士らによる審査会に掛けて中止命令を出したり、氏名を公表したりできる。立ち入り調査を拒めば10万円以下、中止命令に違反すれば5万円以下の罰金。区は「強制力のある条例で、抑止効果を期待したい」としている。』(9月19日18時15分配信 時事通信)
-------引用ここまで-----------
これを読んだ時には、なんのことかと一瞬思考が停止したが、すぐに怒りが頭を突き抜け、天にのぼって雷状態。荒川区は、ハトもカラスも猫も、その一切の姿が消えてしまった町こそが人間の住む「理想郷」だと思っているらしい。この条例の恐ろしさは、「迷惑」という言葉の下、いかなる弱者であっても容易に排除の対象となりうる、という認識を住民に与えてしまうこと。ホームレスも然りか。それが荒川区の考える健全で清潔で明るい町づくりなのか。
しかしまあ、人間はなんて傲慢な動物なのだろう、そしてなんて愚かなのかと、この条例を見ると改めてそう思わずにはいられない。人間が生活する上で「迷惑」だとされるモノ、それを「排除」してしまおうとする思想の先に、どれほどの恐ろしい社会が待ち受けているか、そうした想像力が完全に欠如している。自分もまた、いつなんどき排除される側になるともかぎらない脆い存在でしかないのに、そんな危機感など微塵も持ちあわせていないというおメデタさ。
そして…荒川区だからこそ思うことがもうひとつ。荒川区は1945年3月10日の東京大空襲で町の8割が焼失しているという。1943年には約38万人いた住民が、大空襲で約3分の1にまで激減したというから、被害の大きさたるや、想像を絶するものがある。たくさんの尊い人間の命が奪われていったその時、青々と茂っていた緑や、空を舞っていた鳥や、道端を歩いていた犬や猫達、そうした生き物も根こそぎ業火に巻き込まれて命を落とした。
あれから六十数年、人も緑も犬も猫もそして鳥たちも、やっとの思いでそんな惨状の中から生き還り、立ち直り、今の町の姿に蘇らせたのではなかったのか。
戦争をしている国には、犬の姿も猫の姿も見えない…そんな言葉をふと思い出す。荒川区は、戦火に飲み込まれ、多くの生き物が姿を消したあの時の町に戻りたいと、そんな奇妙なノスタルジーにかられているとでもいうのだろうか。
共にここまで生き抜いてきた命、共存・共生の道を探って、何のバチがあたるものか。
写真:(上)ここでそんな条例が施行されたら、行政と闘うっきゃない。タゴちゃん、安心して。(下)カラスが部屋を覗いている。なかなかの風情だと思うんだけど。
荒川区「無責任な猫への餌やり規制」に思う
2008年10月04日(土)
荒川区の「(仮称)荒川区良好な生活環境の確保に関する条例」(無責任な猫への餌やり規制)について思うところを、本ブログに記しておきます。
すでに多くの意見が荒川区およびこの条例案を提起された荒川区議・小坂英二議員に寄せられているようですが、インターネットの掲示板上でも、この条例について賛否両論、さまざまな意見が取り上げられていることはご承知のとおりです。その中に「毒を撒けば済むことなのに」といった意見と並び、「どうせ毒を撒くのなら、ホームレスの炊き出しにも毒を盛れ」、「それならニートも同じだ」といった意見を散見します。
こうした意見が交換されている事実について、荒川区および小坂氏はいかなる見解をお持ちなのでしょう。一部の人間の極論でしかないとして放置されるのでしょうか。ここで注目しなければならないのは、条例の波紋が、猫や鳥の排除にとどまってはいないという点にあります。「迷惑」という名のもとでは、あるいは、なんら社会的利益をもたらさないという理由のもとであれば、猫はもとより、人間の命をさえ剥奪することを肯定しかねない意見が、社会の中で跋扈し始めているのです。こうした意見が市民権を得てゆきかねない状況は極めて危険です。この条例は果たして健全な条例と言えるのでしょうか。
「排除」の思想は、いかなる場であれ、いかなるものに対してであれ、極めて危険なものであることは改めて言うまでもありません。特に、「行政」という公権力が「公共性」の名の下、「利益」に反すると判断し、「条例」をもってその「排除」を正当化しようとする行為は、ナチスの優生政策となんら変わるものではありません。生命に優劣はなく、生存の権利はいかなるものも平等であり、人間はまた、いかなる生物に対しても、その生殺与奪の権利など持ちあわせてはいないのです。
ここに小坂氏のブログに掲載されている、区の建設環境委員会での質疑・応答の内容の一部を抜粋させて頂きますが、この部分は赤字の上にさらに太字になっています。すなわち、小坂氏が特に強調したい部分と考えられます。『迷惑行為者は精神的な病であることが多いため、精神科的なアプローチをしながら根本を直していく取り組みも必要であり、そうした対応を区にお願いしたい』(2008年09月19日)。
小坂氏が、迷惑行為者の多くが精神的な病であるとするこの意見は極めて情緒的なものであり、医学的な根拠が明白ではありません。こうした決めつけは、精神疾患を抱える人間に対する社会的偏見を助長するものであると同時に、小坂氏の精神疾患を持つ者に対する偏向を示すものであり、再考を要します。
猫の被害や苦情に対処・対応する難しさは、私自身の経験からも理解することができます。しかし、共存の方法は、丁寧に探ってゆくことで必ず解決の糸口が掴めるということも事実です。行政指導に効果がみられないことを理由に、次から次へと罰則や罰金を課す条例を制定してゆこうとする荒川区および小坂氏の姿勢は短絡的であり、かつ稚拙なものと言えます。
解決策の一案としては、動物の正しい飼育方法を指導できるボランティアを育成し、エサやりなどについての指導を民間レヴェルで行ってゆく方法などがあげられます。「身勝手なエサやり」については、動物愛護の本来のあり方と、その姿勢を啓蒙する必要があるでしょう。避妊・去勢手術の励行、それに対する行政の援助はもちろんのこと、生物との共存・共生の方向性を探ることを目的として、動物生態学等に関わる専門家を招聘してのセミナーや勉強会を開催する、などどといった方法も一考されるべきです。
また、エサやりについて批判的な住民と、エサやりに好意的な住民との間でのコンセンサスを図る機会を設定する必要があります。これについては行政が話し合いの場をセッティングする方法が有効でしょう。ただし行政の役割は反目する住民の意見を調整し、行政として何が支援できるかを提示することにあり、決定を下すことにはありません。全国の動物愛護団体などから、知識や経験を聴取することで、さらに多くの解決策を提示できる可能性があるはずです。
こうした取り組みをする上での行政側の基本姿勢は、精神疾患を疑うなどということではなく、まずなによりも地域住民の「良識」と「善意」を信じることにあります。成熟した地域コミュニティを作ることができる住民のエンパワーに期待をかけ、助力を惜しまないという姿勢を、住民側に示してゆくことが重要なのです。
荒川区は先の大戦の東京大空襲により、甚大な被害を蒙った地区でもあります。戦後六十数年を経た今、人間と動物が平和に暮らすことのできる地区に蘇ったことを思い起こせば、あらゆる地区に先駆け、動物との共存・共生を目指したコミュニティを作ることにその労を費やすことにこそ、社会的に大きな意義があると言えるのではないでしょうか。
「人間と動物の平和的共存を目指す都市宣言」をされたほうが、よほど建設的であり、先進的な地域としての地位を築くことができるのではないかという気がしてなりません。小坂氏は、この条例を全国に先駆けて実施することに誇りを感じていらっしゃるようですが、そもそもの発想のパラダイム転換が求められているように思います。
荒川区民ではありませんから、荒川区の決定に口を挟むことはなにやら内政干渉のきらいがなくもありませんが、ことは決して一自治体の問題にとどまるものではありません。この条例を前例として、あらゆる地域が弱者排斥の思想で埋め尽くされる前に、その芽を摘み取る必要があると考えます。蟻の一穴を見逃せば、後々の日本の社会に大きな禍根を残すことになるだろうことを危惧するものです。
以上、思うがままに。
【追記】
この記事の確認のために、小坂議員のブログを改めて拝見したところ、コメント欄に「愛護派の皆様へ 愛護ってなんなんですかね?不妊・去勢手術をして、苦痛を与え、短い一生に、子を育む事さえ出来ない。こんなんで猫達は幸せですかね?自由ですかね?生命の尊厳への冒涜ではないですか?人間のエゴではないですか?共に暮せないなら殺してあげるのも優しさですよ?」という、区民からの投稿があった。
「殺す」という言葉がかくも軽々しく語られていることに呆然。行政はこうした住民の生命倫理観にこそ危機感を抱く必要があるだろうにと、改めて深いため息。
写真:(上)猫嫌いが見たら卒倒だろうが、猫好きがみたら垂涎。(左)6年間のノラ生活を経て飼い猫に。でも、目つきの鋭さがなかなか消えない。苦労したんだろうなあ。
キャンキャンキャキャ~ン♪
2008年10月25日(土)
橋下徹大阪府知事が、山口県光市の母子殺害事件をめぐる弁護団への懲戒請求問題について、広島地裁が総額800万円の支払いを命じたことを論じた朝日新聞に対し、極めて激しい非難を浴びせた。そもそも橋下氏がなぜ朝日新聞だけを標的にしたのか理解不能。文末に朝日新聞、毎日新聞、中日新聞の社説の抜粋を併記してみるが、この3紙の論調にそれほどの違いはなく、いずれの社説も橋下氏の弁護士としての資質を厳しく糾している。
それにもかかわらず、橋下氏が攻撃の矛先を向けたのは朝日新聞一紙だけ。他の二紙との表現の違いといえば、弁護士資格の返上云々だが、もしかすると「資格返上」という言葉が橋下氏にとっての鬼門なのか。日の丸の手ぬぐいを額に締めて司法試験突破、その末に得た弁護士資格をそうそう簡単に剥奪されてなるものかという思いなのか。いやいやそれとも、単に朝日新聞をサヨクの新聞と「見誤った」のか(最近の権力迎合記事連発の朝日が真性「サヨク」のはずがない)。
この問題を取り上げたいくつかのブログを覗いて見ると、朝日新聞を「反日」と決めつけ、橋下氏を擁護するコメントがやたらと目立つ。なるほど、大衆が喜んで叩きそうな「敵」を作り、自らの存在を誇示することが目的だったのか。そうだとしたら、橋下氏の、コイズミズムを踏襲(「ふしゅう」じゃないですよ、麻生総理大臣殿!)したこの手法は大成功だったと言うべきか。
それにしても、(橋下氏自らがそう称したところの)「権力者」が、自分の意にそぐわないとして、特定のジャーナリズムの存在をこれほどまでに簡単に否定しまって良いものなのか。「朝日が弁護士資格返上しろって言うなら、これから事実誤認とかやりゃすぐ廃業しろと。全員首切れと。もっと言うなら戦争責任だってある。いますぐ廃業しろって」とまで言ったそうだが、戦前から戦後にかけてのジャーナリズムの変貌のプロセスを、どうやら橋下氏はご存知ないらしい。
戦時下のジャーナリズムを正確に把握していれば、朝日だけを標的としたこうした発言などまずありえない。太平洋戦争期におけるジャーナリズムの戦争加担については複雑な要素が絡み合っており、一言では言い表せないが、少なくとも戦争責任を問われるべきジャーナリズムは、こと朝日新聞だけにかぎるものではない。
個人の名誉が傷つけられたとして朝日新聞の廃刊を主張し、社員の首を切れと騒ぐ橋下氏。もし名誉毀損だと思うのなら弁護士であることこれ幸い、「個人」として法の下で戦えば良いだけのことではないか。ジャーナリズムが「権力者」の命令をもって言説を翻すことなど、余程の過ちを認める以外あってはならないことだし、まして新聞や雑誌が廃刊の事態に追い込まれるとしたら、それは「いつか来た道」でしかない。
………以下、三紙の社説から抜粋
■朝日新聞■(2008年10月3日)『橋下TV発言―弁護士資格を返上しては』歯切れのよさで人気のある橋下徹・大阪府知事のタレント弁護士時代の発言に、「弁護士失格」といわんばかりの厳しい判決が言い渡された。…判決で「少数派の基本的人権を保護する弁護士の使命や職責を正しく理解していない」とまで言われたのだから、橋下氏は深く恥じなければならない。
…少年の新たな主張について、橋下氏は大阪の読売テレビ制作の番組で、弁護団が組み立てたとしか考えられないと批判した。弁護団の懲戒を弁護士会に請求するよう呼びかけ、「一斉にかけてくださったら弁護士会も処分出さないわけにはいかない」と続けた。…そもそも橋下氏は、みずから携わってきた弁護士の責任をわかっていないのではないか。弁護士は被告の利益や権利を守るのが仕事である。弁護団の方針が世間の常識にそぐわず、気に入らないからといって、懲戒請求をしようとあおるのは、弁護士のやることではない。
…偏った番組作りをした放送局が許されないのは当然だが、法律の専門家として出演した橋下氏の責任はさらに重い。…橋下氏は判決後、弁護団に謝罪する一方で、控訴する意向を示した。判決を真剣に受け止めるならば、控訴をしないだけでなく、弁護士の資格を返上してはどうか。謝罪が形ばかりのものとみられれば、知事としての資質にも疑問が投げかけられるだろう。
■毎日新聞■(2008年10月3日)『橋下知事敗訴 判決は弁護士の自覚を促した』判決は「弁護士は少数派の基本的人権を保護すべき使命も有する。多数から批判されたことをもって、懲戒されることがあってはならない」と指摘した。
…橋下氏の発言が弁護士への大量の懲戒請求を誘い、その業務を妨害、精神的苦痛を与えたと認定したのは妥当な判断といえる。…橋下氏がその思いを述べるのは自由だ。しかし、視聴者に向かって懲戒請求を呼びかける発言は、自ら弁護士の使命を否定する行為にほかならず、許されるものではなかった。しかも、テレビ番組のコメンテーターとしての影響力を考慮すれば、その発言は多数を頼んだ魔女狩りに似た状況を作り出した。批判された側の反論が保障されていない以上、軽率な行為といわざるをえない。
さらに、橋下氏は視聴者をあおりながら、自らは懲戒を求めていない。その発言がどこまで思慮を重ねたものか疑わしい。…一般市民が、橋下氏の扇動で一つの方向に群がる感覚で懲戒を請求する社会のありようもまた、健全とはいえない。
■中日新聞■(2008年10月6日)『橋下知事敗訴 弁護士失格のTV発言』タレントとしての軽い“乗り”の発言が、他人の名誉を傷つけた。橋下徹大阪府知事が弁護士失格と批判されるのは当然だが、無責任なコメントがはびこるテレビ番組の作り方を変えるべきだ。…弁護団から橋下氏への慰謝料請求を審理していた広島地裁は、橋下発言には根拠がなく名誉棄損だと認定し、計八百万円の支払いを命じた。
マスメディアを通じて懲戒請求を呼びかけたことを不法行為と断定し、軽はずみなコメントを厳しく戒めたのである。判決文には「少数派の基本的人権も保護すべき弁護士の使命、多数から批判されたからといって弁護活動が制限されたり懲戒されてはならないことを、橋下氏は理解していない」とまである。法律家としての基本常識もわきまえていないと言わんばかりである。
…高度な専門知識と厳しい倫理観が求められる専門職である弁護士の資格が疑われる。判決後に橋下氏は謝罪したが、控訴するという。判決は不当ではないと言いながら控訴するのは、法律家として理解しがたい。…政治家も弁護士も、説得力ある論理と、それを相手が納得するように説明する言語能力がなければならない。言葉の重さと節度を自覚すべきだ。…情報の本質を伝えることとは無縁の番組作りが橋下放言の背景にあるのではないか。だとすれば単なるタレント弁護士の暴走ではすまされない。
写真:(上)我が家で一番気の弱いミミちゃん。しょっちゅう鳴いています。(下)我が家で一番気の強いサビちゃん、滅多なことでは鳴きません。
にゃにゃころびにゃおき
2008年11月01日(土)
「10月26日、「麻生首相の邸宅を見に行こう」とインターネット上で呼びかけたグループのメンバーのうちの3名が、東京・渋谷区の路上で逮捕されたというという記事が、新聞の片隅に掲載されていた。
「…公安部によると、1人の男は同日午後3時50分ごろ、事前に警察署に届けを出さず、渋谷駅ハチ公口の広場で集会し、デモをした疑いがある。同庁は主催者の1人とみている。また、ほかの2人は、この男の逮捕を阻止しようとして警察官に抵抗し、暴れるなどした疑いがある。…」(朝日新聞(抜粋)10月27日)といった内容で、これは公安の発表をそのまま掲載しただけの偏向報道。
実際の顛末は新聞報道とおよそ違い、拘留された3名が暴力を振るった形跡はなく、しかもツアー主催者は事前に警察官と、麻生邸までの歩き方などについて打ち合わせをしており、警察官は了解の姿勢を示している。「それでは…」と先頭の若者が歩き始めると、突然、一人のオヤジさんが転がり出てきて彼にぶつかり、「公妨(公務執行妨害)だ!公妨だ!」と騒いだのを契機に、側にいた警察官たちが若者を取り押さえたというのが事実。
その様子は政治関連のブログやyoutubeなどで見られ、映像には一部始終が記録されているから、新聞に掲載された記事の内容が真実かどうか、誰もが自分の目で確かめることができる。暴力を振るった?不当なデモ??・・・公妨と叫んだオヤジさんはおそらく公安第一課に所属する人物だろうというのがもっぱらの評判。『公安警察の手口』(ちくま新書)の著者である鈴木邦夫氏によれば、公安第一課というのは、共産党と新左翼を担当しているらしい。確かに若者に体当たりするやり方は、公安の伝家の宝刀と言われている「ころび公妨」そのもの。
『麻生でてこい!!リアリティツアー救援会ブログ』には「リアリティツアー不当逮捕へ抗議する文化人声明 (呼びかけ人・雨宮処凛、湯浅誠)」が掲載されている。賛同人の中に小熊英二氏や本田由紀氏の名前を散見し、改めてお二人の学問、研究への思いを垣間見たような思いがする。(御用学者ではない)学者・研究者の声明は、コトの正当性の論理的根拠を突きつけているようで心強い。(【追記:11/2】中島岳志氏の名前がない・・・と思っていたら本日発見。池田浩士氏も!)
さてこの「渋谷事件」、ジャーナリズムが今後どのように扱うか興味深いところ。奇しくも10月31日、編集者や新聞記者約60人が「共産主義者」の嫌疑で特高に逮捕され、そのうちの4名が獄死したという「横浜事件」の再審開始を、横浜地裁が決定したというニュースが報じられた。26日に起きた今回の「渋谷事件」は、国家が警察権力を不当に行使したものであり、「横浜事件」とも少なからぬ共通点を持つ。
この事件の真相究明をジャーナリズムが怠れば、明日はわが身、今後、言論弾圧とも深くつながってゆく危険性があり、またしても「いつかきた道」。クラバラ、クワバラ…
【ネコろび工房】作品2点。上はにゃあちゃん、左はタゴちゃん。
幻のセレブ政策
2008年11月16日(日)
漢字を読むのがどうも苦手という人物が最高権力を握る国に成り下がってしまった日本。そんなところに、田母神氏のような「愛国主義者」が現れ、怖い世の中になったものだとつくづく・・・。クーデターが起きたとしても、今の首相ではなんの対策も講じられまい。
言論統制云々を田母神氏は主張し、世論もそれを後押ししているようだが、かつて「軍部の暴走」を許してしまったことで一体何が起きたのか。歴史を正確に顧みることができさえすれば、田母神氏の発言がいかに危険なものであるか理解できそうなものを。
で、定額給付金(なんのつながりもないけど・・・)。うちには子供が10ニャンもいるので、それぞれ8000円ずつの上乗せ。子供たちだけで20万円よ、20万円!拾って良かった~~猫!
これでおいしいものでも買って食べさせてあげて、きれいな首輪も買ってあげて、残ったお金でパパと、首相が大好きな「帝国ホテル」の一個3000円のハンバーガーを食べて、夜はバーで大人の時間を過ごそうと思うの・・・フフフん
でもね、子供たち、麻生さんがね、「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」っておっしゃられているの。ママはプライドを捨てるべきか、お金を捨てるべきか、とっても迷っているんだけど、どっちを捨てたらいいと思う?
えっ?猫の子はだめなの?
「猫」って書いて「ニンゲン」って読むんだとばかり思ってた!
写真:(上)こんなに大きくなってもジュリ母さんに甘える竹やぶ3兄弟、これで8万円分。(下)「スリッパよりクサイ政策だにゃあ」byミイちゃん
一票入れられればいいのにねぇ・・・
2009年03月23日(月)
居を構えている某県で、この29日に県知事選がある。公職選挙法なんていうのにひっかかるといやだから某県某氏とだけ。その某県で某氏が他の候補者をリードし、現在トップを走っているらしい。「中央にモノをいえるやんちゃな某県になろう」というアホくさい第一声を聞いて(聞くまでもないが)、投票するものかと思っていたが、きょう配布された「選挙公報」での公約のアホくささはそれにも勝るアホくささ。
具体的な政策は何一つ提示せず、安心・安全日本一、経済・活力UP日本一、医療・福祉日本一…。最後に「知事は全国から注目を集める某県ブランドのセールスマン!」ときて思わず猫も卒倒。そのまんま東だの橋下だのの路線を突っ走るつもりらしいが、ゴメン蒙りたい。知性のかけらもない政治、政治家はもう懲り懲り。
それにしてもこの某氏、いかにも誠実さを売り物にしている割には卑怯者。ポスターを見ると「無所属」が売りもののようで、自民党のジの字も書いていない。公報でも「政党より某県民第一」。ところが『東京サバイバル情報☆一時避難せよ☆』というブログのブログ主氏が調べられたところによれば、平成16年度から18年度までの間に自民党から一億円以上の政治資金(寄付)が流れ込んでいるというし、今回だってしっかり背後で自民党が支持、強力な後押しをしているのは明らか。「政党詐称」といわれても弁明の余地なし。自民党だと堂々と言えないような、そんな怪しい政党の支持を受けている人物に誰が入れると思う?(って思うんだけど、入れちゃうんだよなあ…これが…)
それよりもっと気になるのが、「日本教育再生機構」の賛同者として名を連ねていること。日本教育再生機構の発起人の多くは、「新しい歴史教科書をつくる会」で活動をしていた人たち。それが路線対立によって分裂、新たに2007年に結成されたのが「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)で、それを支援しているのが日本教育再生機構。この某氏が知事になった暁には、この某県はいったいどんな方向に走り出すのだろう。海に浮かぶ日の丸に向かって「ばかやろ~~~~っ」って叫んでみたところで、時すでに遅し。
もういい加減に、(売れない)タレントだの芸人だのを政治家にする風潮をストップしなければと思う。政治家というのは本来それほど簡単になれるものではない。かつて松下政経塾の卒塾者数名と話す機会があった。彼らはいかなる職場においても有能な人材だが、すべての職務を投げ打ち、背水の陣を引いて政治家を目指していた。民主党の前原誠司氏を見ていると、彼の政治姿勢が良いか悪いかは別にして、まさに松下政経塾の流れを汲んだ政治家だという気がする。
国を背負うということはたやすいことではない。その責任の重さをタレント知事たちが自覚しているとは到底思えず、けれど民意はそうした「エセセイジヤ」を選んでしまう。彼らの終生の食い扶持を保障してあげるための選挙。隔靴掻痒の思い…。
タヌキか、はたまた猫か?!
2009年04月05日(日)
しかし怪しいことばかりが続く。「日本民主主義人民共和国」なんていう書き方をしているのを見かけたが、金正日氏率いる某国とこの国の政治、なにも変わりがない。自民党の自民党による自民党のための政治。国民は自民党と官僚による腐敗政治、利権政治を維持するために、すでに6本ぐらい足を食べてしまったタコ状態。先月は小沢民主党党首の献金疑惑で大騒ぎしたかと思ったら、今度は弾道ミサイル騒動だもの、自民党、八面六臂の大活躍!
ブログ「反戦な家づくり」様によれば、日本の内閣支持率と北朝鮮とは深く関係があるようで、「テポドン1号が日本を飛び越した1998年8月直前の小渕内閣は、支持11.6%、不支持88.4%。ノドンを飛ばした1993年5月は、宮沢内閣の末期でやはり10%ちょとの支持率。さらに、2006年7月に7発の発射実験をやらかしたときは、史上最高の支持率を誇った小泉内閣が40%くらいまで急落していた。」のだそうだ。今回も麻生氏、敵失をもってしても支持率20%台という危険水域。偶然ってステキ。
で、今回の騒動、弾道ミサイルか人工衛星か判明するのに6ヶ月もかかるのだとか。都合良く、衆議院選挙が終わった頃にわかるってこと。「やるやる詐欺師」の言うとおり、よしんば5月に選挙があったとしても(5月を言明した裏には、選挙間際であれば、二階氏を検察が起訴できないというあくどい計算もあるらしい)、人工衛星とわかっていながら国民を煽ったのだろうと非難されたところで、自民党はすでに政権の座を獲得した後。
唐突なようだが、ドメスティック・バイオレンスというのが昨今話題になっている。このDVには人間のおかしな心理的メカニズムが働いてしまうらしい。身体的虐待、精神的虐待、性的虐待、経済的暴力、社会的隔離など虐待方法はさまざまだが、いずれも極めてサディスティック。夫が手なんてあげたら即離婚だと思うけれど、DVの加害者、被害者の間ではそう簡単にはいかない。
友人が、DVに遭遇して逃げ場を失った女性たちをかくまうシェルターを作り、活動しているが、彼女の最大の悩みは、せっかく暴力から逃げられたというのに、ほとんどの被害者がなんらの問題解決もなされていないまま、加害者の元に戻ってしまうことだという。骨折させられたり、髪の毛をむしりとられたりという凄惨な被害に怯えながらも、被害者は加害者の元に戻ってしまうらしい。
不思議な心理だが、被害者は加害者からどんな暴力を受けても、加害者にとって自分は必要な人間なのだという気持ちが働くというのだ。おまけに、暴力を振るった加害者は暴力を振るった後、例外なく優しくふるまうという、これまた不思議が現象があるらしく、だから余計、この人は根っから悪い人ではないのだと思いなおし、ふらりと気持ちが戻ってしまう。
これは私の経験だが、DVに遭遇した子供も同じような心理を見せる。体中に青あざを作り、やけどの跡などをつけている子供に「誰にやられたの?」と聞いても、加害者が父親や母親の場合、決してそうとは言わず、自分でやったと答える。報復が怖いからではなく、父や母を庇っているのだ。自分は愛されていると信じたいのだろう。
で、やっとこさこれを政治に戻すと、国民と自民党はDVの関係、日本の政治状況にそっくりじゃないかと思い始めているという話。自民党にいくら殴られても騙されても、自民党という暴力夫の下に戻ってしまう国民。自民党の議員たちは、もしかするとDVのメカニズムを熟知しているのではないのかと疑うぐらい。
痛みに耐えて欲しいと言いながら「構造改革」なるムチで国民をたたき、国民が痛みに耐えられなくなってネを上げはじめたところで、定額給付金だの高速道路一日1000円だのという、怪しげな着色料がたっぷり塗られた駄菓子のアメ玉を持ち出した。国民は手酷い仕打ちを忘れて、夫たる自民党の下に戻る。
でもやっぱり、痛みに耐えられないワ・・・と我にかえり、もっと優しい男と一緒になろうと家出の準備を始めると、今度は検察だのマスコミだのというワル仲間とグルになって、相手の男はこんなに悪いやつだ、俺のほうがずっと優しいだろう?と、またしても国民を騙して手元に引き戻す。でもヤッパリ怖いわ、この人、と思いはじめた頃、どこで話をつけたのか金正日氏なる強面の出番。核弾道ミサイルっちゅう怖いもんで、お前ごと日本をふっ飛ばすっちゅうとるけんど、お前だけは俺が守ってやるかんナ、出てったらあかん(←どこの言葉かわかりませんが…)、と言って引き戻す。
自民党というヤクザな男から、国民はいつになったら別れられるのかしら。
□追記□
「北朝鮮は5日午前に咸鏡北道花台郡舞水端里で「銀河2号」ロケットの打ち上げに成功し、「人工地球衛星」の「光明星2号」を軌道に乗せたと発表した。」(時事通信・4月5日17時2分配信)
しっぽを掴め!
2009年04月11日(土)
3月23日に、民主党の前原誠司氏を政治姿勢の良し悪しは別として…という書き方をしたことが、なんとなく気になっている。前後の文脈からすると、前原氏の政治姿勢を良しとしているふうに聞こえなくもないが、まさか。前原氏については、とっととさっさと民主党を離党して自民党でも公明党でも、好きなところに行きなさいよ、という立場(あっ、最近は共産党もいいかも…)。
前原氏は民主党には不要の人物で、百害あって一利なし。朝日新聞でしばしば、「中堅幹部が小沢氏の党首辞任しか民主党の生き残る道はないと語っている」ふうの文面、ヒドイの時には「…と吐き捨てた」なんていう悪意の表現が踊ったりしていたが、中堅幹部と言えば前原氏とその仲間たち。小宮山洋子氏なんていう人物もこの中に入るのか。
余談ながら、購読中止後の朝日新聞、さらなる悪あがきをしているようで、昨日だったかは「(民主党の)若手議員も…」に表現がエスカレートしているらしい。民主党の老いも若きも、小沢氏の党首辞任を口にしていると言いたいのだろう。
人の口を借りての小沢タタキ、民主党党首辞任を要求する朝日新聞。正々堂々と、なぜ小沢氏が辞任しなければならないのかを、今回の検察の不当な捜査をどう捉えるのか、民主主義の危機的状況についてどう考えるのか、政権政党である自民党との比較、および今後の政治展望などを的確に踏また上で、ジャーナリズムとしての「正論」とやらを吐いてみればいいではないか。今のままなら、朝日新聞はイエロージャーナリズム&ブラックジャーナリズムの域を出ない。
でもって前原さん、14日には安倍前首相とアメリカを訪問するのだとか。今の今、この時期になんで安倍さんと?と不思議に思っていたのだが、その目的とするところが「海洋政策をテーマにしたシンポジウムの出席」と知って、合点。なぁるほどネ。前原氏がなぜこれほどまでに小沢タタキをしているのか、不思議に思うむきもたくさんあるようだが、私の中では、これで五里霧中が三里霧中ぐらいに。
細い糸を辿ると、ものすごい利権と闇の組織につながってゆく。ヒントは故岸信介氏(つまりは安倍氏)と深く関わる某氏→田中角栄→小沢一郎という線。しばしばこの某氏と会っている前原氏、偽メール事件かなにかでしっぽを掴まれたのだろうか。ここに、赤字転落で身を売った朝日新聞が一枚加わり、壮烈な小沢タタキが展開されているという推理。案外、はずれてないように思うのだけれど、なにせ魑魅魍魎の政治の世界、小沢氏が総理になっては困るという連中は山ほどいるはずだから、もっと深い闇があるのかも。
小沢一郎シンパではまったくないし、民主党が政権を取ったところで、日本が政治的に成熟するかといえば期待薄。しかし民主党が政権を獲得し、小沢氏が総理大臣になった時、自民党の膿にたかる蛆虫、地の底に蠢いている悪党どもがどんな姿で現れ出るか、なんとしてもこの目で見てみたい。
前原氏には「‘大きな我’にめざめない人間が、風の吹きまわしで政治に携わると、すべてがさかさまになる」という、戦時下にあって、終始体制批判の姿勢を貫いた、弁護士でありかつ言論人でもあった故正木ひろし氏の言葉を贈らせて頂こう。
【付記】
私の中で、腐敗しきったマスコミにあってまさに「掃き溜めの鶴」、検察批判を展開し、正論を主張されている郷原信郎氏が、かつての正木ひろし氏と重なる。旺文社文庫から『戦時下の個人誌・近きより(1~5)』が出版されているが、私の手元にあるものは1979年版。古本でしか手に入らないかもわからないが、機会があればぜひ。
開いた口が塞がらない
2009年04月12日(日)
毎日新聞が10日、11日に実施した世論調査によると、小沢民主党党首はやめるべきだとした回答が72%に達したとのこと。そして、なぜか麻生内閣支持率は24%に回復。世論を否定するわけではないが、つまらない数字だと思う。そもそも、腐敗政党である自民党を支持し続け、日本の政治状況をとことん窮地に陥れた国民を対象とした世論調査に、どれほどの意味があるというのか。これほど流動的な数字のどこに政治的根拠があるというのか。
まず、「政治資金規正法違反で公設第1秘書が起訴された」という枕詞をつけての小沢民主党党首の辞任の是非、世論を十分に誘導した挙句の世論調査結果に正当性など見つけられない。さらに、小沢氏はすでに続投の意志表示をしているにもかかわらず、未だに小沢続投を世論に問うことにどれほどの意味があるのか不明。
党首辞任を目的とする世論調査というのならわからなくもないが、しかし、やめなくても良いという世論がそれでも28%あるという現実はどうする。麻生内閣支持率の24%より高いこの数字、はて、そのことについてはどう論評するのか。当然、麻生も辞任すべき対象になるはずだが、ジャーナリズムはこの数字については言及しようとせず、支持率があがっていると表現する。野党の党首より重大な地位にある国家元首たる麻生に対し、ジャーナリズムはもっと厳しく批判的な立場をとってしかるべきはずではないか。
世論なるもの、支持率なるものがいかに危ういものであるかは、戦時下の日本、もしくはヒトラーを見ればわかろうというもの。いや、戦時下にまで飛ばずとも、あるいはヒトラーなる極悪人にまで飛ばずとも、たった数年前、小泉純一郎なる詐欺師に、国民の80%が支持を与えてしまったことを思えば一目瞭然。直近では、政策なきタレント知事に100万人もの県民が投票してしまった現実。これも世論に違いない。
もっとも、世論を動かし、支持率なるものを動かすのは、大本営の思うがままに記事を垂れ流すジャーナリズムであり、その責は大。曲学阿世の徒も然り。
そんな折、今日の東京新聞の一面を見て思わずため息をついてしまった。タイで起きたアピシット首相退陣を要求してのデモ隊の、なんと逞しくみえたことか。「デモは悪い印象を与えるかもしれないが、選挙を経ていないアピシット政権が国を運営することは民主国家の印象をさらに悪くする」というデモ参加者の言葉。これは、日本国民が言わなければならないセリフのはず。
まだ政権を取ってもいない野党党首の首を取ることに躍起になるより、やるべきことは、国民の信を得ていない首相の首を撥ねることだろう。数の論理だけが政治の正当性を示す根拠と成り下がっているこの国は、エセ民主主義国家でしかない。テポドンだの、バラマキだの、国策捜査だのと、政権を維持するためならいかなる腐りきった手をも弄する政治家たち、こんな政治家を未だに支持し続ける日本は、いまや世界有数の政治後進国。
海賊対策って・・・にゃ~に?
2009年04月21日(火)
昨日の東京新聞に「アフリカ東部ソマリア沖の海賊対策で、海上自衛隊の哨戒機P3Cに派遣準備命令が出された。周辺に展開される自衛隊は、やがて陸海空合わせて千人規模になる(…)自衛隊の海外派遣が際限なく拡大していくのではないか。こんな危惧(きぐ)を持つ(…)「いつの間に」とならぬよう、心していよう。」というコラム記事があった。そう、「いつの間に」ということほど怖いものはない。気づいたときには、元に戻ろうにも戻れなくなっているのだから。
海賊対策なんていうのは所詮表の顔。4月5日付『信濃毎日』で、千葉大の栗田禎子教授(中東・北アフリカ近現代史)が「…(海賊法案は)「海賊対策」の名のもと、今後は自衛隊が一切の地理的限定なしに海外展開することを可能にする恒久法で、武器使用基準も大幅に緩和する内容となっている。「ソマリア海賊」問題は、自衛隊の海外派兵の流れを一気に加速化・拡大し、平和憲法を掘り崩すための「罠」だと言える。一連のプロパガンダを通じて「退治」され、葬り去られようとしているのは海賊ではなく、憲法九条なのである。」(一部抜粋)と書かれているが、深く同意。この対策の最終目的は「戦争」だろうと思っている。
まさかの妄想だなんて思うなかれ。実は、日本船舶振興会(通称・日本財団)とシップ・アンド・オーシャン財団(通称・海洋政策研究財団)が昨年11月14日、「ソマリア沖海賊対策緊急会議」なるものを開催し、海上自衛隊艦艇の速やかな派遣、自衛隊法に基づく「海上における警備行動」の発令、ソマリア復興援助の実施などを内容とした緊急政策提言をまとめ、麻生首相に提出したあたりから、海賊対策の怪しさはムンムン。
海洋政策研究財団というと立派な政策シンクタンクに聞こえるが、大本山は日本財団。で、この海洋政策研究財団の会長というのが、元防衛事務次官だった秋山昌廣氏。秋山氏については、台湾国安局の対日工作プロジェクトの一環として、台湾運輸機械会社の彭栄次会長が、秋山氏のハーバード大学留学(1999年4月より2年間)の費用10万ドルを、米戦略国際問題研究所(CSIS)に送金し、そこから大学側に支払わせていたという話がある(民主党HP・2002年6月28日ニュース)。このお金の流れについて、2002年6月28日に衆議院武力攻撃事態特別委員会で、民主党の山田敏雅議員が追求しているが、無論逃げ切り。この秋山氏を会長とする海洋政策研究財団が、なぜ政府の海賊対策に口を挟んでいるのか?
海洋政策研究財団なる財団、もともとの名称は『(財)日本造船振興財団』。日本財団による団体詳細によれば、「造船業及び造船関連工業を営む企業の近代化・合理化を促進するとともに、造船関係事業に関連する公益法人等の業務の推進に協力し、もって、わが国造船関係事業の振興に寄与することで、(1)造船関係事業に関連する図書その他の資料を調査し、収集し、及び提供すること。(2)造船関係事業に関連する図書その他の資料を刊行し、又は製作すること。(3)造船関係事業に関連する海洋油濁防止及び海洋環境技術に関する試験・研究を行うこと。(4)造船関係事業に関連する海洋に関するシンクタンクの設置・運営を行うこと。(5)造船関係事業を営む企業に対し経営上及び技術上の指導を行うこと。(6)造船関係事業を営む企業の近代化・合理化のための設備のリース事業を行う者に対し資金の融通を行うこと。(7)造船関係事業に関連する公益法人等に対し、その業務の実施に必要な資金の融通を行うこと。(8)造船技術及びこれに関連する技術の研究開発を行う者に対し、資金の融通又は補助を行うこと。(9)造船及びこれに関連する運輸の分野における国際交流・国際協調等の推進に資する事業を実施し、又は当該事業を行う者に対する資金の補助を行うこと。(10)造船関係事業に関連する公益法人等の業務の推進に協力するため、会議室、事務室その他の施設を提供すること。(11))その他この財団の目的を達成するために必要な事業を行うこと」を目的として設立されたのだとか。
つまり、この財団のキーワードは「造船」。…造船…その財団が自衛隊派遣についてご執心なのは、栗田禎子教授語るところの、平和憲法を掘り崩すための「罠」としての海賊対策なのではないかと。死の商人の「希望は戦争」。
で、この海洋政策研究財団の要請とやらで、安倍前首相とつい先ごろアメリカに行ったのが、民主党の前原誠司氏。海洋資源開発などに関する日米協力のあり方を探るシンポジウム「第3回日米シーパワーダイアローグ」に出席するためだとしているが、さて・・・?そしてちょっと気になるのが、最近、100億円以上の赤字を出している朝日新聞が、ある時は社長自ら、あるときは編集局長補佐自らが日本財団会長の笹川陽平氏を訪問していること。
小沢氏に党首辞任要求をつきつけている前原氏と、小沢氏のネガキャンに命をかけている朝日新聞を結ぶ線が、なぜかここに見え隠れ。そういえば、小沢氏の師匠であった故田中角栄のロッキード事件。あれは、田中角栄が競艇を公営事業にしようとして故笹川良一の怒りを買い、笹川+児玉+CIA系を敵に回したことによる事件だったという噂も。
4月20日の朝日新聞世論調査の結果によると、アフリカのソマリア沖で多発する海賊の襲撃から貨物船などを守るため(←この質問の仕方、明らかに誘導だと思うけど?)、海上自衛隊を派遣することに賛成が61%、反対が26%、停船命令に従わない場合に攻撃できるように武器使用の範囲を拡大することについては、賛成が50%、反対36%だとか。
こうして簡単に騙されちゃうってわけ、国民は…。外国の「海賊」なるものの「退治」より前に、正真正銘の「海賊」に乗っ取られている日本丸をなんとかしなくちゃ。
豚耳西風
2009年05月03日(日)
ここ数日、豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)なるもので新聞は大騒ぎだった。小沢民主党党首の西松事件では検察のリークをそのまま晒して大騒ぎ、そしてテポドン、やっと静かになってきたと思ったら、今度は草薙君が泥酔して素っ裸なんて罪で捕まったと大騒ぎ。よくもまあこれだけ内容のない記事を、恥も外聞もなく大げさに書きまくるものだとあきれかえる毎日。どれもこれも問題の本質を突かずに騒ぐだけからデマも同然、人の噂も75日、国民もすぐに忘れてしまう。
今回の豚インフルエンザも、なぜか、笑いをかみ殺したような顔つきの舛添氏の緊急会見と、一面を使って、未だ検査結果も出ていない患者を感染者のごとく報道する新聞の乱痴気ぶり。危機管理上仕方がないことと言えなくもないが、ただでさえ大本営の発表、ニッポン国の一大事と言われれば、すぐにでも竹槍を持ちだしてきて鬼畜米英、戦争だってなんだって肯定してしまう国民性、そんな国でこのジャーナリズムの姿勢はとても危険だと思う。
この件に便乗して、総選挙の先送りなんていう話も聞こえてきたが、こちらとしては、国会議事堂の裏口に箒を逆さに立てて、少しでも早く現政権にはお引取りを頂きたいと思っているところだったから、またしてもかとうんざり。さすがに今回は、人の不幸を待ち望むような悪巧みを神様はお許しにはならなかったようで、いずれの患者もめでたく陰性。パフォーマンスは不発に終わった。
豚インフルエンザと聞いて真っ先に思ったのが、経済動物たちの人類への報復。幸い弱毒性ということらしく、大して心配する必要もないらしいけれど、この冬に大流行ということになりかねないのが少し気がかり。ワクチンが半年ぐらいでできるのそうだが、ワクチン接種には順番があるらしく、まず医療従事者が優先され、次が政治家なんだそうだ。政治が機能しなくなるからっていう理由なんだろうが、国民より政治家って?政治家なんてそう簡単に死ぬものか。ほんと、国家ってすごい仕組みなんだと改めて思ったりして。
その政治家の舛添氏の会見で気になったのが、新型インフルエンザにはタミフルが効くという発言。あの異常行動で問題になったタミフルね…。とにかく政治家の言うことなんて一切信じていないから、こりゃぁ裏アリだなと思っていたら、同じことを思う人は結構いるらしく、週間朝日の熱血編集長、山口一臣氏が『ダメだめ編集長日記』にこんなことを書かれていた。
「(田中宇氏のメルマガによると)前回、アメリカで豚インフルエンザが流行った1976年当時、全米でのワクチン接種を主導したのが米国防総省だったという。(…)当時の国防長官は最年少で就任したドナルド・ラムズフェルト(後にブッシュ政権で再任される)で、ラムズフェルトが製薬会社との関係が深かったことから、豚インフルエンザの流行は製薬会社と軍産複合体がつるんだ自作自演ではないかと疑われたという。
今回の騒動も、911テロ戦争と同様、米国防総省や軍産複合体による国際有事体制作りの戦略として、過剰な対策が採られている観が強いというのである。そういう疑いの目で見ると、今回にわかに起こった「豚インフル」騒動も裏に何かあるのではないか、という気がしてくる。すでにワクチンを製造する米製薬会社の株価が急騰していると伝えられる。マスク製造会社など、関連する会社の株も上がっている。確実に騒動で儲かる人たちがいる。そしてなにより不思議なのは、豚インフル発生直後のかなり早い段階で「タミフルは効く」との情報が広がったことだ。」(5月1日付・一部抜粋)
文中の製薬会社というのはスイスのロシュ社で、中外製薬の親会社なんだそうだ。タミフルを開発し、特許を持つのは米国のギリアド社。ロシュやギリアド社の役員がラムズフェルト元国防長官をはじめとした政治家たちというのだから、怪しさ満点。日本政府はこのタミフルを、なんと世界の売上の8割も買い占めているというのだから、さらに怪しさ倍増。27日の中外製薬の株価を見ると・・・なになに、ふむふむ、前日終値比が227円で27日終値は1845円とな?
翻ってうちのダンナさま、中外製薬の株を買い占めるほどの才覚はなく、その代わりにちんまりと、インフルエンザ対策マスクをネットで注文していた。素早い行動だなあと思っていたらなんのことはない、君が豚インフルエンザで倒れたら猫の面倒が見られなくなるから、ぼくがこれをつけて買い物に行ってあげるからね、絶対に外に出ちゃだめよ、ですって。ありがと…無駄になっちゃうかもね。
小沢氏辞任?そりゃないわ
2009年05月12日(火)
小沢一郎氏の党首辞任、非常に残念だ。その一言に尽きる。検察はこれでかつての特高と同じように、自らの手で政権を左右できるカードを手に入れたことになる。「凌雲会」の渡辺周、小宮山洋子、近藤洋介、前原誠司、仙谷由人、枝野幸男、「花斉会」の蓮舫。党の最高顧問である渡部恒三。しばしばマスコミに顔を出し、小沢氏批判を繰り返したこのメンバーは、日本の民主主義を破壊したA級戦犯と言ってよいだろう。「凌雲会」という命名は、民主主義を「凌辱」するという意味が込められていたのか。
小沢党首辞任後の民主党を支持するつもりはない。もともと民主党を支持していたわけではないし、小沢一郎の信奉者でもない。ただ、小沢氏の今回の事件は、明らかに検察が国家権力と組んで小沢一郎なる政治家の政治生命を絶とうとしたものであり、かつ政権交代阻止という、あってはならない事件であった。民主主義の冒涜以外の何ものでもない。こんな暴挙が許される国家など、民主主義国家でありうるはずがない。このままでは戦前・戦中と何らかわりない警察国家の再現を許すことになってしまうではないか。そんな危機感から、今回はなんとしても小沢氏をやめさせてはならない、民主党政権にしなければならないと思っていた。
しかし、明確な国家観を持たず、自らが選挙に生き残れるかどうかという極めて近視眼的にしか政治を捉えることのできないアマチュア政治屋どもが跳梁跋扈、小沢氏を辞任に追いやった民主党になど未練はない。せいぜい優秀な政策シンクタンク、こんな集団に政権など握れるはずはないし、国家など動かせるはずもない。まして国民の命などどうやって守る。小宮山洋子などというオバハンに、大切な命を誰が預けたいと思うものか。
書いていると悔しさがこみあげてくる。日本人は先の戦争でも、御用ジャーナリストや御用学者らに踊らされ、引き返すことのできない道を突き進み、多くの人命を失った。影で実権を握っていたのは特高(内務省)だった。その時の教訓を、なぜ今日に生かすことができないでいるのか。あの時とまったく同じ状況が繰り返されているではないか。腐れジャーナリズムによって民意は誘導され、その言論は権力の思うがままに歪められている。
こんな政治状況のままで日本は沈没してゆくのか。
鳩は飛べるかしら?
2009年05月15日(金)
明日は民主党の党首選。岡田克也氏と鳩山由紀夫氏の一騎打ちだが、勝敗の行方は最後までわからない。というのも、またしても民意誘導の材料として「世論」をマスコミが使っているからで、なにしろ民主党のお子ちゃま議員たちは、政策や政党として何をなすべきか論で党首を選出するより、世論追随、みんながそう言ってるもん方式だから、まともな投票行動など期待できない。
マスコミは小沢氏が辞任した直後から、次の党首は誰がいいかという世論調査を行っていたが、本来なら、岡田氏の政策と鳩山氏の政策の違いを国民に正しく伝えた上で世論調査を実施すべきで、これでは人気投票。しかも、鳩山党首なら小沢傀儡政治と吹き込んでいるから、まともな世論など吸い上げられるはずがない。おまけに小沢氏が党首を辞任してから後も毎日飽きもせず小沢氏の説明責任という馬鹿げた報道を繰り返していて、それだもの、国民はそうね、そうよね、岡田さんのほうがクリーンでイイワとなってしまう。
極悪人・小泉元首相を大勝させたのも「世論」なら、麻生首相の国民的人気なる偽装情報に騙されたのも「世論」。その「世論」を作り上げたのは他ならぬマスコミ。そのマスコミが足並み揃えて、民主党党首には岡田がイイと世論誘導しているのだが、はて何を画策しているのやら。一説には、記者クラブを廃止させないため、あるいは官僚の抵抗などと囁かれているが、ジャーナリズムが一斉に、これほどまでに報道に対する公平性を失い、権力に追随し始めている状況は異常。平時ではなく戦時。
このところ思っているのが、漆間巌なる人物を内閣官房副長官に抜擢したあたりから、かつての内務省が地下で息を吹き返し、内閣情報部を組織しているのではないかということ。新聞をはじめとしたマスコミが、こぞって国民の思想を一方向にしむけようとしているこの状況は、1930年代を境に日本の新聞が変貌した時とそっくり。だから、思想戦なり情報戦なりの実行部隊として、マスコミが情報国策に協力させられているに違いないと。
で、そのマスコミが岡田民主党党首実現に民意誘導しているのはなぜ?どうやら岡田氏はイオンという爆弾を抱えているらしい。イオンの社長は岡田氏の実兄である岡田元也氏、2009年の西松建設のカレンダーの9月10月の写真はお見事!・・・香川県の「イオン綾川ショッピングセンター」。イオンと西松建設の関係は深く、この他にもイオン札幌発寒ショッピングセンター、イオン直方ショッピングセンター、イオン苗穂ショッピングセンター、イオン仙台幸町ショッピングセンターなど、全国津々浦々のイオン、ジャスコの建設を西松建設が一手に引き受けている。
4月3日号の『週刊朝日』が「西松建設とイオンの深い仲」という記事を掲載したことに対して、3月24日に岡田氏は訂正記事の掲載と広告の撤去を求める抗議文を朝日新聞社に送付しているが、岡田氏が西松建設とは直接関係していなくても、マスコミにとっては好材料、衆議院解散後を狙って再び民主党潰しに奔走するだろう。小沢氏の推定無罪などどこ吹く風、今なお説明責任なる(屁)理屈で連日叩きまくっているのと同じこと。
かくなるうえは、小沢氏の無念を鳩山氏が引き継ぎ、ぜひ党首となって政権交代、議会制民主主義の確立に尽力して頂きたいところだが、いまいち迫力不足なのは残念。まあそれでも、地位が人を作るということに期待、一国を担うとなれば鳩ぽっぽだって末は鷲かコンドルか。
岡田さん、前原一派を味方につけるなんて脇が甘すぎません?すぐに寝首を掻かかれますって。
プロフィール
鈍行列車の「ちゅうちゅうとれいん」はいつも満員(ふ~っ…)!時々燃料切れを起こして更新が滞ることがありますが、どうぞ末永くおつきあいくださいネ。姉妹編の「あけみ参上つかまちゅり~」もよろしくお願い致します。
Cast
猫たちの名前が変わりました。別に改名したわけではなく、これまで「ブログネーム」だったのを「本名」にしたというだけのことです。たくさんいすぎてジュリママの頭が混乱しはじめまして…^^;

寿々(suzu):1994年生まれ。仕事部屋に入れる唯一の子。人の言葉が80%ぐらいわかるみたい。

福太郎(fukutarou):1997年4月~2008年3月20日。生まれ変わって我が家に戻ってきてくれるのを今か今かと待っています。

樹里絵(jyurie):1998年生まれ。マイペースで世話が焼けません。性格温厚で超パパっ子。

桃之輔(momonosuke):1999年生まれ。甘えっ子ですが、ものすごく臆病で、ほとんど一日中、布団の中に隠れています。

亜依子(aiko):2000年生まれ。自己主張が強くて偏屈ですが、そこがまた可愛いいんだなあ。超ママっ子です。

真美(mami):2005年生まれ。外見はタヌキそのもの、性格は犬そのものです。才気煥発で気性が激しい。

美意子(miiko):2005年生まれ? 歯を見ると6、7歳…本当は何歳だろう?一日中、文句たらたら言っています。

奈々(nana):2001年生まれ。ようやくノラっぽさもなくなり、明るい陽気な子になりました。
明美(akemi)にゃ三郎(nyasaburou)、小牧(komaki):2007年生まれ。仲良し3兄弟。毎日楽しそうに暮らしています。

里音(satone):2009年8月保護。どんな生い立ちでどんなニャン生を過ごしてきたのか、それは謎です。未来を生きる猫!
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