カエルの歌が聞こえてこない
2007年07月15日(日)
台風4号が今日午後にはこの地域を直撃すると言われていて、天気図を見ると「目」の中に入りそうな気配。昨日、小康状態のうちにと、外猫の小屋をロープで厳重にしばり、それでも、風速60メートルというから、なにもかも、猫ごと吹き飛んでしまうんじゃないかと心配だったが、逸れたらしく、今はスズメも鳴き始めたし、ヒグラシも。
雨の日の外猫たち、どこでどう過ごしているのかと、小屋にいない時には心配になるが、雨がやんで庭に戻ってきても、ずぶ濡れになっている子などいなくて、それどころか、雨に打たれたふうもなく至極きれい。雨の入らない秘密の場所があって、そこで雨宿りをしているのか。
じめじめとした雨ばかりの天気が嫌なのは、外猫たちがかわいそうだから、という理由の他にもうひとつ、ここは田んぼの多い田舎。道にカエルの大軍団が現れるのが、これまたほんとうにイヤ。
小さい頃はカエルをしょっちゅう捕まえては、水槽で飼い、ガラスにぺったりとくっつく時の、吸盤のついたかわいらしい足に見とれていたりしたから、カエルそのものが嫌いというわけではない。
カエルのことではちょっとした思い出。中学校の生物の時間、カエルを解剖する授業があった。先生が用意した大きなガマガエル、班に1匹ずつあてがわれて解剖をする。どうやって解剖したのかは忘れてしまったけれど、生きているカエルの手足にピンを刺した記憶だけはあって、嫌な思い出。あれって、まさに「生体解剖」。
その日、先生が余分に捕まえてきたカエル2匹、別のクラスの授業に使うからと、水槽の中に入れられていた。小さなカエルだって、これから解剖されることがわかっているものを、目にしているのは辛いが、それが大きなガマガエルならなおさら、しっかりと感情移入・・・助けてあげなくちゃ。
そこで一計。先生がちょっと教室を離れたスキに、友人と二人、水槽からガマガエルを持ち出し、校庭に逃がしてしまった。両脇を抱えると(それぐらい大きかった)、ネズミを獲れない猫もどき、両手足を無防備にだらりとしていた様子が今でも目に浮かぶ。
理科室は校舎とは別棟、平屋で裏口がついていたから、逃がすのは結構簡単。次の授業まで、先生が気がつく恐れはなかったし、だから犯人も特定できなかっただろうけれど、そんな破天荒なことをする女子学生、だいたいの察しはついていたか。今思えば子供の浅知恵。授業に使う予定があったのだから、いずれ他のガマガエルが犠牲になるだけのこと。
そんな思い出のあるカエルだから、雨の降る夜、車の運転をしていて田んぼ道にさしかかり、カエルの大群が道路を横切るのに出くわすと、自然に憧れての田舎暮らしだったはずなのに、後悔することしきり。
道路といってもそれほど広くはなくて、車2台がやっとすれ違えるほど。その道を、こちらの田んぼからあちらの田んぼへと移動するために使うカエル達。その数は半端じゃなくて、道路一面だもの、避けようったって避けられない。カエルをプチプチと轢きながら走るしかないという、「カエル地獄道」。
ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で呟きながら車を走らせるしかないのだが、車のライト、これがカエル1匹1匹の顔を鮮明に浮かび上がらせてくれて、実にリアル。ちっぽけながら、こちらを向くカエルと目が合うことしばしば、思わず急ブレーキを踏みたくなるが、ブレーキを踏んだところで、目の前のカエル、よけられるはずもない。
それに、たとえそのカエル1匹が助かったところで、道路に拡がるその他大勢、どうやったって助かりっこない。まあ、卵から孵って立派な大人ガエルに成長するのはごく一部。天敵だらけの娑婆のこと、生き残るのは余程の強運。だからこそ大量の卵、大量のおたまじゃくし。自然の摂理は上手くできている、といい方に解釈するしかないか。
それにしても、十年ぐらい前にはもっとたくさんいたはずのカエル、ここ数年でぐんとその数が減っている印象。我が家の庭でカエルを見る機会など、今ではほとんどなくなってしまった。そういえばヘビも減って、ジンが生きていたころはさながら「マングース対コブラ」、ジンとヘビの闘いが見られたものだが、これももうまったく見ていない。
このあたりの農家、米作りに農薬を通常の半分量しか使わないのがウリ。それでも農薬散布の目印、黄色い旗が田んぼにヒラヒラしている光景は変わらないから、少なからず生態系は壊れているはず。他には紫外線の増加や酸性雨などというのも、カエルの減少の原因とみられているらしいが、いずれも人為的な環境破壊の結果。
身近なカエルにしてこの危機、自然の中からひとつずつ姿を消してゆく生物がいるという事実は深刻、人間もいつか…と思ったりして。
写真:(上)蛙って、結構かわいい顔をしていて、目があうと世間話のひとつでもできそうな雰囲気。(下)ヘビを捕まえるのが得意だったジン。「キャー、ヘビ!ジーン!!!」と叫ぶと、必ず助けにきてくれた。
災害に遭う動物を思う人、救う人
2007年07月17日(火)
なんだか最近ちょっと静かで不気味、そう思っていた矢先、新潟県中越沖に大きな地震。その規模、震度6強、マグニチュード6.8、震源の深さは極めて浅くて約17キロというから、どれほど激しい揺れだったか想像できようというもの。
災害にあわれた皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。
2004年10月23日、近隣地域で同様の規模の地震があって、正式名称は「新潟中越地震」。その地震では70名近い方が死亡し、負傷者約5千人、避難者が約10万人、住宅損壊が約12万棟という大被害。現在もなお復興作業途中らしく、「震災復興ビジョン」なるものが策定され、実行に移されようとしている段階での今回の地震。死者は今のところ7名。
死者については、たった一人であれ、それが何百人であれ、命を亡くされた方がいるという事実は重く、だから、被害が少なかったと書いて良いものかどうか迷うが、その7名、すべてが70歳代、80歳代の高齢者というのは、痛ましい。家が老朽化していたための家屋倒壊、それが原因と新聞には書かれていたが、老いて不自由な体、逃げるに逃げられなかったのだろう。
ある夫婦、夫は不自由な足を抱えて逃げ遅れ、奥の部屋には、寝ていたらしい老妻が生きて残された。お互い自由のきかない身、二人でどんな暮らしをされていたのか。暗い部屋でこれまでの人生、思い出すでもなく天井眺めての暮らしだったのかと、その生活、余計なこととは思いつつ想像し、新聞の記事に目が留まったまま。
人の、災害被る姿を見るのが辛いのは言うまでもないこと、何かできることはないかと、ない知恵を絞るが、もうひとつ、動物好きにとっては、避難場所に姿見えない動物たちのことがやたらと気になる。2000年6月26日、三宅島の噴火。この災害時にも頭に浮かんだのは動物たちのことだった。
全島に避難勧告、すぐに戻れると思って犬は繋いだまま、猫は家の中に閉じ込めたままで避難した人が多かったと聞く。今でも覚えている新聞の写真、船で避難する中年の女性のリュックから顔を出す猫、名前は確か「音吉」、典型的な日本猫。
こうして人間と一緒に避難した動物は幸い。翌27日の段階で当地の保健所が行った調査集計によれば、避難勧告が出されていた地域の登録犬は125頭、 そのうち避難所に連れてきた犬はわずか38頭、猫などの小動物は不明。
こうした時の動物愛護団体の活動はすばやく、しかも命知らず。有毒ガスの満ちた島、残された動物を保護するためのケージが不足していると、知人の動物愛護団体から、災害発生後ほんの少したってからFAXが送られてきた。すぐに我が家にあったケージを送ったが、どんな子があのケージに入れられて避難したのか、無事、避難できたのだろうかと、気が気でならなかった。
悲しいことに実行力乏しく、自らすすんで救護活動には参加しようとしない身、それがなんとなく後ろめたかったりもするが、できるだけのことをする、それしかないのだと卑怯者の言い訳。それからしばらくは置き去りにされた動物、保護された動物たちの様子、団体の活動状況を知らせてもらっては、安堵したり悲しんだり。あれからもう7年。
被災地でのペットの扱い、この時の経験が生きたのか、その後は行政もペットの避難に心配り。先の新潟中越地震、被害の大きかった山古志村では、自衛隊の輸送ヘリで避難する住民、そこには犬の同乗する姿もあった。
さらには「新潟県中越大震災動物救済本部」が、日本動物愛護協会主導で設置されたり、新潟県獣医師会は被災動物のうち、応急手当を行った動物の診療費は無料と太っ腹。ペットと人間の絆、災害時であってもなお絶ち難く、むしろ、そんな時だからこそ側にいたいと願う飼い主の心理が、ようやく理解されたのか。
天災が起きての重篤な事態、復興ままならない時期に優先すべきは人間、動物のことを心配するなんてと非難するヒトの一人、二人。簡単な言い訳をするなら、それでも、人間は温かい同胞の応援を背に、なんとか窮地を脱することもできようが、動物はその命、人間の手に任せっきり、死ぬも生きるも人間次第。人も動物も災害の中、なんとか生きられるようにと望む思いは同じ。
人の受けた被害の大きさ、避難生活の辛さに深く思いを馳せつつ、動物に心寄せるこの心境、どうぞお許しのほど。
写真:(上)三宅島に送った同型のケージの写真を撮ろうと思ったら、たちまちのうちに占拠されてしまった。(下)普段は扉をはずしてミイちゃんの寝場所。災害時は、大きなケージ2個に4匹ずつ分けて避難しようと思ってはいるものの、相性もあって、どう分ければいいものやら。
刺す蜂、刺さぬハチ
2007年09月10日(月)
玄関のドアを開けるとブーンと蜂。玄関先の庇の、無数に開いている通風孔から複数の蜂が出入りしているから、その中に巣があるのだろう。ちょっとほっそりとしたタイプの蜂で、どうやらアシナガバチ。巣を刺激しないかぎり刺さないそうだから、さほどの心配はないと思いつつ、それでも急いでドアを閉めてしまう。
庭には、アシナガバチより数段恐ろしいスズメバチがいて、サングラスでもかけていそうなゴツイ風体に似合わず、可憐なラベンダーの花が好きらしく、いつも花のまわりを飛んでいる。それだけなら一見のどかな自然の風景。
ところが側を通ろうものなら、ウィンウィンと迫力ある羽音を立てながら頭の上を旋回し、威嚇してくるから、まあその怖いことといったらない。特に夫は、なぜかいつも追いかけられるハメに(・・・熊)。
スズメバチは肉食、だから狙いは猫のごはんで、特にマグロが好物。前の家にいた頃は、スズメバチがそれほど怖いとも知らず、外猫のごはんに寄ってくる蜂に「ハチマル」という名前をつけ、ごはんよー、などと悠長に呼んでいた。
その時は‘敵’のオーラを発していなかったせいか、あちらも和気藹々、ブィーンと飛んできて猫と一緒に(仲良く)ごはんを食べていたのだけれど・・・。
今だって共存・共生が理想。でもご近所の友人、外に干してあった洗濯物をたたんでいたら、その中からスズメバチが飛び出してきて刺され、救急車が出動するという大騒動を起こしたことがあって、さすがに怖く、ついに蜂駆除の専門業者を依頼することしてしまった。ごめん、ハチ!
写真:(上)2匹のハチワレ。刺される危険性ゼロ。(左)こちらは刺す蜂。スズメバチを写真に撮るのは極めて危険だとか。これは借り物(手抜き・・・)。
蜂のいない庭
2007年09月11日(火)
蜂の「駆除」(あまり使いたくない言葉…)を業者に頼み、作業終了。結構な時間がかかった。これでやっと庭に平和が戻った、と言いたいところなのだけれど、懸命に巣をつくっていた無数の小さな命を奪ったと思うと、どうにも後味が悪い。
玄関のドアを開ければ軒先から、庭を歩いていれば花陰から、どこから見張っているのか、間髪いれずに追いかけてきた蜂の、その姿も羽音も、何も見えず何も聞こえない。命を奪われて消えていったものの悲しみがつきまとい、心が重い。ラベンダーの花はいつものまま咲き続けているというのに。
人間という生き物、古来から「生きるために」という大義名分をふりかざし、自分にとって有益か無益か、あるいは無害か有害かという二項対立する基準の中で、あらゆる生物の生死をふるいわけてきた。異種どころか同胞に対しても同様で、それがあの悪名高き「優生学」へと繋がってゆく。
優生学の危険性は、人間の存在価値を「国家」の枠組みの中で決定づけることにあって、個々の人間の命は、国家の存続を条件に、自立できるかできないかという基準に則ってのみ肯定され、あるいは否定される。
自立能力を持つもの、要は生産性のある者だけが自由を享受する権利を持ち、そうでないものに対しては抑圧や暴力が正当化される。優生学者の定義する「低価値者」は、抹消的優生学の対象となり、それがヒトラーの出現を、ある時期正当化する理由ともなっていった。
(…で、突然の思い出し。日本版ヒトラーの現東京都知事、「府中療育センター」での重度障害者を視察後、「ああいう人ってのは人格あるのかね。経済性ってことだけに触れないと思うけど、やっぱり永久に採算合わないだろうし、安楽死とか考える人もいるだろうね」と。そんな人物を批判するでもなく受け入れる東京都民って?)
蜂といえども生きる「権利」、人間によって生死が決定づけられることに対し、どうにも違和感がぬぐえない。自らの手で命に価値をつけ、選別したことへの後ろめたさからなのか。
あらゆる生き物に対し、その存在を否定することなく、また否定による暴力への転化に加担することなく生きていきたいと思うのだけれど、生きるため、生きてゆくためには、何らかの命の犠牲の上に立つという大前提は、到底覆せないか。
蜂を駆除しただけでそんなことを思うなんて、ちょっとオーバーかしら。
写真:(上)優生学で言えば、自力では十分にごはんを食べることができないムメちゃんは、たぶん淘汰の対象。けれど飼い主にとってのムメちゃんは、側にいてくれるだけで十分にその存在価値がある。いつまでも元気で長生きしてね。(左)ラベンダーは、昨日も今日も変わりなく・・・。
3.03030303センチの虫にも・・・
2008年08月14日(木)
暑くてたまらない。こんな暑い日に買い物に行くなんて、考えただけでもウンザリしてしまうのだけれど、猫たちの缶詰が底をついてしまった。人間なら卵の一つ、トマトの一個もあればなんとかなりそうだけれど、猫に「ありあわせ」なんていう言葉はまったく通用しない。
仕方なく、近くの大型スーパーまで車を飛ばした。お盆休みのせいか、父親と一緒の家族連れがたくさんいて、どこの売り場も大変なにぎわい。人の大勢いる場所が苦手なので、ズリズリと後ずさり、しっぽを巻いて逃げの体勢に入ったが、手ぶらで帰れば、猫たちにどんな顔をされることやら。
ペット売り場では「生体」(嫌な言葉だなあ…)を扱っているから、そこに行く時は遮眼帯をした競走馬よろしく、猫の缶詰売り場めがけて一直線、一切脇目を振ることなく商品を選び、レジに並び、思い切り素早い行動を心がけて売り場を去る。
それなのに…今日ときたら、売り場に入るドアのすぐ左側に「昆虫館」なるものが設置されていて、否が応にも目に入ってしまう。館と言ったって、売り場の片隅の、せいぜい3畳ほどのスペースを囲って作った掘っ立て小屋、その真ん中に太い木が一本デンと置かれている。なんだろう、これ…?
入り口には「ご自由にお入りください」とあり、中にはカブトムシらしき昆虫がたくさん放されている。すでに何人かの子ども達で満員、昆虫を素手で捕まえたりしてはしゃいでいるが、その光景は、子どもと昆虫とのふれあいなどというメルヘンチックな世界からはほど遠く、地獄絵さながら。
玩具とでも思っているのか、何かの虫の長いヒゲの先端を持って思い切り振り回しているのは、小学校3、4年生の男の子。子ども達の足元にも昆虫がいっぱいいるのだけれど、気遣って避けようとする子などなく、平気で踏みつぶしている。だから、床は潰れた昆虫たちの死骸で真っ黒。
それを見て、かわいそうにと思うふうでもなく、あるいは気味が悪いと思っているふうでもなく、死骸の塊に指をつっこみ、クルクルと無表情にかき混ぜている子もいる。外から見ている親たちは、「踏んじゃだめよー」と笑いながら声をかける。
命を軽視するこの感覚、この鈍感さっていったいどこからくるのだろう。心の底から猛然と怒りが湧き上がる。昆虫も生きているのよ、命があるのよ、どんなにちっぽけでも、たったひとつしかない命を一生懸命生きているのよ・・・そう言葉にしたかったが、この人たちと言葉を交わすことがなんとも億劫に思え、黙ってその場を後にしてしまった。
小さな命との共存共生を学ぶ機会もなく、命の消えゆくさまを悲しいとも思わない子ども達。この子達はこれから先、どんな社会を作ってゆくのだろう。
写真:(上)にゃあちゃんも、もうすっかり鼠や鳥や虫を捕まえる生活を忘れてしまいました。(下)イジメ?いえいえ、かわいさあまってのこと・・・。
野鳥保育園
2009年06月30日(火)
真美ちゃんの脇の下が赤くハゲてしまってなんだか痒そう。皮膚の炎症は厄介なものが多いと聞いていたので、先週の金曜日、動物病院に連れて行った。原因がよくわからないということで、とりあえずステロイドと抗生物質を処方して頂き、今日はすっかり良くなっている。というわけで、この件は一件落着。ところが、真美の治療と引き換えにちょっとしたお荷物を抱えてしまった。
動物病院に行くときは猫一匹だったのに、帰りは鳥の赤ちゃんが一緒…。動物病院の前は2車線の道路。私の車の前を、鳴きながらヨチヨチと横切る幼鳥に出くわしてしまった。見なかったことにしようと自分に言い聞かせ、いったんは動物病院の中に入ったものの、車の行き来が激しい道路、放っておけばきっとペチャンコ。必死で道路を渡っていたその姿が頭から離れず、気分はそぞろ。
意を決して道路に戻ってみると、鳥を除けながらスピードダウンして走る車の隙をぬって、道路の一番はずれまでたどり着くところ。車が切れたところで道路に走り出て捕まえ、動物病院でダンボールの小さな箱を頂き、その中に入れて連れ帰ってきてしまった。
動物病院の先生からは「野鳥は捕まえちゃだめですよ、親鳥が迎えにきているはずですから。飛べるようになったら放鳥してくださいね。」とキツイお達し。もうすでに何回もスズメの幼鳥を拾っては放鳥しているし、野鳥の会などにも相談したことがあるので、そのあたりのことは重々承知。「保護」じゃなくて「誘拐」だっていうことも。
でも…親鳥が迎えに来るっていったって、あの2車線の道路でどうやって幼鳥にえさを与えるというの?どうやって元の巣まで誘導することができるというの?帰ってからネットで調べてみると、翌朝早く、落ちていたあたりに幼鳥を連れてゆくと、親鳥が迎えにくる可能性があると書いてある。
眠れない布団の中で、あの子にとって何がベストなんだろうと考えていたが、あの道路の近くに放したところで、助かる見込みなんてまずありえない。人間が、自然の摂理に逆らって手を貸すのが必ずしも良いことだとは思えないけれど、助けられる命なら助けてあげてもいいんじゃないかと、明け方になってようやく覚悟を決める。放鳥までの間、あの子の命を預かろうと。
以前に2回ほど、ツバメともう一種類はなんだったか、道路の真ん中で一羽が絶命していて、その鳥の上をクルクルと旋回して離れようとしない親鳥だか、夫婦の片割れだかの様子を目撃したことがあって、なんとも可愛そうでならなかった。そんなことも思い出して。
というわけで、一時「野鳥保育園」を開園。幼鳥はスズメではなく、カワラヒワという種類らしい。羽根を広げると黄色い線が入っていて実にきれい。それよりなによりこの鳥、飼い主の楽器の演奏に合わせて美しい声で鳴くのだとか。楽器の種類は何でもいいのかしら?楽器に合わせて歌ってくれるその日まで、飛べないでくれるといいなあと密かに思ったりして。
だめだめ!情が移らないようにしなくちゃ。
写真(下):ま~ったく、酔狂としか言いようがニャイ・・・今度は鳥だってサ。
やっぱり野生・・・
2009年07月04日(土)
カワラヒワの幼鳥を保護して1週間経過。まだ、アワ玉とフィーストをお湯でふやかしたものを、口の中に入れてあげているのだけれど、いつになったらひとりでエサを食べられるようになるのだろう?
昨日の新聞にカワセミの親子の写真が掲載されていて、説明文を読むと、母鳥は小魚をくわえてはきたものの、子供たちにはあげずに食べてしまったのだとか。そうすることで子どもはお腹を空かせ、自分でエサを捕るようになるのだそうだ。子離れの準備。
自立ねえ…。というわけで、鳥かごの床に、いろいろな種子の入ったエサ入れを置き、屋根からは粟の穂をたらし、なんとか一人でエサが食べられるようにと仕向けているところ。でも、エサの中に入ってバラバラとエサを蹴散らしてはいるものの、食べている気配はゼロ。仕方なく4時間置きのエサやり続行中。
カワラヒワというのは野性味が強いらしく、スズメほど愛くるしい仕草もしないし、人間に懐く気配も見せない。エサを要求するだけ要求し、お腹がいっぱいになると指を思いっきり齧り、足をバタバタさせて逃げようとする。う~ん、可愛げのないヤツだ。
・・・と思う反面、このぐらい人間を嫌ってくれると、ありがたいことにさほど情が移らなくて済む。小さな瞳にむかって「しっかり生きるんだよ」と言い聞かせ、それぐらい気が強ければきっと一人で生きてゆけるよと、むしろその逞しさが、放鳥に向けて自分の気持ちを納得させるに十分。エサを自力で食べられるようになったら、近くにある「野鳥の森」に放鳥してあげよう。
クダンの猫たちはといえば…あまり興味がないらしく、エサをあげている時に、ドアのガラス越しに何匹も顔を覗かせているのだけれど、なーにあれ?ぐらいの表情。猫が面倒を見てくれるとラクなのになあ。
写真(上):野性味ゼロ・・・
写真(下):狭い鳥かごにいろいろなものを入れて放鳥の準備
森も自然も命もろとも・・・
2010年01月15日(金)
私の住んでいるところはイ・ナ・カ。まだまだ自然がたくさん残っていて、寒い冬がようやく通り過ぎる頃には、ウグイスの鳴き声で目が覚め、それからもう少し経つと、ホトトギスの声。文化からはほど遠く、目の保養になるような贅沢品も、この付近では一番垢抜けていると言われている「デパート」に行っても、お目にかかることはできないけれど、野鳥の声が間近で聞けるなんて、いまどき最高の贅沢かもしれない。
ところがここにきて、東京への(かろうじての)通勤圏内ということもあって、中途半端な郊外は、「開発」の名の下に、どんどん自然が破壊され始めている。ついこの間までは道路脇の深い森から野ウサギが飛び出してきたり、たぬきの親子が姿を見せたりしていたのに、今ではその森もすっかり姿を消し、酔っ払って帰ってきたら、どこが自分の家かもわからないほどそっくりな西洋ふうの家々と、高層マンションやホームセンター、ペラペラの建材にどぎつい色のペンキを塗りたくった、ぺらぺらのファミリーレストランが建ち並ぶ。まるで、追われた動物たちの墓石みたいに。
我が家のすぐ側にも鉄道が延びてくるとかで、工事の真っ最中。不便でも良いから自然が欲しいと思って転居してきた身としては、駅が近くなることなんて、朗報でもなんでもない。それよりも、深い森の木々が根こそぎ倒され、赤茶けが土が丸見えになっている光景を見ることのほうがずっと辛い。そんなある日、「イノシイが出没しているので注意してください」という広報が流れてきた。深い森を削られ、棲家を追われたイノシシが人里に現れたのだろう。あの巨体だもの、逃げ隠れすることなんてできるはずもなく、だから早晩命を失うに違いない。憐れでならない。
人の住むところに出て来ちゃいけないよ。お願いだから、人里離れたもっと奥の森に逃げておくれ。なんとか命永らえておくれ。そんなことを思っていたら、14日に鳩山首相、首相官邸で開かれた温室効果ガス25%削減に向けたイベントで、こんな挨拶をされたそうな。「いま1日100種類の命が失われている(…)人間が存在しているからこそ、このような地球になっていることを謙虚に認めなければならない。」
<写真(上):我が家のシロウサギは安泰。>
正丸峠とペットショップ
2010年05月02日(日)
預かった犬や猫の遺体を正丸峠に遺棄していた事件の犯人が、廃棄物処理法違反罪とペットの火葬代金をだまし取った詐欺容疑で逮捕された。てっきり合同葬でのことかと思ったら、個別葬ということにして結構なお金を受け取り、次から次に遺棄していたらしい。最近では、月約60件の依頼があり、70~90万円の売り上げがあったという。いったいどれほどの数の犬猫たち遺棄されてしまったことか。
もしわが子がゴミのように棄てられ、冷たい雨に打たれながら土に還ってしまったことがわかったら、夜も眠れぬ苦しい日々を過ごすことになっていたに違いない。飼い主の方たちのショックは、想像以上のものだろうと思う。そんな中、被害に遭われた方たちが、「伴侶動物死体遺棄、被害者の会」(←HPがなぜか消えてしまいました。5月11日補足)を発足された。ブログを拝見すると、険しい山の中を滑り落ちそうになりながらの遺体回収作業。飼い主たちの悲壮な思いと、一匹でも多くの子を見つけ出してあげたいという熱い思いが伝わってきて、胸が痛む。遺棄されてしまったすべての子たちが、安らかに眠れる日がきますように・・・。
ついでに、ペットの葬儀の話でちょっと思い出したことを。寿々の葬儀をお願いした動物霊園で、そこの女主人がポロリとこんなことを言っていた。「ウチはいろんなところから依頼があるんだよ。ここの、合同で埋葬する墓地には、ペットショップ○○の子達も入っているんだから」と。ペットショップ○○というのは、近くのホームセンターのペット売り場のこと。ペット用品の売り場の奥には生体売り場があって、いつもたくさんのケージが積み上げられている。
女主人は、大きなホームセンターからも信頼されているほどの動物霊園だということを言いたかったようだけれど、その話を聞かされた私の頭を駆け巡ったのはそんなことではなくて、そのペットショップ、時々、バーゲンなんていうのもあって…もしかすると、売れ残った子たちはお店でこっそり処分しているということ?処分して動物霊園に運んできているの??それ以外考えられないじゃない、ということ。
自治体では、犬猫の引き取り費用の請求書に「ごみ引取処理料」と記載するのだそうだ。犬や猫はモノじゃないし、ましてゴミなんかであるはずがない。ニッポン、そろそろ動物に対する考え方を、根本的に変えなければならない時期がきているように思う。もっと動物に対して優しい国になれれば、人間に対してだってきっと優しい国になれるはず。「友愛」ネ。
ペットショップ○○では、それ以来一切ペット用品を買っていない。たった一人の不買運動。
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写真:にゃんだか、怖い世の中だにゃ~・・・
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殺処分ゼロへの取り組み
2010年07月04日(日)
『犬猫救済の輪』という、川崎市を中心に、殺処分ゼロを目指して活動されている動物愛護団体のHPがある。その中に気になる記事があって(どれもこれも気になるものばかりだけれど)、いつかそのことについて書きたいと思いながら、世事にかまけていまごろ。『アエラ』(2010年6月21日号)の「全国自治体調査、59都市ランキング・犬に優しい自治体はどこか」という特集の紹介記事。
それによると、犬に優しい自治体の1位は熊本市なんだそうだ。熊本市の場合「引き取らない」ことにも力を入れていて、捨てに来た飼い主に職員が徹底的に説得を行い、連れ帰ってもらうことで殺処分数を減らしており、殺処分ゼロに向けた取り組みの結果、09年度に引き取った犬が453匹で、そのうちの実に411匹が返還・譲渡につながり、収容中に傷病死した犬を除けば、殺処分した犬は1匹だけだったという(なぜ1匹だけ助からなかったのだろう・・・。それより、総数が合わないのはなぜ?)
以下2位が兵庫県西宮市、3位が神奈川県。評価は「致死方法」「返還・譲渡率」「定時定点収集の有無」、そして、どれだけ里親探しに力を入れているかを判断できる「団体譲渡の有無」、「飼い主への啓発や職員のモラル向上につながる「情報公開度」、引き取る際の「獣医師の関与度」を基準にしている。
動物愛護への姿勢は自治体によって温度差があり、下関市動物愛護管理センターでは、精神的な苦痛を取り除いてあげることはできないから、せめて肉体的苦痛だけでもなくしてあげたいという理由で1億円の殺処分機を購入。大阪府では、09年度から獣医師が麻酔薬を注射する方法に切り替えている。
注目したいのは横浜市で、2011年5月開設を目指す総工費38億円の横浜市動物愛護センターの場合、殺処分ゼロを実践する独ベルリンの動物保護施設の資料などを取り寄せ、参考にしながら設計したとかで、そもそも殺処分機を設置しない。「機械の導入に頼らず、譲渡を推進する事で殺処分を減らしていく決意」(横浜市動物愛護センター整備担当課長)というのだから、これはすごい取り組みだと思う。
この季節、子猫たちがあちこちで保護されているが、保護された子たちはよほどの幸運、強運の持ち主。大方の子猫たちを待ち受けるのは殺処分という苛酷な運命で、我が家にも、あと一歩で保健所行きだった子たちが複数いる。「殺処分」という言葉がかくも軽々しく使わていることに憤りを感じるが、それが平然と行われてきた日本のこれまでの動物愛護に対する行政の取り組みは、一切の評価に値しない。
そうした行政に、今少しずつ改善の兆しが見えていることは大いに歓迎したいところではあるし、また、ここに到るまでに多くの心ある方たちの、並々ならない努力があったことに対しては大いに敬意を表するものではあるけれど、苦痛軽減のために購入したという下関市動物愛護管理センターの1億円の殺処分機、大阪府の麻酔による殺処分、これらを動物愛護の前進だとして好意的に受け止めるには、いささかの抵抗があるというのも正直な気持ち。
以前アメリカの愛護団体のホームページで、安楽死をさせられた猫たちが無数に横たわる写真を見たことがあるが、その写真を見てつくづく思ったのは、安楽死なんて名ばかり、結局は生きる権利を奪っただけのことではないかということ。「安楽死」なる言葉の定義は、人間以外の動物にとっては、あくまでも殺す側の論理の上でしか成り立っていない。動物たちには、死にたくないと主張する権利も、生きていることの権利の一切も認められていやしないのだもの。
殺処分の方法がいかに「安楽」なものであっても、その行為は間違いなく、生きていてはならないという論理の上に成り立っている。これから先求められるのは、動物たちが安楽に死ねるための法整備ではなく、決して殺してはならないという法整備なのだと思う。横浜市の動物愛護センターが、今後なにかしらの実績を積んでゆくことで、全国的にもこうした取り組みが広がるだろう。それを期待したい。もちろんその前提として、飼う側にも強く命への責任が問われていることは言うまでもないこと。
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写真:にゃあちゃんは純ノラさんの産んだ3匹のうちの1匹。ご近所の通報で、保健所の人が捕獲しにきた直前に3匹を保護。あの時は間一髪だったわねえと、今でも頭を撫でながら話している。お母さん猫は避妊手術をしてリリース。今も時々姿を見せます。
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パンダが麻酔で死んじゃった
2010年09月13日(月)
朝日新聞(2010/09/10)に、神戸市立王子動物園のパンダ「興興(コウコウ)」ちゃんが、人工授精の麻酔中に死亡したというニュースが掲載されていた。興興は14歳で、メスの「旦旦(タンタン)」に発情の兆候が表れたため、麻酔を打って人工授精用の精子を採取したが、麻酔から覚める途中で心肺停止状態になって死亡してしまったのだそうだ。
興興と旦旦は、神戸市と中国野生動物保護協会との日中共同飼育繁殖研究の目的で飼育されていて、阪神大震災の後に来日したこともあって、神戸市の「復興」のシンボル的な位置づけだったという。神戸市民のみなさんもさぞがっかりされたことだと思う。
実のところこの記事、他人事ではない。医学の知識なんてからきしないからよくはわからないけれど、麻酔が覚めずに死んでしまったというのは、興興の麻酔に対する体質的な問題があったのかもわからないが、香港メディアが「麻酔薬の量が適当でなかった可能性がある」と報じているように、たぶん医療ミスの可能性のほうがずっと高いのだろう。
我が家の桃之輔もついこの間、抜歯手術の際に麻酔がうまく覚めず、死ぬのではないかという恐怖を味わったばかり。まあ、桃之輔の場合は病気治療という名目があっての麻酔だったから、それはそれで仕方がなかったとしても、興興はあくまでも人間の都合。「産む機械」が壊れちゃったという感覚がどこかにあって、かわいそうに思えてならない。
そもそも、生態系に人間が手を加えるというのはいかがなものか。19世紀に毛皮目当ての狩猟がブームとなって一時は絶滅しかけたというパンダ。20世紀に入ってその保護に目が向けられるようになったものの、繁殖率が低いうえに開発によって生息地が狭まったこともあり、その数は減るいっぽう。現在中国の生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは約200頭、野生は1600頭ほどしか生育していないのだそうだ。増えてきているそうだけれど、それでも微々たる生息数、それもこれも人間のせい。
トキにしても、こうした人工繁殖のニュースを見るたびに、生態系を人間の都合にあわせて増やしたり減らしたりすることへの、えもいわれぬ嫌悪感。どれを生かすかどれを殺すかも人間の采配に任せられているかのようで、まったくもって最悪じゃない?
数年前まで我が家の近隣にあった森や林は、大型開発で跡形もなくなくなってしまったが、それと同時に、かつて生息していたたぬきも野うさぎも雉も、今ではすっかりその姿を消してしまっている。生息地を奪いとり、そこに生きていた動物たちを根こそぎ追い払い、気がついたら人間以外に何も生き物がいないとなって大あわてで繁殖させる・・・。
先日読んでいた『シュレディンガーの哲学する猫』(竹内薫+竹内さなみ・中公文庫)の中で、主人公がこんなことを言っている。
━いつから人間が動物の主人になったんです?人間が飼っている動物しか生きている権利はないんですか?誰がそんなこと決めたんです?人間が地球を創ったわけでも、動物を、植物を創ったわけでもないんだ。人間、人間って、そんなに人間は偉いの?ただの人間じゃないか!━
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写真:我が家の「哲学する猫」。いつも鼻にしわを寄せて考え事をしている(かな?)
クマを射殺するよりも・・・
2010年10月30日(土)
このところ毎日のように、人里にクマ出没のニュース。そして、歩くクマの写真が掲載されている記事の最後には必ず「射殺された」の文字が踊る。この間は親子グマだったこともあり、なんだかとても重たい気分になってしまった。まさか、母さんと一緒に人里に下りて殺されるなんて思いもせず、その日の朝も、きっといつもと変わることなく母さんの暖かい腕の中で目覚めたに違いない。そう思うと、親も子も不憫で仕方がない。擬人化したところでしょうがいないのだけれど、親子グマ哀れ。
親子で射殺されたという記事を探してみると、出るわ出てるわ。10月だけでも4日が富山県、18日が新潟県と北海道、21日が京都府、23日が福島県、27日が福井県などなど。母熊と子グマ2頭という組み合わせが多いから都合3匹、ここに挙げただけでも20頭近いクマが殺されたことになる。福井県のケースは、保育園横の空き地でクルミを食べていた親子。親を射殺した後、子グマは山に放すつもりだったらしいのだけれど、子どもたちはショック死してしまったのだそうだ。山に放たれても、親のいない子グマがどこまで生きられるのか。
立て続く親子グマ射殺に対し、市町村や猟友会には「クマが可哀想だ」との苦情が殺到しているのだとか。どのケースも市街地に出没しているから、住民への被害を未然に防ぐためには止むをえない処置だったとしているが、抗議の内容が情緒的に過ぎるという問題は置いておくとして、「人間の前に姿を現した動物は殺す」という安直なやり方には、どうにも違和感がある。
熊の「駆除」(嫌な言葉だなあ・・・)を引き受けている「大日本猟友会」の本部の方がおっしゃるには、「クマがどれだけ危険なのか現実を分かっていない人が多い。人間の命がかかっているのに、クマはかわいいだとか、クマが可哀想だとか、もうガッカリを通り越して、参ったという感じ」。
麻酔銃を使って山に誘導するやり方は、どれも突然民家近くに現れた野生のクマに対しては机上の空論。大きなヒグマは160キロから200キロあるそうだから、生け捕りも容易ではないのだそうだ。麻酔銃や捕獲には結構な費用がかかる。だから手っ取り早く射殺してしまおうというのが、行政の本音のようにも思えるのだけれど。
まあね、自分の身に置き換えれば、いくら猫好きでも熊は別。我が家の庭にクマの親子が現われたら、暢気に「カワイイ」なんてとても言ってはいられないだろう。一刻も早く「なんとかして」(←具体策なし)と思うに違いない。でも目の前で射殺されるなんて絶対に嫌だし、ほんと、なにか良い方法はないものか。
そんなことを思っていたら、山梨県で活動している、「NPO山梨ツキノワグマレスキュー」なる組織が目に入った。放獣を専門に行う県内初のNPOで、自然保護団体や獣医師らが中心となって、市町村から依頼を受けて放獣を担う組織なのだそうだ。人里に戻らないよう、爆竹などで脅かして山に返すという。山梨県でも、昨年までは放獣するシステムがなかったので、県内のほとんどの熊は捕殺されていたらしい。
ところが、県内のツキノワグマの生息数は約400頭で、2005年の県のレッドデータブックでは、絶滅の可能性がある「要注目種」になってしまっている。そのため、2007年からはできる限り山に放すことに方向転換。自治体はクマが人里に降りてこないための対策を講じ、自然保護団体も殺処分をやめるよう陳情を繰り返すなど、山梨県は人と熊の共生に向けて、他の地域の一歩先を歩み始めているようだ。
「すぐに処分する現状ではツキノワグマが消えてしまう。放獣を増やし、人と共生できる環境をつくりたい」とは、先のNPOの代表者の方のお話しだが、そう、キーワードは「共生」。「かわいそう」という感情以前の問題として、「共生」の道を探るのが、地球上に棲息している多種多様な生物の、僅かひとつの種にしか過ぎない「人間」の取るべき道なのではないかと、つくづく思う。
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写真:明美は冬支度
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畜産農家と口蹄疫
2010年11月03日(水)
口蹄疫が終息し、これから厳しい復興に取り掛からなければならない宮崎県。他県の人たちにとってはすでに過去、宮崎県でも、畜産に関係のない一般市民の間からは、もう口蹄疫の話題はのぼらなくなっていると聞く。当の県の首長はといえば、口蹄疫蔓延の責任も取らず後始末もせず、自分のステップアップに利用しようとする能天気ぶり。30万頭にもおよんだ家畜の無残な死と、大切に育てあげた牛や豚を目の前で殺処分された苦しみを、今なお引きずる畜産農家の方たちを踏み台にするとはいい度胸だと、あの間の抜けたウマヅラを見るたびにむかっ腹。(馬さん、ごめんなさい)
口蹄疫については、畜産の現場を知らないし、そもそも世界の中での日本の畜産の位置づけ、あるいは日本の中での宮崎の畜産の位置づけがはっきりわからないので、口蹄疫が残した傷跡が、今後畜産業にどういう影響を及ぼすのかを理解するまでには、残念ながら至らない。まして、あの時の政府の対応も首長の対応も、おそらくいろいろな問題を残しているのだろうが、それを指摘することなんてできやしない。それでもなお口蹄疫の行く末が気になってしまうのは、畜産が「経済動物」という概念の上になりなっているはずなのに、殺処分に対する畜産農家の方たちの、あの無念の涙をどう理解すればよいのかという思いから。
とても誠実に口蹄疫を検証されている、ある養鶏農家の方のブログを拝見していて思うのは、家畜を経済動物として考えているのか、あるいは家族の一員として出荷まで育てているのかは、どうやらそれぞれの畜産農家の方たちによって温度差があるということ。ある養豚農家は、今回の口蹄疫報道で一番腹が立ったのは「家族同然の家畜を殺された」という報道で、あくまで豚は「経済動物」であって、動物愛護の意識で殺処分は悲惨という言い方は感情的にすぎないとされている。その発言に対し、この養鶏農家の方は強く反発されていて、鶏の命を「彼女たちの命は重い」と語る。
卵を採る鶏は通常300日。この農家の場合だと400日から450日で廃鶏として出荷するのだそうだが、これまで育ててきた鶏を移動コンテナに詰める作業は、何回やっても胸がふさがれる思いになられるのだそうだ。「そう思ってはならないと思っても、自分の手にぬぐっても取れない血が付いていると思う時があります。だから、私たちは自分の稼業を因果だと思い、だから優しい人も多いのです。」
養鶏農家だけではない。淘汰前日に餌を無駄だからと思って切ってしまう農家からは鶏を引き取らないという、鶏を処理する廃鶏屋さんもいるのだとか。これから死に行く者に、最後の餌もやれない者には、根本的に生きものと関わる何かが欠落しているというのだ。なんだかすごい・・・。命と壮絶に向き合って生活する人たちのこうした言葉を聞くと、なまじの動物愛護精神なんか、とても勝てやしないとさえ思えてくる。
ブログのコメント欄には、セリ市場の繋ぎ場に牛を繋いで帰る時、後ろを振り返れない。固体識別番号検索でセリ直後に屠畜されているのを見ると、なんともやるせない思いだということを切々と書かれている牛の畜産農家の方がいた。そして「盲導犬や介助犬の退役後、最期を看取るボランティアがあると聞きましたが、いつか私も引退して、可能なら、その牛版をやってみたい気もします。」と結ばれているのを見て、今度は私の胸がふさがれる思いがした。
30万頭の牛や豚の命が奪われた口蹄疫。あの時は、ただただ無益に殺されてゆく牛や豚を哀れに思うだけだったが、今はその思いが、畜産農家の方たちの思いと次第につながりつつあることを感じている。一日も早く復興されますように・・・と、そう思うことしかできないのだけれど。
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写真:真美は自力で食事を取ることができない。とてもとても手間がかかるけれど、だからこそ余計、かけがえのない命に思えて仕方がない。
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雪が降る
2011年01月18日(火)
布団の中に猫が5匹。右の腕の中に奈々、左の腕の中に亜依子、お腹の上には里音がいて、足元には桃之輔が潜っている。頭の上には真美。夫の布団には樹里と美意子。竹やぶ3兄弟は小さいころから布団の中に入る習慣がなく、朝日が昇るころ、明美がニャーニャー言いながら起こしにくるだけ。猫が5匹も布団にいると、外が零下なんていう日でも暑いぐらいだから、布団からちょっと足を出していて丁度いい感じ。
日曜日の朝もそんな調子だったから、シャッターを開けるまで、まさか外が雪景色になっているなんて思ってもいなかった。わあ!外の猫たち寒かっただろうなあ。心配になってタゴちゃんの小屋を覗くと、中に入れてある猫ベットの中にすっぽりと潜りこみ、さすがにぎゅっと体を丸めて寝ている。
タゴの小屋は犬小屋で、小屋の中に二重にしたダンボール箱を入れ、周りに断熱シートを巻いてある。中にはモコモコの猫ベットが入っていて、さらに人間用の2枚重ねのマイヤー毛布を敷いてあるから、小屋の中に手をいれるとポッと暖かい。以前、ホカロンを屋根だのなんだのに貼ってあげるといいと言われ、実践したことがあるけれど、あれはなぜか不評だった。
クウちゃんは気難しい子で、ふかふかの毛布が嫌いらしく、タゴのように手をかけるとかえって小屋に入らなくなってしまう。もう13年も風邪ひとつひかずに外で生活しているから、たぶん丈夫な体質なのだろう、そう思って機嫌を損ねない程度に暖かくしてあげている。でもさすがに雪の日は気がかり。松吉もふかふか毛布が苦手らしい。
我が家には自称「気象予報士」がいて、寝る前に必ず明日の天気を教えてくれる。天気図を見るのが趣味で、さらに解説するのも趣味。気象予報士の資格を取ろうかなんて言っていたこともあるほどなのだけれど、この予報士の予報がどうも眉唾。猫が顔を洗うとか、下駄を投げて明日の天気を占うというのとドッコイドッコイの確率。
明日、大風が吹くからネと言われ、猫小屋が吹き飛ばないようにと紐でぐるぐる巻きにし、夕方から大雨が降ると言われ、やれ波板だなんだと買い込んできて、猫小屋のまわりに立てかけて準備万端。ねえ、大風っていつ吹くの?あのサ~、大雨、いつになると降り出すの?・・・そんなことが何回あったかしら。で今回の予報も、「雪」じゃなくてたしか「晴れ」だったよね。
明日はどんな天気になるかわからないけれど、気象予報士に頼るまでもなく、あと2ヶ月は寒い日が続くだろう。待ち遠しいのは春。早く来ないかなあ、ハル。ねえ、猫さんたち、早く春になるといいねえ。
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写真:中の子たちは雪の日もぬくぬくと・・・。
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猫探し
2011年10月27日(木)
昨晩のこと。夜10時ごろ、一日の仕事を終えてやれやれとソファに腰を下ろして、ふと「あらっ、小牧は?」と私。11匹もいると、どの子がいるのかいないのかなんてわからないのではと思われるかもしれないが、不思議と全員の存在はいつも感じていて、夜のくつろぎの時間には11匹+2人が必ず顔を合わせる。
ところが昨晩は小牧の姿だけが見えない。どこに行ってしまったのだろうと夫と手分けをして部屋中探したけれど、ベットの下にも納戸の中にもいない、いつも寝ている鍵盤楽器の下も、トイレも洗面所もお風呂場も、本棚の上も食器棚の上も冷蔵庫の上もすべて空っぽ。狭い家だから隠れる場所なんてたかが知れている。それなのに、これだけ家の中を探してもいないということは・・・もしかすると外に逃げてしまったとか?
我が家は猫の脱走防止と、靴につけた土から猫の病気が感染しないようにと、玄関は2重の扉になっているから、外に出てしまう可能性はまずないのだが、一抹の不安がよぎる。義父が80歳を超えた頃、一度も脱走したことがない猫を外に逃がしてしまったことがあって、それというのも高齢ゆえのぼんやりから(猫、無事ご帰還)。高齢にはかなり(!)遠いけれど、ぼんやりなら誰にも負けない。昼間、私がドアを開けた時にスッと足元から逃げてしまったのかもしれない。
「まさか、あり得ない」という夫の言葉を遮って、他に可能性はないからと外に飛び出して探してみたものの、真っ暗闇の中でみつかるはずもない。実は、小牧は11匹の中で唯一触れない子。「小牧ちゃん」と呼ぶと、目を細めて「ニャニャッ」と返事をしてくれるまでにはなったが、未だに人間が触れることだけは許してくれていないから、もし逃げたとしたら保護できる確率は低いし、おまけに我が家はまだ自然がいっぱい残っている田舎、林の中にでも入り込んでしまったら見つけ出すことは不可能に近い。
途方に暮れながら家の中に戻ると、明美が「こっち、こっち」という表情をして階段の上から私を呼ぶ。呼ばれるままに2階に行くと、本箱と鍵盤楽器の間を見ながら「ここよ、ここ」という顔をするので覗いてみると、いた!・・・私たちが大騒ぎをしているのがよほど怖かったのだろう、入ったこともない狭い隙間に入り込み、身を潜めてじっとしていたらしい。
小牧の顔を見た途端、緊張がほぐれて脱力。人間に心を許してくれてはいないけれど、この子は大切な家族の一員なんだと無性に愛おしくなり、小牧の代わりに傍にいた明美をぎゅぎゅっと抱きしめる。
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(写真):小牧ちゃん、呼んだらお返事ぐらいしなくちゃだめじゃないの。
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プロフィール
鈍行列車の「ちゅうちゅうとれいん」はいつも満員(ふ~っ…)!時々燃料切れを起こして更新が滞ることがありますが、どうぞ末永くおつきあいくださいネ。姉妹編の「あけみ参上つかまちゅり~」もよろしくお願い致します。
Cast

樹里絵(jyurie):1998年生まれ。マイペースで世話が焼けません。性格温厚で超パパっ子。

桃之輔(momonosuke):1999年生まれ。甘えっ子ですが、ものすごく臆病で、ほとんど一日中、布団の中に隠れています。

亜依子(aiko):2000年生まれ。自己主張が強くて偏屈ですが、そこがまた可愛いいんだなあ。超ママっ子です。

真美(mami):2005年生まれ。外見はタヌキそのもの、性格は犬そのものです。才気煥発で気性が激しい。

美意子(miiko):2005年生まれ? 歯を見ると6、7歳…本当は何歳だろう?一日中、文句たらたら言っています。

奈々(nana):2001年生まれ。ようやくノラっぽさもなくなり、明るい陽気な子になりました。
明美(akemi)にゃ三郎(nyasaburou)、小牧(komaki):2007年生まれ。仲良し3兄弟。毎日楽しそうに暮らしています。

里音(satone):2009年8月保護。どんな生い立ちでどんなニャン生を過ごしてきたのか、それは謎です。未来を生きる猫!

寿々(suzu):1994年12月~2010年3月12日。パパの仕事部屋に入れた唯一の子。人の気持ちがよくわかる、とてもとても頭の良い子でした。

福太郎(fukutarou):1997年4月~2008年3月20日。陽気で甘えっ子。抱っこされるのが大好きでした。お母さん代わりだった寿々との再会、「欣喜猫躍」していることでしょう。
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