早朝の来客にご用心
2007年06月06日(水)
朝早くのお客様というのは滅多になく、たまにきても宅急便。夜の遅い仕事ということもあって、朝寝だからこれは好都合。昨日も寝たのが午前3時、それなのに今朝は玄関のチャイムが7時に鳴った。寝ぼけた頭でインターフォンを取ると、近所に住む女性で、何のご用?と聞いても答えない。急いでパジャマを着替えてシブシブ出てゆくと、家の中に入って話をさせて欲しいと言う。
我が家は、寝る前に必ずパパと「営業会議」を兼ねながらの飲み会、そのまま片付けもせずに寝てしまうから、リビングは散らかったまま。その上、寝ている間に猫どもが猫じゃらしだのなんだのと、どこからかおもちゃを引っ張り出してきて床の上、時には、カリカリのゲッゲが散乱していたりするから、とてもじゃないが、スンナリとお客さまを通すことなんてできない。
玄関先にはスズメがいて、嘴で乱暴にかき混ぜたエサを四方八方、土浴びの土だの、水浴びの水だのと、小さな体でよくぞここまでというほど散らかしてくれる。こんなふうだから、快適な生活環境を保つためには、毎朝欠かさず2時間以上を掃除に費やさなくてはならない。空気をきれいに入れ替え、布用の消臭剤だの、プロ用のペット消臭剤だのをシュッシュッとふり撒き、ようやく来客受け入れ態勢完了。
ところがそんな事情もお構いなく、この人、強引に玄関に入り込み、しかも開口一番お金を貸して欲しいと言う。それも結構な額。母親(と言ってもお婆さん)とは猫談義、何回か立ち話をしているが、その娘さんであるこの人とは、今日を含めても3回ほどしか会ったことはなく、どう贔屓目に見ても親しいとはいえない間柄。
よくよく差し迫った事情があるのだろうが、申し訳ないの一言もなく、返す予定も話さない上に、昼までに用意しておいて欲しいという。それでも気前良くお金を貸すとしたら、畳の下でお金が腐っている家か、よほどの慈善家。いやいや、金持ちほどケチっていうから余計に無理か。なんで我が家にと思ったが、パパが言うには100軒目、あちこち断られて辿り着いたのさと。モチロンお断り。
チワワブームを捲き起こした、あの手の金融業界から借りるのはチト怖いにしても、武士は食わねど高楊枝、友人、知人に弱みを見せるより、質屋さんとかなんとか、箪笥の奥にしまっておいた絹の着物だの帯だのを引っ張りだし、裏口からこっそり入ってお金を工面するほうがずっと風情があるが、そんな「美学」などなんの腹の足しにもならないか。お金なんてものを持ってしまったがために、人間、他の動物よりずっと惨め。
写真:(上)朝から家の中を覗くのは、お客様ではなく外猫のクーちゃん。後に見えるのはこの子の小屋。(左)お金を借りに・・・じゃなくて、ただ家の中の子たちをからかいにきただけ。
天は二物を与えず
2007年06月07日(木)
ジュリの目は大きくて利発そう。顔だけ見ている分には嘘偽りなく美猫なのだが、残念なことに、しっぽが短くてチンチクリンなこと、それになんとなくずんぐりむっくりしていて、だから総合点となるとかなり怪しい。まあ容姿なんていうのは授かりもの、しかも美しさの基準なんて所詮主観、どうとでも変わる。妬み嫉みじゃないけれど、それが証拠に今年のミス・ユニバースの日本代表、美しいとは言いがたいし華もない。それでも世界一。
ジュリの場合は美貌よりも、むしろ悲しいのはその体型が災いしての運動音痴、俗にいうところの「運痴」。我が家の猫に‘すばしこい’なんていう形容詞がつく猫など見当たらないが、それでも、チリンンやココはス~ッとした体型どおり、動作がスマートで器用、大きなドジを踏むとことなど滅多にない。
それがジュリときたひには、ほんの40センチほどの高さしかないソファにも飛び乗れず、目の前で転落する。当然、1メートル以上あるカウンターに登り損ねることなんてしょっちゅうで、フワッと舞い上がったと思った次の瞬間には、ボトッという鈍い音がして床の上。あっ、落ちた!と言うと、わざと降りたのよと言わんばかりに、知らんぷりして毛づくろいを始める。
もっともこの運痴、ジュリばかりではなく、きのうはムメちゃん。カウンターのこちら側で炊事をしていると、向こうから飛び乗る気配、それっ、とジャンプしたと思った途端、視界からスッと消えた。ジュリほどの体重はないから、落ちる時は音無し。用事があったから登ろうとしたのだろうに、それきり姿を見せないから、どうしたのかと探しに行くと、廊下のヒンヤリボードの上でフテ寝をしていた。
それにしてもわからないのが、猫の得意技らしき‘シラバクレ’。これは猫の七不思議、頑なに自分の失敗を認めたがらないのはどうしたものか。落ちちゃった・・・と恥ずかしそうに擦り寄ってくればかわいいものを、最初からそんな気はなかったとばかりの態度、それどころか、なんで笑うのよとふくれる。こちらもふくれ面見たさに、落ちた、落ちたと指差してオーバーに笑うから、なおさら素直になれないでいるのか。
もっとも運痴は親の遺伝、猫を笑ってばかりもいられない。血はつながっていなくても、血より濃い親の愛。子供の頃、体が小さくて運動が苦手だったという、パパのDNAを 確実に引き継いでいるのだもの。
そういえば小学校の頃、クラスに数人そんな男の子がいて、女の子に人気がなかったけれど、ママはむしろそんな男の子とのほうが仲が良かった。小さい頃からマッチョで運動神経抜群という男の子が苦手だったのだ。世の中うまくできたもので、だから、運痴の人とのめぐりあいはまさに赤い糸、蓼食う虫も好き好きの典型。まあ、こんなことはどうでもいい余計な話だけれど。
写真:(上)ジュリはミスユニバースの水着予選ばっちり。ビキニの水着初公開。(左)ムメちゃん、ゴミ箱に入ることぐらいならできるんだけど。
ウチの猫にはヒゲがある
2007年06月08日(金)
電車に乗ると、本を読んでいるか寝ているか、乗っている人を観察しているかのどれか。遠くに出かける時の電車は格好の図書館、他には何もしようがないから、気も散らずに読書に専念できて、だからこれが一番好きな電車の有効利用。その日も本を読み始めたのだが、なにやら目の前に座っている女性のしぐさが視界に入り、落ち着かない。
年のころは20代前半、バックから化粧ポーチを取り出し、なにやらごそごそ探し物をしているふう。一見清楚でかわいらしいが、どうやら流行の「電車の中で化粧する女」。究極の「化粧する女」は、素顔から始まってひととおりのプロセス、最後に長くてボリュームたっぷりのまつげ、誰が誰だかわからないほど同じ顔になって、作業を完了するが、どうもこの女性、鏡を取り出したものの化粧をする気配がない。
初めてのデート、ファンデーションののりでも見たいのか、あるいは描いた眉毛が千切れちゃいないかとか、アイラインが下瞼に滲んでタヌキになっていないかとか、歯に口紅がついていないかとか、そんなことでも気になったのかと眺めていたら、やおらポーチから取り出したのは「毛抜き」、そして、なななんと、人前憚らず眉毛を抜き始めた。
なんだか湯上り、裸のまま腋毛を抜いている女性を見ているようで、恥ずかしくなったのはこちらのほう。見てはいけないものを見てしまった感じ。化粧する女が進化(退化?)すると、こんなことを人前でヘーキでするようになるのかと妙に感心したりもしたが、それどころかこの人、眉毛が終わるや、今度は、ムウンと鼻の下を思い切り伸ばし、ヒゲを抜き始めたのだった。
彼から初めてのkissを迫られそうな嬉しい予感、急にヒゲが気になったのだろうか。そりゃあ確かに、顔を近づけたらヒゲが生えていたというのでは興ざめだろうけれど、電車の中でヒゲを抜いている間抜け面、彼氏が見たら百年の恋もたちまち醒めようというもの。それより、こういう女性を妻にしたが百年目、なんとなくルーズな日常生活が待ち受けていそうで怖い。
きれいな顔立ちだし、どちらかといえばおとなしそうな雰囲気、黙っていればそれなりのお嬢さんに見えたのに、お里が知れてしまったとはまさにこのこと。その女性をずっと眺めていたママもよほど不躾だけれど、目を逸らそうにも目がテン、結構な衝撃だった。
うちの子たちに限って、まさか人前でヒゲを抜くなんてことはしていないと思うけれど、でも時々、長いヒゲが床に落ちていることがある。ジグソーパズルのように、1匹ずつの顔にヒゲを当ててみるが、これが案外誰のだかわからない。ヒゲがない猫の顔なんて茶饅頭かお大福、くれぐれも抜かないようにね。
写真:(上)猫の中でもキジ猫のヒゲは特に立派。ジュリも見事。(左)アミちゃんは病気が重くなるにつれてヒゲが短くなり、見るからに弱々しくなっていった。ヒゲは猫の健康のバロメーターなのかもしれない。
競馬、御免蒙ります
2007年06月19日(火)
競馬と言えばAMラジオにつないだイヤフォーン、手には競馬新聞と赤い鉛筆、そんな侘しいおじさんたちの姿が思い浮かぶが、英国では王侯貴族のスポーツだとか。だから同じ競馬場でも、雰囲気が日本のそれとはだいぶ違い、きれいに着飾ったご婦人方を伴っての優雅な社交場。いっそのこと日本もそんな雰囲気にすればいいのに、なんて言うつもりはさらさらなく、あちらは狩猟民族、動物の走る姿に血が騒ぐのは致しかたないとして、こちらは農耕民族、真似る必要などないというスタンス。
実は競馬にちょっとだけ関わったことがある。別に賭けていたわけじゃなくて仕事。もう十数年も前のこと。某スポーツ新聞社、他の新聞社に先駆けて、普段の日はスポーツや釣果、土日は競馬の結果をリアルタイムでパソコンに打ち込み、読者に提供することになった。そのために新たに作られたセクションの室長になったのが知人。前職をやめたばかりだったことを知って、データを打ち込むアルバイトをしないかと声をかけてくれた。
スポーツにも疎いが、競馬なんて生まれて初めて、どんな賭け事なのかもまったく知らず、それなのに突然、土、日はテレビの競馬番組にかじり付くという、想像もしていなかった日々が始まった。レースごとの着順と配当金をパソコンに打ち込み、そのデータをレース毎に切り張り(!)してFAXで送信、読者が取り出す仕組み。もうひとつは、打ち込んだデータをあるシステムを使って読み取らせ、音声に変えて電話で自動的に結果を流すというもの。パソコンも十分に汎用化されていなかった当時のこと、新聞社もまだまだ前近代的で手仕事、手作業の時代、だからこれでも十分に画期的。
最初の頃は馬のあの黒い瞳に魅了され、走る姿の美しさに夢中になったが、次第に動物好きには辛い仕事になっていった。サラブレッドの使命はひたすら速く走ること。そのためだけに改良が重ねられた結果、あれだけの体をあれだけ細い脚で支えなければならなくなってしまった。500キロはある体重を4本の細い脚で支えて走るのだから、負担は相当なもの。その結果起きる事故が骨折。一日12レースのうち少なくとも1レース、何コースか廻ったところで急に一群から遅れ、離れてゆく馬がいれば、それが故障した馬。骨折とは言わずに「故障」。
骨折した馬のほとんどは「予後不良」。骨が砕けてしまうから治療など不可能。よしんば治療が可能と診断されても、重い体重を残りの3本脚で支えることなどできるはずもなく、手当ての甲斐なく他の病気を併発し、大抵は死に至る。だからよほどの名馬で、治療の望みのある馬以外、故障すればすぐに安楽死という名の薬殺処分。
競馬に詳しくなくても、ライスシャワーという馬の名前だけは聞いたことがあるかもしれない。きれいで利口で勝気で、それでいてどことなくおっとりとした雰囲気があって、好きな馬だった。1995年6月4日に開催された宝塚記念、このレース、競馬記者の大方がライスシャワーの勝利を予想していた。
ゲートから走り出し、いよいよスピードをあげて群れの先頭に立とうという時、ライスシャワーの体が突然前のめりになり、大きく崩折れた。その日のヒーローになるはずだった馬の前脚は、瞬間にして粉々に砕け、あまりの苦しみ方に、その場で安楽死処分という悲しい結末を迎えたのだった。
ライスシャワーが倒れた場面は、今も瞼から離れない。前脚を折ったのだから、頭もしくは胸から地面について転倒したはず、だから立ち上がって前脚で天空を掻くなどということは多分ありえなかったと思うのだが、そんな情景しか思い浮かばない。ヒーローの死はそれほどにも劇的、悲劇的なものだった。
なにもこの時だけではなく、ライスシャワー以前にもこんな場面はしょっちゅう。そのたびごとに、馬を賭けの道具にするなんてと思いはしたが、仕事と割り切っていた。ところが今度という今度、すっかり嫌気がさし、6年間続けた仕事をあっさりやめてしまった。
「経済動物」の定義、あまりよくは知らないが、牛・豚・鶏のように「生産」され「消費」される動物のことか。競走馬がどういう位置づけになるのかはわからないが、最初からサクラ肉になる運命、それならまだ経済動物としての宿命とあきらめもつくだろうが(つかないか!?)、人間に調教され、一攫千金を夢見る御仁の「賭け」のために命を張るのは、なんとも気の毒な話。
調教などされるものかと、生まれながらにひねた猫、それはそれで生きる知恵。なまじ人間になど懐かないほうがいい。
写真:(上)小淵沢(山梨県)の乗馬クラブで馬と遊んだ時の写真。この子はたぶん引退した競走馬。こうした余生を送ることができる馬は幸せ。(下)塩原(栃木県)で会った「トテ馬車」引きのあいこちゃん。この子はなんとなく農耕馬ふう?
追悼・番外編
2007年07月05日(木)
20歳の青年が死んだ。その青年、ある合唱団でテナーを受け持っていた。医学部を受験していたが叶わず、二浪の末、今年、方針を変更して某大学に入ったばかりだった。確か神学部だったと思う。
彼と初めて会ったのは去年の夏、合唱団の打ち上げに同席し、たまたま隣に座ったのが彼だった。その頃はまだ、重度の鬱病に苦しんでいたことなど露知らず、それよりも将来を迷う若さがうらやましく、同じ年の頃、迷い多く、ふらふらとしていたわが身と重ね、甘酸っぱいような気持ちで彼の話を聞いていた。
しばらくして、彼がブログを書いているというので覗いてみたが、書かれていた内容は、夢を語る青年のそれではなく、水槽から飛び出してしまった魚のよう、ただただ生きることにあがきまくる、凄まじいものだった。この先生きていくことなど到底できないのではないかと、読んでいるこちらが苦しくなってしまうほどだった。
何に悩み抜いていたのか、何をどう解決したいと思っていたのか、他人には窺い知ることなど、いやいや当人以外、身内でさえできないことだが、ブログには家族との葛藤、それがトラウマになって逃れられないと記されていた。精神科に行けば薬の量が次第に増えてゆき、最後には14種類だか15種類だかになり、それを手のひらに乗せ、これだけ飲んでいますと、自虐的な報告。
歌が好きで、だから尊敬する歌手のレッスンにも通っていて、上手くなったと褒められては喜び、ドイツの演奏旅行に行き、すっかり世界を見る目が変わったと、殊勝なことを書く日もあったりしたが、間も空けずに、死にたい、死にたいという文字ばかりが並び、自殺未遂をしたと淡々と記す日まであって、いかにも不安定な日々。
合唱団の指揮者は、ブログを見ては、夜中であってもしばしば彼の家に駆けつけていたようだった。一人暮らし、食べるものがなくなったと書けば、一緒に活動をしている仲間が食料品を買い込んで持っていったり、だから、決して彼はひとりぼっちではなかった。それなのに死んでしまった。
たまたま昨日、彼の合唱団の仲間と、当の指揮者に会う約束があり、定刻に行ったが、いずれも時間に遅れてやってきて、その服装は黒づくめ。いやな予感がして、まさか彼・・・と問うと、やっぱり。女性は目を真っ赤に泣き腫らしていたが、彼らが一様に口にした言葉は、あいつ、最後まで迷惑をかけて許せない、と。悲しみよりも、葬儀の間、怒りでいっぱいだったと。
その言葉、憤り、なによりも悔しさ、彼の心に届いただろうか。そう、死んではいけなかった。人間なんて誰しもが苦しい思いを抱え込んでいて、それをみんな乗り越えている、などと陳腐なお説教をするつもりはさらさらないが、人の気持ちだけは裏切っちゃいけない。愛されたことへのお返しは、愛すること。愛することができるまで生きること、死ぬことなんかではなかったのですよ。生きていてほしかった。
心からご冥福を祈ります。
写真(上)ささやかな気持ちを込めて。(左)天上のオルガンの響きの中で、貴方の魂が救われますように。
「猫」の発音は猫に教わるのが一番
2007年07月13日(金)
若い頃(今もたぶん若いけれど)、フランス映画とフランス文学が好きで、だからフランスに向けてずっと熱い眼差し。中学、高校と女子校、ハメをはずさないお行儀の良さが、心根がちょっとばかり不良の身には居心地悪く、日本の情緒的なおつきあいも苦手だったから、高校を卒業したら、フランス語をモノにして、なんとかしてフランスに「逃げよう」と、親にも内緒でそう思い続けていた。なぜか‘逃げる’という感覚。
何をしたいのかなんていうこと、もともと物事を論理的に考えるより、感覚派、行けばなんとかなるぐらいのいい加減さ。絵でも描いて過ごすか、それができなければ、ヒッピーなんていう「職業」が流行っていた時代だったから、そんな生き方でもいいやと。これほど漠然としていて、イメージのない夢なんて、実現するはずがないのが、「逆」マーフィーの法則。
夢を果たすべく某フランス語学校に行き、朝から晩までフランス語に浸る生活、2年間通い詰めたから、よし、これでフランスだ!…と密かにほくそえんでいた矢先、実家にちょっとしたハプニングがあって、フランス行きはあえなく頓挫。
仕方なく大学に行くことにしたが、フランスへの夢は断ち難く、その後もフランス語の勉強だけは細々ながら続けていた。そんなわけのわからない夢ばかり見ている時代なんて、いつか終わる。果たして、結婚して猫だらけの生活になり、どっぷりと日常。語学は使わないでいると日に日に錆びついてゆくと言われるが、まさに緑青ふいて真っ青。
そんな時、コミュニティ新聞に「フランス語教えます」の文字。久々にあの懐かしい言葉に触れたくなり、早速、門をたたいての弟子入り。その先生、フランスの女性雑誌『ELLE』の編集をパリでされていたとかで、右岸ビイキの、ちょっと気取ったおばさまだった。会話中心のレッスン。
フランス語の魅力はなんといってもあの発音。だから、映画を観てはジュブジュブ、シャンソンを聴いてはジュブジュブと、必死で音を真似ていたから、他はともかくも、発音だけはなんとかそれなりの‘つもり’だったのに、この先生、ただひとつだけ、どうしても私の発音でお気に召さない単語があるとおっしゃる。
それが、よりにもよってLe Chat(猫)という単語。シャという発音、いくら工夫しても、腑抜けに聞こえるという。唇を尖らせてみたり、横に広げてみたり、いろいろとやってみるのだが、どれもNon。しまいには、口の形がフランス語には向いていないんだとか、歯の並び方がまずいんだとか、いろいろと外形のせいにしてみたが、どうやらそうではなかったみたい。
Chatの語源は、猫のあの‘フーッ’という威嚇の声とか。あれがフランス人にはシャーッと聞こえるらしい。まあ確かに・・・。だからChatという発音、猫のシャーッを真似すれば良かっただけのことらしい。
そのことに気がついたのはつい最近。それを教えてくれたのが、我が家で一番気性の激しいミイちゃん。しつこく迫るフクが近づくたびに、せいいっぱい威嚇するその声がヒント、真似をしてみると、なるほど結構それらしく聞こえるじゃない。この際、ミイちゃんなんていう古色蒼然たる名前はやめにして、フランソワーズ。
写真:(上)フランス語の恩師。ミイちゃん改め、フランソワーズ。(下)このミイちゃんの姿を見ると、日本の「猫」の語源は、「寝る子」なんだと改めて思ったりして。
しばらくお休みします
2007年08月23日(木)
「ちゅうちゅうとれいん」に遊びにいらしてくださって、ありがとうございます。このところブログを書く時間がなく、更新が滞ってしまっています。そこで、ちょっとだけお休みをさせて頂こうと思います。再開の折には、またどうぞよろしくお願い致します。みなさまのブログにはちょくちょく遊びに伺いますネ!
写真:(上)しばらくお休みします。(下)みなさま、仲良くお過ごしのほど!
第九を弾きに
2007年09月07日(金)
少し前のこと、某オケの手伝いに借り出され、9月に演奏されることなど滅多にない、ベートーヴェンの交響曲第九番(合唱付)を弾いてきた。ベートーヴェンが大好きというご近所の奥様二人、聴きに行きたいと言ってくださったけれど、チケットは結構なお値段がするものの、演奏はあまりお奨めのできるものではなく、だから今回は遠慮させて頂いた。
だって、小さな演奏会なら2回は行けるほどのチケット代。上質のホールに大編成のオケと合唱団、それ相応の実力派声楽ソリスト陣。経費を考えれば仕方のないことだとは思うものの、どれだけの質の演奏会にどれぐらいの対価を払うか、音楽だって「消費」だもの、そこはしっかりと計算しなくちゃ。
もともとベートーヴェンの曲がそれほど好きというわけではなく、だから第九にも格別な思い入れはないが、それよりも第九の四楽章、あの馴染み深い『歓喜の歌』で(おそらく)万人が「感動」を共有するというその事象に全体主義的なニオイ、胡散臭さを感じてしまい、演奏をしながら身も心も引けてしまう。
1937年、ヒトラーの誕生日を祝う席で、フルトヴェングラーが指揮し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏した曲と、1944年にアウシュビッツの強制収容所、ユダヤ人たちがガス室で最後に合唱した歌、そのいずれもが『歓喜の歌』だったという事実を知れば、なおさら複雑な思い。
もともとサッカーやオリンピックのように、「国民」が一丸となる状況にはどうしても馴染むことができない天邪鬼。そこには必ず「国家」が介在するからで、その意味ではかなりのアナーキスト(・・・定義曖昧)。
本当はみんなで日の丸の旗を振りながらワイワイと騒ぎたいのに、ニヒリスティックな方がかっこいいじゃないと、それだけの理由だったりして?それじゃあ、まるきり猫。
写真:(上)ヴァイオリンケースは猫の特等席。いつも占領されてしまい、練習を終えたヴァイオリンは行き場を失う・・・。(左)今は亡きアミちゃんもヴァイオリンのケースが大好きだった。
あけましておめでとうございます!
2008年01月03日(木)
昨年はブログを通じて、いろいろな方とめぐりあうことができました。どの方も心優しい、そして繊細な方たちばかりでした。お会いしていない方たちとの不思議な繋がり、不思議なご縁をこれからも大切にさせて頂きたいと思います。今年もどうぞよろしくお願い致します。
写真:(上)猫勢ぞろいでご挨拶!(左)にゃあちゃんは、眠りながら「招き猫」。
ルネッサンス?
2008年01月11日(金)
昨日は、3年間所属していた某大学院の研究室の新年会だった。といっても、実際に修士を取得したのは別の大学。こちらはA教授の教えを請うために門を叩き、研究生という肩書きで所属していた研究室。研究の醍醐味を味わったのはむしろこちらのほうで、数々の素晴らしい教授との出会い、学会との関わりなども、この研究室あればこそのことだった
研究室の学生は私の子供の世代ほどの若さ、A教授と私がほぼ同じ世代で、暗い研究室での細かい文字に右往左往していたのは教授と私だけ。昨日も飲み屋さんの細かいメニューが見えないと呟く2人のために、若者が大きな声でメニューを読み上げてくれた。
学びにきている学生の国籍もいろいろで、中国、韓国、インド、チリ、モンゴルなど。普段あまりおつきあいをする機会のない国の学生との会話は、国民性の違いが如実に現れ、時に戸惑うこともあったが、実に楽しくもあった。
教授が他大学に移動されたため、散り散りバラバラになって2年。その後、博士課程に進学したり、就職したりという近況報告が続いたが、新聞などでも話題になっているように、大学院は出たけれど…という時代。
修了後に、能力を活かした生き方をしているのはほんの僅かで、特に博士課程に進学した面々は、論文を書き上げることができず、在籍期間を延長するために、「休学」制度を利用して時間稼ぎをしているという。まさにモラトリアムのオーバードクター。
会いたかったインドの友人が来なかったのにはがっかりしたが、「Bさんは今、休学して肉体労働をしているのよ」と。宅配便の仕分け作業をしているらしい。当時から生活を支えることに必死だったが、今も状況は変わっていないようだ。どうか無事博士論文を書き上げ、祖国に帰れる日が来ますように。中国の友人は日本企業に就職が決まったというから、彼も日本で活躍の場があるといいのだが。
「私は、今月いっぱいで現職を退職して、フリーターになることにしました。1年半という短い正社会人生活に別れを告げ、現代社会の下層で生きていくことにしました」・・・こんなメールをMLに流してきたCさんは、下層という表現は過激すぎるとみんなに言われていた。人が「生きる」という行為を「上層」「下層」に分けることに、なんの意味があるのかと思うが、心底そう思っているふうだった。
Cさんは苦学して修士課程を修了した人だった。彼女ばかりではなく、ほとんどが親元を離れて暮らしていたから、彼らの生活を案じてA教授はずいぶん労を尽くされていた。A教授は研究者としての実績もさることながら、教育者として実に尊敬できる方だった。
私もこの教授の熱心な指導のおかげで、新たな、しかも衝撃的な研究テーマにめぐりあうことができた一人だった。時に「こんな論文を書く頭の中身が見てみたい」と厳しく言われたこともあって、その時ばかりは鬼に見えたけれど。
去年はキワドイ低空飛行で、このまま墜落してしまうのではないかと思えるほど。脳内メーカーとやらで脳を覗き見れば、きっと「鬱、鬱、鬱、怠惰、怠惰、泣き言、泣き言」と書かれていたに違いない。なんと非建設的だったことか。
A教授、そして若い仲間と久しぶりに会い、話しをしていて心に浮かんだ「再生」という言葉、たぶんこれが今年のキーワード。
写真:(上)研究室の年齢差はこれぐらい?14歳のちりりんと3ヶ月の子供達・・・。(話題が変わっても猫)(左)お正月元旦は毎年、栃木県鹿沼市にお札を頂きに行く。筑波山を通り過ぎるとき、いつも新しい年を実感する。
元気になると・・・
2008年06月07日(土)
きょうは爽やかな一日となりました。我が家は自然に囲まれた田舎にありますから、こんな日はウグイスの美声が竹やぶ(竹やぶ兄弟生誕の地)の中から響き渡り、耳を澄ませればヒバリの鳴き声を聞くこともできます。
こんなのどかな暮らしもなかなかのものではありますが、時に、都会の喧騒の中に身を置きたくなる自分がいます。人ごみの中で「異邦人」の孤独を味わいたい・・・元気になると、たちまちそんな天邪鬼な心境になります。
鬼の霍乱と思しき体調不良もようやく復調、元気になりました。いろいろとご心配を頂きありがとうございました。
写真:(左)ムメちゃんの夏向け刈り込み途中でノックダウン。やってあげなくちゃ・・・。(左)あけみちゃんはいい子だった?
サボっていました・・・
2008年07月10日(木)
ブログの更新をずいぶんサボっていて反省。毎日いろいろな出来事があり、そのたびごとに「イザ、ちゅうとれ!」と思ってはいたのだけれど、貧乏人に暇なしというのか、それとも天性の怠け者だからなのか、他の用事にかまけてついつい・・・。
思い出すのは小学校の夏休みの宿題。最後の一週間は、いつも溜め込んだ日記書きに追われていた。花火大会なんてそうしょっちゅうあるわけじゃないし、海も滅多に行く場所じゃない、毎日毎日、スイカを買ってきましたと書くわけにもいかず早々にネタ切れ。最後には『子供新聞』を引っ張り出してきて、その中の記事を抜粋して感想を書き、日数を稼いだ。
夫に「ねっ、辛かったよねえ」と同意を求めると、毎日真面目に書いていたから別に・・・というつれない返事。フツウはそうなのかしら?(親にも責任ありそ)。細々ながらまたブログを再開します。ブログのお仲間、お友達の皆様、これからも引き続きジュリママをよろしくお願い致します。
あけみのブログもおサボしてにゃい?
ドモ~・・・スミマセン
アドセンスって・・・ナンセンス?
2008年08月04日(月)
ちょっとオGoogle AdSenseさん、左横のバナー広告・・・「1台6400円。野良猫駆除」ってなに?それからペットショップの広告も。
グーグルアドセンスの広告領域は幅広く、自分のブログに社会的に有意義な広告が貼られていたりすると、なにやら嬉しくなったりもする。けれど、羅列されている言葉だけを広告の判断材料にしているから、時にこうした手合いの「トンデモ広告」が貼られることがあって、そんな時にはさすがにいい気持ちがしない。
その昔、動物愛護の精神に基づいて毛皮の購入は一切やめよう、と呼びかけているブログがあった。ところがその記事のテッペンには「毛皮のことなら○○」という広告。グーグルアドセンスの周知度がまだまだ低い時期だったから、てっきりブログの書き手が自ら選んだ広告なのだろうと思い、なんて主張に矛盾がある人なのかと憤った記憶がある。
それが検索エンジンロボットの仕業だと知ったのは結構最近の話(かなりオクテ)。梅田望夫氏の著書『ウェブ進化論』によれば、グーグルが目指すゴールとは、「グーグルの技術者たちが作り込んでいく情報発電所がいったん動き出したら「人間の介在」なしに自動的に事を成していく」世界なのだそうだ。
で、「人間の介在」なしにブログを周回してその内容を解析するという、極めて「頭脳明晰」なロボットがこのブログにもやってきて、せっせと文章を解読。その結果「野良猫駆除」なんていう言葉をはじき出して広告を貼り、意気揚々と帰っていったらしい。
やっぱりロボットはロボット、所詮ロボット。どうやら書き手の心根までは理解できなかったようだ。野良猫を駆除しようなんていう寂しい根性、小指の先ほども持ち合わせてはいないし、「駆除」という言葉には強い嫌悪感、「野良猫」という言葉を聞くだけで、切なくて胸も張り裂けんばかり。ペットショップにブリーダー、これだってその実態を知って快く思うはずもなく。
まあ、人間の複雑な心境、そして深くて柔らかで繊細な(自分で言ってナンですが・・・)この「乙女心」を、ロボット(ごとき)に自動的に解読されてしまうようでは、人間の人間たる存在意義も薄れてしまうというものか。
ロボちゃん、「英才教育」を終えたキミの今後の課題は、ヒトの心の機微を読み取れる「情操教育」ってとこかな?
(注・広告は時々刻々変わっています)
写真:(上)「野良猫」なんて言わせない!(左)左がムメちゃん、右がにゃあちゃんのしっぽ。共存共生のなんて平和なこと。
そんな顔しなくたって・・・
2009年03月30日(月)
日曜日の朝、千葉県知事の投票を済ませてから南房総にドライブ。トコトコと下の道路を走って勝浦まで約4時間。毎年この季節になると館山に花摘みに出かける。天気が素晴らしく良かったから、以前から看板は見かけていたものの、一度も乗ったことのない鯛の浦の遊覧船に乗船。
ド演歌が大音量で流れる船内には閉口したが、デッキに出ると潮風が気持ちよく、係りのおじさんが途中海に撒くえさに、鯛が群れをなして寄ってくる姿にちょっとした感動。生簀の中で、半分死にかけているような、うろこのはがれかけた哀れな鯛しか見たことがなかったから、こんなにも躍動感に溢れた魚だったのかと、改めて感心してしまった。
その後、千倉町にある写真家・浅井慎平氏の「海岸美術館」に。海岸と銘打っているけれど、海岸にはないという噂を聞いていたが、ほんと、山の中。浅井氏の写真と、やはり浅井氏の作というガラス工芸数点が展示されていたが、作品数が少なく、ただただ、ギャラリーの建築センスの良さだけが印象に残った美術館だった。
その後フラフラと、あっちの海岸こっちの海岸で車を止めては、浜辺まで降りてしばし散策。目的地の館山についたのは4時近くで、いよいよ目的の花摘み。いつも行く花摘み畑は25区画ぐらいが寄り集まっている観光農園で、それぞれの花畑に番号がついていて別々の持ち主。そのうちのひとつを選び、おばさんにカゴと花切りバサミを借りて値段を聞くと、ひとカゴどんなに摘んでも300円と言う。
夫と二人で山盛りの花を摘んでお会計をしてもらうと、二人で300円でいいと言う。楽しませて頂いたのだもの、きちんとお金は取って、と言っても「いいよ、気にしないでいいよ」と言われ、300円しか受け取ってくれない。そうだ、一昨年も同じおばさんの畑、同じことを言われたっけと思い出し、有難くお言葉に甘えさせて頂いた。50本近い花を両腕いっぱいに抱えて花畑を後にする。
帰路、これも館山に来た時には必ず立ち寄る天津小湊の「いいとこ」で夕食。外見は小さな一杯飲み屋、10人も座れば満員という、カウンター席だけの小さなお店だけれど、テレビの取材がしょっちゅう来るという、ちょっとだけ有名な漁師料理のお店。前世猫だったのか、おいしそうなお店を探し出す嗅覚があって、これが案外はずれない。「いいとこ」も、ここなんとなくおいしそう・・・と思って入ってみたら大当たりで、おにいさんと冗談を交わしながらの楽しい食事。
まんぼうのお刺身や、山盛りの鯛めしが名物だけれど、昨日のお勧め料理はまぐろのカマのネギマ煮。すき焼き仕立ての味付けで、生卵までかけてあるちょっと変わったお料理。私は魚の煮つけが苦手なので、一口頂いただけだったけれど、夫はパクパク。どれも薄味なのは、漁船で採りたての魚を海水を使って料理していた名残なのかしら?
猫どもにはまぐろのお刺身がお土産。と言っても、館山には売っていなかったので家の近くのスーパーに立ち寄って。「これ、勝浦のまぐろ、お土産だからね、ありがた~く戴くのよ」と言いながら、恩着せがましくあげたけれど、スーパーのいつものお味、猫たちにはバレたかな?
2010年に期待しよっと!
2009年12月12日(土)
あっという間の12月、2009年もあと少しで店じまい。今年の「ジュリママ商店」は絶不調、なんともパッとしない一年だった。今年というか、2006年ごろからかれこれ4年、気分も仕事もなにもかも沈んだままで、なにひとつ成果という成果があげられていない。そんな自分に腹を立てたりクヨクヨしたりの日々、時間ばかりを無駄に食うという、実にもったいない人生を過ごしてしまった。
若い頃から(←今も若い・・・たぶん)怖いもの知らずで、無鉄砲と思われるほど前向き。それなのに、ここ4年間というもの、後ろを振り返ってはため息ばかり。前を見るのがひたすら怖く、将来というものを考えるのがすっかり嫌になってしまっていた。泥沼に足をからめ取られたカバさん、前に進むことができずもがく。もがけばもがくほど沈むの悪循環、もう首のあたりまで泥。
昨年の3月、まさかの福太郎が死んでしまったけれど、あれも私の気力が落ちていたせいだったのかもしれない。もっともっと私が活き活きと生きていれば、福太郎の薄い命に力を分けてあげることができたのかもしれないと、フクのことを思い出してはそう思う、ごめんねフク。いろいろいろいろ思い悩み、どうかすると生きていることの意味さえ見失ってしまいそうな、それほど苦しい2009年だったけれど、なんとか持ちこたえてようやく越年。
どれほど心を乱しても、冷静に見守ってくれていた夫よ、ありがとね。そして、小さな体で必死に生きる姿を見せ続けてくれる猫達にも感謝。来年はきっときっと素敵な年、挽回しなくちゃね、今までの分。
庭日和
2010年10月04日(月)
暑すぎた夏もやっと終わった。
ほっとしているのは人間ばかりではなく、猫たちも、そして植物たちも。庭に植わっている木の何本かが猛暑にやられ、息も絶え絶え。人間が朝晩ホースで水を撒くぐらいじゃあ、とても水分補給にはならなかったらしく、チリチリと焼け焦げたような頭で突っ立っている。芝生だってまるで焼畑。ごめんよ、ごめんよ、不甲斐ない私を許しておくれ。
そんな庭に活気を取り戻そうと、昨日、どっさりと植物を買い込んできた。雨にも負けず雪にも負けないヴィオラが主体。贔屓にしていたガーデンセンター、近くに競合店ができてしまったせいなのだろう、10月いっぱいで閉店するとかで、ガーデングッズが軒並み3割引き。欲しかったレンガも半値で売っていたから大量に購入してきた。イングリッシュガーデンと呼ぶにはほど遠いけれど、雰囲気だけでも味わおうかと思って。
そろそろ外猫の小屋も、冬バージョンにしてあげなくちゃ。
写真:(上)夏は子供たちから逃げ回っていた樹里ちゃんも、最近また子供たちと一緒に行動するようになった。
(下)冬を越し、春の足音が聞こえる頃には満開になるヴィオラ。夏も終わったばかりだというのに、もう春が楽しみ。
庭の手入れ終了、レンガしっぱ~い!!
2010年10月08日(金)
2日かけて、ようやく庭の手入れが終わった。一番厄介だったのがライラック。大好きな花で、初夏(かな?)にはとても香りの良い美しい花をつけてくれるのだけれど、花が終わるとボサボサに枝を伸ばすから、どこかの風来坊といった風情になってしまう。木というのは本来は自然のままを愛でるのが一番、ところがあいにく巨木を放置できるほどの広さの庭ではないから、手入れをしないとたちまち荒れ放題の庭といった印象。
背丈がかなり高いから脚立なしでは作業ができず、履きなれないスニーカーを履いて、一番上の段まで恐る恐る登って剪定をするも、年とともにだんだん高い所に上るのが怖くなってきていて、へっぴり腰。高所恐怖症ということもあってなおさら。さっさと作業を終わらせたくて、いい加減に剪定してしまったから、来年、花が咲いてくてるかどうか・・・。今年、なんとなく花のつきが悪かったのは、たぶん昨年のでたらめな剪定のせいだと思う。またしても同じ轍を踏んじまったか。そんなことならいっそ、植木屋さんに頼めばよさそうなものを。そろそろお手上げかな。
木の剪定が終わって草花を植えつけ、買ってきたレンガを庭に配置してみたら、あれ、がっかり・・・安物買いのゼニ失い。よくよく見ると、レンガというより、ブロックもどきの素材をレンガ仕様の長方形に切っただけのものでしかない。お店に置いてあった時は水にぬれていて、いかにもレンガのように見えたのに、安いものにはワケがあるというワケ。夫から「これ、ブロックみたいだね」と言われてがっかり、ああ、損した・・・。雰囲気もレンガには到底勝てず、念願のイングリッシュガーデンも夢破れてただの庭。
かがんで庭の手入れをしていると、後ろになんとなく気配を感じるので振り返ると、外猫のチビちゃんがいる。雑草との闘いに必死で気がつかなかったのだけれど、どうやら家の周り一周の草むしりをしている間中、ずっと後をついてきていたらしい。チビは1年ぐらい前に現われた子で、下の農家で飼われている母猫に連れられてやってきた。とてもおとなしい子なのに人馴れしていなくて、まったく触ることができない。それなのに、まるで母親のそばを片時も離れまいとする子供のよう。どうやら慕ってくれているらしい、嬉しいねぇ。
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(写真):おかあさん、あれ、レンガですかね?
うつ病とつきあう友人の話
2010年11月07日(日)
5年近く会っていなかった友人からメールがきた。時々、彼女のことを思い出しては、元気にしているかしらと思っていたから、音沙汰があるとほっとする。それほど思っているのなら、自分から連絡をすればよさそうなものなのだけれど、距離のないつきあいが苦手な私は、遠くから思っているほうが好き。そしてたぶん彼女も。
「突然ですが」という件名に、はて、何事かと思って開いてみると、彼女らしい簡潔な文章で、精神科のカウンセラーを紹介して欲しいという。「難治性の感情障害」という病名が書かれている。知人の母親が罹患したのでカウンセラーを紹介して欲しいというのだ。知人の母親・・・というのはたぶんカモフラージュ、彼女自身のことだろうと思いながら、信頼のおけるカウンセラーを紹介する返事を書く。お礼の返事には、実は自分のこと、という一文が添えてあった。
だいぶ前、用事があって彼女の家に電話をした時のことだった。当時小学生だったお嬢さんが出られ「お母さんは入院しています」と言う。「どこかお悪いの?」と聞くと「精神科なんです」と。彼女とは勉学仲間。非常に優秀な人だけれど、気負いなどどこにもなく、地道に着実に成果をあげて常にトップの成績、主席で卒業した。世間からすれば順風満帆の人生、おまけに飄々とした雰囲気の人だったので、まさかそんな病に苦しんでいるなんて思いもしなかった。
退院後、別件で仲間と集まった時、気のおけない仲間だったこともあるのだろう、包み隠すことなく、うつ病で入院していたことを話してくれた。ご主人の仕事でアメリカに渡り、帰国してからうつ病に苦しむようになってしまったのだと。いまも、許されることならサンフランシスコに戻りたいと言う。もともとが帰国子女、日本の社会に馴染むことができでないまま暮らしていたらしい。
「精神科に入院をした」からといって、彼女を見る目が変わるなんてことはありえない。むしろ、さぞかし苦しかったでしょう、さぞ辛かったでしょうと、そう思う。それほどの治療をしても、心の病は期せずしてぶり返してしまうというのだから、人間の心というのは、なんて厄介なものなのか。
何かできることがあれば惜しみなく協力をしたいところだけれど、でもたぶん、必要とされる時に、その内容に応じた協力をするのが一番なんだろうと思う。過剰に他人から心配されるのも負担だろうから、今はそっと応援しているだけ。同じ病に苦しんだことのある身としては、それが一番の思いやり。そう勝手に決めこんで。
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写真:猫たちの中でも特にノンキなにゃあちゃん。でも君の本当の心の中はわからないよね・・・って、それほど精神構造、複雑じゃないか。
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今年の始まり、始まり~!
2011年01月10日(月)
昨日ようやく、ずっと風邪で行けなかった「初詣」に出かけた。初詣と言っても我が家の場合、神社に詣でるとかではなく、車で4時間近くかけて栃木県の鹿沼市まで、とある方に祈願をお願いしてあるお札を頂きに伺い、そこにお祀りしてある神様に手を合わせてくるという簡素なもの。これがもう何十年も続いている儀式で、パンパンとかしわでを打つと昨年の厄が払われ、ようやく今年の幸運がやってくるような気がする。
特に信仰深いわけでもなく、宗教に凝っているわけでもまったくないのだけれど、見えない存在というのは、見えないだけに、自分のすべての行動を見られているような気がして、それなりに品行方正、努力しようと思うから、人間の心理というのはなかなか不思議なものだと思う。それがなくちゃ何をするかわからない、っていうほどには自堕落な性格ではないけれど、それなりに抑制機能が働くみたい。
ほんの10分ほどで参詣の儀式は終わり、あとはもっぱら観光。我が家も十分田舎にあるのだから、いまさら野菜が新鮮だとか自然が豊かだということに魅力はないはずなのに、「みちの駅」の野菜売り場でしこたま「新鮮野菜」を買い込み、名産のいちごが入ったシュークリームを頬張りながら、筑波山の頂上に雲がかかっているだの、はるか先に見える那須の連山の頂きが雪で白いだのと大騒ぎ。これが毎年なのだから、よくまあ飽きもせずにと思う。
つい数日前にはお世話になっているお寺さんにご挨拶参り、そして昨日は神社のお札を頂き、2月からベートーヴェンのミサ曲の練習開始。すっごい多宗教というか、典型的ニッポンジン。
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写真:「信じるものは救われる」・・・松吉、人間を信じることにしたそうな。
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二度と行かない美容室
2011年01月13日(木)
ああ、時間がかかった・・・と言ってもたいしたことではなくて、髪の毛が伸びるまでの時間のこと。満足とまではいかないけれど、ここ数日でようやく元の自分に戻れた気分。
結婚してからというもの転居のたびに都会から離れ、今住んでいる所もかろうじて東京通勤圏とは言え、これが田舎じゃなくてどこが田舎というほどの田舎。ここに来てとても困ったのが美容室だった。我が家から歩いて行けるのは『東京美容室』という名前の美容室。近所のおばちゃんたちの髪の毛といえば、「焦がしちゃったのかしら?」と思うようなチリチリパーマ、怖くてとても行く気になれない。
大学生の頃からずっと行きつけの美容室があった。そこには希望どおりの髪型にしてくれるお気に入りの男性スタッフがいて、すいぶん長い間お世話になっていた。結婚してからも何回か通ったが遠くて億劫、そのうち、郷里の大阪に自分のお店を持つからと彼がやめてしまい、後のスタッフはそれなりにセンスが良かったけれど、以前ほどお気に入りの髪型にはしてくれず、次第に足が遠ざかってしまった。
以来「ホームパーマ」、自分でパーマをかけるようになった。髪をカットするのも、ロッドを巻くのもそれほど大変じゃないし、なにより、自分の思い通りの髪型になるから、ヘタな美容室に行くより安心、しかもパーマ液ときたら1,000円でおつりがくる。
ところが、せいぜい数年に一回のことだけれど、パーマをかけるのがたまらなく面倒になることがあって、そんな時には美容室に駆け込んでしまう。昨年の12月もそうだった。我が家から車で30分ほどのところにある、一見ゴージャスな美容室。ここなら大丈夫かもと店に入ると、チーフだというスマートな男性が現われ、自信ありげに対応してくれる。オッシ~、これで希望どおりだな。
ところがこのチーフ、いちいち様子を見るでもなく、すきバサミでどんどん髪の毛をカットしてゆく。あれれ、短くしすぎちゃイヤよ、そう思いながらも、希望は伝えてあるし相手はプロだものと、口出しすることなく任せておいた。それが大間違い。
最後に「前髪に変な癖がついているので、ここ、カットしておきますね」と、何を血迷ったのかこのチーフ、こだわりの長さだった前髪をためらいもなくチョキン。鏡に映っているのはカッパに変身したワタシ・・・。とっさに思い浮かんだのが「蓮舫」じゃなくて、悲しいかな「鳳啓助」。
ほとんど泣きそうになりながら店を後にし、その足で速攻ウイッグ屋さんに行き、つけ毛なるものを買いこみ、その後数日のイベントをなんとかごまかして過ごしたが、部屋にかかる鏡に映る自分の顔を見てはイライラ、免疫は着実に下がっていった。そしてついに、大晦日に高熱を出してダウンしてしまったのだった。
「髪は女の命」を思い知った2010年の暮れ。
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写真:亜依子ちゃんも「にゃん毛」のつけ毛でゴージャスに変身。えっ?ゴミが乗ってるみたいだって?
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多頭飼いはご法度?
2011年05月09日(月)
今日まで知らなかったのだけれど、山梨県、鳥取県、滋賀県、佐賀県には、犬・猫を多頭飼いする場合には届出をしなければならないという条例があるのだそうだ。山梨、鳥取、滋賀県は犬・猫10匹以上、佐賀県は6匹以上、茨城県は犬のみ10匹以上が届出の基準。
鳥取県の場合にはさらに「規制区域」なるものまで定められていて、区域内では9匹までの飼育しか認められていない。放射能が怖いよ~と迂闊に引っ越せば、「頭数オーバーですから手放してください」なんていうことにもなりかねないわけで、違反した場合には、6月以下の懲役又は30万円以下の罰金刑だという。
鳥取県で2002年に施行されたのは「鳥取県民に迷惑をかける犬又は猫の飼育の規制に関する条例」というもので、主だった条文はこんなふう。「(目的)第1条 この条例は、多数の犬又は猫を飼育する行為について必要な規制を行い、もって県民の健康で文化的な生活の確保を図ることを目的とする。(規制地域の指定)第3条 知事は、住民の生活環境を保全するため多頭飼育を禁止する必要があると認める住居が集合している地域その他の地域を、規制地域として指定することができる。 (多頭飼育の禁止)第4条 何人も、前条第1項の規定により指定された規制地域内においては、多頭飼育を行ってはならない。」
最近は「アニマル・ホーダー」なんていう言葉もあるそうで、これ、なんのことかと思ったら、ゴミを捨てられない人間と、犬猫を次々に保護する人とを同じ病理とみなすらしい。かわいそうだからと拾いはするが、避妊手術をしないからどんどん増え続け、挙句の果てに虐待だの飼育放棄だのに繋がり、近隣に鳴き声と糞尿の匂いで迷惑をかける。そんな「困ったちゃん」は確かに「アニマル・ホーダー」だけれど、ブログ仲間の多頭飼いさんたちにはまったく当てはまらない。それどころか、深い愛情と強い責任感をもって動物を保護されている方たちばかり。
鳥取県のケースでは、100匹以上飼育していたブリーダーが敷地内に放し飼いにしていて騒音や悪臭で住民とトラブルとなり、動物愛護条例に基づいて改善命令を出したにもかかわらず解決せず、結局訴訟にまで発展したのがきっかけとなって規制に乗り出したという。
なんだかなあと思いながらいろいろ調べていたら鳥取県のこの条例、結局一度も適用されずお蔵入りしてしまっていていた。それというのも、条例による住民の自由制限は必要最小限度でなければないのに、この条例だと、ペットを飼う個人の自由が不当に侵害されてしまう。つまり違憲の恐れがあったからだという。
悪質なブリーダーと、動物を愛する市井の人とを同じ土俵に乗せ、規制の対象にしちゃというというのはいかにも乱暴な話。しかも、紙ペラ一枚行政に提出させるだけ。行政はいったいその先何をしようというのか、それがまったく見えてこない。なんなんだ??
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写真:10匹いるけど、なにか文句あるかにゃあ??
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モクレンの花が咲いた
2011年09月28日(水)
この季節にモクレンが花をつけている。
庭先に、我が家のシンボルツリーのモクレンの木がある。17年前、まだ人の背丈ほどもない苗木を購入して植えたものが、年々大木になり、今では、2階の窓から手を伸ばせば葉に触れられるほどの背丈にまでなった。前に住んでいた借家に大きなコブシの木があって、毎年春になると真っ白い花をつけるのが楽しみでならなかったから、家を建てたら絶対にコブシを植えようと決めていた。コブシならず、本家本元のモクレンになってしまったけれど、それはそれで美しい。
モクレンは毎年4月ごろに花をつける。3月の震災にもめげず、今年も4月にたくさんの花をつけ、散り、そして青々とした緑の葉っぱに覆われていた。ここまでは何の異変もみられなかったのに、花のつくはずもないこの時期に、根元のほうからスックリと1メートルほどの枝が一本伸びてきて、そこに大きなつぼみがついた。花の大きさも葉の大きさも蓮の花のぐらいあって、なんだか気味が悪い。
一瞬、放射能のせいかと思ったけれど、ふと、草木が二度咲くと大地震の前兆と言われていることを思い出す。芥川龍之介がこんなことを書いている。
【大正十二年九月一日の大震に際して(大震雑記)
大正十二年八月、僕は一游亭と鎌倉へ行き、平野屋別荘の客となつた。僕等の座敷の軒先はずつと藤棚になつてゐる。その又藤棚の葉の間にはちらほら紫の花が見えた。八月の藤の花は年代記ものである。そればかりではない。後架の窓から裏庭を見ると、八重の山吹も花をつけてゐる。(中略)その上又珍らしいことは小町園の庭の池に菖蒲も蓮と咲き競ってゐる。(中略)藤、山吹、菖蒲と数へてくると、どうもこれは唯事ではない。「自然」に発狂の気味のあるのは疑ひ難い事実である。僕は爾来人の顔さへ見れば、「天変地異が起りさうだ」と云つた。しかし誰も真に受けない。久米正雄の如きはにやにやしながら、「菊池寛が弱気になつてね」などと大いに僕を嘲弄したものである。僕等の東京に帰つたのは八月二十五日である。大地震はそれから八日目に起つた。「あの時は義理にも反対したかつたけれど、実際君の予言は中つたね。」久米も今は僕の予言に大いに敬意を表してゐる。さう云ふことならば白状しても好い。―実は僕も僕の予言を余り信用しなかつたのだよ。】
芥川が見たのは藤、山吹、菖蒲という複数の花。モクレンの花ひとつで大騒ぎすることもないのかもしれないが、大震災の傷跡はまだ生々しく、再建のメドも立たないまま政治は混迷、増税による野田不況も目前に迫ってきている。こんな不穏な日本だもの、いつなにがあってもおかしくないんじゃないかと、菊池寛の心境。
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写真:これがモクレン?きれいね、かわいいねと声をかけてあげたいところだけれど、やっぱり不気味・・・
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プロフィール
鈍行列車の「ちゅうちゅうとれいん」はいつも満員(ふ~っ…)!時々燃料切れを起こして更新が滞ることがありますが、どうぞ末永くおつきあいくださいネ。姉妹編の「あけみ参上つかまちゅり~」もよろしくお願い致します。
Cast

樹里絵(jyurie):1998年生まれ。マイペースで世話が焼けません。性格温厚で超パパっ子。

桃之輔(momonosuke):1999年生まれ。甘えっ子ですが、ものすごく臆病で、ほとんど一日中、布団の中に隠れています。

亜依子(aiko):2000年生まれ。自己主張が強くて偏屈ですが、そこがまた可愛いいんだなあ。超ママっ子です。

真美(mami):2005年生まれ。外見はタヌキそのもの、性格は犬そのものです。才気煥発で気性が激しい。

美意子(miiko):2005年生まれ? 歯を見ると6、7歳…本当は何歳だろう?一日中、文句たらたら言っています。

奈々(nana):2001年生まれ。ようやくノラっぽさもなくなり、明るい陽気な子になりました。
明美(akemi)にゃ三郎(nyasaburou)、小牧(komaki):2007年生まれ。仲良し3兄弟。毎日楽しそうに暮らしています。

里音(satone):2009年8月保護。どんな生い立ちでどんなニャン生を過ごしてきたのか、それは謎です。未来を生きる猫!

寿々(suzu):1994年12月~2010年3月12日。パパの仕事部屋に入れた唯一の子。人の気持ちがよくわかる、とてもとても頭の良い子でした。

福太郎(fukutarou):1997年4月~2008年3月20日。陽気で甘えっ子。抱っこされるのが大好きでした。お母さん代わりだった寿々との再会、「欣喜猫躍」していることでしょう。
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