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カテゴリー: 犬

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慕ってくれていたものを

2007年05月28日(月)

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そろそろ夏っぽい雰囲気になってきたので、ちょっと怪談じみた話。犬や猫の「祟り」などという、そんなオドロオドロしい世界を真っ向から信じてはいないけれど、それでもちょっと思い当たるフシ。飼い犬を保健所に連れていった知人が、その後不幸を背負ったという話を二つばかり。

一つ目は実家のお向かいさん。ご両親は共に小学校の先生で、息子ひとり、娘ひとりの4人家族。まだ子供達が小さい頃、捨てられていた犬を拾ってきた。テリア系の雑種だったようで、ちょっとカールのかかった毛と長四角の顔が特徴的。小さい頃はかわいかったし、だから最初のうちは子供二人とお父さんとで、よく散歩に連れ出していた。

この犬、日に日に大きくなり、ついに立ち上がると子供の背丈をはるかに越えるぐらいにまで成長してしまった。散歩には行かなくなるし、そのうち庭先からなぜか駐車場に犬小屋を移動。その駐車場というのがコンクリートの打ちっぱなしで、土なんてどこにもないうえに、日陰を作ってくれる木の一本もない。

だからこの犬、真夏はコンクリートでできたフライパンの上で生活しているようなもので、さすがに太陽が一番高くなる時間になると、ワンワンキャンキャンと悲鳴をあげて窮状を訴える。家人は仕事で留守だから、だれもこの犬を移動させてあげることはできないし、時々水さえ置いていかないこともあって、犬好きにとっては気が気じゃない。

とりあえず水だけでも飲ませてあげようと、ボールに水を入れて駐車場に持っていき、長い棒を使って犬の口元まで押し寄せ、水を飲み終わるのを待って、またまた棒でたぐり寄せて証拠隠滅。この子、ちょっと凶暴で、他人は一切寄せつけないから、こんなことでもするしか方法がない。おせっかい婆さんの親切なんざ知ったことかと、その間もウオンウオンと吠えられっぱなし。姉には、夜になってから黒い頭巾でも被ってあげにいけばいいんじゃないの、と言われたが、別に泥棒に入ろうってわけじゃないし。

ところがその犬、ある日を境にぷっつりと姿を消した。あんな飼い方をしていたのだもの、死んでしまったに違いないと思っていたら、無情にも飼いきれなくなったので保健所に持っていったと言う。飼い主にはやたら甘える子で、家族に飛びついて喜んでいる姿を何度も見ていたから、きっとその日も散歩に連れていってもらえるものと思って、喜び勇んで飼い主の車に乗ったに違いない。ああ、哀れ。

ところがそれから1年ぐらいして、なんの因果か娘さんが足を骨折をしてしまった。しかもかなりの重症で、もう自力では歩けないだろうという。かわいらしい顔をした、賢い子だったのでとても不憫に思ったが、あれだけの仕打ち、犬の悔しさがこんな形になって現れたとしか思えなかった。

もうひとつは高校時代の友人が飼っていた犬。いつも門の脇の犬小屋で寝ていて、名前を呼ぶと静かに小屋から出てきて尻尾をふってくれる、おとなしい犬だった。この子も、ある日遊びにいくと犬小屋が空っぽ。彼女の母親がぜんそくで、犬の毛が良くないと医者に言われたので保健所に持っていったのだと言う。普通に飼ってもあと2、3年ぐらいの寿命しかなさそうな老犬、なにもわざわざ…。

ただただ、かわいそうでならなかった。この子の場合にはすべてを知り尽くしていて、諦めて保健所に行ったような、そんな気がしてならなかった。当の母親は、犬がいなくなってもぜんそくが治ることはなく、それからほどなくして、突然別の病で亡くなってしまった。

どちらのケースも、犬が祟ったのよ、なんていう冷たい言い方をする気はないが、それでも、いつか飼い主が迎えにくるものと信じ、保健所の檻の中で震えながら待っていただろう犬たちの最後を思えば、飼い主に会いたい一心、それが悪さを働いてしまうというのも無理からぬことのように思えてならない。成仏できない…っていう、あれ。

その昔、駅二つ隔てたところに住んでいた霊感のあるおばちゃん。それを生業としているぐらいだったから、病気でも何でも、とにかくよく当たる。そのおばちゃんに会うといつも「あら、またワンちゃんが側にいる。よほどかわいがっていたのねえ、嬉しそうについて歩いているわよ」と言われた。たぶんヒロちゃんのことで、毛の色から尻尾の形までそのまま。写真を見せたことも話したこともないのに、リアル。死んでもなお慕ってくれているということなのか。

ご近所のことも友人の母親のことも、偶然だっただけ。犬の因果かどうかなんて、霊感がないからからっきしわからないけれど、人間に命を委ねるしかない動物の、そのイノチを人間の都合だけで奪っていいはずがない。「祟り」っていう概念、案外そんな倫理的なことのために作られたものなのかもしれないと、ふと思ったりして。

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写真:(上)初代の猫たち。最後まで人間との絆は深かった。(左)この子たちを拾った時の写真。目も鼻もグチャグチャ。人間を頼るしか生きる術がなかった。


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かわいさに、なんの変わりがあるじゃなし

2007年05月31日(木)

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このごろ、動物病院に行って出会うのは純血種と思しき犬ばかり。以前のように、どういうお父さんとお母さんだとこういうワンちゃんになっちゃうんだろう、という犬をトンと見かけなくなった。だからたまに、見るからに「ザッシュ」という犬がいると、飼い主がその子を飼ったきっかけは、たぶん貰ったか拾ったか。いずれにしても、動物好きの優しい気持ちが伝わってきてほのぼの。たまたまここが田舎だからなのか、猫のほうは相変わらず白黒猫だの茶猫だの。ゴージャスな猫に出会うことは滅多にない。

『動物のお医者さん』というマンガが火付け役だったらしいが、かつて流行ったのがハスキー犬。まだ10年数年前のことだから、その残党がたくさんいてもいいはずなのに、散歩させている姿などほとんど見かけなくなった。近所の畳屋さんが飼っていた子も、そういえば、もうずいぶん前から見ていない。あの子たち、一体どこにいってしまったのだろう。

それからしばらくして今度はゴールデンレトリーバー、そしてチワワの爆発的なブーム。テレビをほとんど見ないから、世間の流行には疎いが、それでもまわりじゅうに同じ犬ばかりが溢れかえれば、それがブームだということぐらいはなんとかわかる「プチ浦島」。

知人夫婦に自称・動物好きがいて、7年ほど前にレトリーバーを飼った。最初は一頭、それは奥さんの犬ということらしく、ダンナさんが競ってもう一頭を手に入れた。競ってというのは、ゴールデンの良し悪しは毛の色だとか顔の形だとかにあるらしく、それで優劣が決まるのだとか。だからオレの犬のほうがいい犬だとかなんだとか。

飼った当初は会えばいつも犬自慢。犬の訓練学校に通ってしつけを済ませ、その利口さを誇り、散歩に行くときは夫婦お揃いの、なんとかというブランドのジャケットをはおり、ハンチング帽を被って意気揚々。メス犬の首には赤いバンダナ、オスは青いバンダナ。なるほどねえ、大きな犬2頭、こうやって飼うとそれなりにカッコいいってわけかあ。

その奥さんが、あなたも犬を飼わない?と言ってきた。我が家は猫だらけ。犬は欲しいが朝晩の散歩を考えると、とてもそんな時間的な余裕がないからお断りしたが、その話しの内容というのが聞き捨てならない。ブリーダーが繁殖用に使っていた母犬、2年だか経って(!)、もういい子が産めないから処分をすることになったのだとか。

処分されるのは自分の飼っている犬の母親、かわいそうだから引き取ってあげたいという。なんと言われても飼う気はないが、あまりにひどい話。猶予は一日しかないと脅すから、あわてて懇意にしていた動物愛護団体に連絡をして、なんとか貰い手を探し出してもらった。新しい飼い主の元に車を1時間以上も飛ばして連れていったのは、オヒトヨシのお頓馬夫婦、つまりママたち。話しを持ってきた当人は「よかったわあ」の一言。それからしばらくして、もう一頭同じような境遇になった犬がいるからこれも助けてくれと。さすがに知らんぷりを決め込んだが、この犬、実験用動物として製薬会社だかに売られたということを後で聞いた。

そんな飼い主に飼われていた2頭のレトリーバーたち、そのうちぱったりと散歩に連れ出すこともなくなり、頻繁に洗ってもらい、フサフサの毛をたなびかせていた頃などまるで嘘のよう、毛玉のできたごわごわの毛に包まれながら、狭い檻に入れられたままになってしまった。ゴールデンたちは不平不満を言うわけでもなく、おとなしく暮らしていたようだったが、それも訓練学校でのしつけの成果、騒げば怒る飼い主に抵抗しなかっただけの話し。

それから間もなくしてまずオス犬が、続いてメス犬も死んでしまった。レトリーバーの寿命は10年以上はあるらしいから、その半分、わずか6年しか生きていなかった。大きい犬に懲りたのか、ほどなくして飼いはじめたのがシーズー。洋服を着せ、トリミングに余念がない。ちょっとの買い物にも連れ歩いているが、こちらはひたすら不愉快。見せられても、かわいいわねの言葉など素直に出てくるはずがない。

たまたま、どうしようもない飼い主にぶつかっただけなのかもわからないが、それでもこのところの純血種ブーム、胡散臭い。この奥さん、いつかポロっと「血統が良くて、頭のいい犬や猫は生きる価値があるから大切にしなくちゃ」と言ったことがあって、その時には思わず、ボロだろうがなんだろうが、命あるものにはすべて生きる権利があるのよ、と言い返したが、これってまるきりヒトラー。なんなんだろう、この発想。

ムメちゃんがきてから、人間の好みに合わせて品種改良を重ねて作られたペットの、そのかわいらしさを身をもって知りはしたが、それでもボロボロの犬や猫のほうがよほど好き。どうして純血種に拘るのか、その心理だけは今もってさっぱりわからない。かわいさが同じなら高いお金を出すこともない、タダのほうがお得に決まっているし。

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写真:(上)抱きしめている時の幸せといったら・・・(左)お間抜けなミミちゃんは純白種!


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サクベエがいなくなった日

2007年06月10日(日)

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戦争がどれほど悲惨なものであったのかを知ることができるのは、せいぜい書物の上でか、人の語り伝え。戦争を体験した世代からはほど遠いけれど(?)、それでもほんの小さな子供の頃から、戦争だけは嫌だと思い続けてきたのは、母から、戦争中に飼っていた犬を供出した日のことを聞かされていたからか。

当時、両親はサクベエという名前の柴犬を飼っていた。昔のことだから、ほとんどの家で犬は放し飼い。ある日買い物から帰ってくると、必ず玄関に出迎えてくれるはずの犬の姿が見えない。どこに行ったのかと家の周りを探し歩いていたら、近所の人が、今しがた犬獲りに捕まり、麻袋に入れて持っていかれたばかり、と教えてくれた。

気の強い母のこと、「非国民」と言われることなんて、想像はついたがお構いなし。麻袋を担いだおじさんを探しだし、その犬は私の家の犬だから返しなさいよ、と迫ったらしい。所詮オンナコドモの言うこと、おじさん一向に怯まず、これは国の命令、兵隊さんのために犬を供出するのは国民の義務だと一蹴。しばらく言い争ったがどうにもならず、麻袋の中で声ひとつ出さないサクベエと、泣く泣くお別れをして引き返してきたという。

今度はあのウチの犬だと、犬獲りのおじさんが近所に言いふらしていたらしいから、しっかり繋いで庭の奥、あるいは家の中から一歩も出さず、厳重に匿っておけば良かったものを、それでも、たぶん結果は同じだったか。その頃、国の号令下、末端の地域にまで組織されていたのが隣組。とんとんとんからりっと隣組・・・なんていう歌が流行ったが、そこで歌われているような「助け合い」は表向きのカオ、国民の一人残らず、それこそ猫の子一匹逃すことなく国家の統制下に置くための、早い話が相互監視システムだもの、犬を隠しているなんてすぐに知れ渡る。

捕まえた犬は一箇所に集めて棒で殴り殺し、毛皮を剥いで防寒用の手袋や帽子に加工、軍に供給したというが、全部が全部のはずなはく、人が食うに困るほどの苦しい戦況、パーマをかけるのはやめましょうというのと同じ次元、ペットを飼うなんて贅沢、それだけの理由で捕獲され、命を奪われた犬もたくさんいたはず。文字通りの「犬死」

母の怒りと嘆きは、戦後何十年たっても薄らぐことはなく、だから、ことあるごとに聞かされ続けたこの話。そのたびに胸が痛み、耳を塞ぎたくなったが、お陰で戦争の悲惨さだけは、心の奥底にしっかりと刻みつけられた。ただし、母親の薫陶よろしく、戦争と聞いてまず思い浮かぶのが動物達の悲劇、という「非国民」ぶり。

どんな命であれ、その生殺与奪権を国家が握っているという事実は、恐ろしくもあり、馬鹿馬鹿しくもある。権力亡者、金亡者の為政者達、国を守るため、国民を守るための防衛なんて本気で考えているはずもなく、戦争も利権の道具、結局は誰かが何かで「トク」する仕組み。そんなことのために、人にせよ何にせよ、あたら「命」を投げ出す必要など毛頭ないはず。

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写真:(上)ココちゃんは6年間のノラ生活を経て、ようやく家猫。守ってあげなくちゃ。(左)1941年発行の『臣民の道』は、文部省が各学校に配布した小冊子。隣組についても「隣保苦楽を共にするの風は、古来の尊い伝統」「隣保相扶け隣人相戒めて道徳的修練に励み、さらに国策萬般の普及徹底に協力する最下部組織として重要なる意義を有する。」などと記述されている。


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犬と暮らす夢は彼方遠く

2007年06月23日(土)

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動物に最初に触れたのはたぶん4歳の頃。親戚の家に遊びに行くと、大きなコリーが2頭で出迎えてくれた。それまでは庭にきた猫を見るぐらい、犬など飼ったこともなければ触ったこともなかったから、目の前に現れた、子供の背丈を越えるほどの犬が怖くてたまらなかった。

そんな子供の気持ちなど露知らず、歓迎のつもりなのか、コリーの一頭がいきなり手をくわえ(今思えば、そっと)、玄関の方に引っ張っていこうとするから、あまりの恐怖に泣き出してしまった。

飼い主の叱責、聞き分けのいい犬はすぐに手を放してくれ、そのあと2頭で代わる代わる泣いている顔を覗き込んでは、「大丈夫?」といわんばかりの仕草。そのうちどちらかの犬が、涙でぐちゃぐちゃになったホッペをそっと舐めてくれる。今度はその優しさに驚き、それからというもの、大きくなったら絶対にコリーを飼うと言い続けるようになった。

ところが両親、戦後まもなく、なんとかケンネルという犬屋さんで買った黒い柴犬のプー、これが噛みつき癖のある犬で、出前の人には噛みつく、新聞配達、郵便配達と、訪ねてくる人誰彼かまわず噛みつくから謝ってばかり。だから、犬屋さんで犬を買うのなんてもう懲りごり、飼うならおとなしい雑種の犬をどこからか貰ってこようと決めていたらしい。それは表向き、ほんとうは犬を買うなんてもったいないと思っていたのかもしれない。プーちゃんの最後を思えば、確かに…。

当時両親は上野の桜木町に住んでいたから、寛永寺が犬の散歩コース。いつもどおり寛永寺に行き、引き綱を放すと(噛みつき癖のある犬を放すというのも、信じられないことだけれど!)、その日のプーちゃんは何を思ったか、飼い主から離れ、いつもは行かないお寺の裏庭の方に走っていってしまった。

そのままいつまでたっても戻ってこない。ただでさえ寂しいお寺、あたりはすっかり暗くなってしまい、これ以上待つことなどできないから、お寺の住職さんを訪ね、裏庭に犬が入ってしまったまま、まだ戻ってこないので探させて貰えないかと頼み込んだ。すると住職、あそこに入ってしまったら、生きて戻ることなんてまず無理ですよと言う。

昨今、野良犬の姿などとんと見かけなくなってしまったが、当時はゴロゴロ。そんな犬たちが群れを作って暮らし、しまいには野生化してしまうなんていうことがあったらしい。まさに「野犬」。住職が言うには、そんな野犬の群れが寛永寺の裏庭に棲みついているのだとか。

そこに犬でも入り込もうものなら集団で襲いかかり、まず助からない。気の強い犬ならなおさらのこと、立ち向かっていって殺られてしまう。普段から自分より大きな犬に平気で向かってゆくプーのこと、とても生きてはいないだろうと諦めて帰ってきたが、案の定それっきり。(ただしこれは昔の話。今の寛永寺はそんな所ではないので念のため。)

犬の命をお金で換算するような両親ではなかったが、それでもプーちゃん、当時としては結構なお値段だっというから、二度と大枚はたいて犬を買う気など起こらなかったに違いない。それからしばらく犬のいない暮らし。

小学校の6年生になり、せがんでようやく飼ってもらったのは、両親の希望どおり、性格の温和な柴犬とスピッツの「雑種」だった。一緒に暮らせばボルゾイだろうがコリーだろうが雑種だろうが、そんなことはどうでも良くて、ただただかわいい。けれどそのうち、黒いコッカースパニエルが欲しくてたまらなくなり、その思いは今でも続いている。江藤淳の『仔犬のいる部屋』という本を読んで以来。

でもそれは夢、これだけ猫がいたら犬を飼うことなんてできっこない。コリーやコッカースパニエルなんていう上等、お上品な犬には縁のないまま、サビ猫だのパンダ猫だの、どうすればこんな模様になってしまうのかという猫たちに囲まれながら朽ち果てるに違いない。まあ、それはそれで幸せか。

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写真:(上)唯一血統書と言われてはいるが拾った子だし、所詮は推測。(左)キジだのサビだの・・・。


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棄てられし犬を捕まえる人

2007年06月25日(月)

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向こうから来る人、どこかで会ったことのある顔だと思っていたら、お久しぶり、と声をかけられた。まだ20代だった頃のずっと年下の友人。その頃彼はまだ大学生で、アマチュアのオーケストラでトロンボーンを吹いていた。演奏会があると招待券を送ってきてくれたから、そのたびに聴きに行っていたが、忙しくなってしまったのか、演奏会の案内もこなくなってそれきり。

その後どうしていたのかと尋ねると、大学を卒業して役所に勤めたと言う。あまり冒険のできるタイプでもなく、どちらかといえば物静かでおとなしいタイプ。だから、営業だのなんだのには不向き、適材適所、堅実な仕事についたと思い、よかったわねえと。

ところが彼、その仕事に不満があるらしく、やめたいと思っているのだけれど、次の仕事を探すことを考えると、それもできないと呟く。もう記憶もさだかではないが、彼が当時いた部署は保健衛生課とかなんとか。どんな仕事なのかと思ったら、野良犬の捕獲をさせられたりしているのだと言う。

苦情の電話がかかってくると車を走らせ、犬を捕まえに行く。動物好きには宿敵、よりにもよってそんな仕事をしているの?と喉元まで出かかったが、彼にとっては仕事。それを非難することなんて誰もできやしない。

彼、それほど動物が好きではなかったようで、捕まえることにはあまり抵抗がないらしく、それより、捕まえるときに犬の毛が飛び散り、それが喉に入り、気管支をやられてしまうことのほうがずっと重大問題。そのせいもあって体調がすぐれないらしく、そういえば顔色が悪い。それにも増して、昔よりも格段に暗い表情、口とは裏腹、思うところがあったのかもしれない。

作家の辺見庸が、犬猫を処分するセンターを見学に行った時の様子を書いたものを読んだが、読み進めるのは辛く、読後は重い心を引きずることになった。彼はもともと動物好き、動物が好きというよりも独特の感性、生き物すべてに対する思いは、人間の弱者への思いと深く通じている。その彼が「棄てられた」犬たちの最後を記した文章は、切ない。(※)

その中で触れている殺処分の方法、あまりに無残で改めて書く気はしないが、それ以上に、「殺すため」の機械が開発され、需要があるという事実を改めて思い知らされ、愕然とした。アウシュビッツのそれとまったく同じ。その機械が、毎日いたる所で稼動しているという日本、それでも平和な国と言えるのか。

のんきに構えているが、人間とて「処分」の対象になりうるのはヒトラーで経験済み。いったん政情が変わり、非情な(あるいは無能な)為政者が、いったん、国家というシステムから宙に浮いてしまった「民」を足手まとい、そう思った時にはセンターの機械、人間を「処分」するために代用されることだって、十分にありうる話。だからこの機械、人類のためにも目障り。

機械を廃絶させるためにできることといえば、開発費用、購入費用、そして稼動させる経費を行政が知恵働かせ、もっと別なこと、犬猫を生かすために使うか、センター行きの動物をなくすための飼い主教育ぐらいしか思いつかないが、毎年40万から50万という処分頭数はいかにも多い。頭数に見合うだけの身勝手な飼い主、センター見学を条件に引き取るということにすれば、少しは己の残酷さに気づくか。

辺見氏は文章の最後、「犬の灰の一部はこの施設の庭の花壇にひっそりと撒かれていた。せめては土に還り、土を肥やし、花を咲かせて、その霊がとことわに宇宙をめぐり循環するよう私は念じる」と結ぶ。その気持ち、飼い主に聞かせてやりたいが、聞いたところで他人事。それほどの情があれば、もとよりそんなこと、するはずもない。

先の友人と会ってからの複雑な心境、それも次第に煩雑な日常にまぎれ、すっかり忘れてしまっていた。それからずいぶんたった頃、スーパーをうろうろしていると、後ろから旧姓を呼ぶ男性の声。振り向いたが、誰だかわからない。

立ちすくんでいると、僕ですよと、あのトロンボーン吹き。顔がまったく違う。あちこち引きつっているし、そもそも顔形が違うから、まるで別人。怪訝な表情に気づいた彼、あれから車の大事故、危うく死ぬところを命だけは取りとめたが、大手術をして顔が変わってしまったと。以前にも増して暗く、声はほとんど聞こえない。

犬の災いだなどと、そんな酷い言葉をぶつける気はまったくないし、彼の仕事をとやかくいうつもりも毛頭ないが、それでもやはり捕獲された犬の思い、どこかに残っていたのかもしれないと、心密かに。恨むなら飼い主、決して彼ではないのに。

(※辺見庸『独航記』(「棄てられしものたちの残像」,角川文庫,2004年)

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写真:(上)棄てられし犬たちに庭の花をたむけよう。はかないのは、花は毎年咲くが、失われた命は還らないということ。(左)三者三様、外猫になる猫、家猫になる猫。それぞれが運命か。


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破った約束の罰を背負わされた犬

2007年07月11日(水)

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情操教育という言葉、今でも健在なのだろうか。本を読ませたり、楽器を弾かせたり、動物を飼ったり、そういうことのすべてが子供の情操教育、そんな意識が全盛だった頃、そこに着目した楽器メーカー、都道府県の至る所に音楽教室を開き、生徒を集め、だからあちこちの家庭で、子供にピアノを習わせるようになった。

夕方町を歩けば、どこかしらからピアノの音がして微笑ましかったが、やがてそれが原因の「ピアノ殺人事件」などという物騒な事件が起きて、次第に戦々恐々。その上、決して安くはないピアノ、それでも中学に入ればほとんどが部活を理由にやめてしまうから、ボーナスはたいた親はがっかり。しかも情操教育などという優雅さからはほど遠く、ひたすら練習が嫌だったという、苦い思い出だけが残ったりして。

それでも、ブームが過ぎ去ってもなお、ピアノなら一応は見栄えのする家具。狭い部屋、邪魔になれば「ピアノ高く買います」というあの広告、引き取ってもらえば、僅かではあっても元が取れるし、ピアノも海外に渡って再利用、いずれもそれなりにまあまあ御の字。無機質な物体相手ならこれにて一件落着。

ところが、同じく情操教育だからと動物を飼う親心、これだけは、時として救いがたい結末を招くことがある。10数年前、友人から慌しくかかってきた電話。「子供の同級生の家で飼っている犬、お母さんが保健所に連れていくと言っているらしいんだけれど、どうしよう」と。

最初からこちらにゲタを預けられても、ただただ迷惑な話だが、その人、友人の中で唯一動物が苦手、飼ったことがないというから、それも仕方がないことか。それでも繊細、命に対しては思いやりのある人だったから、飼ってあげることはできないの?と聞くと、彼女にも子供3人、日ごろから犬を飼いたいとせがまれていたところだから、そうしてあげようかしらと。

彼女、それからすぐに引き取りに行ったが、一歩違い、犬の姿はすでになかった。もう少し早く決断していれば助けてあげられたのにと、ずいぶんがっかりしていたが、まったくもって、つくづく運の悪い犬。その時、まだ生後6ヶ月ぐらい。後から聞けば、犬を保健所に連れていった理由が、「教育」のためだと言うのだから、呆然、愕然、憤然。

子供2人、捨てられていた子犬を拾ってきて、面倒を最後まできちんと見るなら、という条件つきで飼うことを許したらしい。情操教育にもなるだろうからと。ところが子供たち、次第に大きくなる犬に飽きてしまい、散歩にも連れてゆかず、放りっぱなし。そこで母親、子供二人を前にお説教をはじめた。

きちんと面倒をみてあげなさい・・・ではなく、面倒をみないのなら、保健所に連れていくというが最初の約束(すごい約束!)、約束は守らなければいけないと。子供たちは泣いて謝り、連れていかないでと懇願したが、約束は約束、その場で保健所に電話をし、連れていったのだという。

ああこうやって書いているだけで、会ったこともない人なのに、無性に腹が立ってくる。この母親にとっては、子供が約束を破ったということの非を教えるためなら、犬1匹の命などどうでも良かったということなのか。学校では評判の教育ママだったようだが、この母親の考える「教育」なんて、所詮「狂育」。

教えるべきは、どんなことがあろうと委ねられた命、最後まで見放してはいけないということ。それが本来の情操教育のはず。それなのに、あろうことかこの母親、モノ言えぬ弱い生き物の命を簡単に見棄てる方法を、子供たちに身をもって教えたのだった。それがどういう結果をもたらすか、いずれ老いゆく身、動かぬ体になって後、子供たちから知らされることになるだろう。


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写真:(上)保健所に連れてゆかれる寸前に保護されたミミ。「情操」のために拾うなんて、思いもつかない。ただただ、命を救ってあげたいだけ。(左)人間の手の中で、こうして安心している子を、どうして裏切ることなどできよう。


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暑い夏の寒いお話

2007年07月27日(金)

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あまりに暑苦しい長毛種のムメモちゃん、本日「床屋さん」。何もこの季節にファーを纏って着飾ることもあるまいと、それはそれは短く刈り込んだが、まさに虎刈り、そして尻尾はいつものライオンカット。床屋さんの名前は「東京バーバー」。ここは田舎だから、「東京」という名前を入れてお洒落にしたつもり、なんとか銀座というのと一緒。

関東地方、まだ梅雨明け宣言はされていないが、数日前からカンカン晴れ。抜けるような空の色は真夏を通り越して秋空だから、きっと、とっくに梅雨は明けているのだろうけれど、気象庁、宣言する自信がないのかしら。

時代は進んでも、天気予報が当たる確率だけは昔とそれほど大差がなく、放り投げたゲタの表が出れば晴れ、猫が顔を洗うと雨と、そんな民間似非天気予報のほうが、未だによほど的中率が良かったりして。もっとも、猫は食後のたびに顔を洗っているから、この気象予報士の予報はちょっと眉唾もの。

7月初旬は肌寒い日もあって、てっきり冷夏になると思っていたけれど、そんなこともなく、どうやら猛暑。人間ならエアコンだのクールビズだのと、暑さから身を守る策を講じることができるが、犬猫はそうもいかず、特に繋がれていて自由のきかない犬は哀れなこと、このうえない。

もう10年ほど前、駅に向かう道、その道路際のフェンスに犬を繋いでいる家があって、犬の横にはプラスチックの犬小屋。横を通るたびに目に入るが、飼い主が声をかけている姿をついぞ見かけたことはなく、冬も夏も繋がれっぱなし。側に木の一本もないから、真夏は太陽光線の直撃を受け、それでも逃げる場所などどこにもなかった。

その子、すでにずいぶん年をとっていたのか、2年、3年と過ぎたころから腰が曲がりはじめ、足腰がめっきり弱くなり、歩くのがやっと。夏はげんなりとした様子だったが、いつもあきらめ顔。これだけ年老いた犬、日陰に置いてあげようという飼い主の気遣いに期待をかけたが、一向にその気配はなく、庭には丹精な花、花にかける気遣いのほんの少しでも、なぜ犬にはかけくれないのかと、そのチグハグな心理を図りかねていた。

そのうち、目に見えて激しい衰弱、余命、どうみてもあと僅かとしか思えないほどふらふら、足を踏ん張り、どうにか小屋から出てくるその姿が痛ましく、それでもどうにもしてあげられない身。その家のすぐ横が信号だったから黄色なら強行突破、見ないにかぎるから、赤信号で止まらないようにと家を出るときに呪文。

ある日、その犬の姿が見えなくなったと思ったら、犬小屋の入り口にブロックが積まれた。もう、出ることも入ることない犬小屋。わずか1メートル余りの不自由な世界、楽しいことなんか何もなかっただろうにと、その子の一生をかわいそうには思ったが、これで鎖からはずされ自由の身、やっとあの子も苦しみから解放されたと、むしろほっとしたような、そんな思いのほうがずっと大きかった。

あれからもう何年にもなるが、主のいない犬小屋はそのまま。暑い夏がやってくると、今でもあの犬のことを思い出す。もの言えぬ動物、飼われた恩義を感じているのか、抵抗ひとつしないけれど、自分の身に置き換えれば、なにをして欲しいのかわかりそうなものをと、犬の代わりに悔し涙。

ペットとして飼い馴らされたものの、断固繋がれることを拒否した猫のなんという賢さ。

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写真:(上)東京バーバー仕込みのムメモちゃん。ハサミでカットした体はシマシマ。でもこれでちょっとは涼しくなったはず。(左)ライオンカットのしっぽ。


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プロフィール

ジュリママと猫たちを乗せて走る鈍行列車のちゅうちゅうとれいん。車窓から見える風景を、気ままに書き綴るブログです。あけみちゃんの絵日記、『あけみ参上つかまちゅりーっ!』もどうぞよろしく。どちらもボチボチの更新ですが、末永くおつきあい頂ければ嬉しく思います。

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