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カテゴリー:健康の話

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食べたいものが薬・・・というお話

2007年05月08日(火)

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むこう三軒両隣…ちょうどそんな感じのご近所のご婦人たち二人と、最近開店したというフランス料理店のランチに行ってきた。私がちょっとした音楽会のチケットをお二人に差し上げたことへのお礼にと、ランチにしては豪華なコース料理をご馳走してくださった。遠慮なく‘わらしべ長者’の気分を味あわせて頂いた。昼間から、私だけだけれど白ワインを傾け、前菜にホッキ貝のサラダ、魚料理が鯛のムニエル、肉料理が鴨のソテー、それにジャガイモのビシソワーズ、デザート&コーヒー。

どの料理も、飾りつけ、お味ともになかなかのものだったけれど、フランス料理店というよりは、パーマ屋さんを改装したような、やけにカラッとした雰囲気が、時間をかけて頂く食事の場としては落ち着かなかったことと、今どき、家庭でも撥水加工の施してある布製のものを掛けているというのに、テーブルにビニールクロスが掛けられているのにはがっかり。デザートの前に、テーブルに落ちたパン屑を、丁寧に銀のダストパンで掃除してくれるお店の心遣いも、贅沢なおもてなしのひとつだと思うのだけれど、もしかしてここのお店、そんな時にはぞうきんででも拭くのかなあ。

まあ楽しいひと時を過ごしたし、お味良ければすべてよし。以前、別の友人が案内してくれたお店は、とてもお洒落なお店だったけれど、出された鴨のレアステーキは、ちょうど生きている鴨の体温と同じぐらいの生暖かさで気味悪く、それでも友人の手前、口から出すこともできず、必死に飲み込んでしまったことがあった。それに比べれば、今日のお店の鴨料理は断然おいしかったもの。

ほんとうのところ、我が家では宗教的な理由があるわけでもないし、頑固なベジタリアンというわけでもないのだが、肉料理は一切作らないし、食べない。餃子はホタテの缶詰、ハンバーグは鰯のつみれといった具合で、魚が肉料理の素材に化ける。パパは外食をすると、どんな小さなお肉も見逃さず、器用につまみ出してはお皿の横によけるほど。それなのにママだけは最近、時々だけれどお肉を食べるように「心がけて」いる。その理由は鬱病。もう過去形だけれど、繊細な(?)ママの心は社会生活の荒波に負け、ここ数年、ちょっとだけ故障をしてしまっていた。

鬱病というヤマイ、一端マイナス思考が始まると止まらなくなってしまう。セロトニンとノルアドレナリンの2つの神経伝達物質の減少によるものらしく、だから精神科に行くとセロトニンを増やす薬が出される。それが鬱病には効果的な治療法とされているようだが、ママにとっては薬は気力を失わせるだけのもの、その上依存性があると聞くと、怖くてとても頼る気にはなれなかった。そんな時に不思議と食べたくなったのがお肉、とりわけ分厚いトンカツだった。動物というのは、ある物質が欠乏して病気になると、その物質を含んだ食べ物が無性に食べたくなるらしい。

クリちゃんは厄介な「癲癇」持ちだった。突然体が硬直し、コテっと倒れてしまう。本ニャンは、治ればけろっとしてしまうのだが、高い所に上っていて、あっと思った瞬間には下まで転げ落ちているから、飼い主としては気が気ではない。獣医さんに連れて行っても「癲癇の薬はない」と言われ、発作の起きた時に飲ませなさいと、精神安定剤をくれたが、人間と違って精神が安定するどころかフラフラするから、そのことのほうがよほど恐かったようで、薬を飲むと暗い所に隠れる。かわいそうでとても続ける気にはなれなかった。この獣医さんは、前に書いた野性味たっぷりの獣医さんではなくて、いまふう「世襲」獣医。どこかの政治家達と同じで、ほんと…頼りなかったなあ。

そんなある日、発作が出た後に、クリは必ず鰯の骨をバリバリ食べるということに気がついた。だからいつも鰯を用意するようにしていたけれど、毎度毎度の繰り返しなので、もしかするとカルシウムが病気の治癒に関連しているのもしれないと思い、子供用のカルシウム錠を買い与えてみた。薬局で何歳のお子さんですかと聞かれ、「小学校の2年生」と答えて。それ以来、発作を起こす頻度が次第に少なくなり、ついには自然治癒してしまった。食べたいものが体に必要なもの。動物の本能というのは凄い。

それだもの、ママがセロトニンの原料となるトリプトファンをたくさん含んでいる豚肉が食べたくなるのも道理というもの。クリのこともあって、だから意識してお肉を食べるようにしている。ところがいったん肉を食べなくなると、あの肉独特の臭いが鼻について仕方がない。鶏肉なら、よほど香辛料をたっぷり使ったお料理しか食べられないし、牛肉だけはいまだに食べることができない。昔はオックステールのシチューだの、ローストビーフだのと、嬉々として作って食べていたのだけれど。このご時世、狂牛病も怖いし鳥インフルエンザも怖い。だから牛肉も鶏肉もあきらめてせいぜい豚肉どまり。災難と思って、豚さんにはあきらめてもらおう。

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写真:(上)クリちゃんのまだ若々しく、凛々しかったころ。この子は16歳まで生きた。(左)鴨のステーキ。こうやって写真でみると、フランス料理というより大盛りの定食みたい。


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4万円が飛んでいった日

2007年05月17日(木)

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昨日からココちゃんが咳をしていて元気がない。時々だったけれど、夜中に深い咳が聞こえてきて、心配で目が覚めてしまった。今朝はクシュンクシュンとくしゃみを連発するぐらいだが、食欲もないし、一日中寝てばかりいていかにもだるそう。やれやれ、このごろやっと誰も病気をしなくなってくれて、だから久しく獣医さんにお会いすることもなく済んでいたというのに。でも、放っておくわけにはいかない。

深い咳が心配なのは、1年ほど前に散々な目にあったから。あの時はサビちゃんのくしゃみから始まった。サビも最初はココと同じようにクシュンというくしゃみから始まり、次第にその回数が増え、夜になると深い咳をするようになった。

サビを動物病院に連れて行って容態を説明すると、猫の咳というのは人間よりも深刻なケースが多く、肺炎の疑いが濃厚、そうなるとたちまち命が奪われてしまうこともあると脅される。猫は時々ケーッという軽い咳のようなものをするが、そういう感じのものではなく、ゲボッゲボッという、肺の底から押し寄せてくるような咳。

レントゲンを撮ってみると、肺が真っ白になっていて明らかに「肺炎」、しかもかなり重篤だと言う。何本かの注射を打ち、入院させますか?と尋ねられたが、落ち着かない場所で過ごさせるより、むしろ自宅で安心して養生させてあげるほうがずっと良くなるような気がして、連れ帰った。

さすがに猫だけのことはあって、翌日には食欲も普通、元通りの元気な様子に安心したが、サビからうつったのか、今度はフクちゃんが深い咳をするようになり、さらにムメモちゃんまで。これが多頭飼いの恐いところ。ふたつのケージを担いで、またもや病院に行かなければならないハメに陥った。もちろんフクもムメモも早速レントゲン。肺炎は間違いないだろうと覚悟してはいたが、下された診断はそれどころではなかった。

獣医さんがレントゲン写真を見ながら説明してくれるには(かつての、野性味たっぷりの獣医さんの時代とは雲泥の差、なんて親切なインフォームドコンセント!)、フクも肺の周辺がうっすらと白っぽく霞んでいて、確かに軽い肺炎を起こしている。ところが問題は肺ではなくて心臓なんだと言う。この子、小さい頃から病院に連れていくと心臓に雑音があると言われていて、ちょっと勢いよく走るとゼイゼイと息を切らす。その原因をレントゲン写真は正直に写し出していた。

「フクちゃんの心臓は右側にありますね」・・・レントゲン写真を見ると、確かに左側にあるべきはずの心臓がしっかり右側に。獣医さんによれば、なんらかの肺の病気で右肺が潰れ、そのために心臓が移動してしまったのだろうと言う(この表現、正確を期していないかもわからない。なんせ素人にはチンプンカンプンな話だったから)。でも、心臓が右に寄ってしまうほどの肺の病気なんて今までにしたこともなく、だとすると先天性の「心臓配置疾患」とか?

一方のムメモは肺に異常はなかったものの、レントゲンは全体になにやらボヤっとした感じ、実はこれ、骨がやたらに薄いせいだと説明された。ムメちゃんの生い立ちと出会いについてはまた別の機会、ここでは詳しく記さないけれど、獣医さんに言わせるとこの子、たぶん「血統書つきのペルシャ猫」なんだそうだ。そんないい猫がなぜ‘捨てられていた’のか…というところに、この疾患の「謎」が隠されている。

実はムメモ、自力では満足にごはんが食べられないという障害を抱えていた。離乳食の時点でこのことに気づいたブリーダーかなにかが、面倒になって捨ててしまったに違いない。捨てられていた箱の中にはドライフードが一緒に入れられていたが、柔らかくても無理なものを、ましてカリカリなど食べられるはずもなく、成長期の大切な時期にまともに栄養を摂取することができず、だから骨もきちんと作られなかったのだろう。「万が一骨折したら、僕には治せない」と、いつもは強気の獣医さんが弱気なことを言う。

フクもムメモも治療法のあるはずはなく、これからいったいどうなることかと一瞬不安になったが、こうなったら運を天に任せて、今まで以上にかわいがってあげるしかない。予想もしていなかった診断結果にがっくりと力を失ってしまったパパとママ。それなのにその日の獣医さん、そんな飼い主の萎えた気持ちをさらに萎えさせるという追い討ちをかけた。「本日のお会計は4万円です」…。

ママは今もまだ悔し紛れに、あの時のレントゲン、フクの写真は裏焼き、ムメモのは現像液が古くて写真が薄くなっちゃったんじゃないの?と、憎まれ口を叩いている。4万円あったら何が買えるか、なんていうみみっちいことは言わないつもりだけれど、でもお願い、みんな病気にだけはならないでね。ココ、今日だけで治るのよ!気力、気力!!

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写真:(上)チリリン姉ちゃん、フクちゃんの心臓って右にあるんだってさ、凄いでしょ、ねえ聞いてる~っ?って、言っているのかいないのか。(左)写真写りがイマイチのムメモちゃん。ひ弱な印象だけれど、最近は体も大きくなり、自力で食事もできるようになってきた。誰よりもわがままで気性が激しいのは「血統書つき」だから?なにせそんないい猫、飼ったことがないから・・・。


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学歴か、はたまた愛か

2007年05月22日(火)

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小さい頃から動物が身近にいる生活をしてきたが、動物の宿命、いつも健康とは限らず、だから獣医さんとの縁は切っても切れない。実家で飼っていた犬のヒロちゃんは20年という長い歳月を生き抜いた子だったが、15歳を過ぎたころから白内障、18歳を過ぎたころからは「認知症」と、人間とまったく同じ経緯をたどりながら老いてゆき、最後は大変な介護の日々となった。

最晩年には癌にも侵されていたから、ヒロも大変だったろうが、飼い主の精神的、肉体的な負担は結構なものだった。往診に来てもらったりもしていたのだが、その時にかかっていた実家近くの動物病院の獣医さんというのが、なぜか病気の動物には絶対に触らないという人だった。まさか動物が怖かったのか、それとも病気がうつることを警戒していたのか、聴診器もあてなければ、リンパ節が腫れているかどうかという、(素人だからよくわからないけれど)そんな基本的なチェックもしなかった。

それで、どうやって治療方法を決めていたのかは今もってわからないが、「カン」の働く医者だったのだろうか。それじゃまるで霊能師だけれど(今ふうに言えば、スピリチュアルカウンセラー?)、シャーマンを考えればそれもありか。おそらくは、ほとんどの細菌感染に効きそうな、つよ~い抗生物質を出していただけなのだろう。人間を診るヤブ医者のことを「葛根湯医者」なんていう皮肉な言い方をするけど、まさにそれ。

当時は動物病院自体あまり多くはなかったし、なによりも車の運転ができなかったから、とにかく近場、せいぜい自転車で行ける範囲の病院に行くしかなかった。だから仕方なく行っていたようなところがあって、もっといい病院が見つからないものかと、いつも思っていた。もっと近くにあったことはあったのだけれど、ここの獣医さんは馬牛専門と聞いていたから、どうにも気が進まなかった。

ところがそんなある日、この馬牛専門の「S動物病院」が二代目に代替わりした。ここ、先代も息子も‘天下’のT大出身という獣医さんだった。「止めてくれるなおっかさん、背中の銀杏が…」というあのT大。T大卒の若手なら信頼がおけるかも、という淡い期待を抱き、早速鞍替えをしてしまった。

二代目、特に秀でたふうには見えなかったが、ボンボン然とした雰囲気と、そののんびりとした対応に好感が持てた。ところがしばらく通ってみると、どうもここ、出してくる薬の箱、薬の箱、すべてが茶色く変色していてやけに古っぽく見える。薬だって消費期限があるし、なによりもそんなに古い薬を出してくるというあたり、着々と進歩する医学をいったいどこまで勉強しているのだろう。

クリちゃんの癲癇発作を診てもらったのもこの病院だったが、その時も、先代が読んでいたようなボロボロの医学書を引っ張り出してきて、「長い食べ物は癲癇によくないって書いてありますねえ」と言う。うなぎとか穴子とかは癲癇によくないらしい。でもあまりの医学書の古めかしさ、とっくに新説が出ているんじゃないの?と、喉まで出掛かったが、そこはそれ、ぐっとこらえて。

そんな二代目の評価を、一挙にぐーんと下げてしまった事件が起きた。外猫が風邪をひいたらしく、ぐったりしているので病院に電話をし、どうやれば助けてあげられるかを問い合わせた時のこと。電話には母親らしき人が出て、事情を聞くと、電話口を塞ぐのを忘れたのか無神経なのか、大きな声で奥にいるらしい二代目に、「野良猫が風邪ひいたんだって。どうすればいいのかだって」と叫ぶ。かすかに聞こえてきたのは「野良猫なんてほっとけばいいんだよ」という言葉だった。古い薬だけならともかくも(そうでもないか)、この非情な言葉を聞いてそれきり。

次に行ったのが野性味たっぷりの熱血医師。実はこの獣医さんもT大出身だった。こちらは頭の冴えた、鋭い感じのする人だったが、なんといっても診察が大雑把。それなりに恩義は感じているものの、大切にしていたチャコちゃんの病気、もし、きちんと手術をしてくれていればあんな結果にはならなかったのにと、今なお根に持っているような恨みがましい思いがあって、行くのをやめてしまった。

獣医さんの学歴をあれこれ言うつもりはないけれど、こうやって思い返してみると、どうも「偏差値の高い」大学出身のお医者さんのことを、世間並みに、何はともあれ信じてしまっていたみたい。知人の外科医が、某私立医大の教授となって学生を教えていたころの話。試験に出した問題に「肛門を縫いつける」と答えた学生がいて、じゃあウンチはどこから排泄するの?と質問したところ、答えられなかったんだとか。「こんなのが医者になるのか」とその彼、激怒していたが、そんな話を聞いていたからなおさら。

今のかかりつけの獣医さんはT大出身じゃないが、動物の命に向かう時の姿勢はどこまでも真摯。診断はもちろん理性的に下してもらわなくちゃ困るから、知的な能力がないというのは問題外。でも、それにも増して小さな命を心からいとおしいと思い、なんとしてでも救おうとする使命感が、獣医さんにとってはさらに大事な条件になりそう。「腐ってもT大」より、心優しき「鮮度のいいどことか大学」のほうが、たぶんずっといいに違いないと思うこのごろ。

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写真:(上)いつも仲良し、健康でいてくれるのがなにより。(左下)大好きだったチャコ。


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明日は我が身と思えば

2007年05月25日(金)

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犬の認知症のことを「認知障害症候群(CDS)」と言うらしい。これ、人間でいうところの「痴呆症」(こちらも「認知症」という呼び方に変わったけれど)。犬の認知症になる確率、意外にも人間より高いのだとか。実家で飼っていた犬のヒロちゃんも、20年生きたうちの最後の2年間は認知症。

この子、小学校の6年生の時に、近所のお酒屋さんで生まれたのを貰ってきた。最近ではあまり見かけなくなったが、あのキャンキャンとよく吠えるスピッツと、もの静かな柴犬の雑種。頭が良くて、家の中で飼っていたせいもあるが、人間の言葉や表情をよく理解する従順な子だった・・・というのは親の贔屓目。

散歩はもっぱらママの役目で、それを嫌だと思ったことはなく、それどころか犬の散歩は家族から解放される貴重な時間。気の向くまま足の向くまま、犬にリードをひっぱってもらって、ただ後をくっついて歩いているだけだった。その間中、こちらはいろいろな空想をめぐらせて楽しんでいるから、いくらでも時間は潰せる。だから、風邪をひいて熱が高いという時以外は、雨が降ろうが風が吹こうが、雪だろうが台風だろうが、せっせと散歩に連れていった。

18年目のその日も特に変わった様子はなく、いつもどおりの散歩。ところがもうすぐ家に着くという時になって、突然、あたりかまわず吠え始めるという奇妙な行動を起こした。右に向かっては吠え、左に向かっては吠え、しまいにはくるくるとまわりながら吠え続ける。犬がいるわけでもなければ、人がいるわけでもない。いつもなら叱れば静かになるのに、その時だけは一向に鳴きやまず、それどころか、目にはもうこの世の景色は何も映っていないふう、叱る声もまったく聞こえていないようだった。

すれ違う人が向ける奇異な眼差しの中、どうにか家まで連れ帰り、動物病院に電話をして大至急往診に来てもらったまではよかったのだが、例の、動物には一切触らないという獣医さん、何が起きたのかさっぱりわからないらしく、ひとまず睡眠薬を打って眠らせ、後は様子を見ましょうとだけ言って帰ってしまった。当時は、犬の認知症なんてまだ知られていなかったのだろうから、仕方がないか。

しばらくして目が覚めたが、もう吠えることはなかった。そしてそれきり、飼い主を見分けることさえできなくなってしまった。声をかけても尻尾の一ミリたりとも振ってはくれず、もともと白内障であまりよく見えなかった目は宙をさまようばかり。誰が帰ってきても玄関先に出迎えてくれることはなくなり、ただただ静かに身を横たえているだけの日々が始まった。

それからの体の衰えは急激だった。人間の寝たきり老人に「廃用性症候群」というのがあるが、あれと同じ。ほとんど寝たままだから足腰は弱り、特に後ろ足にはまったく力が入らず、立たせるとへんなりと崩れ落ちてしまう。散歩なんてとても行ける状態ではなく、庭をなんとかひとまわり歩かせておしまい。そのうち立つこともできなくなり、気分転換をさせてあげようと、抱いて庭に連れてゆくだけになってしまった。

食事も自力では食べられない。だから毎日、鳥のささみとキャベツを柔らかく煮て、粘りをつけるためにお米をちょっと、それをすり鉢で細かくして流動食にし、口の横から流しこむという「強制給餌」。少しずつ様子を見ながら食べさせなくちゃいけないから、時間がかかって結構根気のいる仕事。これは、常日頃「根性」が売り物の姉の仕事になった。

いささか閉口したのは、寝たきりになってしばらくしてから始まった夜鳴きだった。何を要求しているのかさっぱりさからず、ただやみくもに鳴いているようで、毎晩起こされる身には辛く、静かにしなさいと怒鳴ってしまうことも度々だったが、今思うとこれも認知症の症状のひとつ、不安でたまらなかったのだろう。側に寄り添ってやさしく体をさすってあげればよかったと、後悔で胸がキュンとなり、写真を見るたびに「ごめんね」とつぶやいてしまう。

そんな状態だったのに、不思議と排泄のことだけはしっかりしていて、どんなに動けなくなっても、寝ているところでしてしまうというような粗相は、一度たりともしたことがなかった。要求がある時にはクーン、クーンと鳴いて知らせるから、そのたびごとに抱きかかえ、庭に連れていって用を足させる。最初のうちは体を支えてあげていればできていたが、そのうち、それもままならず、庭に横たわったまま用を済ませる。それでも最後の最後まで決して粗相をしなかったのは、犬なりのプライドだったのか。

最近は食事が豊かになり、室内飼いも増えたから、10年なんて序の口、15年、20年と、ペットの寿命はずいぶんと延びた。それだけにペットの介護なんていう、思ってもいなかった問題を飼い主が引き受けなくてはならない時代になってきた。大きな犬を飼っている人を見ると、寝たきりになった時に最後まで面倒を見てあげられるのかしらと、余計な心配をしてしまう。まさかそんな日がくるなんて、想像もしていないに違いない。

家族の一員なんだもの、どんな状況になろうと最後まで看てあげるのが人の情。そう思いたいところだけれど、老いた犬の死に目に遭うのが悲しいからと、その前に保健所に持ち込むという、「トンデモ飼い主」もいるらしい。明日は我が身…老犬の姿に自分の老いた姿を重ねれば、必然、優しくもなろうというものを。

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写真:(上)チリリンも13歳になり、最近では寝ていることが多くなった。老け込んでちゃだめよ~!(左)野原に咲く花を摘みながらの散歩。ヒロちゃんとの散歩は最上の時間だった。


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あな恐ろしや、鬱病薬「パキシル」

2007年07月01日(日)

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猫が顔ばかり舐めるこの季節。鬱病なんていう厄介な病気を患っていた頃、悪化するのは必ず低気圧が接近する時という不思議な法則があって、だからどうもジメジメした天気は未だに苦手。その時の辛さがふと思い出される。

かつてはひたすら隠すばかりだった鬱病が、最近では自ら告白する人も増えてきて、堂々と精神科に通える時代。それでも、心底理解してくれる人は少なくて、中でも、心のあり方をコンコンと説教する友人には閉口した。政府がお膳立てする有識者会議とかなんとか。なんでいつも場違いなこの人がいるのかと思わせる派遣会社の女親分、「過労死は自己責任」なんて馬鹿げたことを平気で口にしていたが、それと似たクチ。

元気な時ならそんなお説教も馬耳東風、いやいやもっと露骨な猫耳西風。ところが鬱病の時は、何もかもが自分のせい。雨が降るのも自分のせい、レストランが混んでいるのも自分のせい。そんな心理状態のところに、これもね、これもよ、これもぜ~んぶアナタが悪いのよ、わかるわね、のダメ押しは、閻魔大王に舌を抜かれるより辛い。いっそその人の舌、エンマ様に抜いてもらいたいと思うほど。

6月28日付け朝日新聞朝刊に、抗うつ剤の「パキシル」服用後に自殺や自殺未遂が増えているという、厚労省の調査結果が掲載されていた。このパキシル、精神科ではごくごくポピュラーな薬。副作用が少ないという触れ込みで、鬱病患者の大半に処方されているらしい。幸い、パキシルを飲んで死にたいと思ったことはなかったが、その副作用は体験済み。

なによりも怖いと思ったのは、飲むと記憶がほとんどなくなること。冷蔵庫を開けると真っ赤なトマト。買ってきた覚えがないから、誰が買ってきたの?と聞くと、今しがた自分で買ってきたんでしょうにと。ところがいくら考えても、車を運転して買い物に行った自分を思い浮かべることができない。車なんて乗ったっけ? で、どこのお店に行ったの?

そんなことがしょっちゅうあって、さすがに記憶の途切れる副作用、これ以上続けたらもともと怪しい脳ミソ、決定的にどうにかなってしまうに違いないと思い、薬の服用中止、カウンセリング中心の治療への移行をお願いした。ところが精神科医、飲めば辛い症状が消えてラクになるのだし、治癒だって早まる、それをやめるなんてとヘラヘラ笑って取り合わない。それなら自分でやめるしかない。

鬱病の薬を突然やめると禁断症状が出て、間が間違えばショック死。だから他人さまには勧められないが、我が身、承知の上での決断。案の定、やめた途端、氷の中にいるような寒さにガタガタ震え、加えて幻覚、幻聴。腕に注射の跡こそないが、「ヤクをくれー」と哀願する、不幸だけを背負って生まれてきたような、哀れなオンナの気分。薬物中毒に効くという漢方を買ってきてもらい、どうにか死地脱出、ほどなく回復したが、いや、ほんとうに死ぬかと思った。

ちょうどその頃、友人のホルン吹き、彼の本業は大学病院の医師だが、会うたびに元気がない。聞けば家庭内のイザコザから鬱病、パキシルを飲んでいると言う。意外なところにパキシル仲間。医師という仕事はルーティンワーク、来るのは大抵風邪っぴきばかりで重症の患者など滅多にこない。だから投与する薬もほぼ決まっていて、どうにか仕事はこなしていると、彼の口から恐ろしい告白。確かこの人の学位論文、ある薬の副作用に関する研究だったと思うが、とんだ紺屋の白袴。

鬱病がこんなに増えている原因、心理学者でもなんでもないから分析の根拠はないが、家庭、会社、地域とあらゆる場面に渡っての社会機能不全、それにも増して、あらぬ化学物質、環境ホルモンが、脳内に何かしら悪さを働いているということなのか。いずれにしてもこの病気、将来を描くことのできる動物に限っての疾患。自殺報道の決まり文句が「将来を悲観して」とあるのは、まさにそれ。

新しい猫を飼ったと同時に、どこかにいなくなってしまうという古猫の話。これなんぞ、飼い主との、未来永劫に渡る平穏な生活をひたすら信じていたのに、愛情の独り占めがもはや叶わないと知り、将来に絶望した猫が鬱病に罹患してのことか。聞くところによると、精神治療専門獣医師なるものもいるらしい。はてさて小難しい生き物。

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写真:(上)白黒猫は総じてのんびり屋さん。鬱病にはなりにくいタイプ。(左)折り合いをつけながらの同居。


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乳腺腫瘍というにっくき病

2007年07月04日(水)

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やまだのママさんは、愛猫やまだちゃんの乳腺腫瘍闘病記をきっかけにブログを始められたとか。実は同じ体験をしている。結婚したばかり、その頃住んでいたマンションの、向かいの草の茂みからミャーミャーと子猫の泣き声。部屋を飛び出してゆくと、‘みかん’と書かれたダンボール箱。その中に、まだ手のひらに乗るぐらいの小さな三毛猫が捨てられていた。

その時につけていたエプロン、柄も色もまだ覚えているが、カンガルーのお母さんのような大きなポケットがついていて、そこに子猫がすっぽり入る。あの頃はまだ、今のようにマンションで動物が飼えるなんて考えられない時代で、どこもペット厳禁。だから、ポケットは子猫を隠すにはうってつけの小道具だった。

部屋に戻り、なにか食べ物をと思っていると、三毛を拾ったのと同じ場所から、またしても子猫の泣き声。もう一度同じ場所に行ってみると、箱の外に三毛と同じ大きさの茶猫がいて、おお泣きをしていた。どうやら兄妹。なんのためらいもなく、こちらもポケット。

二匹とも目も鼻もグチャグチャだったから、早速近くの動物病院に連れていき、手当てをしてもらったが、何気なく選んだこのT動物病院が、後々チャコの運命を変てしまうとは思ってもいなかった。病院長、気骨のある(というと聞こえがいいが、ちょっぴり頑固おやじ)獣医師で、猫2匹を抱き上げ、良かったなあ…と愛好を崩す。三毛猫はチャコ、茶猫はにゃきち。

それまで犬しか飼ったことがなかったが、猫のかわいらしさに魅了され、だから目の中に入れても痛くないというほど甘やかして育てた。特にチャコとの相性が良く、この子といるだけで世の中のすべてが幸せに思えるほどだった。

チャコの体の異変に気がついたのは、飼い始めて9年目ぐらい。チャコを抱きしめると、左の胸に、コリっとした小豆粒半分ぐらいの大きさのしこりに触れる。不思議なもので、その瞬間に、これは悪性のものという直感が働いた。悪い人というのは、会っただけで何となくオゾっとするものがあるが、腫瘍もそんな感じ。

すぐにT動物病院に連れていくことにしたが、その頃は、もう転居していたから、病院まで車で40分ぐらいかかる。近くで探せばいいものを、あの院長の臨床の多さだもの、きっと正しい見立てをしてくれるに違いないと、一途にそう思ってのことだった。

レントゲンも何も撮らないで、ただ手で触り、ああこれは乳腺腫瘍だと。そしてやおら麻酔をかけ、助手とふたりでメスを入れ始めた。少し大きめに切らないと飛ぶぞ、とかなんとか言いながら。こちらは素人だから、きっと適切な処置をしてくれるはずと信頼し、任せるしかなかったが、人間に例えても、それが悪性の腫瘍だとしたら、下手にメスなんて入れていいはずはなく、その後に抗がん剤の投与もなかったから、さすがに心の奥底、平静ではいられなかった。

それからというもの、猫の乳腺腫瘍に関する本をかたっぱしから調べたが、どうみても乱暴な治療。猫の場合、乳腺腫瘍というのはかなり悪性の病気。早晩再発するだろうと覚悟していたら、ものの数週間で3箇所ぐらいに新しいしこり。T病院に連れてゆくと、ああ転移だと。さすがに院長、顔が強張っていて、あんな治療で治るとは、自分でも思っていなかったに違いない。

近くにいいお医者さんがあるからと、ご近所の方に紹介してもらい、早速連れていったが、2度目の手術は難しいと言われ、しかもこれだけ拡がってしまったら、もはや打つ手がありませんよと。そこで抗がん作用のある漢方などはないかと相談すると、動物にも、アガリスクやキチンキトサンの効果が立証されはじめているとか。

使ってみますかと言われて異存のあるはずもなく、早速その粉末をもらい、人間の薬に使うカプセルに分けていれ、朝に晩に飲ませ続けた。それでも症状が改善されることはなく、腫瘍は次第に大きくなり、しまいには破裂して膿をもち、大きく陥没してしまった。

猫だから苦しいとも言わず普段どおり、けれどひどい症状なのだもの、辛くないはずがない。最後にはひどい膿で、抱くにも、タオルでくるまなければならないほどになってしまった。それから2年、チャコは生き続けた。獣医からは、あの状態で2年もよくもったと感心され、きっとアガリスクだかキチンキトサンだかが効を奏したのだろうと言われた。2年といえば、人間にすれば8年換算。

チャコには20年生きてもらおうと思っていたから、11年という寿命はあまりにも短かった。にゃきちはチャコが亡くなると、エサをまったく口にしなくなってしまった。病院に連れていっても、何が原因かわからないと言われ、手のほどこしようもないまま、ほどなくしてチャコの後を追った。

今かかっている動物病院の、最先端の医療技術に接するたびに、あの頃のわが身の無知が悔しく、悲しくてならない。亡き子の年を数えても仕方がないと言うが、しばらくの間は、まだ生きていたのに、まだ生きていたのにと、そればかりを思い、やるせなかった。あきらめがついたのはやっとこのごろ。どう生きても、もう天に召されている寿命。

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写真:(上)チャコとにゃきち。(左)拾われて2ヶ月目ぐらいの写真。いつも二人は一緒。飼い主夫婦もまた、この子たちと一緒に若き日を過ごしていた。


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鳥と猫、明暗分れし強制給餌

2007年07月09日(月)

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我が家の、血統書もどき猫のムメちゃんは、おそらくブリーダーか、ペットショップのいずれかが処分に困って捨てた子。親戚の叔父さまが拾って、我が家で飼うことになったが、縫いぐるみのような顔と、ふかふかの毛、こんな優雅な子をこれまでに飼ったことなどなく、なんで捨てられちゃったのかしらと、当初は首を傾げることしきり。

ほどなくしてこの子、エサが自力では食べられないということに気がついた。といっても飼い主、暢気では済まない鈍感さ、そのことに気がついたのは、飼いはじめてしばらく経ってからのこと。缶詰は何をあげても食べないけれど、鶏の胸肉を煮たものは食べていたから、よもやそんな障害をもっているとは思いもしなかった。

前にも書いたとおり、ある時、なんとなく前足を引きずるようにして歩いているのが気になり、骨折していたら大変と動物病院に連れていくと、レントゲンを撮った獣医さん、この子はたぶん栄養まわりが悪かったせいだと思いますが、骨が薄いですねと。骨が薄いなんて思ってもいなかったこと、しかもその原因が栄養不足だなんて。

そう言えば鶏肉、いつもお皿のまわりに少し落ちていて、でもこれ、食べ散らかしだとばかり思い、あまり気に止めていなかった。病院でそう言われ、改めて食べている様子を観察してみたら、なるほど、口の中に入れることは入れるのだが、飲み込むには至らず、大半をお皿の周りに落としてしまう。落ちた鶏肉は、フクが食べて掃除をしていたというわけか!

気づかなかったのは飼い主の落ち度、たくさん猫がいるから、丁寧に猫の食事を見守っているわけにもいかず、ドライフードとネコ缶を朝と晩、それぞれの好みに合わせて定位置に置いておき、各自好き勝手に食べるという方法。だから、誰がどれだけ食べているのか、実はあまりよくわかっていない。食欲があるかないかは、ネコの元気度から推測するぐらい。

ムメちゃん、このままにしておけば弱ってゆくだけ。意を決して朝晩2回、強制給餌を始めることにした。ごはんが食べられなくなった猫には、あごの裏にぺたりと貼りつくような、トロミのあるエサを口の横から入れると、そのまま飲み込むと聞いていたから「ねこまんま」。こしひかりが入っているというふれこみのこの缶詰、おかゆのように柔らかなごはんが上あごにくっついてくれて、ちょうどいい。

頭を軽く左手で抑え、右手の指で口の端をこじあけながら、エサを上あごに素早くなすりつける。上手い具合に食べてくれて、一日分のノルマはらくらく達成。食べる時はイヤイヤをするが、食べ終われば満足、エサを口に押し込むママなんて大嫌いなはずが、すぐに膝に乗せて乗せてとやってくるところをみると、苦痛より、お腹がいっぱいになる幸せのほうが勝っているみたい。

実は強制給餌にちょっとだけ苦い思い出。母が鳥好きで、実家では、セキセイインコだのサクラインコだのボタンインコ、それに十姉妹、文鳥、きんか鳥と、それはそれは、いろいろな種類の鳥を飼っていた。

きんか鳥は小柄でかわいらしいが、オスの鳴き声に特徴があって、いかにも自己主張が強いといったふう。その鳴き声のとおり、小さい体ながら気性が荒く、つがいで飼っていたからしょっちゅう卵を産み、丁寧に暖めて孵すまではいいが、孵ったヒナを親鳥がつついて殺してしまう繰り返し。

ある時、見るに見かねて巣から拾い出し、それこそまだ小指の頭ぐらいしかない大きさ、羽も生えていなければ、黒い目玉だけがぎょろぎょろとしていて、なんとなくグロテスクなヒナに、すり餌を与えることにした。スズメをこの方法で育てたことがあったから、きっと育つだろうと思ってのことだった。

ところがヒナの口にすり餌を押し入れた途端、粒が大きかったのか、ひくっと喉につまらせ、目を白黒させて昇天してしまった。テレビの推理ドラマ、犯人が人を殺した途端、我にかえって、ひえ~っとかなんとか叫び、ナイフを投げ出して後ずさりする場面、まさにあんな心境。

そんな経験があるから、ムメちゃんの強制給餌、窒息したら大変と、最初のうちは慎重そのもの。そのうち慣れてきて、ものの数分で一缶を食べされられるようになり、体重は病院に行った頃の倍ぐらい。不思議なことに、体力がついてきたら、鶏肉を今度は確実に一人で食べられるようになり、掃除係りのフクには別途、もう一枚胸肉を煮てあげなければならなくなってしまった。

エサを食べられない障害があっても、この子の場合は運が良く、たまたま我が家に縁あって命拾い、けれどブリーダーがたくさん産ませる中には、こういった障害を持つ子たちもたくさんいるはず。その子たちはどうなってしまうのだろう。ムメちゃんのお母さんとお父さん、いまごろどこでどうやって暮らしているのでしょうね。元気でいてくれるといいのだけれど。

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写真:(上)ようやく一人でエサが食べられるようになり、一安心のムメちゃん。(左)鶏肉を掃除していた牛柄猫のフク。ジュリはドライフード専門。


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老いも身のうち、猫のうち

2007年08月03日(金)

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外猫のロミちゃん、ここ数ヶ月でなんだか急に年を取ってしまった。今年で9歳。食欲はあるし、遠慮がちに甘えてくるのは相変わらず。けれど、以前はコロコロとしていた体型が、ずいぶん痩せてしまってボロボロ。かわいかった猫相もすっかり変わり、どこか悲哀を帯びた老猫のそれ。

殴られたのかと思うほどのすごい傷を頭に負ってきたり、頬を噛まれ、血だらけの顔で登場したりで、びっくりすることがあるが、そんな時には決まって首輪もなくしていて、だから、たぶん喧嘩の末に負った傷。取っ組み合いの縄張り争い、よほど強い猫が近所には住んでいるらしい。怪我をしているのは決まって右頬、攻め手がいつも同じあたり、きっと同じ相手。ロミの仇敵、まさか「鼠敵」だったりして。

心配はしても、せいぜい傷口の二次感染を防ぐために抗生物質を飲ませるぐらい。慕ってくれてはいるが、安心して身をあずけてくれるほどには馴れていないから、獣医さんに連れてゆけば余計にストレスがかかると、それ以上には何もせず、そっとしておくだけ。

老け込んでしまったのも、闘いに明け暮れての生活で、すっかり体力を使い果たしてしまったというところか。この先、せいぜいおいしいものを食べさせて、後は優しく声をかけ、ゆっくりと頭を撫ぜて可愛がってあげることぐらいしかできないけれど、それなりに幸せと思ってくれるかしら。

幸い食べ物には恵まれていて、10年以上馴染みにしている近くの魚屋さん、お刺身用に下ろしたマグロの中オチを、猫のためにと取っておいてくれる。10日ほど行かないでいると、オチが貯まったから取りに来てよ、と電話をしてくる。

行けばトロ箱にいっぱい。おかげで我が家の冷凍庫はマグロのオチだらけ。これを毎朝焼いてあげる。猫のことだから料理方法には一家言あって、煮るより焼くほうがずっと好きらしい。人間が食べてもいいほどの魚だから、猫にはよほどの贅沢品、実においしそうに食べる。オチもスーパーで買えばそれなりの値段、それをタダで分けてくれるから、時々、店主の大好きな缶焼酎を差し入れ。

食の好みは猫それぞれ、同じ母猫が連れてきたクウちゃんは、焼いた魚には目もくれず、ドライフードだけ。この兄妹、食べ物ばかりか性格もまるで違っていて、クウは人間に媚びることは一切なく、懐く素振りすら見せないというクールな猫だが、これ、人間にだけというわけではなく、猫に対しても同じ態度。

誰ともしがらみのない生き方をしていて、それでも孤高というほどの立派さも悲壮感もなく、なんとなく要領の良さを感じさせる猫。そのクールな性格が効を奏してか、喧嘩しているところなど見たこともなく、だからロミとは違って病気ひとつせず、今なお若々しい。

そんなクウちゃんを見ている時にはまったく思わないが、急激に老けてしまったロミの姿を眺めていると、まだまだ数十年も先のことなのに(タブン…)、わが身に迫る老いのこと、なにやらじんわりと意識してしまう。

ロミが過ごした10年に近い歳月は、猫ばかりか、人を老けさせるにも十分な時間だったと、今さらながら。最近は‘Photoshop’で自分の顔のシワ、修復ブラシのツールを駆使し、なぞっては消しなぞっては消しの数回、あら、10歳は若くなったかしらと喜んでいる始末。

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写真:(上)スヌーピーさながら、犬(猫)小屋の三角屋根に乗るロミちゃん。ボロボロ・・・(左)ロミと同い年のジュリは家の中でぬくぬく。ロミも家の中で飼ってあげれば、きっといい子だったに違いないのに。


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猫元気ならサイフも安泰

2007年08月05日(日)

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ここしばらく、猫たちの不調が続いた。猫の病気、どこが痛いのか、どう苦しいのかを飼い主が察してあげるしかなく、治療の進め方も悩むところ。猫にとっても飼い主にとっても本当に辛い闘い。

我が家の猫ども、今回はさほど難しい病気ではなく、まずはチリリン。目が痒そうで、それを手や足で掻きむしってしまうから、いつも真っ赤。動物病院の近くまで買い物に行ったついでに、症状を告げて消炎剤と抗生物質の点眼薬を貰ってきたが、一向に良くならず、ついに病院に連れていった。

眼球に傷がついているというわけでも、結膜が赤くなっているわけでもなく、だからひとまずステロイドを打ち、飲み薬を飲んで様子をみましょう、よくはわからないけれど、原因のひとつとして考えられるのはアレルギーじゃないかと。

そう言われてふと思いついたのが、ディスカウントスーパーで購入したアメリカ産のドライフード「S」。メーカー名、確証がないのではっきり記すことはできないけれど、目を掻き始めたのは、これを食べさせてから。

シニア用というのがあって、12歳のチリリンにはもってこい。数ヶ月前、動物病院に置いてあった見本をあげてみたところ、食いつきがよく、それならと大手スーパーで同じ物を購入して与えたが、その時にはなんの異常も見られなかった。

他のドライに比べて結構お高いので、そこはそれ主婦だもの、少しでも安いものをと思い、今回は大型ディスカウントスーパーで購入。その商品、スーパーで購入したものとちょっと違うのは、日本語が書かれているのは後づけのシールだけ。以前のものは袋全体が日本語、だからこれ安売り用、別ルートの輸入品だろうか。

ここのディスカウントスーパーで10年ぐらい前、同じSを購入したことがある。当時はシニア用などというものはなかったから成猫用だったか、家に帰ってよくよく見ると、袋の底に油染みがべっとり、なんだか気持ちが悪くて、結局あげるのをやめてしまった。たぶん今も昔も同じ輸入ルートのはず、袋がちょっと上質になって、油染みがわからないだけ?

アレルギーと言われた時、咄嗟にそのことを思い出した。早速、別のドライフードに切り替えたところ、目の赤みもひいてほぼ完治。薬が効いたのかもわからないし、チリリンの体質のせいなのかもわからないから、一概には言えないけれど、たぶんアレルゲン。

もともとペットフード、どんな材料を使っているのかと疑心暗鬼。人間が食べてはならない食材がまわされている可能性だって大いにあって、病死牛肉だって使われているかもしれないし、店頭に出せないような養殖マグロの切れ端や、許可されていない食品添加物、とうもろこしの残留農薬などなど、ああ、考えるときりがない。

チリリンが治って安心していたら、今度はジュリの左目が涙でグチャグチャ。怪我をしたといったふうでもなく、心当たりといえば、動物病院で貰ってきたノミ取りの薬剤F。これもまた確証はないからモザイク。

Fは舐められないよう首筋あたりに塗布するのだけれど、ジュリ、背中よりも少し下に塗りすぎてしまった。すぐに舐めた形跡があって、その時、薬剤が目についてしまったのだろうか。しばらく様子を見ていたものの心配になり、病院に連れてゆこうと決断した翌朝、なぜかスッキリ爽やかな目、やれやれ…。

続いて今度はフクちゃんが元気喪失。フクの元気のバロメーターは食欲とわがまま。その両方ともカゲを潜め、一日中おとなしい。よくよくみると口が痛そうで、そういえば右の頬も腫れている。この子ももう10歳、そろそろ歯にガタがくるころだから、もしかすると牙が抜けそうなのかもしれないと、口をこじあけて覗こうとしたが、痛がって嫌がる。

今朝は平日より早起きしてフクを病院に、そう思っていたら当のフクちゃん、朝起きてくるなりごはん、ごはんと大騒ぎ。頬の腫れもだいぶ引いていて、これまた病院に行く必要はなくなった。

というわけで、どの子も病気というほどのことはなく、チリリンの一回の注射を除いて自然治癒。親孝行ねえと褒めつつ、飼い主、内心、良かった良かったと小躍り。何が親孝行、何が良かったって、治療費が浮いたこと…いやいや滅相もない、元気になって良かった良かった、ホント。

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写真:(上)フクちゃん、元気になって仕事部屋にのっそり。(左)まだ少し赤みが残っているものの、やっと回復したチリリン。


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やまだのママさんからのプレゼント!

2007年09月27日(木)

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いつも遊びに伺っているブログ、『やまだのお部屋 猫7頭と暮らす幸せ日記』のやまだのママさんから、とーっても楽しいプレゼントが届きました。

実はこれ、ママさんのお宅の猫ちゃん7ニャンのうち、一番体重が重い子の名前と、その体重をあてるというクイズでめでたくトップ賞に輝き(!)、頂いた賞品なんです。

箱を開けると次から次に現れるタカラモノ、最後には、本物の猫ちゃんが飛び出してくるんじゃないかと楽しみに・・・あっ・・・いえっ・・・ドキドキしちゃいました。

クイズの解答ですが、一番重かったのはパンダ猫さんのナオミちゃんで、8.4キロという巨体ぶり!ちなみに『白いしっぽ』のねこぼーしさんのお宅のさん太さんは8.9キロとか。別に「巨猫ブログ」というジャンルを見ているわけではないのですけれどねー^^;

下にナオミちゃんの写真を拝借しましたが、茄子に比べると、その大きさのほどがよーくわかります。冬場になって布団にもぐりこんできたら、あまりの重さにうなされやしないかしら。

クイズは、やまだのママさんのお宅のボムボムちゃんが「難治性口内炎」に罹患していて、その治療に奔走していらしたのを、猫ブログ仲間が応援したことへの感謝企画でした。

やまだのママさんの、なんとかしてボムボムちゃんを助けてあげたいという強い思いと、そのための孤軍奮闘ぶりには感心するばかり。新しい治療方法が見つかり、ボムボムちゃんも元気に暮らしているようです、ほんと、よかったですねー。

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写真:(上)茶猫さんのはがき差しの中身は猫、ねこ、ネコ!(下)やまだのママさんのブログから拝借したナオミちゃんの写真。


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命あればこそ

2008年03月11日(火)

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もうすぐ11歳になるフクちゃんが、右上顎を痛そうにし、食事が摂りづらくなったのは1月の中ごろ。13歳のチリリンも同じような症状で病院に行き、その時は、抜けかかった上の歯が下アゴに当たっていたことがわかり、抜歯をしてもらうとすぐに症状が収まった。

今回も、てっきりその程度のことだろうと悠長に構えていたが、動物病院で歯を抜いても痛みが取れる気配はなく、歯茎からの出血がなかなか止まらない。背中と胸には、小豆粒ぐらいの得体の知れないしこりもあって、日に日に痩せてゆくのも気にかかる。

歯根が残っていて痛むのだろうから、それを取る手術をし、同時にしこりも全部摘出してしまいましょうということになったが、この子、小さい頃から心臓に雑音があると言われていたし、後年、なんらかの事情で右肺が潰れ、今では心臓が右側に寄ってしまってもいる。

そんな体だから、手術に耐えられるかどうかが不安で、飼い主、なかなか手術に踏み切れない。延ばしに延ばした手術の日に動物病院に連れてゆくと、なんだかやたらと呼吸が速い。緊張のせいばかりではなさそうな気配に獣医も驚いて、この呼吸で麻酔は危険だから、手術は見合わせましょうということになった。

不安が募り、そういう時のセカンドオピニオン。評判のいい病院に連れて行くことにした。ところがその病院、前の病院の検査結果を持っていったにもかかわらず、弱った体にさらにムチ打つ検査の山。およそ関係のなさそうな手の先のレントゲンまで撮られ、顎に至っては、鮮明な映像が撮れているのに、角度も違えず4枚も。

大きな構えの病院。豪華な設備を考えれば、検査漬けにしなくちゃ元は取り戻せないか。(余談ながらここの院長、40歳そこそこの若さで、3人の医師と10人ほどのスタッフを抱えている。病院は3階建て。獣医師というより、有能な経営者タイプなんだろうなあ。)

3時間にもおよぶ検査の結果、歯根も残っていないし、心臓も特に心配はなく、肺水腫もなし。ただし、針吸引細胞診の結果、しこりは悪性の繊維肉腫だろうと言われ、これはショックだった。心臓も肺も悪くないのに、どうしてこれだけ息が切れるのかは謎。内臓にも腫瘍ができているのだろうか。このことについては、2つの病院ともに結論が出せなかった。

過酷な検査が負担になったのか、翌日から急激にフクの体調は悪化し、わずか3日後には意識も遠のき、荒い呼吸を繰り返すばかりになってしまった。こうなってしまうと厳しい。よく頑張ったわね、大好きだったよと、涙をポロポロこぼしながら撫でているところに、もう間に合わないだろうと思っていた酸素濃縮器が到着した。

梱包をとくのももどかしく、大慌てで組み立て、その中にぐったりしているフクを入れると、ほどなくして首を持ち上げ、ニャアと小さな声で鳴く。奇跡が起きたと飛び上がって喜び、この子は生きていたいと思っているんだわ、できるだけのことはしてあげようと、お祝いのお赤飯ならず、フクの大好きなまぐろの刺身をお祝いに買ってきて‘檄’を飛ばす。

それからすでに2週間以上が経過した。今は不安定なつり橋の、その端の端をぐらぐらと揺られながら歩いているような毎日。夫は「低値安定」といった感じだねと言っていたけれど、ここ数日は「低値不安定」。腫瘍は急激に大きくなっているし、呼吸も荒い。原因がわからないまま、顔の右半分は鞠のように膨らみ、痛々しい。

食事はa/d缶と退院サポート缶を強制給餌。その日の体調に合わせてゆっくり食べさせ、どうにかこうにか、朝と夜2回で一缶弱を死守してきた。スポイトで水を飲ませ、その合間には獣医の指示どおり、自宅で100ccの点滴。点滴係りは気弱な妻ではなく、度胸のいい夫。あとはサプリと漢方と神頼み。

毎朝4時には必ず目が覚めて、ケージ(酸素室)の中の様子を確認するのが日課。息をしているお腹を見て安心し、もう一度寝なおす。朝、窓を開けながら「おはよう!」と声を掛けると必ず「ニャア」と返事をしてくれるのだけれど、その声は日に日に小さくなり、きょうは、ついにその声を聞くことができなかった。

病気を治療するいうこと対し積極的、かつその辛さも納得づくの人間とは異なり、猫にとっては、人間が良かれと思うことのすべてがお節介。そうだとすると、今のこの状態は過剰医療そのものなのかもしれない。けれど、声を掛けて頭を撫でれば、苦しい呼吸の中でもグルグルと喉を鳴らし、頭を摺り寄せる仕草をするフク。いまさらあきらめることなどできやしない。

命あるものは、「生きること」「生きられること」に希望を託す。どんなに小さな命であっても、死を望むもののあろうはずがない。生きたいんだもの、だから生きさせてあげなくちゃ、必ず治してあげなくちゃと、心を奮い立たせる。命の芽吹く春・・・フクよ、がんばって生きて!

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写真:(上)フク、もう一度この表情を見せて!(左)酸素室の中のフク。自宅のケージに、セットで送られてくるビニールを被せ、酸素を送り込む。この写真は使い始めの頃。今はもう起き上がれない。ケージの上にあるのは緊急用の酸素スプレー缶。


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穏やかな時のために

2008年03月18日(火)

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フクちゃんの容態が悪化してしまった。口を痛そうにして食事ができなくなり、動物病院に連れていったのが始まりだったから、当初は歯のことばかり、歯根を取る手術という段になって呼吸が苦しそうなことの気づき、その後は心臓のことばかりに気を取られてしまった。けれど、どうやらフクの命を着々と蝕んでいたのは、悪性の繊維肉腫だったようだ。

背中と胸、そして口腔内。背中と胸は目に見えるところにあるから大層気になっていたが、それ以上に問題だったは、口腔内にもできていた腫瘍。これが自壊し、上顎がえぐられはじめたと思ったら、昨日は遂に頬を貫通してしまった。かわいらしかった頬に直径2ミリほどの穴がぽっかり。痛々しい。

今後、飼い主ができるケアの方法を獣医さんに尋ねたが、打つ手はなさそう。容態が安定していれば、まだ手術の可能性が考えられるが、それでも確実に再発すると言う。昨日の動物病院、たまたま私の前にいた患犬さんと患猫さんは、それぞれ、舌癌と下顎にできた癌を手術をしたばかり。舌癌のワンちゃんは舌の3分の2を切除し、猫さんは下顎を切除してしまったのだとか。口からの食事はもう望めない。

酸素室に入れるという、たったそれだけのことでさえ過剰医療だったのではないか、却って苦痛を延ばしてしまったのではないかと悩んでいたから、それ以上の治療に踏み切ることなど到底できないし、その気もない。獣医さんでさえ、先の患犬たちの手術をしながら、過剰医療なのではないかとずいぶん悩んでしまったらしい。

今朝は、声をかけると口が「にゃあ」という形で動いたので、これなら食事も与えられると強制給餌をしたが、最後の一口を口の中に押し込んだ時、指を思いきり噛まれて負傷。こんなに弱っているのにこんなに力を出して…。ものすごい痛みが走ったが、痛さよりも先に、最後の最後まで、これほどの力を振り絞って必死で生きようとしているフクをこんな目に遭わせ、苦しませている病魔が心底憎たらしくてならなかった。

人間同様、モルヒネという選択肢もありますよと獣医さんに言われ、それも一晩考えたが、意識はすでに遠く、痛みを実感しているとは思えない。緩和ケアを、もっと前の段階で考えるべきだったのではないかと後悔するが、過ぎてしまった時間はもう戻ってこない。

そんなことを思っていたら、たまたま今日の朝日新聞にターミナルケアのことが掲載されていた。人間の場合には患者の意思が優先されるが、動物の場合、最後をどう迎えるか、どう迎えさせるかの選択はひたすら飼い主の判断に委ねられていて、この判断が実に難しい。今まで幾度となく飼い犬、飼い猫、そして外猫たちの最後を看取ってきたが、どれひとつとして後悔していないものなどない。

もっと最先端の治療を受けさせてあげれば良かったと後悔するケース、あんなに過酷な治療を受けさせず、もっとラクに過ごさせてあげればよかったと後悔するケース。どちらも、飼い主としての最善は尽くしたはずなのに、未だに煩悶し続けている。

その昔、とある病院のホスピスで友人と二人でバイオリンの演奏をさせていただいたことがあった。フロアには歩くこともままならず、ベッドに横になられたままの患者さんたち。死に向かって一日一日を過ごす。

その心を癒すほどの実力などないから、なんだかとても申し訳ないような気持ちでいっぱいだったが、それでも、意識が薄れたままベットに横たわっていらした年配のご婦人が、演奏後、それはそれは柔らかな笑顔を見せてくださったことが今でも忘れられない。「穏やかな時」に向かう、静かな場面だった。

まだフクは力を振り絞って生きているのだもの、あきらめる気にはなれないけれど、それでももう、静かに見守ってあげることが最善の方法、飼い主の愛情なのかもしれない。腰をさすってあげると、苦しい息の中でもグルグルと喉を鳴らすフク。

ねえ、どうすればあと僅かな日々を穏やかに過ごさせてあげられられるかしら?側にいてあげることしかできないけれど、それでもいい?


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写真:(上)数日前、酸素室から出て馴染みのカゴで一休み。検査のために毛を剃られた部分に、らくだのコブのように姿を見せているのが腫瘍。すっかり痩せてしまった。(下)フクが回復するようにと、元気な「オカメザクラ」を庭に植えた。タゴちゃんは満足?


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猫の母も辛いわね

2008年06月01日(日)

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ここのところの寝不足と急激な気温の変動に体が追いつかず、ついに寝込んでしまった。そうはいっても猫10匹、夫にその世話を全部任せることなど到底できず、動かない体を無理矢理動かしてはどっとベットに倒れる・・・の繰り返し。

なにしろ十ニャん十色、缶詰の好みからドライフードの好みまで全員違う。この子にはこの缶詰、この子にはこのドライフード、しかも食事場所にも注文があって、この子はテーブルの上、この子はリビングの中央、この子はキッチンの隅。さらに、並んで食事をするのはどの子とどの子という決まりまである。

おまけにムメモちゃんは自力では食事がとれないから、煮てあげた鶏肉を一口ずつ口に運んであげなくちゃならない。鶏肉は千切ってあげるのだけれど、一切れずつ適切な大きさに切り、しかもどういう角度で口に入れるか熟練が必要。機嫌を損ねればプイとよそを向き、そのままどこかに行ってしまう。

「人間」の母親が、こどもがいると寝込むこともできないと話したりするのを聞いて、大変ねえと同情していたが、今回の我が家はまさにそれ。この子たちを残して死ねないわ、という気持ちまでしっかり味わったりして。それでもどうにも辛い体だから、猫の世話以外にはベットで横になっているしかない。

小さい頃は虚弱なタイプで、しょっちゅう熱を出しては寝込んでいた。風邪をひけば学校を休み、一日中布団の中で本を読んでいられたから、むしろ風邪を歓迎していたようなところもあったのだけれど、最近は、ベットで本を読むには活字が小さかったり暗かったりと、不自由なことばかり。つい億劫になってしまう。

だから今回も、本を読むより横になってCSで映画三昧という安楽な道を選ぶことにした。観たいと思いつつ観そびれてしまった『戦場のピアニスト』、意図せず『愛と精霊の家』と日本映画で『悪党』(谷崎潤一郎原作『顔世』、監督は新藤兼人)。おまけは演劇で、花組芝居の『怪誕身毒丸』。風邪引きにしてはハード。

『戦場のピアニスト』はカンヌ映画祭でパルムドールを受賞するなど、世界的な評価を得ている映画作品だが、評判に違わずこれはすばらしかった。原作はユダヤ系ポーランド人のピアニストウワディスワフ・シュピルマンの書いた『The Pianist(The extraordinary story of one man's survival in Warsaw, 1939-1945)』。監督のポランスキーもまたポーランド系ユダヤ人の父親の元に生まれ、母親をアウシュビッツで虐殺された体験を持つ。

ナチス・ドイツのポーランド侵攻から始まるこの映画は、観ている自分も、ゲットーの中で暮らすユダヤ人なのではないかと、そんな錯覚に陥るほど現実味溢れたものだった。狂気の政治を支える人々と、その狂気によっていとも簡単に命を奪われてゆくフツウの人々。この映画で一番心に残った言葉が、シュピルマンがナチスの蛮行に対して呟く「stupid!」だったというのは、私の英語力不足のせいか。

ナチスについての本はすでに何冊か読んでいたが、この映画を観てさらなる本を探したくなり、まだだるい体を抱えて本屋に行って買ってきたのが『ヒトラー・マネー』。これは2007年に公開された映画、『ヒトラーの贋札』の原作で、ザクセンハウゼン強制収容所が舞台。ユダヤ系の印刷技術者を集めて精密なポンド紙幣を偽造し、イギリスの経済を意図的にインフレに陥れようとした、ナチスによる国際通貨戦争を描いたもの。これまたすごい迫力で、一挙に読んでしまった。

そして今日、ここ数日のナチスの日々の〆となるべくものを我が家のトイレで発見。トイレはしばしば通う馴染みの場所、だから、毎年好きな画家のカレンダーを掛けることにしていて、今年はミュシャ。いつもは特に気にもせず眺めていた絵だが、今日はなんだか気にかかる。そうかあ、ミュシャはチェコスロバキア共和国の画家。

1939年、チェコスロバキア共和国はナチスによって解体されたが、ミュシャもまた、その描く絵が「国民の愛国心を刺激する」としてドイツ軍に逮捕されている。釈放はされたものの、そのわずか数ヵ月後に還らぬ人となってしまったミュシャ。遠因となったのはナチスの執拗な尋問。ミュシャもまたナチスの犠牲者だったというわけか。

ただでさえ体がだるいというのに、何を好き好んでか重いテーマを選んで過ごした数日。布団の上の猫たちも重かったしなあ・・・って、これは「重い」違い。

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写真:(上)ママのことが大好きなサビちゃん。この写真の顔つきどおり、とっても気難しいので夫の手には負えない。(左)ムメモちゃんのお世話はとにかく大変!大変なところがまた可愛いと思ったりして。右に見えるしっぽはムメちゃんのではありません、誰のだろう??


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夏姿、さっぱり娘!

2008年07月11日(金)

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夏恒例、むめちゃんの毛刈りが終わった。「ムクムクむめも~!」と普段呼ばれているその姿、冬場はかわいいけれど、さすがに夏は暑苦しい。バリカンじゃなくてハサミでカット、一度に刈らせてくれないから、少しずつ機嫌の良い時を見計らって刈り込んでゆく。

ペルシャ(だと思うのだけれど?)は気性が激しく、だからトリミングをさせてくれない子も多いのだとか。そんな時には麻酔をかけるのだそうだ。病気の時でさえ麻酔は心配、目が覚めてくれるとほっとするというのに、毛を刈るだけで麻酔をかけるなんて。

お鼻がぺちゃんこだから気道が短く、いつもズビズビいっているし、お口の間口が小さいから食事がまともに摂れない、長い毛は手入れを怠るとすぐに毛玉ができてしまってボロボロ。ああ、なんて不便な猫なのだろう。

人間の好みに合わせて改良に改良を重ねた結果、猫にとっては実に不便・不愉快な生活が強いられることになってしまったというわけか。それもこれも拝金主義の結果。

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むめちゃんの冬バージョンの写真を探すのは辛かった。フクちゃんがたくさん写っているから。左は去年の夏のむめとフク。フク、今年の夏はどうしていないの?(泣)