運が尽きるとき
2007年05月15日(火)
以前住んでいた家でのこと。夏の真っ盛り、園芸の道具を出そうと物置の戸を開けたところ、なにやら中でゴソゴソと動く気配がする。恐る恐る覗いてみると、奥のほうで茶色い猫が目を光らせてうずくまっていて、それどころか、生まれたばかりの子猫が何匹もお腹の下で動いている。物置を開けたのは1週間も前の話だから、とするとこの猫、猛暑の中で飲まず食わずのまま、サウナほどに蒸しあがった中で過ごしていたというのか。
お産をする場所を探し歩いていて、たまたま開け放していた物置に入り込んでしまってそのまま。そういえば数日前、物置の前を通り過ぎた時にガタンという音が聞こえはしたが、気にするでもなくそのままにしてしまっていた。自分は水の一滴も飲めないというのに、必死で子供にお乳を与えていたのかと思うと、母親の健気さと強さに、胸がきゅんと締めつけられる。
ところが母とは言えそこは猫、物置から一目散に飛び出し、子猫を置いたまま逃げてしまった。猫飼い初級だったママは、残された5匹もの子猫達をどうすればよいものやら、ただ心臓がバクバクするだけで解決策などまったく思い浮かばない。動物愛護団体の知人に電話をかけて事情を説明すると、「母猫は必ず戻ってくるから、なんとか捕まえて私の家に持ってきて」と言うけれど、そもそもどうやって捕まえればいいのか。仕方なく、ない知恵を絞り、大きめのダンボール箱に小さな入り口を作り、物置のすぐ横に置いて母猫が戻ってくるのを待つことにした。
しばらくして戻ってきた母猫、物置に入り、1匹ずつ子猫をくわえ出してきては、上手い具合にダンボールの中に運びこんでくれる。最後の子猫を運び終えたのを見計らって、用意していた毛布をダンボールにワッと被せ、そのままくるんで車に乗せ、大慌てで知人の家に連れていった。毛布というのは、以前別の友人が、ノラを捕まえる時には毛布を被せるのが一番なのよ、と話していたのを思い出したからだったが、今思うと無茶苦茶な話で、知人の家で毛布を開けると、母猫は飛び出して部屋の隅に逃げ込んでしまい、子猫のうちの1匹はすでに窒息死。しばらくしてもう1匹も死んでしまったが、当たり前といえば当たり前の話。
母猫は知人が面倒を見てくれることになり、3匹の子猫は離乳食が食べられるまでママが育て、その後里親を見つけることにした。行きつけの動物病院が貰い手探しに協力してくれたお蔭で、1ヶ月後に、茶キジは父親とやってきた小さな女の子の腕の中、大切そうに抱えて連れられてゆき、もう1匹の黒キジも、優しそうな若い女性に貰われていった。けれど、しっぽが捻じ曲がっている白黒だけは最後まで貰い手がみつからず、この子、もともとミバの悪い子だったので、きっと誰も貰ってくれないかもねえとパパと話していたこともあり、やむなく(いつもこれ…)我が家で面倒を見ることになった。
ところがどうして、当初の予想に反して日増しにかわいく変身してくれる。その上おとなしく、他の猫達が喧嘩を始めると遠巻きにして心配そうに眺め、もとより自分から喧嘩をふっかけることなど一度もなく、だから「平和主義者のカール君」と呼ばれていた。カールは何か訴えたいことがある時にはじっとママの目を見つめる癖があり、そのあまりにも純粋なまなざしに魅了され、かわいくて仕方がなかった。
けれど猫も人間と同じで「いい人(猫)」というのは、どうも長生きをしないらしい。ある日突然、水のようなものをものすごい勢いで吐いてぐったり。この時のかかりつけはまだアミちゃんと同じ、野性味たっぷりの獣医さんだったから検査もせず、たぶん「猫伝染性腸炎」だろうとあてずっぽう。外に出していない猫だったから、どこでどう伝染したのか今もってわからないが、とにかく点滴と注射でその場をなんとか凌いだ。
動物病院ではその頃から、見るからに頼りない、大学を出たばかりの見習い医師が、時々「大先生」の代わりに診察をするようになっていた。大先生のいない日に行くのはとても嫌だったが、どういうわけかカールは、大先生のいない日にかぎって具合が悪くなり、次第に状態は悪化してゆき、命の危機が急迫したその日は、ついに休診日と重なってしまった。
仕方なく、今まで一度も足を運んだことのない動物病院に連れていったが、ここは待合室から見える景色が「墓地」という、とんでもなく陰気くさいところ。生死の境をさまよっているカールを、こんな場所にある医院に連れてきたということ自体、なにやらすでに運命は決まってしまっているかのように思えてならなかった。まさに最後の運に見放されたという感じがして、なんとも心細かったが、案の定、カールはこの病院を最後に、たった5年のニャン生を終えてしまった。
それが命を持つものの宿命なのかもわからないが、人間も同じ顛末、母親の時もそうだった。転んで腰を打って救急車で運び込まれた病院は古くて汚く、設備、医師ともに最悪。すぐに転院させようと思ったがどこの病院も満床だからと断られ、果たして悪化の一途をたどるばかり。このタイミングの悪さこそ、運が底をついてしまう前ぶれで、「運が尽きる」という言葉があるけれど、母親もカールもまさにそんな感じだった。
悔しいことに、世の悪人どもというのはなかなか運が尽きない。いずれは尽きる運ではあるのだろうけれど、ママの周りの善人が、子供のお茶碗一杯分ぐらいの運を持っているとしたら、悪人というのは、丼に大盛り一杯分ぐらいの運を持っているように思えてならない。まさに「悪運」というやつなのだろうが、持てるものと持てないものの不公平って、こんなところにもあるというわけか。
写真:(上)ママをじっと見つめるカールちゃん。この瞳がたまらなかった。(左)ようやく離乳食になったカール。貰われていった茶キジの夢之助君(という名前をつけてもらった)と。
忠猫ピーちゃん
2007年06月14日(木)
ご近所さんが茶色のキジ猫を飼い始めたのは10年ほど前のこと。その家の子供が通っていた小学校の通学路に、何匹かまとめて箱に入れて捨てられていたのを拾ってきたという。お母さんと一緒に見にゆき、一番かわいかった子を連れてきたのだそうだ。
拾われた茶猫、確かにふっくら顔でかわいかったが、それにも増してこの子、並の猫とは比較にならないほど利口だった。朝、子供たちが学校に行く時には、必ず後をついてゆき、道路の手前まで送り出して戻ってくる。夕方帰ってくれば遊びの輪に入り、一緒にボールを追いかけたりしていた。だから近所の子供たちからも人気があって、ピーちゃん、ピーちゃんと、いつも名前を呼ばれていた。
その頃、我が家には前の家から連れてきた外猫のジンがいて、これがピーちゃんの兄貴がわり、それはそれは仲が良く、寒い日など、同じ小屋の中で抱き合って寝ているほど。こう書くと、ほのぼのとした話のように聞こえるが、実はこの子、飼い猫だというのに、他人の家の小屋に寝泊まりをしなければならない身だった。
ピーちゃんはオス猫、去勢をしていなかったから、家の中でも遠慮会釈なしのマーキング。被害の少ないうちは我慢していたが、お年頃になってからは布団にたびたびの粗相、ついに家族中から総スカンを食らい、飼い主、それからというもの、家の中には一切入れないことにしてしまった。それ以来ピーちゃんは半ノラ生活、毛の色艶を見ただけでは、ノラなのか家猫なのかわからないほど薄汚れてしまったが、猫にしてみればまったくもって理不尽な話。
しばらくするとピーちゃん、涎を流しはじめ、極端に痩せ細り、明らかに重い病気の様相を見せ始めた。猫という動物、最後の最後まで弱った素振りを見せようとはしないから、人間が気遣ってあげなければいけないのだけれど、飼い主が病院に連れてゆく気配はまったくない。
お節介は承知の上、心配になり、獣医さんから抗生物質を貰ってきて、こっそり投与。薬など飲んだことがないから即効、急激に回復したように見えたが、それも束の間。猫をたくさん飼ってきた身、水晶玉など覗かなくとも、あとどのぐらい生きるかは、なんとなく想像がつく。
気が気ではなく、ついに、共働きで昼間はほとんどいないことをいいことに、飼い主不在を狙って拉致、動物病院に連れてゆくことにした。ケージに入れて車に乗せたが、まあその臭いこと臭いこと。おまけにこの猫、病院に着くまで人間の言葉をしゃべり続ける。「こんなことして、母ちゃんに言いつけてやるから」とかなんとか、そんなふうにしか聞こえない鳴きかた。
インターフェロン、抗生物質、点滴の3点セットを済ませて帰宅。絶対に内緒よ、と言い聞かせて放した。そんなことを3回ほど繰り返したが一進一退。目に見えて弱っていったが、それでも飼い主はこの子を家の中に入れてあげようとはしない。病魔に勝てず、ついに最後の日、車で帰宅すると、道路の真ん中に座り込んでいるピーちゃんがいた。
自力で歩くことなどできなかったから、抱き上げて連れ帰り、飼い主が帰ってくるのを待ち、もう危ないと思いますから、せめて今日だけでも、家の中に入れてあげてはくれませんかと懇願。その時、もう立てないはずのピーちゃんが私の腕からスルリと抜け、ニャアと鳴きながら飼い主夫婦の足元によろよろとしながら擦り寄っていった。力の入らない体で、それでも一所懸命甘える。ハタから見ればヒドイ飼い主、それなのにピーちゃん、恨むどころか、誰よりもその飼い主を信じ、愛しているのだった。
それから数時間後に亡くなってしまったピーちゃんの、最後まで飼い主を慕っていたその気持ち。当の飼い主がどう思ったかはわからないが、今は二代目の猫。今度は一切外に出さない。
写真:(上)最後まで飼い主を想い続けたピーちゃん。改めて写真で見ると、やっぱり寂しそう。(下)我が家の外猫、兄貴分のジン。こちらは幸せでした。
居候、3杯目でも遠慮なし
2007年06月21日(木)
一休さんのところから我が家にきた猫は2匹。しょっちゅう猫を拾っているから、猫を貰ってと一休さんから懇願された人は数知れず。姉もその一人だが、姉にとっては義理の兄。だから、よほど無理なことでもない限り、頼まれたらそう簡単に断ることもできない。
その時も一休さん、猫を拾ったはいいがすでにいる子との折り合いが悪く、飼ってあげることができないから貰ってほしいと、いつもの口上を並べ立てて電話をしてきたらしいが、姉もすでに猫を飼っている。
その子、親子3匹で我が家に迷い込んできたうちの母猫。子猫は人間を知らず、だから触ることもできないから仕方なく外猫、母猫のほうは人に馴れていて性格も穏やか、いつか家の中に入れてあげたいと、その機会をうかがっていた。けれどその時すでに2歳ぐらい、先住の猫とうまくやっていけるだろうかという不安が先立ち、なかなか決心がつかないまま、何ヶ月かが過ぎてしまっっていた。
そんな時、数年ぶりに姉が我が家を訪れた。多忙な人だから会う機会などほとんどない。いや、ほんとうは姉との間には母の介護の問題、どちらが母の面倒を見るかという世間にありがちなゴタゴタ、そのせいで疎遠になっていたというのが正直なところ。介護に疲れて精神的・肉体的に限界、だから母を少しだけでも預かってと持ちかけ、やっとのことで母を連れにやってきた日のことだった。
後にミニイちゃんという名前になった母猫、昼間いることなど滅多になかったが、その日にかぎって一日中家から離れず、何を思ったか、人目に一番触れる玄関の足ふきマットの上で寝ていた。かわいいわねえ、と姉が呟いたそのタイミングを逃さじとばかり、ねえ、この子連れていかない?
猫が欲しかった姉は二つ返事、喜んで連れ帰った。本来の用事のはずだった母の話はドサクサにまぎれてそのまま、連れてゆくはずの母が猫に化けてしまったという、落語みたいな話。
その猫を目の中に入れても痛くないというほどかわいがっていたから、他の猫を飼う気などまったくなかったが、義兄の頼み、断ることもできずに貰ってしまったという。ところが貰った子とミニイちゃんは殊の外相性が悪い。手に負えず、ついに誰か貰ってくれないかしらと。
聞けば生後2ヶ月ぐらいの子猫。それぐらいの子なら貰い手もつきそうと、心当たりの何人かにメールを出すと、すでに3匹飼っていた友人が、3匹も4匹も同じだからいいわよ、と連絡してきてくれた。姉とはその友人の家で待ち合わせ。どんな猫がくるかと楽しみに待っていたが、姉の持ってきたケージの中からのっそりと現れたのは、子猫ならぬ大猫。どう見てもユウに生後半年。
友人には子猫と言った手前申し訳がたたず、ごめんなさいねえと、謝りながら連れて帰るつもり、ところが、その様子を黙って見ていた友人の息子さん、突然猫をさっと抱き上げ、逃げるように二階に連れていってしまった。友人とあわてて追いかけたが、せっかくウチに来たのに、返すなんてかわいそうじゃないかと言って、猫をしっかり抱きしめ放さない。
その子、その頃中学2年生。登校拒否で、学校にはほとんど行かずに「引きこもり」。髪を茶色に染め、挨拶もろくすぽしない。友人と会うといつもその子の話でもちきり、高校に進めないかもしれないと心配し、悩み、嘆いていた。
それからもう7年ぐらいになるか、先日久しぶりに友人と会った。息子さんも一緒だったが明るい顔、その後専門学校を卒業し、それなりに楽しく仕事をしているらしい。あの優しさだもの、きっと大丈夫と思っていたとおり。
子供の心配がなくなった彼女の今度の嘆きは、あの日置いてきた猫のこと。ものすごい大食漢で大変なのよお・・・と。一日中後をくっつきまわり、ゴハンッ、ゴハンッとなきわめく。あまりにうるさいから、つい缶詰を開けてしまうのだが、その甲斐あって(?)、かつての大猫はさらなる大猫、いまや10キロを越すほどになってしまったという。またしても平謝り。
写真:(上)救いの主が現れ、めでたく友人の家の子になったアヤちゃん。(下)姉夫婦のところでメロメロに可愛がられているミニイちゃん。
コボ帰る
2007年09月04日(火)
奇妙な唸り声をあげて庭に飛び込んできたチャチャが、それきり姿を見せなくなって数ヶ月。兄弟だったコボちゃんも同時にいなくなってしまい、何かの事故、きっと一緒に天に召されてしまったのだろうと、すっかりあきらめていた。
そのコボちゃんが今朝突然姿を現し、ニャアニャアと足元にまとわりつく。コボちゃんなの?と聞くとニャイと返事。独特の胴長長足、間延びした顔立ち、まごうかたなきコボ。
外猫が増えるのはもう勘弁だけれど、それでも、戻ってきてくれた子を歓迎しないはずはなく、魚屋さんから調達した中オチを焼く時間ももどかしく、家の中の子たちの缶詰をちょっと拝借しての大判振る舞い。今の今まで、どこでどうしていたのだろう。
もともと出自がノラだから、人にはそうそう簡単に懐かず、だから、飼ってくださるとしたらよほど奇特なお宅、家猫に昇格するなんてまず考えられない。それでも、いなくなった時の姿形と同じ、痩せてもいなければ、荒んだ様子もない。
猫は3軒の家と3つの名前を持っているというから、コボもあと2軒の家で、鰹節だのメザシだのチーズだのと贅沢三昧、名前もジョンとかシェーンとか(犬じゃないんだって)、だから、帰ってくる気になれなかったのか。
それとも、「愛」なんていうカッタルイものに全身全霊、一途にのめりこみ、しばらく我を忘れての放蕩三昧、我が家のことなど思い出しもしなかったのか。それにしては、恋に破れたという哀愁が漂うでもなく。
いずれにしても帰ってきたのにはそれなりの理由があってのこと、何も言うまい、何も聞くまい・・・お帰り、コボちゃん!
写真:(上)手前がコボちゃん。茶キジのチビは田吾作。(左)チロ。チャチャがいなくなったのと同時期に体調を崩し、極端に痩せ細って心配したが最近ようやく回復。いつも一緒だったチャチャがいなくなって以来、表情の暗いのが気にかかる。
ジュリママ、ふっかーーーツ!
2007年11月09日(金)
11月2日まで忙しくて、ブログを更新することもできずにいた。書く時間がまったくなかったわけでもないのに、精神的に余裕のない日々。お気に入りの猫ブログを、毎日楽しみに覗かせて頂くのが唯一の楽しみだった。
このまま終わっちゃうの?なんて自分でも思っていたのだけれど、今日、どうしても書かなければならない「事件」が発生して、一挙に復活!捕獲に失敗した明日香ちゃんのこと。その後捕獲して避妊手術をしたのだけれど、取り逃したあの一週間はやっぱり痛かった…というお話。
先日、猫仲間のご近所さんから、生後2ヶ月ぐらいの子猫2匹を見かけたけれど、どこの子かしらと電話があった。そんな子猫を見たことなどなく、やだー、また誰かが捨てたのかしらねえ、なんて言っていたら、どうやら明日香ちゃん、捕獲に失敗した一週間の間に出産を済ませていたらしい。
数日前、わっさわっさと3匹(2匹じゃなくて、3匹も!)の子猫を引き連れて我が家の庭にやってきた。見た瞬間に頭は真っ白。ただでさえ「クレゾールおばさん」が出現しているというのに、これ以上猫がうろついたら、9年間も外猫として無事過ごしてきた子たちに危機が及ぶかもしれない。
里親探ししかないと決心して罠を仕掛けたところ、どうやら我が意に神様も賛同してくださったらしく、ありえないというシチュエーションが展開して子供3匹を無事保護。病院に直行してエイズ検査だのなんだの。ちょっと風邪をひいてはいるものの、他は無事陰性でまずは一安心。
今は環境の激変に馴染ませるためケージの中に入れているが、まだ1ヶ月半ぐらいなので、野良ちゃんの子でも十分に人間に懐く年齢。来週あたりから家の子たちと対面させ、かわいい子に育てあげてどなたかに貰って頂かなくちゃ。(すみません、どなたか里親さんがいらしたら、ぜひぜひぜひ!!!ご紹介ください。かわいい写真を撮ったらアップします。)
…と、そんな騒動に巻き込まれてうんざりしていたら、今日は保健所から「ご近所から苦情が出ているので実情を調査しにきました」と。
避妊手術、里親探し、エサやりの方法など、すべて東京都などの自治体が行っている地域猫に準じたやり方をしていることを説明し、苦情は匿名ではなく実名で、その際には我が家の外猫が迷惑をかけているということを証明できる写真を持参し(だって、放して飼いの飼い猫も周囲にはいっぱいいるんですから)、直接来訪してくだされば、苦情の解決策を模索しますと伝えて欲しい旨、逆要請。
保健所の方たち、まったく文句を言うでもなく、問題はありませんので了解しましたと帰られた。「捕獲などという話が持ち上がった場合には、必ず我が家に連絡をしてくださいね」と言うと、「猫は捕獲できないんです」。薬殺だの虐待だのは動物愛護法で罰金刑、捕獲もできないのは百も承知。それでもやってる人はいるんだもの、念を押しとかなくちゃ。
直後に、たまたま庭を掃除していらしたご近所さんに、迷惑をかけていたらいつでも言ってくださいねと言うと「飼ってあげられなくてごめんね、っていつも心の中で言ってるのよ」と優しい言葉。別の家からお婆ちゃまも出てこられ、「猫なんてなんとも思っていませんよ、それより、ウチの庭が草ボウボウで迷惑をかけていることのほうが気にかかって」と呵呵大笑(豪快なお婆ちゃま)。やれやれ・・・。
動物の命を守るというのは、並々ならない体力と気力が必要らしい。あのちっぽけな命ひとつぐらい、簡単に守ってあげられそうなものだけれど、闘いの相手は猫じゃなくて、どうにも偏屈な人間という生き物なんだもの。まったく、人間ほど厄介な生物なんて他にいやしない。
大変だけれど、できるかぎり猫達を守ってあげなくちゃ。人間も猫も束の間の生を受けて今があるだけで、100年も経てばお互い影も形もありゃしない。所詮仮のこの世で、他の生き物の命を疎んじ、抹殺しようとする行為のなんて虚しいこと、まったく馬鹿げているとしか言いようがない。
写真:(上)捕獲成功!(左)保護直前の明日香ちゃんと子猫たち。親子の別離はほんとうにかわいそう。明日香が馴れていれば一緒に保護するのだけれど、触ることさえできない・・・。
にゃあちゃんが笑った♪
2007年12月06日(木)
赤ちゃんが初めての笑顔を見せた時って、きっと親はたまらなくかわいいと思うんだろうなあ。愛情をたっぷり受けた赤ちゃんが、初めて親に見せてくれた笑顔の嬉しさとはまた違って、辛い幼少期を経て、自分の人生に希望を見出した子供が初めて笑ってくれたような、そんな嬉しさを、にゃあちゃんのこの写真を見ていると感じてしまう。
ずいぶん前のこと。知人が病院経営の傍ら児童養護施設も運営していて、そこの施設長とも顔見知りだったことから、どうしても人が足りないので、1ヶ月ほどお手伝いをしてくれないかと頼まれたことがあった。福祉の現場が人手不足なのはいずこも同じで、ここもご多分に漏れず、職員の出入りが激しい。
10年ぐらい前、母親の介護で心身ともに疲れ、どこか信頼できる相談機関はないものかと探したが、見つけることができず、それならいっそのこと自分で勉強してしまおうと、大学の社会福祉学科に編入し、「社会福祉士」の資格を取ってしまった。
だから、実際の専門分野とはずいぶんかけ離れている感じがするものの、福祉の現場に関わるというのもお門違いなことではなく、抵抗もなかった。
不安だったのは、老人福祉はなんとかなりそうでも、子育てをしていないから、子供の心理を理解することができるかどうかということ。机上の理論だけで子供の心など掴めるはずもない。
養護施設に預けられている子供たちの事情はいろいろだが、親のネグレクトや、親から虐待を受けている子供がほとんど。だから、満面の笑顔を見せてくれることなど滅多にない。
最初は心を開いてもらおうと、なるべく言葉がけを多くするようにしていたが、言葉に対する反応が少なく、上の空の子が多いことに気づき作戦変更。ことあるごとに抱きしめてあげることにした。泣いている時、喜んでいる時、寂しい時。どんな事も体ごと引き受ける。
どうやら子供達にとって一番嬉しいのは、何よりもギュッと抱きしめてもらえることだったらしく、抱きしめられた経験の少ない子たちは、最初戸惑いを見せていたが、そのうち自分から胸に飛び込んでくるようになった。
風邪をひいた5歳の男の子を抱きしめた時には、「風邪がうつるよ」と気遣ってくれた。「○○君の風邪なら喜んでうつってあげるから大丈夫よ。」と言うと、恥ずかしそうにぎゅっと首にしがみついてくる。その時に絡みついてきた細い腕の、か弱い力を今もまだ忘れることができない。
しばらくすると、なかなか心を開いてくれなかった子供たちが、笑顔で駆け寄ってきてくれるようになり、そのことがなによりも嬉くてならなかった。寂しくて、いつも泣き顔のまま過ごしていた女の子が、画用紙一面に絵を描いて持ってきてくれて、それを思いきり褒めてあげたときの、あの初めて見せてくれた笑顔も忘れられない。
笑顔を忘れた子供達が初めて見せてくれる笑顔には、「幸せ」がいっぱい詰まっている。猫と一緒にするなと厳しく叱られてしまいそうだけれど、保護された時、あれほど暗い顔をしていたにゃあちゃんが、こうして、まるで笑っているような顔に変化したのを見た瞬間、あのときの子供達の顔が次から次へと思い浮かんでしまった。
幸せになっているかしら。笑顔を分かち合える人とめぐり合って、うんとうんと幸せになってほしい。
写真:(上)笑っている・・・でしょ?(左)保護して1ヶ月経過したころのにゃあちゃん。
フクちゃん、また会いましょ!
2008年03月20日(木)
フクちゃん、本日午前10時少し過ぎに、ひとり空へと駆け上っていってしまいました。
そのほんの1時間ほど前、やっとの思いで体を起こし、いつもと変わらない目で私を見つめ、ニャアとひと声。あらあ、声を聞かせてくれたのね、ありがとう、そう言って頭をなでると、健康な時のようにグルグルグルグルと際限なく喉を鳴らしてくれた。苦しいだろうに、それでも愛情に応えようとしたのか、その健気さがとおしくてならなかった。
闘病生活で体はボロボロになってしまったけれど、本当によく頑張ってくれたと思う。フクにとっては大変な2ヶ月、でもその間、できうるかぎりの介護を思う存分してあげられたことで、飼い主はどうにか気持ちの整理をつけることができそう。フク、時間をくれてありがとう。
あと10回もこんな悲しい思いをするのかと思うと、暗澹たる気持ちになってしまいそうだけれど、小さな命と過ごす、その辛さ、悲しさを全部引き受けながら、それ以上にたくさんの猫たちがくれる、たくさんの楽しい思い出を積み重ねていくことにしよう。
応援してくださった皆様、ありがとうございました。貴重なご助言を頂いたり励まして頂いたり。それはそれは有難く、そして嬉しく、コメントを拝見するたびに、メールを頂くたびに涙がこぼれてなりませんでした。ほんとうにありがとうございました。
写真:(上)この写真から僅か6ヶ月後に別れがあるなんて・・・。(下)いつもコメントをくださるねこぼーしさんが、ご自宅のお庭(風雅庭)に咲くこのシロバナタンポポにフクちゃんという名前をつけ、回復を祈ってくださっていました。
拾う神・・・に期待して
2008年05月12日(月)
ちょうど一週間前の5月5日、千葉県佐倉市にある川村記念美術館に行った。しばらく仕事が立て込み、精神的な余裕をすっかり失ってしまっていたから、どこかほっとする場所に行きたかった。美術館も人でいっぱいかしらと心配したが、子供の日だからきっとみんなはディズニーランドと勝手に決め、出かけることにした。
どんな展覧会をやっているのかと、出かける前にネットで調べたが、メンテナンス中だったのかアクセスすることができず、結局行き当たりバッタリ。運良く「マティスとボナール ―地中海の光の中へー」という企画展が開催されていて、ボナールはそれほどでもないが、マティスは、まあ好きな作家だったからラッキー。
企画展もなかなかだったが、川村記念美術館の常設展はすごい。今回はリニューアルされたこともあって、以前にも増してたくさんの作品が展示されていた。この美術館、もともとは大日本印刷が設立したもの。2代目社長が蒐集したというピカソやブラック、そしてカンディンスキー、3代目社長が蒐集したロスコの壁画作品、他にもレンブラントだの横山大観だの、1000点もの作品を所有しているというから驚く。
ルノワールの<水浴をする女>、モネの<睡蓮>、ローランサンの<ピクニック>、レンブラントの<広つば帽を被った男>、マグリットにポロックにシャガールに藤田嗣治に尾形光琳…と、誰もが知っているような名画ばかり。思い出すだけでもクラクラする。展示室ひとつで総額いくらの絵が掛けられているのかしらと、貧乏根性まる出し。それにしても、企業ってどうしてこうも儲かるのかしらと、次にはねたみ根性まで。
それでも、蒐集した作品を一般向けに公開しているのだから企業の姿勢としてはまずまず。バブルの頃といえば絵は投資の対象。だから、世界的に価値のある作品を会社で購入したものの、値段が高騰するまで風呂敷を被せて社長室の金庫…かどうかはわからないけれど、芸術の社会的貢献なんてことは完全に無視されていた。今も内実はそう変わっていないのかもわからないが。
たくさんの名画を堪能した後は、9万坪という広大な庭園にある自然散策路を、ゆったりとした気分で散策する。ゴルフ場を思わせるような整然とした景色はあまり好きになれないが、池には白鳥やマガモがいて楽しませてくれる。
ところが、今回は思いもかけないことから憂鬱な気分を引きずることになってしまった。祝日で人が多いということもあるからなのだろう、いつもは見かけないおじさんが庭園内の案内をしている。ロープが張られていて、「はい、そちらは行けませんよ~」とか。その足元に白地に茶ぶちの猫がいる。
写真に撮ろうと近づくと、この子、それはそれは人馴れしていて愛想がよく、駆け寄ってきてスリスリ、膝にまで登ってきてしまう。おじさんが側で私に声をかけた。その猫、家に連れていってあげてくれませんかネエ…。「今は無理だわ」とつぶやくと、おじさん、来る人来る人に同じことを言っている。たぶん捨てられたんですよ、かわいそうだから、ねえ家に連れていってくれませんか・・・と。
連れていってあげたいのはやまやまだったけれど、見ず知らずの大人猫を家の中に入れればどうなるか。フクは、ココとミイちゃんを家に入れたストレスで死んでしまったに違いない、もともとの5匹で平和に暮らしていれば長生きできたのにと、それはそれは後悔しているから、連れて帰る勇気がない。
誰か連れていってくれないものかしらと、後を振り返り振り返りしたが、どの人も頭を撫ぜはするものの、おじさんの言葉には首を横に振っている。未だに、とにもかくにも連れてきてしまって、里親を探してあげればよかったのかしらと、あの子の暖かい体温を思い出しては心が重くなる。どうか、どなたか心優しい人に拾われていますように。
写真:(上)川村美術館の池で過ごすマガモ。夫の第一声は「あっ、デコイ!」・・・我が家のトイレにはマガモのデコイが。(下)件の茶白君。ああ心が痛む。ごめんね、連れてきてあげないで。マガモのように、羽根があれば飛んでこられるのにね。
プロフィール
ジュリママと猫たちを乗せて走る鈍行列車のちゅうちゅうとれいん。車窓から見える風景を、気ままに書き綴るブログです。あけみちゃんの絵日記、『あけみ参上つかまちゅりーっ!』もどうぞよろしく。どちらもボチボチの更新ですが、末永くおつきあい頂ければ嬉しく思います。

