ノラたちとの思い出(その1)
2007年05月11日(金)
今住んでいる家に引っ越してくるまでに、たくさんの野良猫さんたちとの出会いがあった。出会ったノラ達、当然といえば当然なのかもわからないが、どの子も決して幸せそうではなかった。そう思うのは人間だけで、本ニャン達はそれなりに幸せだったのかもわからない。でも、どの子もいつも寂しげな表情を見せていたし、どこでどう生きて、どう死んでいったのかもわからず、それを思うとなんだかやりきれなくて、なんで助けてあげられなかったのだろうと、今でも時々そう思っては、後悔ばかりしてしまう。
もう20年近く前の話で、当時はまだ、一部の熱心な動物愛護団体が、不幸な動物をこれ以上増やさないためにと、ようやく避妊手術を呼びかけるようになったぐらいの時期。ママもまだ猫飼いの初級者、ノラたちに積極的に避妊手術を受けさせることに、思いが至らなかった。近くに住む、動物愛護団体を名乗る知人に相談をしたりもしたが、避妊手術を受けさせるための捕獲の方法なんてものは教えてくれず、ただただ、産まれてしまった子の貰い手を探す方法ばかりを教えられた。今はケージに仕掛けをし、どんな野性味溢れる子でも百発百中、捕まえては、速攻、獣医さんに連れていくというのがママの特技だけれど、その頃はそんな知恵などまったくなかった。
思い出すのはミイちゃん。人一倍慣れていて、生協の仕分けをご近所のガレージでやっていると、ニャアニャア言いながら側に寄ってきて、ゴロンゴロンと転がってみせる。でも、いつも大抵お腹が大きかったので、みんな見ないふり、むしろ迷惑そうにしていた。時々ヒゲが短く切られたりしていたから、どこかの飼い猫だったのかもわからない。そのミイちゃんが連れてきたのが、にゃにゃ丸という白に黒いブチのある子だった。ミイちゃんはたくさん子猫を産んでいるはずだけれど、一匹も子供を見たことがなくて、だからごくごく稀な生き残りだったのだろう、人にはまったく馴れていなかった。
それでも、ママの側にだけは近寄ってくるので、雪の降る日などはかわいそうで、台所の窓を細く開けて、家に中に入れるようにしてあげていた。ある時、近所の人が、玄関の前で寝ているにゃにゃ丸を指差して、「どこの猫?」と聞いてきた。思わず「野良猫なのよ」と答えたが、その時に顔を持ち上げてママを見たにゃにゃ丸の、切なそうなまなざしを今でも忘れることができない。「私の家の猫よ」と、どうして言ってあげなかったのだろう。それ以来、どんなことがあっても、多少なりとも関わった子のことは、決して「野良猫」と言わないことにした。この子はいつの間にか姿を消してしまったが、ミイちゃんはその後どうしただろう。
その頃出没していた猫の中に、黒キジのボロちゃんがいた。いつもお腹を下していて、やせ細ってボロボロだったからボロ。人にはあまりなついていなくて、その姿かたちも顔つきも、見るからに不幸を背負っているといったふうだった。あまりにかわいそうで、我が家に遊びに来た時にはおいしいものを食べさせ、声をかけてあげていたが、どこかに悪い病気でも持っていたのだろう、ある朝、庭先で死んでいた。たぶん2年も生きていなかったと思う。ノラはどの子も2年生きるのがせいぜいだった。この地域、猫エイズらしき悪性の伝染病が蔓延していたからだと、後から獣医さんに教えられた。
ノラの遺骸は市役所の清掃課が引き取り、ゴミとは別に、ペットとして扱ってくれると聞いていたので、市役所に電話をして引き取りに来てもらった。ところが来たのは、街の中を走っている青いゴミの回収車。箱にお花とボロちゃんを入れて引き渡したが、名前のとおり「ボロ」屑のような終わり方をしてしまったと思うと、かわいそうでならなかった。懸命に生きてきた子が、最後は生ゴミと一緒だなんて…。この一件があって、猫にネガティブな名前をつけるのは一切やめた。
ほどなくして、ボロが帰ってきたのかと思わせるような猫が登場した。たぶんボロの「ご落胤」だったと思う。愛らしいというタイプではないが、やたらと人懐っこい。ごくごくたまに姿を見せるだけだったので、大して気にもとめていなかったのだが、そんなある日、お隣から「庭に猫が居ついて、娘達の後をくっつき歩いている。どうしたらいいかしら・・・」という電話がかかってきた。このお宅のご主人は猫好きらしかったが、すでにワンちゃんを飼っているから、猫は飼えないのだと言う。
どんな猫かと見に行ったら、例のご落胤。ちょっと声をかけたら、今度はママの後をくっついてきて、家の中に入りたそうな仕草を見せる。これだけ人に慣れているなら大丈夫だろうと思い、入れてみたが、先住の猫2匹、ニャアとチャコが猛然と反撃してきて、どうにもならない。この兄妹2匹の結束は普段から固かったから、どんな猫であっても同居なんて無理に違いない、そう思って仕方なくまた外に戻した。
ところが夕食を食べていると、玄関先で一丁先まで届きそうな大声で「入れて~!入れて~!」と、さっきのご落胤が泣き始める。遊びに来ていた時には、一度だってそんな声を出したことはなかったし、この子、もともと声があまり出なくて、その後も「ヒ~ッ」という鳴き方しか聞いたことがなかったのに、この時ばかりははっきり「ニャ~!」と叫んでいた。しばらくパパと知らんぶりを決め込んでいたが、小一時間たっても泣きやまない。近所の手前もあり、ついに根負けして家の中に入れてしまった。
先住の警戒心はものすごかったけれど、この子はさほど気にもせず、拾われてから1週間以上もグルグルと喉を鳴らしっぱなしだった。よほど嬉しかったのだろう。栗ご飯を食べていた日に来たのでクリちゃんと名づけたが、それからしばらく続いた先住猫との凄まじい確執に、ママはすっかりノイローゼになってしまった。まあそれでもなんとか、十数年を共に暮らし、それはそれで楽しい思い出になっている。
ヤマのようにいるノラさんたちの中で、幸運を手にする子なんてそのウチのごくごく僅か。飼い猫になれるなんて、相当の強運の持ち主なのだと思う。我が家の猫はどの子も一度(・・・ならず二度という子も)捨てられ、そして拾われた。きっと生まれてくるときに、頭のてっぺんに「運!」とかなんとか、神様が目印のハンコを押して下さっているに違いない。そうだとすれば、すべての子の頭に、分け隔てなくその目印があればいいのにと、いつも思うのだけれど・・・。
写真:(上)ニャア、チャコ兄妹とクリ。3ニャンが、一見仲良しふうに並んだ写真はこれ一枚きり。(左)前の家に遊びに来ていたノラのノコちゃんと、フーちゃん。2匹とも1年ぐらいでパッタリ来なくなってしまった。
捕まって、手術して、やーれやれ
2007年09月25日(火)
田吾作母さん、絶好のチャンスを逃してしまったので、もう捕まらないかもしれないとあきらめ気分。それでも、なんとかして捕まえないと「猫算」、不幸な猫が増えるばかりだし、視界に猫の姿が増えれば目の敵にする人も増えるだろう。増えていいものもあるけれど、これはちょっと。
それが証拠に、ご近所は幸い動物好きが多いと安心していたのに、最近になって、10日に一回ぐらいの割合で、クレゾールと思われる薬液を庭に撒く家が出現した。原液を撒くらしく、その家に面した北側の窓を開けると、室内に刺激臭が充満して気分が悪くなってしまうほど。
こっそり覗くと花壇があって、そこにズラリと並ぶペットボトルと猫よけのトゲトゲ。一人暮らしの未亡人、心を癒そうと花を植えたその場所に、猫がウンチだのオシッコだのをするから気分を害し、誰から聞いたのか、猫よけにはクレゾールが効くと言われて撒いたに違いない。
ああ、どうしよう、早く捕まってネ、と祈る毎日。母さん猫、あれからさすがに用心して、ケージにはなかなか近寄らなかったが、空腹には勝てないらしく、せっせとごはんだけは食べにきていた。ところがチロと田吾作がいつも一緒にいるから、一匹になるチャンスがなかなかめぐってこない。
猫の番だけをして暮らすわけにもいかず、仕方なく、ごはんはケージの中でしか食べられないようにし、窓越しに、家の中からでも捕まえられるような仕組みを施して、待つこと数日。ある日の夕方、やっとのことで捕獲に成功し、病院直行と相成った。バンザーイ!
手術も無事終わり、2日後に連れ帰って庭に放したが、他の猫さんたちのように、以前より馴れるというふうもなく野生のまま。今はほんの数分間、ごはんを食べに庭に現れるだけで、後はどこでどう暮らしているのやら。でもまあこれで一安心か・・・。そう思いたいところだけれど、クレゾールにはしばらく悩まされるかも。
クレゾール、自治体によってはノラ猫対策として配布しているところもあるとか。でもこれ、 国際化学物質安全性計画(IPCS)が作成している国際化学物質安全性カード (ICSC)には、「環境中に放出してはならない」物質とあるし、日本芳香族工業会のMSDS(Material Safety Data Sheet)には、発ガン性、変異原性(DNA合成阻害)、皮膚吸収性、水中生物への毒性、燃焼すると分解し、有毒で刺激性のフューム(煙、蒸気、ガス)を生じるといった有害性・毒性が記されている。
経口毒性は劇物に相当するということらしいが、臭いからしていかにも毒々しく、尋常な心理状態なら使う気になど到底なれない代物。それをあえて使うというあたり、ニックキ猫を撃退するためなら身を挺してでも、というほどに追い詰められた心境なのか。
以前住んでいた家のお隣のお婆ちゃまも猫や犬が大嫌いで、同じくクレゾール派だった。庭に猫がウンチをする、門に犬がオシッコをかけると言っては、庭から門から道路から、一面に原液を流していた。その臭いを嗅ぐたびに、お婆ちゃまの荒れた心に吹く風を感じていた。
数ヶ月前、そのお婆ちゃまの家の前を久しぶりに車で通ると、家は影も形もなくなっていて更地。引越しでもされたの?と、かつてのご近所さんに尋ねると、数年前に大火事を出し、お婆ちゃまは火に包まれて亡くなったのだとか。
なんという運命、お気の毒にと思いつつ、クレゾールを撒きながら、憎々しげに動物を追い払っていたお婆ちゃまの姿を思い出し、なぜかふと、幸せだったのかしらと。その当時、お婆ちゃまが憎んだ猫も犬も、きっともうほとんど生きてはいないだろう。
お婆ちゃまも、犬も猫も、そしてあのクレゾールの臭いも、すべて遠い過去の中に消えてしまった。儚いこと・・・。
写真:(上)あと数ヶ月したら、今度は田吾作ちゃん(茶キジ)の去勢手術。こちらは簡単に捕まりそう。(左)母さん猫。夕方撮ったのでブレブレ。人相(猫相)も悪く写ってしまったから小さいほうの写真に・・・。
命を守るのって、タイヘン・・・
2007年11月12日(月)
保護した子猫たち、だいぶ環境に馴れてはきたものの、それでもまだ積極的に人間の側に来ようとはしない。産まれ落ちた場所にはカラスがたくさんいて、だからピーピー騒げば捕食(!)されてしまう。利口な母さん猫のことだから、よほど用心深く育てたのだろう。
昨日、ケージ2つを繋げて少し広めの空間を作ってあげた。1LDKぐらいの広さ。遊ぶ場所が広がったというのに、まだワイワイとはしゃぐ気にはなれないらしく、狭い場所でおしくら饅頭状態。
不思議なのは先住猫たちの反応。誰一人興味を示さず、フンと鼻先で臭いを嗅ぐだけで、後は鳴こうが騒ごうがまるで知らんぷり、普段どおりに自分の生活だけをエンジョイしている。「また猫道楽?いい加減にしなさいよ」とでもいうところなのか。
その昔、拾ったばかりのフクちゃんを「私の子、私の子」と大騒ぎし、渡すと出ないおっぱいを嬉々としてあげていたチリリンももう13歳。さすがに子育ては億劫なのか、見向きもしない。ジュリもミミを育てたというのに。
かろうじて、ムメちゃんだけがケージの中に手を突っ込んだりしているけれど、あのムクムクの、黒い毛むくじゃらの手がニュッと現れると、子猫たちはびっくりして、ますます奥深く潜り込んでしまう。まるで『オオカミと7匹の子ヤギ』…。
保健所が来た日の夜、隣近所、我が家を取り巻く一角、すべてのお宅に外猫のお詫びと、何か不都合なことがあればいつでもおっしゃってくださいと電話を入れた。嫌味のひとつも言われるかしらと思ったけれど、命を守るのに怯んでなどいられない。その時はその時だと腹を括り、まずは誠意を尽くそうと。
どのお宅も、(心の底はわからないけれど)迷惑だなんて思わない、それよりも、一人でノラちゃんの保護や避妊に奮闘していて大変だと気遣ってくださる。里親を探してあげるから写真をちょうだいという方や、娘さんが欲しがっているから見せてという方も。世の中まんざら捨てたものでもない。
クレゾールは庭の一角に畑を作っているお宅のご主人が、畑に猫が入らないようにと撒いたらしい。これは作物を守る目的。それなら畑のウンチ拾いでも、草取りでもなんでもしますからいつでも使ってくださいね、と。畑を荒らしている猫の風体を聞けば、明らかに隣の飼い猫なのに・・・。
というわけで、クレゾールおばさんは濡れ衣でした、ごめんなさい○○さん!でも、それなら保健所に連絡をしたのはいったいどこの誰なのかしら?なんだか「八墓村」。
子猫たちには、友人の中に貰い手が見つかりはじめ、それも、ものすごく可愛がってくださりそうな方たちばかり。でも、すでに先住猫さんのいるお宅ばかりなので、まだ少し迷いもあって即決とまではいかない。だからあとは、カワイさをどこまでアピールできるかという「営業力」にかかっている。
たくさんの猫を飼えば、きっとたくさんの幸せが貰えますよって、忘れずに付け足さなくちゃ!
写真:(上)まだ警戒をしている子猫3匹。一番奥に体の一番小さい黒キジちゃんが潰されていて、姿が見えない。(左)若かりし頃のチリリンと、子猫のフクちゃん。
会うは別れの始めなり・・・
2007年11月17日(土)
子猫ちゃんたちを保護して、今日でちょうど10日。まったく人に馴れていなかったので、里親さんを探すことなんてできるかしらと心配したけれど、ここ数日、ようやく心を開きはじめてくれた。
特に、他の2ニャンよりひとまわり大きな子は性格が陽性で活発、そのせいか懐くのも早く、今ではグブグブと言いながら、差し出した手を舐めてくれるまでになった。「ごはんよ~」と言えば飛んでくる。
他の2匹のおちびちゃんたちにはまだまだ警戒心が残っていて、先住猫さんと一緒にするのは少し早いので、一部屋を子猫たちにあてがっているのだけれど、その部屋に入ると、カーテンの影にかくれてしまったり、本箱の隅に逃げ込んでしまったり。
まだ「借りてきた猫」状態、だからおとなしいのかと言えば、決してそういうわけではなく、朝、部屋に入ってみると乱暴狼藉のかぎり、遊び散らかした痕跡があるから、子猫たちだけの時にはおおはしゃぎをしているらしい。(その部屋のドアに、嫌がらせの粗相をした先住猫さんは、ダーレ…?)
写真で見るとなんとなく寂しそうに見えるのは、母親との突然の別離、心の傷が癒えていないからなのか、それとも、ノラさんの子として生まれた宿命の悲しさを引き摺っているからなのか。いずれ人間との生活が楽しいものだとわかれば、先住猫たちがそうだったように、明るい表情を見せてくれようになるだろう。
で、問題なのは人間で、かわいくなればなるほど手放せなくなってしまいそうなこと。里親さんに渡す時には、きっと涙涙に違いない。別れを思っただけで涙が出そう、切ないなあ・・・。
写真:(上)茶白ちゃんは、昔飼っていた子にそっくり。(左)3匹の中でも一際小さかった子。育つかしらと心配したが、体重も順調に増えてかわいくなってきた。
猫は御免蒙りたし
2007年12月05日(水)
ピーンポーンとチャイムが鳴る。この間の保健所の一件以来、どうにもこのピンポーンが苦手になってしまい、思わずムスっとした声でインターフォンを取ると、「ご近所のTです」と。
ご近所といっても向こう三軒両隣ぐらいしか知らないから、名前を聞いても、どこのどなただかさっぱりわからない。「どんなご用件ですか?」と訪ねると、玄関口でしかお話できないと言う。またしても嫌な予感。
仕方なく門まで出てゆくと、見知らぬご婦人が立っている。改めて名前を聞かされ、つい一週間ほど前、自宅の駐車場から車を出す時にうっかり子猫を巻き込んでしまい、病院に連れていったというTさんだったことに気がついた。我が家の猫じゃないかと、問い合わせの電話があったっけ。
真っ黒で手の先だけ白い、生後6ヶ月ぐらいの男の子だというが、さて、見たことも聞いたこともない。手術の際に、飼い猫しか預かれないと獣医さんから言われたとかで、必死で飼い主を探していた。それほど大した怪我ではなかったようで、手術も無事に済み、経過は良好らしい。
・・・で?
Tさん「お宅でノラさんの面倒を見ていると伺ってきました。外で飼ってくださってもいいですから貰ってくれませんか?」
ジュリママ「いやです(キッパリ)、勘弁してください。今いる猫たちを守ってあげるだけで精一杯です。」(ノラの面倒って?どんな噂が流れているのやら。)
Tさん「今回の手術費用、今後の去勢手術の費用はすべて負担しますから。」
ジュリママ「そういう問題ではありません。もう猫は金輪際イヤなんです(あらら!)。どなたか里親をお探しになってください。」
Tさん「それじゃ、里親を探すことに協力していただけませんか?」
ジュリママ「協力はさせて頂きますが、お力にはなれないかもわかりませんよ。」
Tさん、人柄は良さそうな方だし、話も誠実ではあったけれど、ご自分で飼う覚悟はない。犬は飼っているが猫は苦手で、触れることさえできない上に、子供さん2人だか3人だかは猫アレルギーだと言う。すでに猫3匹を飼っている親戚からは、一時預かりはしてあげるが、飼うことはできないと言われたらしい。
猫思いの私にしてはやけに冷たい返事。子猫ちゃんの幸せのために一肌脱いであげたいところではあるけれど、キリがない。救えども救えども現れる猫。ボランティアとして活動しているわけでもなく、仕事の合間の猫助け。一人の手で救える命の数には限りがある。
おまけに、つい先日も自治会の回覧板に「猫の被害についての訴えがあるので、飼い主の方は気をつけてください」と書かれていたばかり。毎回毎回、よくもこう飽きずに書いてくるものだと感心するが、猫の害に悩まされると喚く人の執拗さに、こちらもいささかウンザリ。
猫を目の敵に日がな暮らす住民を相手に、猫との共存・共生を訴えることが、いささか億劫になってきてもいる。生きとし生けるものに向ける眼差しの違い、温度差を縮めるのは並大抵のことではなく、返ってくる言葉のひとつひとつを思うだけでも心がささくれ立つ。
Tさん、子猫ちゃんの幸せを探してあげてくださいね。たった一つの小さな命を守ることがいかに大変なことか、子供さんが学ばれるとても良い機会だと思います。だからこそ、お手伝いは控えます。
Good Luck !!
写真:(上)駐車場の屋根で、のんびりとひなたぼっこをする田吾ちゃん。この光景を「のどか」だとは思えない人がいるなんて。(左)ぼけぼけ写真ですが、アケミちゃんの初「つかまり立ち」・・・って、赤ちゃんじゃないんだから^^
うれしい出来事
2008年04月30日(水)
数日前、久しぶりにご近所の奥様2人とランチに出かけた。書が趣味というお二人、書のいろいろなお話を伺うのが楽しく、大抵同道させて頂く。
猫仲間というわけではないのだけれど、一人は、前の飼い主が高齢のために飼えなくなったという、12歳になるポメラニアンを引き取って飼っている。動物は好きだったものの飼ったことはなく、飼ってみてそのかわいらしさの虜になってしまったヒト。今では我が子も同然、買い物に置いてゆくだけでも気が気ではなく、そそくさと帰ってくるのだとか。
ポメちゃんを飼うまでは、庭に入ってくるノラ猫を追い払っていた。けれど、ポメちゃんが来てからというもの、猫を追う気にはとてもなれず、それどころか、「猫ちゃん」と声をかけてしまうようになってしまったと笑いながら言う。ねえ、かわいいのねえ、犬や猫がこんなにかわいいものだとは思わなかった。
この彼女、以前子猫を連れて歩いている猫を見かけ、かわいそうなのでどうにかしてあげたいと声をかけてきたことがあった。それを知ってか知らずか、それからほどなくして、親猫が子猫2匹を連れて我が家の庭にふらりと現れた。子猫はもう触れないほどの大きさになってしまっていたから、里親を探すことも、家の中に入れることも無理だったが、とりあえず母猫を捕獲して避妊手術をした。
そのことを報告すると、手術代を折半させて欲しいと、封筒にお金を入れて持ってきてくれた。優しい気持ちだけで十分ではあったけれど、これで「共犯」、猫同盟の契りが結べると思い、有難く頂戴することにした。(その後、いろいろな事情からこの母猫を飼うハメに…それがミイちゃん。)
もう一人は動物をまったく飼ったことがない。広い庭はいつも手入れが行き届いていて、青い芝生と草花。このタイプ、きっと猫が嫌いに違いないと勝手な想像。当初は外猫が庭に入って行くのを見ては心配していたが、話をしてみるととても繊細、急速に親しくなった。
でも私の友人には珍しく、この先も動物は絶対に飼わないと断言する。死に目に遭うのがどうしても嫌だから。実は、あけみちゃんたちはこのお宅の裏の竹やぶで生まれている。明日香母さんが時々庭に連れてきていたとかで、3匹の子猫を何回も見かけていたらしい。親子の姿を見るたびに意地らしいという思いが募りはするが、どうすることもできず、「飼ってあげられなくてごめんね」と心の中で呟いていたのだそうだ。
あの子たちなら、家の中で我儘し放題に暮らしているわと言うと、とても済まなそうな表情をして俯いてしまった。それぞれにいろいろな事情を抱えているのだもの、飼えない人もいて当然。かわいそうにと思ってくれる気持ちだけでも有難い。その分、ほうっておけない性分の猫好きが孤軍奮闘してしまうことにはなるのだけれど…。
ランチの翌日、ポストに彼女からの分厚い手紙が投函されていた。彼女のこれまでの人生のこと、今の生活のこと、そしてこれからの生き方など、言葉を選びながらそれはそれは繊細な表現で綴られていた。真摯に生きる彼女らしい文章だと、心打たれながら読み進んでいくと最後にポツリ、「別の封筒に入っているお金を猫ちゃんのために使ってください。」・・・えっ?
小さな封筒には、丁寧に折られたお金が同封されていた。ポメちゃんの飼い主の時と同じように戸惑ったが、彼女の心境は痛いほど伝わってくる。自分が生きることだけで精一杯、小さな命ひとつ救おうともしない…彼女にとってはそのことがなによりも負い目になってしまっているのだ。猫のために使わせて頂きましょう、そう思い、外猫タゴちゃんの去勢手術代として寄付して頂くことにした。猫ちゃんたちにおいしいものを食べさせてあげて、と書かれていたので、あけみたちには鰹のナマリ。
猫にエサをあげるな、猫の糞が汚いという自治会の回覧板にずいぶん悩み、果ては捕獲器の話まで持ち上がった時には、ご近所すべてが「敵」なのかしらと思い悩んだこともあった。でも、どうしても小さな命を守ってあげなくちゃと、そのたびごとに自治会長に手紙を書き、地域猫への理解を求めるなどしてきた。その甲斐があったというものか。
必死で生きようとしている命、小さな命を守ることは、狭義の「動物愛護」にどとまらない。そのことに気づいてもらうことさえできれば、理解者・協力者は確実に増える、そんな思いを実感した出来事だった。
写真:(上)友人の裏庭で生まれた竹やぶ三兄弟のあけみ。うーん、かわいく育ったものだ・・・と親ばか全開!(下)鰹のナマリをくれるって言ってたのに、お素麺?!
プロフィール
ジュリママと猫たちを乗せて走る鈍行列車のちゅうちゅうとれいん。車窓から見える風景を、気ままに書き綴るブログです。あけみちゃんの絵日記、『あけみ参上つかまちゅりーっ!』もどうぞよろしく。どちらもボチボチの更新ですが、末永くおつきあい頂ければ嬉しく思います。

