狩を忘れた猫
2007年05月09日(水)
小さい頃から好きだったのは犬。今、猫達と暮らしているのは、パパが猫好きだからで、ママは犬のほうがずうっと好き。犬が人間に注いでくれる愛情は、猫とは比べものにならない。小さい頃、体が弱くてしょっちゅう熱を出しては寝込んでいたママだったけれど、そんな時には散歩に行こうとも言わず、黙って一日中足元で寝ていてくれたし、泣いていれば心配そうに顔を覗き込んで、そっと涙をなめたりもしてくれた。
ところが猫ときたら、ごはんちょうだい、愛情ちょうだいと、何か要求のあるときだけやってくる。特にジュリは、甘えたくて仕方のないときには、こちらのご都合などお構いなく、それはそれはしつこく体を摺り寄せてくるが、そうじゃない時に抱き上げようものなら、手足を突っ張って、「イヤッ、ハナシテッテバ」(…確かにそう聞こえる)と喚いて逃げ出す。まあこちらも同じように気まぐれ。べたべたとされるよりはずっと気楽かもわからない。でも、時々無性に犬が恋しくなることがある。
猫にはいい思い出がない。世の中の猫嫌いが眉をひそめるのとまったく同じ理由、「狩」をする習性がどうにも苦手。それというのも、今からウン十年前の話、その頃は今よりずっとたくさんのスズメがいて、母が残ったごはんを水で柔らかくし、庭に撒いてあげたりしていた。そのお米を目当てに群れをなしてスズメが来る。その様子を窓から眺めているのは楽しかったが、一転、目の前の光景を暗闇に突き落としてしまうのが「猫」だった。
スズメはひとしきりごはんを食べ終えると、砂浴びをする習性があって、けれどどうも人間と同じように、お腹がいっぱいになると眠くなるらしく、野生とは思えない警戒心のなさなのだけれど、砂を浴びながらウツラウツラしてしまう。そんな時、どこかに潜んでいた猫がさっと飛び出してきて、スズメを口にくわえてしまう。
あわてて飛び出して猫を追いかけるが、猫は追いかけられば追いかけられるほど、しっかりと口にスズメをくわえ、絶対に離そうとしないし、スズメの解体なんていう惨劇を見るのが怖くて、途中で引き返してしまうことになる。そういう日は、獲られたスズメの諦めたような目を思い浮かべたり、にっくき猫の後姿を思い浮かべたりと、一日中気持ちが晴れず、ただただ「猫なんて大嫌い」という思いが膨らんでゆくのだった。だから、後々猫とこれほどに濃密な日々を過ごすとは思ってもいなかった。猫の狩猟本能には今もって馴染めないけれど、幸いなことに、家の中の猫どもは、どうやらその本能を見事に失っている。以下、論より証拠。
我が家では猫とスズメが同居している。2年ぐらい前の初夏、ご近所の方が、生まれたばかりの雛、すでに蟻がたかって死にかけていたのを拾ったと言ってきた。結局、押し付けられてしまったような形で、我が家が引き取ることになり、お湯で溶いた粟と、ミルワームという気味の悪い生餌を与え、ようやく自分でエサがついばめるまでに育てあげた。「野鳥友の会」とかにも相談をして、自然に帰してあげようと画策したが、蟻にたかられた後遺症なのか、左目は潰れてしまっていて見えない。だから左側から名前を呼ぶと、くるりと右側に回転しなおしてママを見る。これを野生に返したところで、生きられる確率なんてほぼゼロに等しいだろう。家で飼えば食べ物も自然とは違うし、これもまたどれぐらい生きられるかわからないが、終生面倒を見ることにした。
野鳥が小さな鳥カゴではかわいそうと、高さ1メートルちょっとの大きな鳥カゴを購入。「大きな鳥を飼われているのですか?」とお店の人に聞かれ、「いえ、紅雀をたくさん飼っているので」と、またまた口からでまかせ。あちこちの部屋が猫に占領されている我が家のこと、一番の悩みはカゴの置き場所だった。普段は玄関に置き、天気のよい日は寝室に移動させ、窓を全開してたっぷり日光に当ててあげることにした。もちろん、スズメがいる部屋は「猫立ち入り禁止」。
ところがある日、買い物から帰ってくると、窓ごしに、カゴに覆いかぶさっているサビちゃんの姿が見える。うっかりドアを閉め忘れて出かけてしまったのだ。びっくりして部屋に飛び込んだが、双方さしたる緊張感もなく、スズメは普段どおり、サビも飛んでいるスズメを目で追っているだけ。別の日、今度は寝室のドアを開けた途端、ミミちゃんが飛び出してきた。どうやらミミが布団にもぐりこんでいるのに気づかず、ドアを閉めてしまったらしい。この白猫、普段から相当な臆病者。だからスズメと一緒に閉じ込められたのがよほど怖かったらしく、その日は一日中びくびくしていた。
ああ情けない猫たち。けれど、かつての猫の「スズメ狩り」がトラウマになっているママだもの、こんな子たちじゃなければ、とても一緒に暮らしていけそうにもないか。
写真:(上)スズメのチュンちゃん。自然が感じられるようにと、カゴの中に植木鉢の植木。出てくる新芽を次々に食べて、すぐに枯らしてしまう。(左)狩を忘れた子たち・・・。
猫のおもてなし
2007年08月17日(金)
お盆の入りに車を飛ばしていると、提灯を下げて歩く親子連れがあちらこちらに。そういう風習のある所に生まれ育たなかったせいか、あるいは無知ゆえなのか非常識なのか、とにかく、こういう世間の常識にはどうも疎く、ねえ、みんな提灯を持ってどこに行くの?と同乗していた夫に聞くと、お墓にご先祖様をお迎えに行くんだよと。道に迷わないように、提灯を持ってお迎えにゆくのだそうだ。
普段は「超」のつく多忙な人だから、ほとんど会うことのない姉だけれど、毎年、お盆だけは夫婦で我が家に来て、法事を兼ねたお食事会をする。昨年は姉の都合で集まれなかったので、その間に家猫に昇格した3匹の猫たちが初お目見えとなった。2年間で3匹増は節操がなかったなあと、変なところで反省をしたりして。
総勢8匹の猫たち。それぞれ、どういうふうにお客様をお迎えするか楽しみにしていたが、先住猫5匹は、姉夫婦の賑やかな声が玄関から聞こえた途端、脱兎のごとく・・・もとい、脱ニャンのごとく二階に駆け上がって、それきり。
リビングに残ったのは、ムメモちゃんとミイちゃんとココちゃんという新参者3匹。この3匹、特段不思議そうな顔もせず、普段とまったく変わらない。ムメちゃんはオオモノ、いつも泰然自若としているから、新しい猫だろうが初めての人だろうが、知ったこっちゃないという態度。それよりも好奇心のほうがずっと勝るらしく、持ってきたおみやげの袋に顔を突っ込み、抱いて抱いてのおねだり。想像していたとおり。
ミイちゃんも意に介していないらしく、撫でてもらってご機嫌さんの仰向け。いつもは文句タラタラ、何をやってあげても、一言「ニャア!」と、短調の響きで文句を言ってからじゃないと先に進まないという子なのに、お客様に対するこのお愛想の良さは一体なんなんだろう。外ヅラが良くて、内ヅラが悪いという典型的な二重人格。まあいい意味での世渡り上手、そのおかげで拾ってもらえたと言えばそのとおりだけれど。
ココちゃんは普段とまったく変わらず、おっとりと静かに姉夫婦の横に座って話を聞いている。お利口さんねえと言われると、手をジョリジョリといつまでも。だから評判のいいことこの上ない。かわいいわねえ、いい子ねえと、終始褒められっぱなし。
猫ばかりの話題で盛り上がり、ああでもないこうでもないと大騒ぎしていて、ふと気がつくと、二階から降りてきて、そっとドアのガラス越しに部屋の中を覗く猫がいて、それがジュリ。ものすごく焼もち焼きで、普段から他の猫の名前をちょっとでも呼ぼうものなら、どこに居ても飛んできて、あたしのほうがかわいいワ、とばかりに割り込んでくる。だから一階から聞こえる楽しそうな猫の話、きっと終始耳がピクピク、誰が褒められているのかと、気になって仕方がなかったに違いない。
入っていらっしゃい、と言っても、大きな目をますます真ん丸くさせて、恥ずかしそうにしているばかり。まるで一昔前の子供のよう、自分の子供の時を見ているみたい。今の姿からは想像もつかないけれど、小さい頃は、恥ずかしくてお客様の前に出るのもやっと。親に促されてご挨拶をした後は、大人の会話に入ってきてはいけませんよと言われ、ただただお澄ましをして側に座っているか、そそくさと自室に戻るか。
だからジュリの恥ずかしそうな仕草が懐かしく、いい子に育ったなあと、すっかり擬人化して悦に入る親バカぶり。
写真:(上)話の輪に入りたくて、そっと部屋を覗くジュリ。(左)物怖じしないココちゃんは、お客様と一緒。
捕まってちょうだいなあ!
2007年09月09日(日)
田吾作ちゃんの母さんがまだ捕まらない。ごはんをあげる時にも滅多に姿を現さないし、たまに居ても、人間には決して近寄ろうとはしないから、「捕獲」するチャンスがなかなか見つからない。
あと10日のうちに必ず捕まえなくちゃ、と言っても、10日にさしたる意味はなく、なんとなく10日と決めているだけ。それでもこの期間限定、今まで外れたことがないから不思議。「気合」というやつかしら。
母さん、以前に比べればだいぶ近づくようになってきていて、だから今朝は「いい子ね、必ず捕まって病院に行くのよ」と言い聞かせたけれど、じーっと目を見つめていたから、いずれ覚悟を決めてくれるに違いない。…その前にお腹が大きくなってしまいませんように!
ところで避妊手術をさせるために捕まえたメス猫さんたち、相当に怖い思いをしているはずだから、病院から連れ帰った時には、もう二度と戻って来ないだろうと思いながら放すのだけれど、戻ってこなかった猫は今の今まで一匹もいない。むしろ人懐こくなって、ゴロンゴロンとお腹を見せたりする警戒心のなさ。
最近は共存のため、人里に下りてきた熊は捕獲し、爆竹を鳴らして脅したり、唐辛子のスプレーを顔にかけて逃がすという方法がとられていて、これを放獣(学習放獣)というらしく、お仕置きで人の怖さを学習させ、再び人里に近づかないようにさせることが目的とか。
それでも人里に戻ってくる熊がいて、きっと「都会の空気のほうが好きだべぁー」とかなんとか?そんな暢気なことを言ってる場合じゃない、二度目は捕殺。
お仕置きされても戻ってくる熊がいるぐらいだもの、猫のためを思ってのこと、その気持ちが通じればなおのこと、猫が戻ってきてなんの不思議もないか。それとも猫、思ったよりお人(猫)よしなのかも。
写真:(上)お人(猫)よしの代表格、ミミちゃん。(左)手前の眼光鋭い猫が田吾作母。こうやってみると野生に近い感じだけれど、なんとか捕まってちょうだいね。
ぽんぽこりん♪
2007年11月14日(水)
昨日の夕方、拾った子たちのうちの2ニャンの目がウルウルしているので、獣医さんに連れていかなくちゃ…と思って準備をしていると電話が鳴った。
○○さん「裏の○○です。悪いんですけど、庭にウンチをされて臭いので、お宅の庭に植木鉢の中に柔らかい土を入れていくつか置いておいてくれないかしら。そうすればウチではしないと思うんです」。
ジュリママ「申し訳ありません。普段から庭の四方の土を柔らかくして、なるべくウチでしてくれるように工夫しているのですが、それでもまだそちらに行っているようでしたら、明日中に複数のポットを設置します。」
○○さん「でね~奥さん、なんで外猫なんているんですか?猫にエサをあげなきゃいいじゃないですか?エサやり、やめてくれません?」
ジ(きたーっ!ははあん、やっぱり保健所とクレゾールおばさんは当初の予想どおりこの人だったか…。こちらから電話を掛けた時には、猫のウンチなんて自分で掃除すればいいんですから気にしないで下さい、私は猫が好きですからって確か言っていたはずけれど、電話を切ってから悶々として眠れぬ夜を過ごしたか?)
ジュリママ「お庭にいた猫って、どんな模様でしたか?」
○○さん「これこれしかじか」
ジ(またしても隣の飼い猫と、黄色い首輪をしたどこかのアメショーもどきの飼い猫じゃない!)
ジュリママ「それは私の家の猫ではありませんが、猫が迷惑をかけないよう、できる限りのことはさせて頂きます。でも、申し訳ないのですがエサを与えるなというご意見にだけは従う気持ちはありません。」
○○さん「でも、それって近所迷惑でしょ。猫のウンチってすっごく臭いんですよね。」
ジ(人間のウンチだって、相当な臭いでしょがあ。排泄が思うようにならないご老人がどんな虐待を受けているかご存知?排泄物が「臭い、汚い」と言われ、雑巾でひっぱたかれ、オムツも取り替えられずに寝たきりの放置状態。猫のウンチが臭いと言っている自分だって、いつの日かウンチで泣く事になるかもしれないというのに。)
ジュリママ「人間にとって清潔であること、目障りなものの姿が見えないこと、こうした環境は必ずしも地域社会にとって快適なものとは言えないのではないですか?避妊、不妊手術をすることなくむやみに増やすこと、エサ場以外で無数の猫を集めてエサをやること、ご近所の苦情を真摯に受け止めて改善しようとしないこと、これは問題だと思いますが、自分にとって都合の悪いもの、邪魔なものをすべて排除しようとする考えは、人間の弱者の排斥にもつながり、ただでさえ高齢化しているこの地域で、今後の近隣の相互扶助にも大きな影響を与えるのではありませんか?
猫と人間は違うとお考えになられるかも知れませんが、弱者との共存・共生を考える上では同質なのではないでしょうか。どんな生き物であれ、生存の権利を奪う考え方に共鳴することはできません。できる範囲で猫が嫌いな方との妥協点を見出して、共に生きる社会を形成することを私は考えています。」
○○さん「でもねえ、避妊だ不妊だって言うけれど、私んちにはそんなお金はありませんし、簡単にはできないでしょ。だから猫を寄せ付けないようにするのが一番なんじゃないんですか?」
ジュリママ「貴女はお子さんを立派に育てあげられていますけれど、そのためにどれほどのお金を使われました?私には子供がいませんから、猫たちに手術をしてあげるお金はなんとかなります。そのことで少なからず社会に還元しようという意図も含まれています。それに、子供が人様を傷つけたのなんので苦労する親を思えば、ウンチをして困るという苦情に対処することなど、なんでもありませんし。」
○○さん「はあ、そうですか…。」
ジ(はい、そうです。猫のウンチ、ウンチと騒いでいると、脳みそがウンチになっちゃいますよ。あまりウンチに拘るから、私の返事も思わず「屁理屈」のこね回し。)
というわけで、本日はそのお宅との境目に、柔らかい土を入れたポットをズラリと並べる作業に半日。ついでに塀にネットを張り巡らせたのだけれど、効果はあまり期待できそうにない。今月中に、公園にあるような、川砂を入れた大きめの砂場を庭に作ることにしよう。
作業をしながらもう一度そのお宅の庭を覗くと、水の入ったペットボトルが、以前にも増してズラリと並んでいる。それに、クレゾールの臭いも微かに鼻につく。クレゾールおばさんはやっぱりここだったのか。庭仕事をしている間、田吾作ちゃんがくっついて歩いていたので「お隣に行っちゃだめよ」と言い聞かせたけれど、わかってくれたかしら。
こうなったら「理論武装」しておかなくちゃと、改めて外猫に関する都の行政指導報告書などを読んでみると、猫のエサやりについては自宅の敷地内であれば、制止、規制をすることはできないらしい。問われるのはあくまでもエサをやる側のモラル。そして個体数を減らす努力。
行政もやっと猫を「処分」するのではなく、どう共存するかということに腐心し始めたようだ。それもこれも動物の保護団体、もしくは心ある人々の運動の成果。それでも猫を毛嫌いする人に、猫との共存が本質的に何を意味するのかを理解してもらうには、まだまだ時間がかかるだろう。
しかし改めて(本物のタヌキちゃんには悪いけれど)タヌキのしっぽを見た思い。話している最中に、突然受話器が木の枝にならなかったのが不思議なぐらい。それでもまあ、当事者同士が意見を言えるようになったことだけは、進歩したと喜ぶべきか。
写真:(上)3ニャンズの中でも一番の美人ちゃん!(左)3ニャンズはかわいすぎ。情が移らないうちに里親を探さなくちゃ!
猫ちぐら
2007年11月20日(火)
またまた新聞記事から。昨日の朝日新聞夕刊に、新潟県関川村の「猫ちぐらの会」についての記事があった。「暖かいニャー、ぼくの家」というのどかな見出し。会長さんが編まれたらしい猫ちぐらに、大きな茶猫さんが入り込み、のっそりと顔を覗かせている写真があって、購買意欲を注がせる。早速ネットで調べてみると、注文が殺到していて仕上がりまでに1年はかかるという。
20年ぐらい前、「ふるさと創生事業」という名目で、全国の各市町村に1億円ずつバラ撒かれたが、有効な村興し、町興しには結びつかず、結局、悪名高きハコモノ行政で終わってしまったことがあった。猫ちぐらの人気を思えばなんのことはない、「町村興すにお金はいらぬ、猫の1匹いればいい」というわけ。
思わず微笑んだのは、材料となる藁について、わざわざ「コシヒカリ」と銘打っている生産者があったこと。お米を食べるのならいざ知らず、稲穂を失ってもなおコシヒカリのご威光。ウチの猫ちゃんはコシヒカリの猫ちぐら、あちらのお宅の猫ちゃんはアキタコマチ、こちらのお宅のお猫ちゃんはフサオトメとか。
ところで朝日新聞さん、猫ちぐらの話題の真上に「トラバサミ猛威なお」という記事をデカデカと載せるのは、ちょっとナンセンスのように思うのだけれど。動物好きにはこのレイアウト、幸せな気持ちと不幸な気持ちの両方を、一度に「がーっ」とジューサーにかけて飲まされたような、なんともいえない後味の悪さ。
内容は、環境保護団体「地球生物会議」が中心となって、トラバサミの販売・所持の禁止を訴えるもの。トラバサミにかかって、希少動物のみならず、飼い猫などもけがをしたり死んだりしているらしい。動物愛護・保護の視点から、重要な記事であることは十分に認めるけれど、記事の配置に多少なりとも配慮があればと、残念に思うことしきり。
「幸、不幸は常に隣り合わせ。読者諸氏、油断しちゃあいけませんぜ」と、そんな哲学的な紙面づくりだったりして?まさか・・・ネ。
写真:(上)「猫ちぐら」争奪戦。(左)我が家の「猫ちぐら」の正体は小さなダンボール箱。勝者は小柄なジュリちゃん。それでも頭ははみ出てしまう・・・。
お利口そうでもやっぱり猫・・・
2008年06月11日(水)
庭の片隅に埋めた枇杷の種、いつ植えたのかも忘れてしまっていたというのに健気に芽を出し、果実までつけてくれました。青かったその実も日に日に黄色くなり、ついに収穫することができました。感動!!といっても、とりあえず3つだけ・・・。甘さは少し足りないものの、まあまあの味でした。
収穫の喜びを一緒に共有できそうなあけみに真っ先に見せたのですが、枇杷=黄色いボールで、どうやら一個だけ転がったと思ったみたい。幼稚園にもまだ行っていないし、やっぱり数は数えられない?
最初も「いち、にい、さん」、最後も「いち、にい、さん」・・・だと思うのですが、当の猫は、絶対にひとつ転がっていると確信しているようです。にゃあちゃんもミイちゃんもさっさとどこかに行ってしまったというのに・・・。
猫の恋にはつきあえないって
2008年08月19日(火)
一ヶ月ほど前から、我が家の庭に小柄な三毛猫が姿を現すようになった。三毛ちゃんは遠慮がちな性格なのか、それともものすごく臆病なのか、車の下で外の子たちがごはんを食べるのをじっと見ているだけで、人間がいるかぎり決して近づこうとしない。きっと近くで飼われている猫だろうと思い、特に気にもとめずにいた。
ところが最近は毎日やってきて、しかも、ちょっと目を放した隙を狙って、外の子たちのカリカリを口いっぱいに頬張って逃走するという、究極の「ノラ芸」まで披露してくれるようになった。
どうやら家を失って途方に暮れていた三毛に同情して、タゴちゃんが我が家に連れてきたというのが真相のよう。それが証拠にタゴ、自分のごはんを少しだけ残し、ニャアゴとひと鳴きして三毛を呼ぶ。
動物の避妊手術や不妊手術については、自然の摂理に背くという理由で反対するむきもあるようだけれど、密集した住宅地、その中でさまざまな価値観の人たちが住むのだから、猫も人間も不幸にならないためには、なんとかして共存のための手立てを考えなくてはならない。
飼い猫だと「所有権」だの「器物破損」だのと、それなりに気にかかるが、ノラちゃんとわかれば避妊手術に躊躇いはない。猫を守るためだもの、猫にもそれ相応の協力をしてもらわなくちゃ…というわけ。早速、捕獲のためのケージを仕掛けることにした。
チャンスを狙って数日、捕まえられそうな予感がして窓から外をそっと覗くと、三毛と一緒に、見たこともない子猫がケージの中に入ってカリカリを食べている。生後2ヶ月から3ヶ月といったところで、間違いなく三毛の子。
明日香の子ども3匹を見たときと同じ心境、卒倒しそうになったが今回は1匹だけ。なんとか気を取り直して三毛を捕獲し、病院に連れていって避妊手術をしてもらった。子育て真っ最中だというのに、お腹にはすでに3匹の子が入っていましたよと獣医さん。妊娠猫でしたので、避妊手術代に割り増し料金が加算されます、とも。
つい先日読んだポール・ギャリコの『猫語の教科書』(ちくま文庫)の中で、白猫に恋をして子猫を産んだツィツァが、子猫を産み続ける猫にこんな警句を発している。
「人間は子猫をかたづけようとばたばたしているうちに、どうせならきれいさっぱりあなたもかたづけて、家に平和をとりもどしてはどうだろう、という考えにふとつかれたりするのね。(中略)かしこい猫は危険をおかさないもの。この次に白いマントをひるがえした王子さまがやってきたら、おもちゃのねずみでも出してきて遊びはじめなさい。そして王子さまのことは忘れちゃうにかぎります」と。
ツィツァの言うことなんてすぐに忘れて恋に溺れるのが猫・・・。今度のお相手は黒いマントをひるがえした王子さま。
写真:(上)三毛ちゃんを心配そうに覗くタゴちゃん。(下)三毛ちゃんの子。今のところ♂か♀かは不明だが、いずれにせよ6ヶ月以内に避妊もしくは去勢手術をする予定。この顔つき、女の子かしら。
プロフィール
ジュリママと猫たちを乗せて走る鈍行列車のちゅうちゅうとれいん。車窓から見える風景を、気ままに書き綴るブログです。あけみちゃんの絵日記、『あけみ参上つかまちゅりーっ!』もどうぞよろしく。どちらもボチボチの更新ですが、末永くおつきあい頂ければ嬉しく思います。

