猫の恋にはつきあえないって
2008年08月19日(火)
一ヶ月ほど前から、我が家の庭に小柄な三毛猫が姿を現すようになった。三毛ちゃんは遠慮がちな性格なのか、それともものすごく臆病なのか、車の下で外の子たちがごはんを食べるのをじっと見ているだけで、人間がいるかぎり決して近づこうとしない。きっと近くで飼われている猫だろうと思い、特に気にもとめずにいた。
ところが最近は毎日やってきて、しかも、ちょっと目を放した隙を狙って、外の子たちのカリカリを口いっぱいに頬張って逃走するという、究極の「ノラ芸」まで披露してくれるようになった。
どうやら家を失って途方に暮れていた三毛に同情して、タゴちゃんが我が家に連れてきたというのが真相のよう。それが証拠にタゴ、自分のごはんを少しだけ残し、ニャアゴとひと鳴きして三毛を呼ぶ。
動物の避妊手術や不妊手術については、自然の摂理に背くという理由で反対するむきもあるようだけれど、密集した住宅地、その中でさまざまな価値観の人たちが住むのだから、猫も人間も不幸にならないためには、なんとかして共存のための手立てを考えなくてはならない。
飼い猫だと「所有権」だの「器物破損」だのと、それなりに気にかかるが、ノラちゃんとわかれば避妊手術に躊躇いはない。猫を守るためだもの、猫にもそれ相応の協力をしてもらわなくちゃ…というわけ。早速、捕獲のためのケージを仕掛けることにした。
チャンスを狙って数日、捕まえられそうな予感がして窓から外をそっと覗くと、三毛と一緒に、見たこともない子猫がケージの中に入ってカリカリを食べている。生後2ヶ月から3ヶ月といったところで、間違いなく三毛の子。
明日香の子ども3匹を見たときと同じ心境、卒倒しそうになったが今回は1匹だけ。なんとか気を取り直して三毛を捕獲し、病院に連れていって避妊手術をしてもらった。子育て真っ最中だというのに、お腹にはすでに3匹の子が入っていましたよと獣医さん。妊娠猫でしたので、避妊手術代に割り増し料金が加算されます、とも。
つい先日読んだポール・ギャリコの『猫語の教科書』(ちくま文庫)の中で、白猫に恋をして子猫を産んだツィツァが、子猫を産み続ける猫にこんな警句を発している。
「人間は子猫をかたづけようとばたばたしているうちに、どうせならきれいさっぱりあなたもかたづけて、家に平和をとりもどしてはどうだろう、という考えにふとつかれたりするのね。(中略)かしこい猫は危険をおかさないもの。この次に白いマントをひるがえした王子さまがやってきたら、おもちゃのねずみでも出してきて遊びはじめなさい。そして王子さまのことは忘れちゃうにかぎります」と。
ツィツァの言うことなんてすぐに忘れて恋に溺れるのが猫・・・。今度のお相手は黒いマントをひるがえした王子さま。
写真:(上)三毛ちゃんを心配そうに覗くタゴちゃん。(下)三毛ちゃんの子。今のところ♂か♀かは不明だが、いずれにせよ6ヶ月以内に避妊もしくは去勢手術をする予定。この顔つき、女の子かしら。
3.03030303センチの虫にも・・・
2008年08月14日(木)
暑くてたまらない。こんな暑い日に買い物に行くなんて、考えただけでもウンザリしてしまうのだけれど、猫たちの缶詰が底をついてしまった。人間なら卵の一つ、トマトの一個もあればなんとかなりそうだけれど、猫に「ありあわせ」なんていう言葉はまったく通用しない。
仕方なく、近くの大型スーパーまで車を飛ばした。お盆休みのせいか、父親と一緒の家族連れがたくさんいて、どこの売り場も大変なにぎわい。人の大勢いる場所が苦手なので、ズリズリと後ずさり、しっぽを巻いて逃げの体勢に入ったが、手ぶらで帰れば、猫たちにどんな顔をされることやら。
ペット売り場では「生体」(嫌な言葉だなあ…)を扱っているから、そこに行く時は遮眼帯をした競走馬よろしく、猫の缶詰売り場めがけて一直線、一切脇目を振ることなく商品を選び、レジに並び、思い切り素早い行動を心がけて売り場を去る。
それなのに…今日ときたら、売り場に入るドアのすぐ左側に「昆虫館」なるものが設置されていて、否が応にも目に入ってしまう。館と言ったって、売り場の片隅の、せいぜい3畳ほどのスペースを囲って作った掘っ立て小屋、その真ん中に太い木が一本デンと置かれている。なんだろう、これ…?
入り口には「ご自由にお入りください」とあり、中にはカブトムシらしき昆虫がたくさん放されている。すでに何人かの子ども達で満員、昆虫を素手で捕まえたりしてはしゃいでいるが、その光景は、子どもと昆虫とのふれあいなどというメルヘンチックな世界からはほど遠く、地獄絵さながら。
玩具とでも思っているのか、何かの虫の長いヒゲの先端を持って思い切り振り回しているのは、小学校3、4年生の男の子。子ども達の足元にも昆虫がいっぱいいるのだけれど、気遣って避けようとする子などなく、平気で踏みつぶしている。だから、床は潰れた昆虫たちの死骸で真っ黒。
それを見て、かわいそうにと思うふうでもなく、あるいは気味が悪いと思っているふうでもなく、死骸の塊に指をつっこみ、クルクルと無表情にかき混ぜている子もいる。外から見ている親たちは、「踏んじゃだめよー」と笑いながら声をかける。
命を軽視するこの感覚、この鈍感さっていったいどこからくるのだろう。心の底から猛然と怒りが湧き上がる。昆虫も生きているのよ、命があるのよ、どんなにちっぽけでも、たったひとつしかない命を一生懸命生きているのよ・・・そう言葉にしたかったが、この人たちと言葉を交わすことがなんとも億劫に思え、黙ってその場を後にしてしまった。
小さな命との共存共生を学ぶ機会もなく、命の消えゆくさまを悲しいとも思わない子ども達。この子達はこれから先、どんな社会を作ってゆくのだろう。
写真:(上)にゃあちゃんも、もうすっかり鼠や鳥や虫を捕まえる生活を忘れてしまいました。(下)イジメ?いえいえ、かわいさあまってのこと・・・。
これが福祉政策?
2008年08月09日(土)
本日、特別養護老人ホームの評議員会に出席。母がデイサービスとショートステイでお世話になっていた特別養護老人ホームから「評議員」なるものの依頼を受けて7年。その間、国の社会福祉政策は弱者軽視の傾向を強めていったが、今日の報告を聞いて…アララ。それなりの経営をしてきた施設が遂に経営悪化の兆しを見せ始めた。
毎年2,200億円にもおよぶ社会保障費削減を主唱するこの国、これから先、本気で高齢者や弱者を切り捨ててゆくつもりだから、経営困難の窮状を国に訴えたところで手を差し伸べてくれるはずなどなく、新自由主義万歳の「自助努力」、なんとかして乗り切る手立てを考えなければならない。(年間約5兆円にもおよぶ日本の防衛費を思えば、2200億円ぐらいどうにかなるだろうに。削るところが違うよなあ…)
そこでこの施設、退職した福祉職員の補充をしないという方針を打ち立てた。つまり人件費の削減。それでも当初は職員の補充をするつもりでいたらしいが、入職希望者もなく、離職者の後釜がなかなか見つからない。その間、今の人数でもなんとか仕事はまわりそうだということになって、求人を取りやめてしまったという。人数が減ればそれだけ労働条件は悪化する。賢い選択とは思えないが、「背に腹…」というところか。
施設の介護職員の離職率は高く、評議員会は数ヶ月ごとに開かれるが、そのたびに数名の離職者の報告を受ける。ほとんどが3年未満、短ければ1年にも満たない期間で人が入れ替わってしまう。この施設の場合、理念は高いし経営陣の姿勢にも問題があるとは思えず、考えられるのは、重労働に比して支払われる対価が極めて少ないというところか。
東京都・福祉保健局の平成19年度特別養護老人ホーム等経営実態調査結果によれば、常勤の介護職員の平均給与額は特養で年間387.7万円、老健だと年間341.4万円というから、理想とやりがいに燃えて福祉職についたものの、生活が成り立たずやむなく転職というケースが多いのだろう。結果、施設は慢性的な人手不足に悩まされることになる。
そこで国は考えた。インドネシア人の看護師と介護福祉士を2年間で1000人、日本が受け入れるという日・インドネシア経済連携協定(EPA)に調印したのだ。この協定、2008年5月に国会で承認され、8月7日には早々に第一陣のインドネシア人205人が来日している。
医療・福祉分野で本格的に外国人労働者を受け入れるのは初めてで、人材の安定的確保を図る狙いだというが、なぜ日本の介護従事者の労働条件改善を先送りにして海外の人材をアテにするのか、摩訶不思議、首を傾げるばかりだ。日比経済連携協定に基づくフィリピン人看護師・介護福祉士候補者の受入れも検討されているとか。
さらなる摩訶不思議は、インドネシアおよびフィリピンと日本の仲介役になっている国際厚生事業団(JICWELS)という厚生省認可の社団法人。一体どんな組織なのか。「フィリピン人の受入れを適正に実施する観点から、我が国においては国際厚生事業団(JICWELS)が唯一のあっせん機関として位置づけられることになっており、これ以外の職業紹介事業者や労働者派遣事業者にフィリピン人のあっせんを依頼することはできません。」と厚生労働省のHPに明記されているが、厚生労働省の天下り先?
さらにさらに、自民党がこの6月、今後50年間で1000万人の移民を受け入れるという提言をしていたことともダブって仕方がない。中川秀直氏が会長となって「移民庁」を設置するというあの話。関連性は皆無なのだろうか。「移民」受け入れのための段階的措置なのではあるまいか。
首を傾げるばかりの出来事に、首は180度以上回転してしまってもはや収拾がつかない。国会議事堂という魑魅魍魎の「オバケ屋敷」で雇ってもらおうかしら?
写真:(上)ちりりんは今年14歳。介護とは無縁なまま元気に過ごして欲しい。(下)バラが咲きました。黒赤色のバラ の花言葉は「化けて出ますよ」とか^^;
「失言」の根っこにあるもの
2008年08月05日(火)
「国民的人気」を誇る麻生太郎氏が幹事長就任早々の失言、民主党をナチスに例えて批判した。軽率な発言はこれが初めてというわけではないから、今更という感がしなくもないが、看過できない発言。江田五月参院議長と国会内で会い、就任あいさつをした際、「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と述べたのだとか。
後になって、民主党とナチスを重ね合わせる意図はなかったと強調しているが、誰がどう聞いたって、麻生氏の頭の中ではナチス=民主党。もともと失言癖のあるこの方のことだから、総理の座を狙って幹事長の椅子に座ったところで、自ら墓穴を掘って失墜するに違いないと思っていたが、まんざらハズレでもなさそう。
麻生氏の失言の中でももっとも許しがたく、この人物がいかに次期総理としてふさわしくないかを如実に示すもののひとつが野中広務氏批判。野中氏について、麻生氏はある会合のなかで「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と語っていて、これなんぞ言語道断。(『野中広務 差別と権力』魚住 昭著 )
麻生氏の口から、なぜこうも許しがたい差別発言が次から次に飛び出すのだろうかと頭をひねり、ふと思い浮かんだのが彼の「出自」。この方、「麻生セメント」の御曹司でしたっけね。戦前の炭鉱と言えば…そう思って、ちょこっとWikiってみたらやっぱり。
太郎氏の父親である麻生太賀吉の経営していた「麻生炭鉱」は、戦前、劣悪な労働環境の元で朝鮮人炭鉱労働者・被差別部落民を使っている。アコギにもこの麻生炭鉱、他の炭鉱の2分の1ほどの給与で労働者を雇用していたそうだが、さらに朝鮮人労働者に対しては休日を与えず、給与の2割をカットしていたという。(「強制連行」の戦後処理は未解決のまま今日に至っているが、麻生氏も当事者ってことね?)
こうした環境の中で育っているのだもの、朝鮮人や被差別部落民に対し、強い差別意識があって当然といえば当然のことかもしれない。が、弱き者たちから不当に搾取して得た巨万の富の中で、それを当然のこととして受け入れてしまうのかどうかは、あくまでも本人の意識の問題であり、人間性の問題。この環境なればこそ、差別に対し強い憎悪を持つことだって十分にありうるのだから。
こんな人物に日本を託していいのか?彼が総理になったとして、おそらく一番に切り捨てられてしまうに違いない「層」(層という言葉が嫌いなので、あくまでもカッコつき)がこぞって彼を応援しているのだとしたら、まさにマンガ。マンガ宰相によるマンガ国家の成立…じゃなくて崩壊。
写真:(上)竹やぶでノラちゃんの子として生まれましたが、ナニカ?(左)たぶんブリーダーが「血統書つき」で売るはずでしたが、ナニカ?
アドセンスって・・・ナンセンス?
2008年08月04日(月)
ちょっとオGoogle AdSenseさん、左横のバナー広告・・・「1台6400円。野良猫駆除」ってなに?それからペットショップの広告も。
グーグルアドセンスの広告領域は幅広く、自分のブログに社会的に有意義な広告が貼られていたりすると、なにやら嬉しくなったりもする。けれど、羅列されている言葉だけを広告の判断材料にしているから、時にこうした手合いの「トンデモ広告」が貼られることがあって、そんな時にはさすがにいい気持ちがしない。
その昔、動物愛護の精神に基づいて毛皮の購入は一切やめよう、と呼びかけているブログがあった。ところがその記事のテッペンには「毛皮のことなら○○」という広告。グーグルアドセンスの周知度がまだまだ低い時期だったから、てっきりブログの書き手が自ら選んだ広告なのだろうと思い、なんて主張に矛盾がある人なのかと憤った記憶がある。
それが検索エンジンロボットの仕業だと知ったのは結構最近の話(かなりオクテ)。梅田望夫氏の著書『ウェブ進化論』によれば、グーグルが目指すゴールとは、「グーグルの技術者たちが作り込んでいく情報発電所がいったん動き出したら「人間の介在」なしに自動的に事を成していく」世界なのだそうだ。
で、「人間の介在」なしにブログを周回してその内容を解析するという、極めて「頭脳明晰」なロボットがこのブログにもやってきて、せっせと文章を解読。その結果「野良猫駆除」なんていう言葉をはじき出して広告を貼り、意気揚々と帰っていったらしい。
やっぱりロボットはロボット、所詮ロボット。どうやら書き手の心根までは理解できなかったようだ。野良猫を駆除しようなんていう寂しい根性、小指の先ほども持ち合わせてはいないし、「駆除」という言葉には強い嫌悪感、「野良猫」という言葉を聞くだけで、切なくて胸も張り裂けんばかり。ペットショップにブリーダー、これだってその実態を知って快く思うはずもなく。
まあ、人間の複雑な心境、そして深くて柔らかで繊細な(自分で言ってナンですが・・・)この「乙女心」を、ロボット(ごとき)に自動的に解読されてしまうようでは、人間の人間たる存在意義も薄れてしまうというものか。
ロボちゃん、「英才教育」を終えたキミの今後の課題は、ヒトの心の機微を読み取れる「情操教育」ってとこかな?
(注・広告は時々刻々変わっています)
写真:(上)「野良猫」なんて言わせない!(左)左がムメちゃん、右がにゃあちゃんのしっぽ。共存共生のなんて平和なこと。
プロフィール
ジュリママと猫たちを乗せて走る鈍行列車のちゅうちゅうとれいん。車窓から見える風景を、気ままに書き綴るブログです。あけみちゃんの絵日記、『あけみ参上つかまちゅりーっ!』もどうぞよろしく。どちらもボチボチの更新ですが、末永くおつきあい頂ければ嬉しく思います。

